真実を語る者
「大魔法士オーランド、貴方と一緒にいた宮廷魔法士はどうした?」
彼を捜査協力という名目で連れ出し、監視させていたダニエル。
何か不穏な動きを見せるのであれば、すぐに始末するよう命じていたはずのオーランドがどうしてここに。
それに、レスレックの城門は完全に閉ざされている。
仮に追手から逃れたとしても、ここへ入ることなど不可能なはずだ。
学院長としてではなく、この国最高の魔法士として敬意を払いながらも怪訝な目つきでダニエルは訊ねた。
「わしを襲ってきた者達のことか?今頃はアイーダの下で世話になっているであろう。心配はいらぬ」
「……何?」
年季の入った等身大の杖を携えたオーランドの言ったことに、ダニエルの眉が吊り上がる。
この計画において、オーランド・デニキスの監視と排除は非常に重要な要素であったため、当然布石は打っていた。
彼が一人いるだけでこの計画に揺らぎが生じることは目に見えていたため、ダニエルは自身の考えに賛同する宮廷魔法士を送り込んでいたのだ。
そんな選りすぐりの彼らが手傷を負わせること無く倒された。
「ここに入るのは難しいことではなかった。二人が危険を顧みずに行動を起こしてくれたおかげじゃ」
「かなり肝が冷えたぜ」
「宮廷魔法士を騙すとかもう勘弁だ」
クライヴとロベルタが互いに目を合わせて苦笑する。
「……君たちは本当に何を考えているのか。とっとと逃げ出せば良いものを」
けれど、ダニエルは不愉快だった。
この二人のせいでこうも簡単に侵入まで許してしまうとはなんたることだ。
学生ゆえの無鉄砲さを考慮しなかったため、彼らの行動を読み切ることが出来なかった。
……少々ここの学生を侮っていた。
オーランドを含め、彼らがこの計画の最大の障害だとダニエルは認識するのだった。
そのため――
彼は素早くオーランドへ杖を突き付ける。
「……え?」
極めて自然に、そして冷静に。
敵意を限りなく抑え込み、相手の意識の不意を衝く杖捌き
宮廷魔法士が持ちうる、高等技術。
クライヴやロベルタにはそんな技術に到底ついてこられず、間抜けな声を上げるだけだった。
これで後は――
「……伊達に大魔法士の称号を持っている訳じゃなさそうだ」
「随分と面白い技じゃのう、わしに詳しく教えてくれないか?」
「しらばっくれた真似を……」
ダニエルは敵意を復活させる。
オーランドもまた、しっかりと杖を向けていた。
極めて自然に、そして冷静に。
自身と同じ技術を、この老人は会得していたのだった。
「けれど、今更何ができる?僕の仲間はいずれこの場所にやってくる。君たちではどうにもならない。無駄な血を流さないためにも、おとなしく捕まっていた方が良くないか?」
ダニエルは気分を新たにして、降参するようオーランドに迫る。
そう、彼らの行いは実に愚かで無駄なことだった。
レスレック城は既に宮廷魔法士達によって人知れず占拠されている。
抵抗するのは結構だが、ここの生徒達は人質。
自分の一声により彼らの命は如何様にも出来るのである。
ダニエルは言葉巧みに彼らへ詰め寄った。
「ううむ、確かにお主の言う通りかもしれぬ。この城が戦場になることだけは避けたいところじゃ」
「懸命だ。彼らの身を心配するのなら、このままおとなしくしていることだ。今ならまだ命の保証はしてあげよう」
「いやはや、それにはまだ及ばぬ。遠慮しておくぞい」
「……オーランド、それじゃあここへ何をしに来たんだ?」
わざわざ宮廷魔法士の目をかいくぐってまでここへ来たらしいが、かと言っておとなしく捕まる気も無い。
飄々(ひょうひょう)とした表情のオーランドに、疑惑の目を向けるダニエルだった。
「単純な事じゃよ。ダニエル、お主を説得するためにここまで来たのじゃ」
「……何?」
敵地に乗り込んでの目的が説得とは、この老人は何を言い出すのか。
二人のやり取りを黙って見届けているリヴィアやエリックたちの表情も驚きのものとなっていた。
「誰も命を落としていないのも、お主が目立たないよう行動してくれたおかげじゃ。今ならまだ引き返せる、考えてはくれないかのう?」
「今更遅いな。どうしてそんなことに応じる必要がある」
「お主がここにいる宮廷魔法士達を纏め上げたことは知っておる。お主の言葉で彼らを諭すのじゃ。わしも協力する」
「リヴィアは既に囚われの身。僕を諭すのは止めることだ」
オーランドは事が公になる前を良いことに、わざわざ交渉に乗り出してきたようだ。
けれど、そんな徒労も無駄な事。
ダニエルはぞんざいに彼の提案を拒否するのだった。
「……とても残念じゃ」
オーランドは気落ちし、大きく息を吐いた。
まるで、この後に行うことを後悔するように。
「ならば仕方あるまい」
彼の杖から何の前触れもなく光が灯り、魔力弾が発射される。
「っ!?」
まるで敵意を感じなかった。
それがダニエルの勘を鈍らせ、反射的に避けていた。
「オーランドっ!!」
「じいっ!止すのじゃ!」
突然の心変わりともいうべき彼の行動にダニエルは直ぐさま杖を向けたまま後退し、大声を上げる。
リヴィアの悲鳴もまた、オーランドの耳に聞こえてきた。
「心配いらぬ。彼らは安全じゃ」
老人はそう言いながら、ダニエルの下に次々と魔力弾を放っていく。
また、老人はその間ほんの一瞬だけフィオナ達に目で合図をする。
すると彼らははっとしながらも、飛び出すようにしてオーランドの傍を駆け出していった。
「まさかっ!!」
彼らの目的はリヴィアの救出。
だからオーランドは彼らを連れてきたのか。
すかさずダニエルは殺傷性を高めた氷結弾を彼らに向けて放った。
迫りくる氷弾。
彼らの貧弱な魔法障壁では防ぐことも適うまい。
「そうはさせぬ」
リヴィアの下に走り抜けようとする四人。
それを黙って見届けるオーランドではなかった。
彼らを援護するようにして、杖を巧みに振るう。
現れる紅蓮の炎。
燃え盛る炎が彼らの盾となり、氷結弾を全て蒸発させるのだった。
「お主の相手はわしじゃ」
間髪入れずに追撃をかけるオーランド。
彼の杖から生き物のようにうねるのは、山猫の姿をした大きな炎。
炎の中で生み出された山猫はすかさず疾走し、青年に飛び掛かる――!
「邪魔だッ!!」
金属の杖先から大量の水が流れ落ち、鞭のようにしなる。
杖を振り下ろすダニエル。
水の鞭は、刃のように炎の山猫を真っ二つに両断した。
姿を消す山猫。
ダニエルはそのままオーランドの方へと振り向き、水の鞭を圧縮水弾として変化させ、撃ち放った。
ばら撒かれるようにして襲い掛かる圧縮された水弾。
一つ一つを相殺するのは難しい。
オーランドは杖を真正面に向けることで魔力障壁を展開させ、それらを凌ぐのだった。
「気でも狂ったか?オーランド・デニキス」
ダニエルは気を一旦落ち着かせ、彼を睨みつける。
「いいやダニエル。わしは至って普通じゃよ」
「何が安全だ。とぼけるのもいい加減に止めろ。僕の言ったことを忘れたわけじゃないだろう。この城は既に僕たちが――」
「お主らが行動を起こす前で本当に助かった」
「……何だと?」
「ダニエル、リヴィア達を見てみるのじゃ」
後ろを振り向くよう目線を送るオーランド。
ダニエルは彼が妙なことをしないよう視界に収めながら、ゆっくりと顔を向けた。
「既に教職員の部屋と各寮は封鎖済み。ここへ通じる全ての通路もじゃ。手出しはできぬぞ?」
「……魔法結界か」
彼らは半球状に覆われた魔法陣の中でこちらをじっと見つめており、不思議な光を放つ球体がフィオナの手の上に乗せられていた。
“面倒だな……こんな小規模でも発動できるなんて、思いもよらなかった。しかもあれは……”
オーランドが作り出した特別製の魔法道具か。
「マチルダをおとなしくさせたことが仇となったのう。抜け出す者が少なくて助かったわい」
「こしゃくな真似を……」
あらゆる外敵から身を守ることに特化したオーランドの魔法結界。
大規模なものはライレンの関所やフォーサリア宮殿に配置され、この国の要となる強力無比な代物だ。
急ごしらえのものであるはずだが、これを力ずくで破るとなると中々骨が折れる。
そう考えただけで、ダニエルはとても不愉快な気持ちになった。
「けど、この後はどうするんだ?僕を閉じ込めただけでは、何の解決にもならないよ」
ダニエルは気を取り直し、再び揺さぶりをかける。
そうだ。結局封じただけでは意味が無いし、このまま待っているだけでは何も変わらない。
「わしの信頼する者達が今この城へ向かっておる。皆優れた魔法士じゃ、ここにいる宮廷魔法士に勝るとも劣らぬぞ?」
「……だから大人しく降伏しろだと?はっ、まだまだ!!」
再び、圧縮水弾をオーランドへ向けて次々と放つダニエル。
決着はまだついていない。
リヴィアはさっきの戦いで底が知れた。後はこの老人さえ倒すことが出来れば何も問題はない。
もっと派手に立ち回れ。そうすれば勝機は見える。
「ダニエル。魔導書があるからといって少々わしを見くびっていないかのう?このようなもので止められると思ったら大間違いじゃぞ?」
魔導書に書かれていた古代魔法。その力があるはずなのに、圧縮された水弾が再びオーランドの展開させた魔力障壁の前にはじけ飛び、豪快に散っていく。
真正面から撃った所で無駄なことだ。長引けば長引くほど応援を要請したオーランドが優勢となっていく。
「僕は見くびってなんかいないよ。オーランド、貴方こそ僕を侮ってないかい?」
「……む?」
その言葉と共に魔導書が光を帯び、教室全体に流れ込む強烈な寒波が流れ込む。
外の猛吹雪の世界に裸で身を投げ出したような冷たさ。
辺りの気温が見る見るうちに低下し――
オーランドの周りから氷柱が音を立てて発生した。
彼は杖を振り、自身に危害を加えると思われるそれらを防ごうとして、
“ぬっ!?”
オーランドの杖が、パキパキと侵食するように凍り始めていた。
すかさず彼は杖を手放すことを決断し、大きく後退する。
「『凍える氷河』……どうだい?杖の無くなった老人に、零下の寒さは堪えるよ?」
「……成る程のう」
オーランドは氷に閉ざされた杖を眺め、ダニエルを見返した。
白い息を吐いた瞬間凍りついて固まり、オーランドの体温を急激に奪っていく。
さっきダニエルが大量に放った圧縮水弾。あれは無意味に放ったものではなかった。
辺りに散らばった水溜まり。それが急激に冷やされることで、相手を飲み込む氷柱となったか。
後一歩遅れれば、杖のように氷に取り込まれていたことだろう。
「このまま応援を待っているだけだと、そのうち凍え死ぬよ?尤も、結界を解けば少しは収まるかもね」
「むう……」
この異常な寒さの原因はあの魔導書、恐らくは古代魔法によるものだろう。
魔法は屋外で使用すると冷気が拡散して効果が著しく低下してしまうため、屋内の使用が望ましい。そして、出来るならば完全に閉じられた空間内でこそ、最大の効果を発揮する。
結界で閉じたと思いきや、ダニエルは逆にそれすらも利用してきたか。
先ほどの事も踏まえ、目の前の青年は思っていた以上に……いや、相当腕が立つ。
オーランドはダニエルの卓越した魔法運用技術に驚きを隠し得なかった。
実技教室の中を、氷点下の世界へと変える凍てついた大気。
リヴィア達は結界内にいるおかげで安全だが、彼女たちの表情は焦りが強い。
クライヴやロベルタ、フィオナのハイクラスの生徒達はリヴィアの拘束魔法を解こうとして四苦八苦しており、エリックとニーナ、そしてリヴィアは何もできない歯がゆさのあまり今にも外に飛び出しそうな勢いだった。
「答えは沈黙……緩やかな死を迎えるということか。ま、それも良いだろう」
何かを考えるようにして目を閉じ、一向に動こうとしないオーランド。
老人の顔全体に、霜が降りていく。
杖が失われ、魔法の力を持たない老人など取るに足らない存在だった。
ダニエルはオーランドへ背を向けてリヴィア達の方へ足を運んでいくのだった。
――よそ見をしていて、平気なのかのう
けれど、真に見誤っていたのはダニエルの方だった。
「っ!?」
切迫するバチバチとほとばしる強力な電撃。
リヴィア以上の力だ。
杖では防ぎきれないと判断するや否やすかさず魔導書を起動させ、魔力障壁を展開させていた。
「ほう、これも防ぐのか。便利な本じゃのう」
「電撃の波動だと!?馬鹿なっ!!」
彼の杖はとっくに氷の中だ、それなのにどうして魔法を使える。
魔法士の半身ともいえる杖。
それが失われるということは、その時点で勝敗が決まったようなものだ。
ダニエルはオーランドの姿を凝視する。
しかし、彼の右手には何もない。
左手にも。
オーランドは何も身につけてはいなかった。
けれど、彼の両手は青白い魔力の電撃を纏っている。
つまりそれは――
「『杖なし』だったのかっ!!お前はっ!!」
『杖なし』
魔法を扱う者の中で、ごく稀にしかいない特異な者。
魔力媒体を持たずとも魔法を制御・行使し、魔法士最大の弱点を克服した、世の中の魔法士全てを冒涜する存在。
オーランド・デニキスはその一人だったのか。
ダニエルは力の限り怒鳴り散らすのだった。
◆◆◆
「……オーランド先生」
エリックはポロリとこぼし、唖然とした表情で目の前の戦いを眺めていた。
ダニエルの魔導書から発動される古代魔法に対して、一歩も退くことなく相対するオーランド・デニキス。
「リヴィア、オーランド先生が杖なしだったってこと知ってた?」
「い、いや知らぬ。わらわも今日初めて知ったぞ……」
リヴィアの眼前に広がる光景は、いつも温厚なオーランドを見てきた彼女にとって衝撃的なものだった。
単純な威力で勝る古代魔法を使うダニエルに、両手から放たれる電撃の波動を交えた、炎の高位魔法で互角に対抗するオーランド。
これ以上好きにはさせまいと、オーランドの魔法の余波で実技教室のあちこちで氷が砕けて溶けだしており、ダニエルの優位性は徐々に崩れつつあった。
ニーナの問いかけに驚きをあらわにして答えるリヴィア。
古代魔法という強大な魔法を相手にしているというのに、オーランドの目には力強い意志が宿ったままであり、一瞬たりとも目が離せなかった。
「おいおい、我らの校長はあんな魔法まで使えるのかよ……」
「あれは……火の玉か!?何だよ、あの大きさは!!」
クライヴとロベルタの手も思わず止まる。
氷結弾の何倍もの大きさである無数の氷塊に、オーランドは彼らの見たことも無い大火球の数々で相殺し、蒸発させていった。
これが、魔法という力。
自身の中にその力が眠っていると考えると、二人は畏れのあまり肩を震わせるのだった。
「静かにして」
けれどフィオナは手を休めることなく、リヴィアの拘束魔法を一人解除し続けるのだった。
加熱させた鉄板の上に水をたらしたような音が広がり、水蒸気が教室に満ちていく。
ダニエルとオーランドの姿が見えなくなるものの、様々な色の魔法がぶつかり合う様子がうっすらと見えており、二人の死闘が現在も続いていることが分かった。
幾ばくかの時間が経った後、静寂が訪れる。
決着がついたのか、魔法の放たれる閃光が一切無くなった。
徐々に晴れていく霧。
「わしの勝ちのようじゃのう」
「……」
教室の中心では、ダニエルの喉元に炎剣を突き付けるオーランドがいたのだった。
◆◆◆
「こう近ければ、魔導書の発動よりも先に斬ることが出来るぞい?」
「……大魔法士オーランド。まさか貴方に剣の心得があったとは」
「何。昔の教え子に相手を頼まれたことがあってのう、その時の名残じゃ。流石に今となっては、骨身にしみる」
「またドレクにやられたか……はぁ。結局僕は、あいつに勝てなかったか」
「お主の卓越した魔法、何故もっと別の形で生かさなかったのじゃ。このまま修練を積めば、立派な魔法士になれたというのに」
魔法で作り出した剣のような炎を、冷めた目で見つめるダニエル。次いで、彼は負けを認めるようにして杖と魔導書を地面に落とし、オーランドは悲しげな目で彼を見つめる。
教え子を捕まえようとするのはこれで二度目だった。
「うん……?ああ、まだ知らなかったのか……まあ良い」
何かをやり遂げたような満足した顔つきのダニエル。
オーランドは彼の態度に眉をひそめるが、一刻を争う事案に対応するため話を続ける。
「詳しい話は後でゆっくり聞かせてもらうわい……ダニエル、それよりもまずレスレックにいる宮廷魔法士全員の説得に協力してもらうぞい」
「僕の言うことを聞くかな、彼らは」
「何度でも繰り返し言い聞かせるのじゃ。それがお主の責任というのであろう」
オーランドはまた、この騒動が終息した暁に、ダニエルがヴァラルに無実の罪を着せた事について謝罪させることを考えていた。
宮廷魔法士の暴走に彼を巻き込んでしまったことを、己の不手際だったとして誰よりもオーランドは悔やんでいたのであった。
オーランドは強く、厳しく言いつける。
これ以上の争いを食い止めるために。
「今からでも十分間に合う。一から全てをやり直すのじゃ」
そして、彼をそのまま拘束しようとして――
「は?一からやり直し……?」
――何を言ってるんだ??オーランド??
その言葉に突然、ダニエルは不敵に笑った。
目の前にはメラメラと燃えあがる炎剣を突き付けられ、じりじり肌を焼かれながらも。
「……何を言っておる、お主は既にこうして――」
「分かっていないようだねえ……僕は確かに負けた、リヴィアという皇女を確保するために。でもさあ、まだ他にもいるじゃないか」
「お……お主まさか……」
ダニエルのニタニタとした不気味な笑みは止まらない。
オーランドはもしやという思いで、全身に悪寒が走った。
――フォーサリア宮殿。あそこには誰がいるかなあ??
「ッ!?ダニエルっ!!」
その言葉にダニエルを除く全員が揺らぎ、オーランドの剣が大きくぶれた。
絶好の好機。
すかさず彼は袖に隠し持っていた二本目の杖を取り出し、滑るようにして間合いを詰めてオーランドに
直接当てる。
そして――
「死ねッ!!」
つららのように鋭く尖った氷柱がオーランドの体を刺し貫いた。
「……ぐっ」
フォーサリア宮殿が危ない。
彼は、あの場所まで魔の手を伸ばしていたのか。
迂闊、本当に迂闊だった。
まさか、自身の結界が既に破られているとは。
“こ、こやつは自分を囮にしてまで……そこまで読み切っていたのか……”
だからこそ、彼は満足した顔だったのか。
刺客を放ち、その口が割れることも承知の上で。
口から血を流し、よろよろとオーランドは力なく崩れ落ちた。
「僕はもう、最初から引き返せないところまでやってるんだよ」
「じ、じいっ!!」
結界内を飛び出して、オーランドの下に駆け出すリヴィア。
拘束魔法は解かれていない。
それにもかかわらず、彼女は必死になって何回も転倒し、やっとの思いで老人の下にたどり着いた。
彼の状態は酷いものだった。
体を貫いた跡から赤い血が大量に流れだして床全体へと広がり、見るからに致命傷だった。
「五年だ。フォーサリア宮殿の結界を破るために五年かかった。あそこは本当厳重だからねえ、小手先の魔法でどうにかなるもんじゃない。本当に大変だったよ。宮殿内を探るために舞踏会とかの行事を抜け出して、こそこそ泥棒のような真似をするのは……ま、今年は宮廷魔法士になれたおかげでかなり楽だったけどね」
あのオーランド・デニキスに勝った。
杖と魔導書を拾い上げて段々と実感する中、必死に呼びかけを行うリヴィアを見下ろしながら、ダニエルは語る。
「けどな、あそこにはブレントがいる。それに暑っ苦しい位、リヴィア達を慕う宮廷魔法士達もな」
「あいつらはリヴィア達の大ファンだからな。ここにいる連中のように、裏切ったりはしない」
ふと声がすると思いダニエルが横を振り向くと、クライヴとロベルタが結界の外に出ており、杖を向けていた。
「問題は無いさ」
ダニエルは本当に何でもなさそうにして素早く杖を振り、氷結弾を正確に彼らの杖を打ち抜き、バラバラにする。
続けざまに、捕縛魔法を連続して放つダニエル。
「くそっ……!」
二人は足元を拘束され、地面にたたき伏せられてしまった。
オーランドと戦った後では、彼らの動きが鈍くてしょうがなかった。
「この本は、ただの本じゃないんだ。『複写の書』と言ってね、さっきのような魔法を誰でも簡単に使えるようになるんだ」
『複写の書』
複製効果を持つその魔導書は、自らと同じ魔導書を生み出すことが出来る書物。
これをダニエルはフォーサリア宮殿を占拠する魔法士達に予め手渡し、戦力としていた。
オーランドさえも追いつめた古代魔法だ、いくらブレント率いる精鋭たちでもこれには及ぶまい。
「宮殿を占拠した後は、リヴィア達を使って僕たちの考えに賛同する者達にこれを配っていく。簡単に手に入る古代魔法の力だ、誰もが欲しがるに決まっている……援軍だって?ふん、返り討ちにしてやるさ」
レスレック城にいる宮廷魔法士達にも自身と同じ魔導書を隠し持たせている。
人質を取られた場合に備えて、彼らは最初から勝てる算段を整えていたのだった。
「ダニエル……貴方は魔法を何だと思っているの?そんなことをすれば、この国がどうなることくらい想像がつくでしょう?」
「そ、そうだっ!とんでもないことになるぞ!」
「無秩序な魔法程、危険なものはないわっ!」
「いちいち五月蠅いな、君たちは……」
結界内で大人しくしていれば良いものを。
フィオナやエリック、ニーナまでもが杖を向けてきたため、ダニエルは容赦なく彼らを拘束した。
「文句を言うことだけは一人前だね。未来のことを心配する前に、今の自分たちの状況を心配しなよ」
オーランドは虫の息で、リヴィアは錯乱状態。
四人は呆気なく組み伏せられ、誰も助けが来ない。
「国が滅ぶかもしれないだって??その時はその時で、勝手に無くなれば良いさ。所詮それまでの国だったってこと。この本があればどうとでもなる。そうだねえ……もしそのときは盗賊でもやろうかねえ??それとも冒険者??ははっ!!良いねえっ!!」
ダニエルの狂ったような笑い声が、血と氷が混じりあった凄惨な実技教室に響き渡る。
リヴィアを破り、オーランドも追いつめた古代魔法。
何て素晴らしい力なのだと、彼は勝ち誇ったように叫んだ。
“こ……こ、こんな奴に、じ、じいや、母様、妹たちが……うっ、うぅう~~!!”
リヴィアは怒りと悔しさ、そして悲しみのあまりパニックになっていた。
オーランドは瀕死。レスレックから遠く離れたフォーサリアでは家族の身が危ない。
今こそ、この国の皇女としてしっかりしなければならないのに頭が働かない。
彼女の体がオーランドの血で真っ赤に染まっている。
どうやってこの状況を打破すれば良いのか、全く分からない。
己の無力さに打ちひしがれ、何もできない今の自分に絶望していたのだった。
そんな時、彼女の大粒の涙がぽたりとオーランドの顔を濡らす。
オーランドの今にも閉じそうな目に、わずかな間だけ視界が戻った。
彼の目に映し出されているのは、リヴィアの泣き腫らした顔。
“し……仕方あるまい……”
すると彼は何かを決断したのか、力の入らない右手を何とか起こして、
「なっ!?」
リヴィアの驚く顔を眺め、彼女の額にそっと当てるのだった。
「こ、ここは……」
リヴィアがきょろきょろと辺りを見渡す。
実技教室とは全く違う、馴染みのある整理整頓された小部屋。
よく見てみると、彼女の両手も自由に動かすことが出来、服も全く汚れていなかった。
彼女は今の現状に疑問を持ちながらも、何とかしてこの場所を思い出そうとする。
“そうじゃ、ここはじいの部屋……”
オーランドの小屋だ。
何かの実験に使う変な魔法道具や、山のように積まれても落ちる様子を見せない多種多様の本の山。
フォーサリア宮殿のはずれにひっそりとたたずんでいるあの小屋の一室だった。
「リヴィア」
「じ、じいっ!?いつの間にっ!」
後ろを振り向くと、小奇麗な机の前で申し訳なさそうにするオーランドがいた。
「すまぬのう、リヴィア……わしの力が足りぬばかりに、お主に大変な迷惑をかけてしもうた」
「それよりもお主のことじゃっ!き、傷は……」
リヴィアはオーランドに近づき、全身を見渡す。
しかし、彼の体には傷が一切残っていなかった。
「落ち着くのじゃ、わしの事は心配いらぬ」
互いの意識を共有し、心の中で対話をする魔法。
このため、現実での出来事は一切影響を受けていないのだとオーランドはなだめるようにして少女に説明する。
「信じられぬかのう?」
「い、いや……大丈夫じゃ。何とか理解できた、問題は無いぞ」
「ほほっ、あまり時間が無いからのう。助かるわい」
素直な皇女様だと、オーランドは微笑むようにして頷く。
「リヴィア、わしは恐らくこのまま死ぬじゃろう」
そして、改めて己の死期がすぐそこまで近づいている事を語った。
「し、死ぬって……何を言っておるのじゃ!?今からでもまだ……」
「わしはもう十分生きた。じゃがその前に、お主に伝えなければならないことが出来てのう」
あのようなリヴィアの姿を見て、そのまま彼女を遺して逝ってしまうのは非常に心残りとなってしまったオーランド。
逝くときは笑顔で。
それに、この不思議な状況を受け入れられるのなら、あの出来事を話しても問題は無いだろう。
墓まで持っていくつもりだったが、急遽変更だ。
彼女には、その資格がある。
「つ、伝えなければならないこと、じゃと?」
「そうじゃ」
戸惑うリヴィアにオーランドは簡潔に答え、顔つきがどこまでも真面目なものとなっていた。
――リヴィア・ド・ライレン。今から語る内容は、お主の従来の価値観を根本から変えてしまうかもしれん。心して聞くがよい
「っ!!」
彼の個人授業は本当に久しぶりで、魔法学院に入学してからは初めての事であった。
ごくりとリヴィアは唾を飲み込み、改めて近くの椅子を引き寄せて座りこむ。
「科目は魔法史」
――レスレック城にまつわる、歴史の真実じゃ
オーランド・デニキスの、教師として最後の授業が始まるのだった。