宮廷魔法士
魔法皇国ライレン編、最終章突入
横殴りに吹き付ける、身も凍えるような強い風。
連日の積雪によって、バランスを今にも崩しそうな不安定な足場。
三日月が雲の陰に隠れている夜に、ヴァラルはレスレック城外壁で作業を行っていた。
「……ふう」
額をぬぐい、一息つく。
彼の手元は雪でかじかんでいるはずなのにほんのりと熱を帯びており、先ほどまで繊細な作業を行っていたことが伺える。
「よし、こんなものか」
「お疲れです、主様」
「こっちも終わったよ」
修理し終えた状態を確認するヴァラルの下に、声がかかる。
レスレック城頂上付近の外壁沿いに、アイリスとイリスがさくさくと雪を踏みならし、彼の下に現れた。
「ああ、そっちもお疲れさん」
「吹雪が来る前に終わらせることが出来ましたね」
「だな、流石に吹雪の中まではやりたくない。今まで付き合わせて悪かったな、二人とも」
ヴァラルは白い息を吐きながら、上から見下ろす形で景色を眺める。
視界に広がる、一面の銀世界。
白く化粧をしたように降り積もる雪に覆われる木々に、極寒の寒さによって凍てついた湖。
再び顔を出した月の光も合わさって、見るもの全てに儚く幽玄な自然の景色を映し出していた。
「ううん。良い気分転換になったから、全然気にしてない。いろいろ勉強にもなったし」
「私も同じです。またここに来ることになったのは、ちょっと不思議な感じがしましたけど」
二人もこれまでの日々を振り返るように感慨深く返事をする。
ライレンを訪れてから外に出る機会は減ったものの、アルカディアの外の世界を旅することにより、彼女たちも良い経験をしたようだった。
「昔とは大分様変わりしたからな。魔法を扱いながらここまで上手く発展させるのは中々できることじゃないぞ」
フォーサリアやアーティル、その他のライレンの街並み。
彼らの行使する力は研究開発分野で利用されており、日常生活でもその恩恵は計り知れない。
魔法に関する知識ならば、やはりこの国が一歩抜きん出ている。
「クーデターがあったようだからもっと物騒かと思っていたんだけどな……案外そうでもなくてほっとしたよ。リヴィアやオーランドもしっかりやってるんだな」
ライレンの教育重視の政策がうまく芽吹いているのだなと感心したヴァラル。
「今のライレンは万遍なく秀才はいる。でも、天才はいない」
「……イリス、お前は相変わらず手厳しいな」
「そう?これでも一応誉めてるつもりなんだけど」
「俺は考えを改めたぞ、一応な」
ライレンは以前、魔法という力そのものを条理を覆す奇跡として扱う風潮があった。
魔力保有量によるランク付けが入学後の人生の分かれ目だとも言われ、冒険者のようにクラスが上がるわけでもないため、実力ある一部の生徒達が学院を牛耳る形となっていた。
当然不満もあった。しかし、決闘を申し込んだところでそんな彼らに到底勝ち得るものではなく、徹底した実力・競争主義が一時期蔓延っていた。
「私は、今のこの国のとった道は正しいと思いますよ」
しかし、ふらりとライレンへ訪れたドレク・レーヴィス。
彼の魔力ランクはC、一般の魔法士レベル。
そんな彼が『決闘』で、正面から当代随一の魔法士を打ち破る。
この出来事によってライレンは今の風潮にがらりと変わり、彼がこの国にもたらした影響は計り知れなかった。
「ま、余計なトラブルも無くて良かったよ」
魔法の力に溺れず、きちんと律することのできるレスレックの学生たちやこの国の人々に、ヴァラルは好感を覚えていたのだった。
“はい、めでたしめでたしというわけでもなさそうだけど……”
一方、そんな満足するアイリスとヴァラルに、イリスは密かな疑念を抱いた。
この国に長く居すぎたせいで、ヴァラルは人の悪意に鈍くなっている。
またしても。
ドレクが今の風潮をもたらしたことで、大勢の日の目を見ない魔法士達が活躍し始めることは当然の帰結ではあったが、そんな生ぬるい風潮に不満を持つ人々も出てくるはずだった。
ドレク以前に台頭を誇っていた魔法士達。
彼らが今何をしているのか、イリスは気がかりだった。
「……で、ヴァラルはこれからどうするの?吹雪が来る前にこの国を出る?もうやることは終わったでしょ?」
「リヴィアと話し合って決める。あいつの方も授業は終わりだろうし、こっちもやることは終わったからな」
「……大丈夫なのですか?先日、彼女と一悶着あったのでは?」
「だからと言って、黙って出ていくのはまずいだろう。何言ってくるかわからない」
ああいっても、リヴィアには世話になった。
護衛の仕事という当初の予定は、彼女の皇女としての力によって殆ど無いものに等しく、レスレック魔法学院ではただ飯食らいとなってしまった。
彼女には何もしてやれなかったが、せめてこれ位は。
互いに後悔を残さないためにもきっちりと話をつける必要がある。
アイリスの心配する声に、ヴァラルは答えた。
「気を付けて、ヴァラル」
「……何に気を付けるのかはさっぱりだがイリス、とりあえずは受け取っておく」
風が強まっていき、月は雲によって覆い隠される。
銀世界は閉じ、再び夜の暗闇に包まれるレスレック城。
そんな気象の変化にどことなくざわめきを感じながら、ヴァラル達は戻っていくのだった。
◆◆◆
「……どうも最近、この国ではおかしな事件が続いているな」
ライレンの魔物研究所が襲撃された。
事件は未明にかけて起こったとみられ、犯人も不明、建物が破壊されることにより魔物たちは脱走、各地で被害をもたらし始めていた。
さらに、魔物の活動と合わせるようにして様々な研究施設の内部資料が相次いで盗まれ、ライレンはこれらの対応に日々追われる羽目になっていたのであった。
「昨日もまた研究所が壊されたらしいぞ、アンリ」
定例会議で使われる職員室には、レスレックの教員たちが互いに情報を共有しようとしている。
応用魔法学のアンリ・バルトと実践魔法学のフィックスも隣の席に座り、この事態を憂慮していた。
「この短期間に連続で……一体何を考えているのか」
「犯人のことか……確かに、不可解な点が多すぎる」
今朝の日刊魔法新聞『リーディングタイムズ』を持ち寄っていたアンリは、フィックスにも見えるようにして広げる。
「魔物研究所やアーティルで破壊活動をしているかと思いきや、施設の内部資料をも盗み出している。
わざわざ人目に付く恐れを顧みずに。犯人の目的は一体なんだ?」
「この国に対する挑発行為、というのが世間の論調のようだが?」
「そう考えるのが妥当なのかもしれないが……こんなことをして何の意味がある」
フィックスの発言、もといライレンの国民の意見に異を唱えるアンリ。
あまりにも無謀で、無益な行為だ。
資料を持ち出したとはいえ、専門的に読み解き、運用する魔法士はライレンしかいないのだから。
「自身の力を誇張するため、というのも考えられる。魔法士はふとした時に、己の才を試したいと言う欲望に駆られることがあるからな。今回もその手の輩によるものかもしれないぞ」
「あまりにも愚かで、幼稚で、魔法士としてあってはならない考えだ」
そんなことは決して許されるはずなど無い。
アンリは怒りを露わにするように言い捨てる。
「確かに。こんなことをしていたら、いずれ彼らが来る。どのみち終わり……待て、アンリ。確か魔法士ならと言ったな」
「ああ。とても悲しいことだが、この国の誰かが起こした事件で間違いないだろうね」
厳重な警備態勢を敷いた中での出来事だ。
犯人は魔法の扱いに長けた者、つまり魔法士の仕業なのだろう。
「……襲撃地点のどれもが、ヴァラルがリヴィア様と共に訪れている場所だぞ」
フィックスは新聞に載っていた施設の名前を挙げていく。
魔物研究所を含めたライレンの関連施設。
襲われた順番までもが、綺麗に彼の辿ったルートを再現していた。
「考えすぎだ、フィックス……まさかヴァラルが犯人だとでも言うのか?」
「否定はし切れまい」
「でたらめだ、何故そんな真似をする必要がある。彼は至って善良な人間じゃないか」
「とても思えないな。授業を碌に受けはしないし、態度も改まることはなかった。こんな不良生徒は見たことが無い。さらに城の中を夜な夜な徘徊までしているそうじゃないか」
ふん、と鼻を鳴らすフィックス。
生徒達に人気の実践魔法学を担当する者としては、ヴァラルの態度に心底腹が立っていたのだった。
「……彼は冒険者だからだ。あのくらいの態度がむしろ自然。ああでもしないと周りから見下されるんだ」
「だが、それをいちいち説明していったところで、彼への疑いは避けられまい」
「……」
アンリは口をつぐむ。
レスレックは試験休みに突入し、生徒もまばらだ。
その気になれば人目をごまかし、時間を取ろうと思えばいくらでもとれる。
時期が悪いとしか言いようが無かった。
「俺の僻みであることも分かっている。が、この国の中で彼を理解している者はごく僅かだ。ここまで言えばわかるな?」
「それは……」
フィックスの客観的な指摘に、何も言い返せないアンリ。
アンリも当初、ヴァラルがここに来ることに得体の知れなさがあった。
一体なんのためにこの国へ。
フィックスは恐らく、ヴァラルを知らない人物が彼に対して抱く感情もまた、以前の自分たちと同様のものであると言いたいのだろう。
「皆さん、お疲れ様です」
「おお、マチルダ」
外は吹雪となっており、悪天候。
ざわめく職員室で、マチルダがようやくやってきた。
「おや、オーランドはどこに?」
今日は職員会議の日。
いつも最後に到着するはずの彼の姿が見えないと、ネイルは訊ねた。
「オーランドは不在です。彼は今ライレン中を飛び回っています。なので、彼は今日欠席となります」
「なんともまあ」
「もしや、例の件で?」
書類の束を置くマチルダの発言に驚きを隠せないネイルとアンリ。
「ええ、現場検証のため宮廷魔法士と共に」
「宮廷魔法士!まさか、彼らが!?」
宮廷魔法士が動く。
オーランドが現場に立ち会うのもそうだが、フィックスに続く形で今度は職員室全体が騒然となった。
――宮廷魔法士
卓越した魔法力を持つ魔法士のみで編成される独立部隊。
ライレンでクーデターを引き起こし、トレマルクで悪事を働いたアザンテもその末席にいたが、かつての同僚であるにもかかわらず容赦なく追いつめ、クーデターを瞬く間の内に沈黙させた精鋭たち。
国防に諜報、リヴィア達の警護と、この国の要となる存在であった。
“……少々おかしなことになっている。彼らまでなぜ動く、警備隊だけでも十分対処できる筈……まさか、犯人の目星が既についているとでも?”
マチルダもこのような不測の事態に憂慮しているのか、いつもの事務的で毅然とした口調の中にどこか揺らぎがあるように見えた。
アンリは外の吹雪を、懸念するようにして眺めるのだった。
◆◆◆
レスレック城中層の、イシュテリア寮ヴァラルの自室。
廊下との寒々しい空気と似ていて、ひんやりとしている。
ここ最近はアーガルタにいたヴァラルにとって久しぶりの場所だった。
「試験はどうだった、リヴィア。ちゃんと出来たか?」
「……お主に心配されずとも、きちんとやっておる」
「そうか、やっぱり何でも出来るんだな、お前は」
リヴィアとヴァラルが向かい合って座っている。
ヴァラルが午前中、話があるとのことでリヴィアを誘い、人目につかないところでということで、リヴィアがヴァラルの部屋に行きたいと言い出したのだ。
「ふん、お主に言われても全然嬉しくないわ。研究会でちやほやされおって、全然わらわになびこうともしないのに……それで、話とは何なのじゃ」
「リヴィア、俺はそろそろこの国を発つ」
彼女の紫の瞳を見据え、ヴァラルは告げる。
「……そ、そうか」
「吹雪が強くなる前に出たかったんだが、お前を中々捕まえられなかった」
リヴィアはライレンの襲撃事件で彼を避けるようにして公務に打ち込んでいたため、話を切り出そうとしたが側から後にしろとの一点張り。
けれども、リヴィアの言い訳も段々と通用しなくなり、観念するようにして彼女からヴァラルとの対話に臨むのだった。
彼にこっぴどく振られることで、リヴィアの中で微かな予感があったのかもしれない。
「わらわは結局、お主に振りまわされてばかりじゃった。皇女をここまでぞんざいに扱うやつなど、見たこともなかったわ」
「出会った頃のリヴィアの方がもっと凄かったぞ」
「……あの頃のわらわの方が好みだったかの?」
「どっちでも変わらん。リヴィアはリヴィアだ」
「やはり最低な奴じゃな、お主は……」
ヴァラルの黒い瞳を諦観の表情で見返すリヴィア。
彼と出会ったせいで、精神的に弱くなったような気がしていたのだ。
「そんなことはとっくに自覚してるよ。お前たちを振ったときにな……ところでリヴィア、さっき隠したものは何だ?」
「ッっ、そ、そうじゃ……」
彼に見えないよう工夫したつもりなのに、あっさり見破る所も更に性質が悪い。
リヴィアは落ち着かない様子でテーブルの下からバスケットを取り出した。
中に詰まっていたのは、リヴィアが作った昼食だった。
「ほ、本当は外に出られれば良かったのじゃが、あいにくの天気じゃ。まだであろう?」
そう言って、彼女はいそいそと支度をし始めた。
ヴァラルの方へサンドイッチや果物、魔法瓶に詰まったスープ。
そしてもう一方の魔法瓶に入っていた、甘い香り漂う紅茶。
「フィオナには及ばぬかもしれんが、わらわの手作りじゃ……あ、味の方は大目に見てくれの」
「……わざわざすまんな、それじゃあ遠慮なくもらうとするか」
ヴァラルは何の疑いもなく、手をつける。
形は少し崩れながらも味は問題なく、彼女が上手く作ろうとした努力の跡が見える。
彼女が午後にしてくれと言ったのも、このためだったのか。
謙遜の必要が無い位、リヴィアの手料理は美味しかった。
こうして一通り味を楽しんだ後、カップに注がれた甘い香りの紅茶を口に入れようとして――
廊下から大勢の足音が近づいてきた。
「動くな」
大きな音の後、自室の扉が魔法によって破壊され、男たちが杖を向けヴァラルの前に現れる。
「人の部屋に入る時はまずノック――」
ばたばたとうるさい奴らだとカップを置こうとするヴァラル。
「動くなと言っている!」
そう言うや否や、忠告を無視したとして容赦無しに放たれる閃光。
リヴィアの持ち込んだ品の良さそうなカップはあっという間に割れる。
「……」
テーブルの上と、ヴァラルの制服にだらだらと紅茶が流れ落ちた。
「いきなり何じゃお主らは!」
「リヴィア様、こちらへ」
突然の事態に毅然と抗議するリヴィア腕を強引に引き、彼らはヴァラルとの距離を取らせた。
「冒険者ヴァラル、貴様をライレン襲撃の容疑者として逮捕する」
冷徹に、一人の男が言い放つ。
――学生ごっこは楽しかったか冒険者?だが、それも終わりだ
テーブルに残されたリヴィアお手製の昼食が散乱する。
外では一層吹雪の勢いが強くなり、景色がまるで見えない。
この国の宮廷魔法士達がヴァラルの周辺を取り囲み、牙をむくのだった。