言葉の刃
夜のイルミネーションに光り輝くライレンの首都、フォーサリア。
様々な色の電飾に灯された街道を行き交う人々は、白い息を吐きながら空から降ってくる雪に気持ちを弾ませる。
今日はフォーサリア宮殿に隣接する会場で待ちに待った舞踏会が開かれる。
年若い学生達は、勇気を振り絞って想いを打ち明けた異性のパートナーを連れて。
結婚し、家庭を持った二人は授かった小さな命と共に、情熱的な思い出に浸る。
子供が自立し、再び二人になった老夫婦は、時を重ねるようにしてかの場所へと足を運ぶ。
魔法皇国ライレンの『月明かりの輪舞』は、人生を彩る特別なエピソードとしてそれぞれの年代に語り継がれていたのである。
きらびやかな、そして荘厳なたたずまいのフォーサリア宮殿の別棟エントランス前。
素材を丸ごと加工したような豪華な石柱が何本も立ち、天井には著名な画家が描いた立派な壁画が見渡す限り広がっている。
こんな生活を送る上で滅多にお目にかかることも出来ない場所で、レスレック魔法学院を含める大勢の男子学生達が、そわそわとしながら気を揉んでいる。
彼らが待ち望んでいるのは、閉ざされた扉の奥から現れるパートナーの晴れ姿。
わざわざ会場内で着替える理由は言うまでもない。
普段とは違う自分を直前まで見せることなく、相手を驚かせるため。
そうして互いに着飾り合流した後、彼らはメインホールの会場へ移動し、先に会場入りした大人たちにダンスを披露する。
学生限定の、ライレンの粋な計らいだった。
「おい、君」
「……」
「君だよ君、そこのやたら辛気臭い顔してる」
「……何だ、俺の事か?」
「そうだ」
ヴァラルが宙を見上げ、物思いにふけっていると一人の学生が彼の下にやってきた。
「舞踏会は今回が初めてなのか?」
「ああ、初めてだ」
「それならもっとしっかりとするんだ。君みたいな物憂げな顔してると、パートナーにも迷惑がかかる」
外見でいえば、レスレックのハイクラス一・二年くらいの学生だろうか。
スマートなタキシード姿の彼はタスブレム魔法学園の生徒のようで、湿っぽい顔をしているヴァラルを注意しに来たのだった。
「そんなに分かるくらい、顔に出ていたか?」
「まあな。まるでここに来るのが嫌で嫌で仕方ないという顔だ」
「……そうでもない」
「おいおい、ここまで来て何だその弱腰は。いいか?例えあんたが良くても、舞踏会は相手を思いやることがまず大切なんだ。今日この日のために、彼女たちは色んなところで準備してくれている。どんな服を選ぼうかとか、どんな香水をつけてこようかとかね。それはもう一つ一つが大変な事だろうよ。だから僕たちは彼女たちの期待に答える必要があるのさ」
ヴァラルの呟きに、学生はこの舞踏会での基本的なマナーを教えてくれた。
これからの数時間、パートナーには優しく接すること。
例え自身の意にそぐわないことでも、だ。
真摯であれ――
これが、彼の言いたいことのようだった。
「……分かったよ。きっちり相手を立てる。肝に銘じるよ」
ヴァラルは目の前で堂々と言ってのける彼の熱心さにあてられたのか、首を縦に振り、素直に従う。
――せめて今日だけは
彼女の抱く想いが、自身の勘違いであることを願いながら。
「そうだ。それでこそ、紳士たる僕たちの役目だ。……ところで君、どこかで見たような顔なんだが、気のせいか?」
「気のせいだろう」
月日が経ち、何の活躍もしていないため、良い具合に冒険者ヴァラルという名は人々の記憶から薄れていく。
いちいち名乗るのも面倒くさいので、ヴァラルは彼の問いかけを放置することにした。
「ふむ……しかしどこかで……おっ、扉が開いたぞ!」
ヴァラルと青年がこのようなやり取りをしていると、更衣室につながる扉から様々なデザインのドレスを着た女子生徒が現れる。
「おおっ!」
彼女たちの登場と同時、男子生徒達の間から驚きと喜びが合わさった声が次々と上がり、自身のパートナーを探し求めていく。
彼らの表情は一律に明るいものであった。
「ここにいたのねっ!」
そうして、ヴァラルと話していた学生の下にも薄黄色のドレスを着た女生徒が近づいてきた。
「ああっ!なんて綺麗なんだ!」
二人は人目もはばからず、熱い視線を交わし合う。
「……こほん。紹介するよ、僕のパートナーだ」
彼女は僕の全てだと言うように、タスブレムの青年は隣にいる女生徒を紹介する。
彼と同様、情熱的な瞳を持ち、意志が強そうな女性だ。
彼女は髪に程よくウェーブをかけており、とても似合っているよと青年は彼女を褒めるのだった。
「それで、君のお相手は?挨拶をしたいのだけれど」
「まだ見当たらないな……時間がかかっているのか」
ヴァラルは目を細め、じっと辺りを見回す。
しかし、彼女の姿は見当たらない。
「おかしいな。ある程度準備が整ってから、皆一斉に揃うはずなんだが……っ!?」
タスブレムの青年が女生徒たちが現れた扉の先に目を向けると、言葉がつかえてしまった。
カツカツと、ヒールの足音が聞こえる。
愛らしい美貌に一層磨きがかかり、この国の皇女たる資質を持ちうる少女――リヴィアが彼らの目の前に登場した。
ふわりとした髪を綺麗に纏め上げ、ほっそりとした体つきから覗き込めるうなじは少女特有の魅力が溢れている。
彼女のイメージそのままの純白のドレスは、レースやフリルを程よくしたためているだけで、以前よりも落ち着いた雰囲気が彼女から漂っている。
リヴィアが彼らの前に出ることにより、男女関係なく彼女に目が釘付けとなったのだった。
「リヴィア様もここにおられると聞いていたが、まさかあんなに可憐だったとは……」
彼女の隣にふらりと現れた青年もまた映える。
すらりと手足は細長く、タキシードを身に纏いながらも、十分に鍛えられていることが伺える体躯。
リヴィアの手を取る姿もどことなく優美かつ繊細だ。
“ダニエル・クラッセンか……”
在学中であるはずなのに、既に宮廷魔法士に任命され、いくつかの任務もこなしている彼。
今日の主役はこの二人なのか。
青年がそう納得しかけたその時、再びエントランスが静寂に包まれる。
“っ!?”
言葉が出なかった。
肩口と胸元、足元も大胆に覗かせる上質で光沢のある濃赤色のドレス。
手元を美しく見せるためのドレスグローブや、脚線美を強調するかのような黒色の艶めかしいストッキング。それにパートナーの身長に合わせたかのようなハイヒールが、彼女の存在感をさらに引き立てている。
下ろした髪の一本一本が、歩く度にさらさらと風になびいている。
フィオナ・スノウが、自身の姿を何度も確認するようにして、遅れてやってきた。
「やっと来たか……」
ヴァラルが軽く手を振ると、フィオナが気付き、笑顔で手を振りかえす。
「ま、まさか、彼女のパートナーが君なのか?」
「……まあな」
あの見目麗しい彼女の相手なのか。
思わずタスブレムの青年は唖然とした表情で、ヴァラルと彼女を交互に見合わせる。
「それじゃあな。あんたの言う通り、今日は楽しむことにする。アドバイス感謝するよ」
「あ、ああ……」
何かの決意を新たにしたのか、彼女の下に堂々と向かっていったヴァラルに、青年は曖昧に返事をする。
「ねえ、彼ってもしかして――」
――ヴァラルじゃない?冒険者の
「な、なんだって?見間違いとかじゃあ――」
「本人でしょうよ。確か彼、レスレックに入学していたはず」
見覚えがあると思ったら、以前新聞に載っていた彼だったのか。
それで、あんな美人の彼女が……
青年はパートナーからの妬みの視線を受けながらも、最後までフィオナに見惚れるままだった。
ロビーを抜けた先のメインとなる会場の大ホール。
司会者の合図と共に、学生たちがパートナーを引き連れ次々と入場する。
そんな彼らを、かつての若かりし頃を思い出すようにして拍手で迎えるライレンに住まう大人たち。
彼らは皆一様に感慨深い表情で、これからのライレンを支えていく若者たちを歓迎していた。
彼らに道を譲られるようにして、学生たちは中央のステージへ移動し、ダンスを披露する。
たどたどしくも、必死になってパートナーをリードしようとするエリックやニーナ、エアハルトやセブランといったレスレックの下級生たち。
軽やかにステップを踏みながらも、やはり真剣な面持ちになってしまったクライヴやロベルタ等のレスレックの上級生たち。
そして――
小さな少女を慈しむようにリードするダニエルと、ダンスの技術は完璧ながらも、ちらちらと視界を横切る一組が一向に気になって仕方ないリヴィア。
長年連れ添った、愛する夫を想うようなフィオナと、寸分の狂いなく彼女のペースに合わせるヴァラル。
沢山の人だかりの中で彼らは異彩を放っており、
今まさに、舞踏会は最高潮に達していた。
ダンスを一通り披露し終えた学生達が一旦休むために中央のステージを離れると、代わるようにして大人たちが躍り出ていく。
それに合わせるように、フィオナとヴァラルも飲食スペースに場所を移動しようとしていた。
「おじさん!」
「はっはっは!フィオ、久しぶりだな!」
すると、マチルダを含む二十人程度の大人たちが二人を待ち構えており、その中に知り合いがいたのか、フィオナは彼らの内の一人に近寄っていった。
「おじさんのほうこそ元気にしてた?体とか壊してない?」
「はっはっ、大丈夫だ。仕事は順調順調。いや、フィオのおかげで、これからさらに忙しくなるな!」
「もう……私が心配しているのは、そっちじゃありません」
フィオナよりもやや大きい中年の男性。
「あいつらは?」
彼女と親しげに話す男に興味を抱いたのか、ヴァラルは輪の外にいるマチルダに声をかけた。
「レスレックの卒業生達ですよ、ヴァラル。それと彼女と今話しているのがクノール。魔法薬の卸売りをしている商売人です」
「というと……あそこにいるのは研究会の卒業生たちか」
「ええ」
マチルダはヴァラルの問いかけに軽く頷いて、クノールの素性を簡潔に説明する。
彼は元々、魔法薬の才能に関してはそれほどでもないらしい。
しかし、かの才能と引き換えたかのように商売の才能は人並み以上にあるようで、アルフレッドや同期の調合士達の魔法薬を販売し、見事に成功を収めている人物なのだという。
「この集まりを企画したのも……」
「彼ですよ、論文を送った後直ぐに。商売の勘はいまだに衰えていないようですね」
困ったものだと言いながらも、マチルダの言葉には彼への気遣いが込められている。
結局マチルダもクノールのことを心の内では認めているじゃないかと、ヴァラルはグラスのワインを口に含み、別の話題へと切り替えた。
「……ならマチルダ。ここにクノールがいるということは、フィオナはこの先大丈夫なのか?魔法薬での変な面倒事とか、巻き込まれたりはしないのか?」
「完全に大丈夫と言い切るにはいささか判断に欠ける所はありますが、大方の意味では問題ないでしょう。彼は商売の世界でも数少ない信に足る人物です。それに、プライベートではスノウ家と懇意にしているようですよ」
「そうか……」
マチルダの言葉を聞いた後、ヴァラルはクノールや大勢の魔法薬研究会の卒業生に囲まれているフィオナを眺める。
フィオナは彼らとせわしなく世間話に興じている。
さっきのダンスはとても綺麗だったとか、アルフは来ていないのとか、論文の発表日はいつだと、話が次々と変わっている。
傍目からすればとても忙しそうで、とてつもなく煩わしいやりとりに見えた。
けれど、彼女は笑顔で彼らと言葉を交わしていく。
自身を過度に謙遜しないで、年上である相手を敬うことを忘れない。
フィオナ持ち前の人当たりの良さが卒業生たちの前でも如何なく発揮され、いつの間にか彼女を取り巻く輪が広がりつつあった。
“……もう大丈夫みたいだな”
フィオナを中心に広がる輪をヴァラルは一人静かに傍観し、この場を後にしようとした。
「おお~い!待ちたまえ!」
しかし、そんなこと勝手な真似は許されないぞと、クノールがヴァラルに声をかけてくるのだった。
「挨拶が遅れたな、冒険者ヴァラル。私を無視するなんて、水臭いことはするものじゃないぞ」
「そうだよ、ちゃんと挨拶しないと」
「……それはすまん」
マチルダと変わるようにして、クノールとフィオナが舞踏会はこれからが本番なのだとヴァラルの足を止める。
「レスレック魔法学院で魔法薬学を専攻して学ぶとは、心がけが大変よろしい。君に関しては戦いの方面で噂になると思っていたが、マチルダから聞かされた時はとても意外だったな」
「……何でもかんでも力で押し通るには上手くいかないこともある。折角ライレンに来たんだ。この際、何かを学ぶのも良いと思ったんだ」
「ほう、よく分かっているじゃあないか。そう、その通りだよ!これからの時代、力だけではやっていけない。手に職をつけ、何かを生み出すこともまた重要なのだ」
クノールは張りきった様子でヴァラルに力説する。
ライレンの魔法道具は次々と発達し、各国に行き渡っている。
雑貨や日用品一つとっても、魔法というのは人々の生活を支える上で欠かせない根幹要素の一つ。
さらには、フィオナの開発した魔法薬で国々は益々豊かになるに違いないと、クノールは断言する。
すっかり、彼女の魔法薬を販売する気満々だった。
「力を完全に否定するわけではないがね。けれど、時代を動かしてきたのはいつも革新的な魔法技術の発展だ。近頃の連中は、そんな基本的なことを忘れているから困る」
クノールは言葉を区切り、ヴァラルとフィオナの二人をニヤニヤと見やる。
そして、
「だから、そんな新たな時代を」
――君たち二人が、支えていってもらいたいものだ
話を締めくくった。
「お、おじさん!」
「はっはっは!てっきり、フィオに色目を使うために研究会に入ったのかと思ったが、意外や意外。血の気の多い若者とはまた違うんだな、君は」
アルフレッドの奴は頼りにならんからなと豪快にクノールは笑い飛ばし、ちょいちょいとフィオナを近くに寄せ、何かを手渡した。
すると、彼から渡されたものが予想外のものだったのか慌てふためいた様子で、フィオナは顔を赤らめる。
「しかし、君もまあつくづく運の良い男だ。こんなにも優しい彼女に慕われているのだからな。はっはっは!」
クノールがそう言ってフィオナをヴァラルの下に押しやると同時、窓の外ではドンドンと火薬が炸裂する音が聞こえてくる。
舞踏会を彩る花火の打ち上げが始まったのだ。
「おおおっ!これは見事!本当に見事っ!ここから見える花火はいつみても良いものだ!さてお二人さん……後はよろしく頑張ることだ」
大仰に驚いた様子を見せた彼は、そのままマチルダ達の下へ戻り、花火鑑賞としゃれ込むのであった。
ヴァラルにまたもや抱き留められるフィオナ。
二人の間では微妙な雰囲気が流れる。
「ねえ……」
「……何だ」
間をおいて、言葉を口にするヴァラル。
いつの間にか、彼はここに来る前と同じような微妙な顔つきになっていた。
「……ここ、出よっか」
フィオナが見せたのは一本の鍵と、手のひらサイズの地図。
彼女の一言には、何よりも強い決意が秘められていた。
そして、
――ま、待つのじゃ!……ま、待つのじゃぁ……
会場を出ていく二人、特にヴァラルへ向けて必死に手を伸ばすような少女の声が、花火の音と人々の喧騒にかき消されていったのだった。
◆◆◆
「楽しかったなあ……」
「……」
窓の外に降り積もる雪を眺めながらフィオナは呟く。
それをヴァラルは黙ったまま、彼女の言葉に耳を傾ける。
クノールがフィオナに手渡したのは、フォーサリアにある立派な宿屋の鍵。
暖炉にはすでに火がともっており、大きなベッドが一つある、恋人同士が使うようなお洒落な部屋だった。
「今日は久しぶりに疲れたよ……良い意味でね」
「……そうだな。今日のフィオナは上機嫌だった」
彼女とダンスをすることで、ありありとわかった。
ステップやターン。
その一つ一つの動きが、とても楽しげであった。
「私もびっくりしたよ。あんなにもダンスが上手だったなんてね……本当、何でもできるよね……」
しみじみと、感慨にふけるフィオナ。
冒険者をやっているくらいだ、ダンスを学ぶ暇など無かったはずなのに。
例え下手で皆に笑われたとしても、フィオナとしてはヴァラルと踊れるだけでも十分だった。
それなのに、思わぬところでまたもや驚かされてしまった。
「私ね、今とっても幸せなんだ。カミラに元気が戻っていたことや、魔法薬が完成したり、まるで夢を見てるみたい……」
様々な色の花火が夜の闇に打ちあがり、前途洋々の彼女の門出を祝うようにフィオナを照らし出す。
彼女は舞踏会で披露した姿のままであった。
「こんな気持ちで今日を迎えられたのも、あなたのおかげ……論文書いてくれたの、あなたでしょう?」
彼女は一歩ずつ、ヴァラルの下に近寄っていく。
「……違う」
「ふふっ。嘘言ってる時ってそんな顔するんだ、あなたって……良いんだよ、もう分かってるから」
「……」
ヴァラルの目と鼻の先に止まるフィオナ。
ただ言ってみたかっただけだよと、彼女は悪戯っぽく微笑んだ。
「そんな風に強がり言ってても、本当は誰よりも気にかけてくれる。甘えさせてくれる……だから私は」
――あなたが好き
その言葉で、フィオナはスッと背筋を伸ばし、
「……んっ」
ヴァラルと唇を重ねる。
その瞬間、フィナーレの花火が次々と打ちあがる。
二人の姿は明かりのついていない部屋で、一際強調するようにして床に映し出されていた。
「……クノールさんってね、私のお父さんとお母さんの結婚式で仲人を務めてくれたんだよ。研究会のジンクスかな、アイーダさんもそうだったから……でもそうやって、絆を深めた人がたくさんいるんだ……」
打ち上げが終わり、幾ばくかの時が経つ。
熱に浮かされたような表情のフィオナは、ヴァラルを導くようにベッドの上へ倒れ込む。
髪は綺麗に広がり、胸元は呼吸に合わせて上下し、暖炉の火の勢いが益々強くなる。
辺りは静寂に包まれながらも、部屋の空気が熱くなっていく。
彼女の心を表すように。
「私も、お父さんやお母さん、あそこにいた人達のように優しい人になりたい……」
――あなたと、一緒に
日の光が差し込む暖かな陽気の中、古ぼけた屋敷で子供達に囲まれる一つの家族。
夢うつつな表情で、彼女は思い浮かべる。
「だから……」
――良いよ?
フィオナは、そんな穏やかな未来を望み、
静かに目を閉じた。
「……ヴァラル?」
しかし――
いくら待っても彼が求めてくることはなかった。
それどころか、覆いかぶさっていたはずのヴァラルの重みはいつのまにか消え、彼は再び窓の外をじっと眺めていた。
「……なあ、フィオナ」
そして、静かに口を開く。
今度は、自分の番だと。
「……何?」
むくりと起き上がり、彼女は耳を傾ける。
「お前は凄いよ。まだ学生なのに、きちんと自分の目標に向かって突き進んでいるんだから」
きっと、始めの頃は手探り状態だったであろう。
何から手を付けて良いか分からない状況で彼女は地道に取り組み続けてきた。
前にマチルダが見せてくれた、膨大な実験レポートからも分かる。
才能だけでは為し得ない、人並み外れた努力の賜物。
一方、フィオナは彼の改まった口調に強い違和感を覚えていた。
どうしてそんなことを?
過去の事よりも、今は未来のことを考えるべきなのに。
褒めているはずなのに、ヴァラルの言葉がかえって彼女の心を不安にさせる。
「俺はそんなお前に魅せられた。だからこそ、手助けしてやりたいと思った」
命を助けられたから。
とても分かりやすい恩の返し方で、嘘のような、本当の話。
「……」
違う、そんな優しい言葉はいらない。
態度で。
態度で示してほしい。
優しく抱き留め、キスして、
そして――
「でもな。それはあの時、お前が本当に困っていたから。どうしようもない現実に打ちのめされようとしていたからだ」
けれど、今は関係ない。
周りでは、アルフレッドやアイーダ、マチルダやネイル、クノールといったメンバーがフィオナを支えてくれる。
「……止めて」
ここで、フィオナは察してしまった。
ヴァラルが、心の奥底に隠し持っていた言葉の刃を。
ここ最近、彼は以前のように文句や小言を言う回数が極端に減ったこと。
不機嫌そうな彼の顔がいつの日からか消え、さらに感情を表に出さなくなったこと。
そして、先ほどの舞踏会の彼がとても優しかったこと。
全ては――
「ここから先は、俺がいなくても十分やっていける。だから――」
「止めてっ!!」
――お前の気持ちには応えてやれない。俺に出来るのはここまでだ
恋人同士が最も愛を語り合う時間の中、ヴァラルは彼女の想いを拒絶する。
彼女の安らかな夢に身を任せ、埋もれることはできない。
決して、許されない。
夢は必ず醒めるもの。
雪は止み、時刻は既に次の日を刻んでおり、
舞踏会、『月明かりの輪舞』が幕を閉じた。