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黄金の時代  作者: 木村 洋平
魔法皇国ライレン編
63/79

叡智の書架


「ここは……」


「ようこそ、我が星の書庫へ」


透明のドーム状に広がる宵闇の空に、数多の星々が神秘的に輝いている。


辺りを見回せば目を覆うばかりの大小様々な大きさの書物がずらりと並び、カミラの視界を埋め尽くす。


ここはセランが蒐集してきた書物を保管・管理する魔導書、『叡智の書架』の内部。


蔵書数は、六百と六十六万冊。


魔導書を含むそれらは、古の時代に消え去った膨大な知識の集合体。


己の聖域でもある幻想図書館に、セランは彼女を招き入れていた。


「カミラ、貴方は久しぶりに私を楽しませてくれました。上出来ですよ」


「……私、死んだのかしら」


この光景を指しているのか、自分を弄んできた男がいきなり賞賛し始めたことなのかは判然としない。


とはいえ自分の身に起こっていることが、人知を遥かに超越した現象であるということをカミラは肌で感じ取っていた。


「ふっ、人は己の理解し得ないことが起きることで逃避に走ると聞きますが、貴方もそのうちの一人という訳ですか?」


「……こんな光景を見せられて、冷静でいられる人なんているの?いたら是非、教えてもらいたいんだけど」


「おや、冗談を言える余裕はあるみたいですね」


レスレックの書庫室にいた時のような静寂さと、古書の香り漂う独特の空気。どこか馴染みのある雰囲気のおかげで、セランの棘を含んだ台詞に何とか対応する彼女であった。


「……それより、さっきの話。契約ってどういうことなの?」


「何、貴方にとって有益な話ですよ」


セランが、ぱちんと指を鳴らす。


すると、広大な書庫の本棚からいくつもの本が飛び出し、彼の周りに集まり始めた。


「見ての通り、ここには様々な書物が保管されています。その中には勿論、あなたの病を治す方法を記した物もね」


「……周りを漂っている本が」


「その通り。そこで、契約というわけです」


カミラの物わかりの良さに満足したセランは再び指を鳴らす。


乾いた音が二人しかいない広大な書架に響き渡る。


直後、今度は一枚の羊皮紙が現れ、彼女の前に差し出した。


「この中から一冊だけ貸し与えましょう。期間は三年、その間に得た知識は貴方だけのもの」


「……続きをお願い」


じっくりと羊皮紙に書かれている契約内容を眺めるカミラ。


その目つきは真剣だった。


「しかし、持ち出すにあたっては条件があります」


本はあくまでもカミラに貸し与えたもの。期間中、他者に譲渡・貸与は決して認めない。不可抗力の紛失・盗難もそれに当てはまり、複写などの行為も厳禁である。


つまり、手に入れた知識は自分のためだけに使うこと。


セランの契約は、他者に知識を広めることを禁じていた。


「これを守ることが出来るなら、契約成立です。どうです、簡単でしょう?」


「……一ついいかな」


「何でしょう」


「どうして私に?」


大体の内容を把握し、契約書を読み終えたカミラはセランに問いかける。


「前にも言ったでしょう。貴方のことを多少、認めているのですよ」


ヘサド・ノトリアという魔導書に心の内を知られながらも、再び立ち上がったカミラ。


その心の強さに、ほんの僅かだが好感が持てたセラン。


人間というのは弱く、すぐに泣き縋る。極稀に例外はいるものの、セランの人間に対する認識は大方こんなものだった。


けれどヴァラルと同様に、カミラには多少の見どころがある人間であることをセランは認めざるを得なかった。


「貴方に言われるなんて光栄……なのかな?」


上から目線の性悪男であることには間違いない。


そのはずなのに、何故か彼に対しては敬意を払ってしまう。


魔力が強大。己の知らない魔法を扱えるから。


そんな単純なものではなく、レスレックの学生特有の、もっと本質的なもので訴えかけていたことにカミラはまだ気づいていなかった。


「ふっ……それよりどれを選び、持ち帰るのですか?……ああ、一つアドバイスを。このような本はお勧めしませんよ?」


セランはヘサド・ノトリアを取り出す。


魔導書は人の手に余るもの。こんなものよりも、宙に浮かんでいる本の中から選び出した方が得策だと、彼らしからぬ助言をした。


「……ちょっと見せて」


カミラはセランの下に近寄り、宙に浮いている本の手触りを確かめていく。


どれも年季を感じさせる書物でありながら、装丁は綺麗に整えられている。


タイトルもまた、一冊一冊が医学書ならではの専門用語で綴られている。


「え……ちょっと、どうして?」


驚くことにカミラはそれを読み解くことが出来てしまった。


さっきまでは、ただの文字の羅列だと思っていたのに。


信じられないような顔をするカミラに、セランはニヤニヤと笑うだけ。


どうやら、彼がまた何かをしたらしい。


「……」


正直、騙されているとはとても思えない。


自分の病を治せるかもしれないという期待だけでなく、まだ見ぬ知識についての探求欲が再燃しつつあ

った彼女にとって、セランの提案は非常に魅力的だった。


「念のために聞いておくけど、もし契約を破ったら?」


「破るつもりなのですか?……止めておいた方が身のためですよ」


どうやら、碌なことにはならないらしい。


カミラはしばらくの間逡巡する。


そして彼の言葉を含め、これが最後の確認だとカミラは契約書を見返した後、


――有難いけど……遠慮するよ


セランとの契約を断った。


「ほう、それは何故?」


病を治せる書物がすぐそこにあるというのに?


まさかここにきて契約を破ることが怖くなったから?


セランはとても驚いたように目を大きく見開き、カミラへ問いかける。


「……違うよ。貴方の本を手にすれば、確かに私は治るかもしれない。だけど、それでは意味が無いの」


「意味が無い?どういうことですか?」


「あなたは貸与する条件として、知識を自分のために使え。そう言った……でもね、私には出来ない。いずれ、広めてしまう。きっと」


夜空の星々が幻想的に輝いている。


御伽話に出てくるような広大な書架を管理する彼の力は驚くべきものがある。


だが医療の知識というのは世に広め、普及させることに意味がある。

それを占有など、彼女には出来なかった。


「しかし、病を治してから治癒魔法士となれば、救われる人が大勢いるのでは?」


「私を高く買ってくれているみたいだけど……そこまで立派なものじゃないよ。定期的な健診を怠った私の体調管理にも問題があるからね、こうなったのも自業自得さ……それに、あなたは言ったじゃない」


――自分の体は自分で治せ


「そうでしょう?」


カミラはしてやったりという顔でセランを見返した。


「……こんなことは初めてですよ。私との契約を拒む者がいようとは。しかもよりにもよって、貴方が私を受け入れないとはね――やれやれ、(さか)しすぎるのも問題ですね」


困った困ったと肩をすくめるセラン。


「ですが」


――貴方の決意、確かに聞き届けましたよ


指を鳴らし、これは不要だとカミラの手元にあった契約書を燃やすセラン。


けれど、燃え上がった中から入れ替わるようにして、彼女の掌の中に何かが落ちた。


「これは私からの贈り物です。今後の成功を祈って」


「……綺麗」


セランの髪と同じ、深紫色の宝石をあしらったネックレスを手に取り、カミラは呟く。


手に持っているだけでも、じわじわと力が湧いているような感じがした。


「これを身につけている間、魔法が使えるようになります」


「えっ!?」


「ふっ、流石に魔法を使えないのは厳しいでしょう。これを使い、治療と研究に励みなさい」


そして、彼はここへ来た時と同じように魔導書、『叡智の書架』を発動させた。


光が二人を満たし、書庫の風景も段々と薄らぎ、消えていく。


カミラは礼を言おうとするが、彼の姿はもう見えない。


「待って、お願い!」


聞こえているかどうか定かではないのに、彷徨うようにして叫ぶカミラ。


最後に一つだけ彼に聞きたいことがあるのだ。


これだけは何としても知りたい。


無我夢中に彼女は白い光の中を見回した。


「何です、一体」


だが、しょうがないなと呆れたようにセランが現れた。


良かった。本当に良かった。


心の中でカミラは深く安堵し、


「貴方の名前は?」


改めて彼の名を訊ねた。


「……私の名はセラン」


――この国で、レイステルと呼ばれし者


セランがこれまでの非礼を詫びるように、仰々しくお辞儀をする。


「ッっ!?」


レイステル。


その名はレスレック城に伝えられる偉大な創設者の一人。


彼のもたらす叡智は計り知れず、その知識の一端にでも触れればありとあらゆる望みが叶うと言われている。


やはりそうだったかという気持ちと、信じられないという気持ちが複雑に混じり合う。


心を読み、このような神秘の場所へといざなうことも出来る、魔導書という恐るべき魔法具。


これらを巧みに操る姿と、彼から発せられた真実の前にカミラは立ち尽くしてしまう。


そしてカミラの驚きの表情に、セランは良いものが見れたと満足そうに口端を釣り上げ、消えていったのだった。



「……っ!?」


身支度が済んだ、こざっぱりしたレイステルの自室にて寝巻のカミラは目覚めた。


時刻は明け方、カーテンから覗き込むうっすらと明るくなり始めた陽射しにはっとする。


昨日は、夕暮れ時に不思議な男にあった気がする。


それから彼の後についていき、不思議な扉を抜け――


「……夢だったの?」


その後の記憶は霞がかったようにぼんやりとしており、カミラは唸った。


色々とんでもない目にあった気がする。悲しいことや辛いこと、それに信じられない出来事がいっぺんに押し寄せたためか、彼女は寝汗を大量にかいていた。


けれど、不思議なことに陰鬱な気持ちにはならなかった。レスレックを去る日だというのに心はむしろ穏やかであり、新しい門出を祝うかのような爽やかな気分だった。


「そうだ……今日は、母さんと父さんが来るんだ」


まだ朝方にもかかわらず、とりあえずカミラは身支度を始める。


というよりも、寝汗を何とかしたい。


一旦汗を流しに行こうと思い、カミラはベッドから足を下ろす。


すると、床下に何かが落ちた。


何だろうと足元に目を向けるカミラ。


「嘘……」


それは深紫色の宝石をしつらえたネックレス。


この小さな贈り物が、昨日の壮大な出来事を全て現実だったと肯定するのだった。



◆◆◆



「ねえ」


「……」


「ねえってば、セラン」


「何です?」


アーガルタの一階にて読書にふけっているセランを前に、イリスが声をかけてきた。


休暇中の彼女は真紅と漆黒を織り交ぜたゴシックドレスではなく、下着のようなキャミソールに色っぽいスカート、それにサンダルと、なかなかラフな格好であった。


「聞いたよ、彼女と契約しなかったんだって?」


「そうですね、あっさりと振られてしまいましたよ」


「いじめすぎ、調子に乗った罰ね」


誰だって心を覗かれれば最悪の気分である。


セランの手口を嫌というほど知っているイリスは、いい気味だと胸がすく思いだった。


「ま、今回はカミラが一枚上手だったってことだろう。してやられたな、セラン」


「おや主、見送りは終わったので?」


「やっほ、ヴァラル」


そんな時、入口の扉が開きてヴァラルがやってくる。


彼の登場にセランとイリス、ビフレストの二人組は言葉を交わした。


「終わったよ。あの様子だと大丈夫だろうな」


別れ際、フィオナとカミラは互いに抱き合って泣いていたものの、離別による涙ではなく、互いの健闘を祈るかのようなものだった。


最後、ヴァラルを一瞥したカミラがフィオナに何かを吹き込んで彼女が顔を赤くして怒っていたのは少々気になる所ではあったが、それはきっと二人の間での秘密なのだろう。


そう思ったヴァラルは深く追求しなかった。


「そうですか……なら、問題解決ということですね」


セランが素っ気なく返事を返し、再び本を読み始める。


「ちょっと待った。まだ話は終わってないぜ?もしあの嬢ちゃんと結んでたらどうなってたんだ?お前にしちゃあ、珍しいこともあったもんだ」


「そうですね、弟子という訳でもないですし……」


ヴァラルがやってきたのを察知し、三人の会話を聞きつけたガルムとアイリスが二階から降りながらセランに問いただす。


「……何もありませんよ。期間を過ぎれば魔導書は自動的に戻るので、彼女が契約を順守すればいいだけの話です」


契約を結んだ後のカミラがどんな行動を起こすのも興味が湧いていたが、破ってしまうとあそこまで言い切られてしまえば、口を挟む余地がなかった。


二人の話を耳に入れながら、セランは淡々と口にする。


「もし破ったらどうなるんだよ」


「主、私の性格をご存じですよね?なら、お分かりになるのでは?」


「……考えないようにするか」


こんな性悪悪魔との契約を回避したカミラ・ハルネスは、実はとんでもない大物なのではないかと改めて実感したヴァラルだった。


「でもまあ……」


――少しは期待できるようになりましたね、この国


辟易としたヴァラルの顔を見ながら、セランはポロリと本音をこぼす。


「……へえ」


「おいおい、嘘だろ?」


「まあ」


「うわありえない」


散々外の世界、特にこの国の人間を見下していたセランが、よもやそんなことを言いだすとは。


まさかという思いで、ヴァラル・ガルム・アイリス・イリスの四人は、黙って本を読み進めるセランをまじまじと眺めるのだった。

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