カミラの抱える事情
オーランド・デニキスはレスレック魔法学院の学院長である。
さらに、魔法教育委員会特別顧問、公正魔法取引審議会議長、魔法裁判局における終身局長等、ライレンの様々な要職に就き、この国を影ながら支えている。
しかし、そうなると学院へ戻る頻度が必然的に減っていく。学院長とはいえ、彼に狙って会うことは大変難しい。
がさがさと木々がざわめく。
動物、もしくは魔物。
何かが暗闇の中を駆け回る頃、オーランドはようやくレスレックへ戻った。
「おお、ヴァラル。久しぶりじゃ」
「オーランドか。今日も随分と忙しかったみたいだな」
うっすらと松明の灯った玄関ホール。
その入り口にて、オーランドはヴァラルと出会った。
「それはわしの台詞じゃろう。お主こそこんな遅くまで……」
目じりに皺を寄せるオーランド。
ヴァラルを気遣いながら、老人はやりきれない気持ちになった。
最近、彼が密かに楽しみにしていることがある。
ヴァラルとの対話だ。
けれども、それがかえって自身の無力さを思い知ることにもなっていた。
城の修理など、本当は自分がやるべき仕事。けれど、レスレック城の内部構造は想像を遥かに超えるものだった。
ライレンで構築されている魔法建築物は数種類ある建材に魔法を付与し、その強度を高めている。リヴィアの住むフォーサリア宮殿など、幾重にも魔法・物理障壁を重ねがけしており、その堅牢性は盤石のものだ。
しかし、レスレック城の構造は最早理解不能だった。
石畳や、壁一つとっても未だにライレンの魔法技術力では解明できない物質で構成されており、手の出しようがなかった。
それでもオーランドは直接レスレック城に手を加えずに、『場』そのものに魔法をかけ、現在の状況を保ってきたのだった。
「好きでやってることだから、あまり落ち込むな。こっちが逆に気まずくなる」
「どうもお主を学生として扱うのに慣れなくてのう」
「安心しろ。俺なんてとっくに冒険者扱いされてるぞ」
ヴァラルは苦笑する。
授業はサボるし、態度がなっていない。恐らく、生徒として認識しているのは片手で数えるくらいしかいないのではと、指折り数えてみた。
「いや、たぶん意味が違うと思うのじゃが……」
「まあそんな些細なことは一旦置いてだな、今回はそんな話をするために声をかけたわけじゃないんだ」
「む、学院で問題が?」
オーランドの表情が急に険しくなった。
彼は偶然ではなく意図的に待っていてくれたということになる。
「何かあったわけじゃない。学院には。ただ、俺の周りでちょっとな……」
「言いにくそうじゃな。日を改めても構わぬぞ?」
気まずそうに言い渋るヴァラル。
それを見て、老人は明日でも良いと促した。
「……やっぱり今言っておくか。あのな、オーランド――」
――こんばんは、人間
――セラン、その言い方は失礼です
――お~こいつが学院長だってよ。イリス、どう思う?
――人間の中だと……まあまあ?
――何で疑問形?しかもひでえ……
だがヴァラルが説明するよりも先に、四人はオーランドの周りに忽然と現れる。
「か、彼らが何故ここに……」
好き勝手に喋り始めるセラン、アイリス、イリス、ガルムの四人。
松明の火が彼らの存在を強調するように勢いが増す。
その光景を見て、オーランドはわなわなと震えだした。
名乗らずとも、立ち振る舞いで分かる。
ほんの少しだけ彼らの歴史を知り得ていていたため、本能で偉大さを理解させられた。
何より、あのヴァラルがこんなにも気さくに話しかけるなど、彼らしか思いつかなかった。
『イシュテリア』『エルトース』『レイステル』
ゼクティウムのように、かつてのこの城の主たちが戻った事実にオーランドは愕然とし、今までため込んでいた疲労はすっかりどこかへ消え去ってしまっていた。
「……後にするか」
手と膝をつき、過呼吸になり始めたオーランド。
それを見たヴァラルは彼の動揺を抑えるため、行動するのだった。
「すみません、驚かせてしまったようで」
「い、いや。わしのことならもう大丈夫……腰が抜けそうになったがのう」
「それって、まだ駄目だってことじゃないの」
その後、ガルムはオーランドを抱え込み、アーガルタへ運び込んだ。
けれど、彼がレスレックの最深部に訪れたことはあるわけもなく、さっきの出来事が己のうちでまだ消化しきれなかったこともあり、生気を失ったように立ちすくんでいた。
しばらくの時間が経過したことでようやく元に戻り、アイリスとイリスに気遣われていた。
「オーランド、この四人はしばらくの間ここにいる。よろしく頼むな」
四人には予め忠告をしておいたが、万一の場合がある。何か問題が起こったとき、オーランドの知り合いということにすれば急場をしのげる可能性がある。ヴァラルは多少の打算と、今までここを管理してきた礼を込め、ここアーガルタへ招待したのだった。
「うむ……事情は分かった。しかし、ここにずっといるのは退屈にならないのかのう?」
「問題はありません。整理することが山のようにありますから」
奥に見える大量の本棚に目を向けるセラン。
ガルムはやることが無ければ、体を鍛えているか寝ているかのどちらかであろうし、アイリスとイリスは二人よりも長い休暇のため、アルカディアでの仕事をどっさりと持ち込んでいた。
「この学院に迷惑はかけないよ。そっちが変なことしなければね」
「……勿論じゃとも」
深く、オーランドはイリスの忠告に頷いた。
ヴァラルの語るところによると、セランと彼女は何と学校関係者なのだという。
どこの――とは訊ねたりなどはしなかった。彼らがレスレックに集まっていること自体、ライレンの奇跡。
……野暮な質問をして、彼らの機嫌を損ねるような真似など、出来るはずがなかった。
「何か言いたいことがあるようですね、オーランド」
頬の筋肉が筋張ったこと、右目が僅かに横へずれたこと、どこか言葉に含みをもたせたこと。
アイリスがはっきりと告げた。
彼とはこの先も良い関係を築いていきたい。
隠し事は止めて貰いたかった。
「……実はお主らに聞きたいことがあるんじゃ」
「内容。そう、内容次第で答えましょう。期待しないように、人間」
オーランドはセランの皮肉めいた口調に敵わないと思いつつ、このレスレック魔法学院をどう思っているのか訊ねた。
「ってそんなことかよ!」
ガルムが代表するかのように声を上げ、ガクッと体を崩した。
「ほほっ、折角お主らがいるのじゃ。どうしても気になってのう」
「この辺りは――」
「むしろ――」
「二人のほうが詳しいかと」
ヴァラル、ガルム、アイリスの順に目配せし、ビフレストの二人組に回答を委ねた。
「……ま、それくらいなら構わないでしょう。イリス、とりあえず貴方に任せましたよ」
「何で私が……」
口ではぶつぶつ文句を言いつつも、結局は少しの時間考えた後、
「まず――」
彼女の批評が始まった。
「――結局、ここにいる生徒たちは魔法に頼りすぎ。カリキュラムも魔法の授業に偏りすぎ。挙句に冒険者を見下したりもするし……魔法を何だと思ってるの?」
冒険者を見下すくだりは、ヴァラルに対する間接的な批判。
アイリスと同様、ヴァラルの隣に腰掛けながら、イリスは文句をつけた。
「身体強化の魔法は必修にさせる。武器の扱い方もきっちり学ばせる。これくらいの心づもりでいないと、そのうち痛い目見るよ」
「ほんっと、無茶言うよなぁ……あっちを基準にするなよ」
「ガルム、あなたは見たんでしょう?この国の人たちは杖を失ったら何もできないの。そんなとき頼りになるのは、己の体だけ」
魔物と渡り合うのなら当たり前。
力で劣る人間なら尚更の話だ。
「……まあ、そりゃそうだろうけど」
テーブルを挟み、イリスの反対側のソファ――彼女の正面に腰掛けているガルムは、渋々といった感じで言い分を認めた。
「……いきなりは無理だと思う。けれど、少しでいいから覚えておいて」
「ありがとう、イリス嬢。この件について、真剣に検討することを約束しよう」
「……一応あなたより年上なんだけど」
きつい言い回し、そう自覚しながら批判したにもかかわらずオーランドは口答えせずに、黙って聞き入れたことに彼女は驚いた。
「オーランド、私からも一つ。全員とは言いませんが身体強化も扱えないとは、この学院の首席は今まで何をやっているのですか。私なら留年させますよ?」
隣にいる老人に目を向け、生徒がだらしなさすぎるとセランは言い出した。
「彼女は治癒魔法士を目指していて、あまり興味が無いそうなのじゃ」
「彼女?女だったのですか」
「カミラだよ、セラン」
「ああ、彼女が……」
ヴァラルの発言に、セランは納得がいった。
――かのように思われた。
「……治癒魔法士?彼女は調合士になるのではないのですか?」
セランの訝しげな言葉が、広々としたアーガルタの天井に響き渡る。
魔法薬の調合士になるのであればあの研究会に入るのも問題は無いし、籍だけおいて、治癒魔法士の勉学に励むというのも理解できる。けれど、治癒魔法士を本気で目指すのなら事情は大きく変わってくる。手伝いだとしても度が過ぎており、どう見てもその道を諦めたとしか思えない。
「ううむ、それが難しい所でのう……」
目じりに皺をよせ、またもやオーランドは複雑な表情をした。
「事情があるみたいですね」
「安心しな、口外するつもりはないぜ」
アイリスとガルムは説明を続けるよう求めた。
◆◆◆
――今年度のレスレック魔法学院が始まって三か月が過ぎた。
「治癒魔法。人体に作用する魔法の中で代表的なものだ」
基礎魔法学の授業中、アンリ・バルトは教室を歩きながら解説を行う。
「治癒魔法を専門に扱い、命の危機に立たされた冒険者や魔法士の命をつなぎ、人々の病を治す人々のことを総称し、治癒魔法士と呼ぶ……さて、ここで質問だ。ポーションという魔法薬がある中、どうして彼らがいるか、わかるかい?」
アンリは誰か質問に答えるよう、広い教室を見渡す。
すると、レイステルの男子生徒から手が上がった。
「簡単です先生。ポーションは高く、そして劣化します。また、魔力体質は人によって異なるため、魔法薬の効力には一定の限界があります。中には市販のポーションが効かない人もいたとか……なのでこれらを考慮した上で、適切な治癒魔法を行える彼らはとても重宝されるのです」
「よろしい。良く理解しているね」
アンリは、ミドルクラスの一年生である彼を誉めた。
「治癒魔法士の仕事はとてもやりがいがある。それに、前途有望な君たちなら十分間に合う。どうだい、この際将来の進路の一つとして考えてみてはどうだろう?」
しかし、アンリが問いかけても、生徒たちの反応はまちまちだった。
「間に合うと言っても――」
「朝から晩まで毎日勉強するのは勘弁ですよ……」
人の命を握る仕事だ。それに伴い、学ぶことも山のようにある。青春の日々を勉強だけに埋もれるような真似はしたくないと、彼らの雰囲気が物語っていた。
「……確かに早すぎたかな。けれど、一度は検討してみてほしい。その時は力になるよ」
「先生、質問があります」
「ん?なんだね」
レイステルの女生徒の質問を、アンリは受け付けた。
「先生も以前は治癒魔法士だったと聞いています。どうしておやめになったのですか?」
アンリが高名な治癒魔法士であることは知っている。けれど、ある時を境に辞めたそうだ。彼女はその訳を知りたかった。
「……私の力が足りなかった。それだけのことだよ」
アンリは左腕を使って、自分の右腕を器用に取り外す。
そのとき、教室が息をのむようにして静まり返った。
「……す、すみません」
質問したレイステルの女性徒は、申し訳なさそうに謝った。
「いいんだよ。気にしなくても」
基礎・応用魔法学の教師であるアンリ・バルトは、冒険者として、治癒魔法士として名を馳せていた時期があった。
けれども魔物に襲われ、パーティはアンリを残して壊滅。
あっけない幕切れだった。
友人である魔法士も治療の甲斐なく置き去りにする羽目となり、自身の右腕を無くし、失意に暮れていたアンリ。
そんなときオーランドと対面し、紆余曲折を経てレスレックの教師となったのだ。
「こんな話を聞いてしまったあとでは、皆が心配する気持ちもわかる。だが、安心してくれ。この職業は他にも活躍できる場所はいくらでもある。私は例外、そう考えてもらって構わない。ああ、少し暗くなってしまった……それでは気分転換にちょっとした――」
アンリ・バルトは明るく勤める一方で、一人の女生徒のことを思い出す。
カミラ・ハルネス。
アンリは、彼女のこれからの行く末を心配した。
ヴァラルの日常は段々と固定化されつつあった。
日中に図書館やハイクラスの授業、気が向いた時にはミドルの授業に顔を出し、その後は魔法薬研究会でフィオナの手伝い。夜はセラン達と共に城の修理に明け暮れ、休日はリヴィアと共に、ライレンの魔法施設の視察というものだった。
「……ねむい」
「どうしたんだい?そんな大あくびして」
「真面目な後輩君にしては珍しいね」
午前の休み時間の合間、カミラとフィオナと共にレスレック中層の廊下を歩いているときに、ヴァラルは大きな欠伸をした。
「まあ、昨日は寝つきが悪くてな……あまり眠れてないんだ」
昨日の夜、レスレック上層の一角にある甲冑を手入れしようとした際、誤って城内にある数百体の甲冑・彫像を一斉に動かしてしまったのだ。
これらを元に戻し終えたのは、日が昇り始めた朝方のこと。
辛うじて目撃者はいなかったものの、ヴァラルは言うことを聞かない甲冑と取っ組み合いをしてまで、ようやく事を収集したのだ。
「睡眠は大事だ。私たちにとっては特に」
「その通り!肌に悪いし、次の日に響くからね……そういえばカミラ、最近調子の方はどう?」
「大丈夫。教授たちには気を使ってもらってるし、問題ない」
「そう、ならよかった」
フィオナは親友の言葉を聞いてほっと一安心した。
「……カミラ」
「何だい、急に真剣になってさ」
「……いや、やっぱり何でもない」
「悩み事かい?なら相談に乗るよ」
カミラはからかいながらもその真意を見定めようと、ヴァラルの瞳をじっと観察する。
「悩み、か。カミラ、それはお前――」
「か、カミラさん!それにフィオナさん!」
そんなとき、三人のもとに男子生徒達が慌てて駆けつけてきた。
「どうしたの、一体」
「すみません!手を貸してください!」
肩で息をする彼を見て、フィオナが真面目な表情で何があったのかを訊ねた。
どうやらレスレックの中庭で決闘騒ぎがあり、一人が大怪我を負ったらしい。
「何をやっているんだ、君たちは……」
決闘を行う際は威力調整をした後、専用の部屋で行う必要がある。
だがこの様子だと、威力調整もされずに決闘を行ったようで、カミラは静かに糾弾した。
「私、薬取って――」
「私は先に診てくる。結構大変そうだからね」
「だ、駄目だよ!」
「心配しなくても大丈夫。分かってるから」
彼女の言いたいことは把握している。だが、事は急を要している。
フィオナの心配する声に、カミラは落ち着いて答えた。
「俺が取りに行ってくる。その方が早いだろう」
「なら任せたよ、ヴァラル」
さっきは眠いと言ったばかりなのに、あっという間に冒険者らしい雰囲気をまとったヴァラル。
その顔つきに、非常に頼もしく感じられたカミラだった。
「無理はするなよ」
「了解。もう、二人とも心配性だね」
直後、ヴァラルとカミラは示し合わせたかのように別々の方角に走り出した。
「ちょ、ちょっと!……もうっ」
フィオナは出遅れながらもレスレックの校医エス・ローシャンと、アンリ・バルトを呼びに行くのだった。
◆◆◆
カミラが中庭に到着すると、大勢の人だかりができていた。
けが人を心配する者、何があったのか把握出来ていない者、興味本位で覗きに来る者。
とにかく様々な人でごった返していた。
「どくんだ!」
カミラは声を張り上げ、彼らをかき分けながら、現場へ進みでる。
そうして目の前に映ったのは、右足が鋭い何かで切られることで血を流し、痛みに悶えているミドルのエルトース生。近くには、事態の大きさに改めて気づいたレイステル生が立ちすくんでいた。
そんな誰もが混乱する状況の中、カミラはすぐ行動に移した。
まず右足の他にも怪我を負っている箇所が無いか、魔力体質に問題は無いか、杖を当て確認する。
「……」
見当たらない。どうやら足だけのようだ。
彼女は判断し、もっとよく治療しやすいよう彼のズボンをびりびりと破き、患部に杖を当て治癒魔法をかける。
すると青白い光が杖先から溢れ、その光を浴びた足の傷がゆっくりと癒えていく。
治癒魔法もまた、身体強化の魔法のように継続させることが重要である。少しでも集中を乱せば、直ぐに効果を無くし、再びかけ直す羽目になる。
カミラ・ハルネスはポーションを調合できるとはいえ、魔法薬の調合士というわけではない。
彼女は紛れもなく治癒魔法の才能を持った魔法士であり、その力は外で十分にやっていけるものだった。
「っ……」
一瞬、彼女は全身から力が抜けるかのような悪寒に襲われた。
けれども、彼女は意に介さず治癒魔法に専念する。
「おおっ!」
周囲の喧騒がさらに大きくなる。
傷が広がったからではない。
逆の事態が起こったからだ。
彼らの喧騒は、治癒魔法という精練され、慈愛に満ちた魔法を直に眺めたことによる溜め息だった。
「くっ……」
一方、カミラの表情はどんどん苦しげになっていく。
頭に異物が混入したかのような不快感。貧血にも似た酷い倦怠感。
重く、重く、彼女にのしかかる。
だが、それでも彼女は最後まで魔力を振り絞る。
あともう少し。
治癒魔法は一旦止めてしまうと、回復効率が著しく落ちてしまう。
ゆえに、一度で完治させる必要がある。
「……これにて、終了」
「カミラっ!」
傷が完全に癒えるのを見届ける。
怪我人はもういない。
彼女は、親友の声と黒い髪の青年が駆け寄ってくるのを感じ、意識を手放すのだった。
◆◆◆
「彼女は病に侵されているのじゃよ……」
あの日の夜、オーランドは非常に気の毒なことだと気落ちするように語っていく。
ヴァラル、ガルム、アイリス、イリスは誰も口を挟むことなく、黙って耳に入れる。
「ふむ」
セランもまた腕を組み、静かに聞く。
そして彼の話が終わったとき、彼女の生い立ちからくる人間性に、興味をそそられるのだった。