苦悩するヴァラル
ヴァラルの居城、ローレン城を中心に構えたビフレスト区画。
様々な商業・教育・研究活動が積極的に行われているこの区画は、アルカディアの中で最も賑わいを見せており、悪魔であるセランが責任者となって管理・運営されている。
荘厳で幻想的な街並みのビフレスト。その一角に居を構え、個人で住むには広すぎるセランの屋敷。この区画に立ち並ぶ家々とは異なり、古風で静かな趣がある。
「いつつ……くそっ、あいつらどれだけ飲めば気が済むんだ……」
本がぎっしりと詰まったセランの書斎にて、ヴァラルがソファーに寝転がり悪態をつく。
「その様子だと、彼らの宴にずっと付き合わされたようですね」
「ああそうだ。ったく、あいつらは限度ってものを知らん……」
あそこに湧き出る酒はどれも極上の美酒だったのはいいものの、ドラゴン達は想像を絶する大酒飲み。彼らのペースに乗せられ飲み続けるあまり、ウトガルド流の宴にヴァラルは文字通り、飲み潰された。
「ですが主。ガルム達は人の姿をとっていたんですよね?」
「まあ、な」
棚から一冊の本を抜出し読みふけるセランに、ヴァラルは右腕に覆われた顔を動かし、彼へ向ける。
「だったら、宴はまだまだ続いているはず。彼らは今もあの場所で飲み明かしていますよ、きっと」
「……とんでもないな」
あれでもまだ足りないのというのか、彼らは。
再び顔を戻し、天井に顔を向けてのヴァラルの言葉が宙をさまよった。
「で、ユグドラシルやウトガルドを訪れた今ならお分かりでしょう、主」
「……何がだ?」
丁度ヴァラルの気の抜けたところを見計らい、セランは仕掛ける。
「とぼけても無駄ですよ。彼らの生活、その目で見てきたんでしょう。どんな様子でしたか?」
顔はそれぞれ別の方向を向いていながらも、強い口調でヴァラルに問いただす悪魔。この国にいる者なら容易に答えられる質問、それをあえて彼にぶつけ、直接聞き出すのがとても重要だった。
「殆どの連中が活き活きしてた……俺の見間違いじゃなければ」
「そう、それは良かった。アイシスが聞けばとても喜びそうだ。あのサボリ魔ガルムも、人望だけはある」
本のページをめくる音が、不思議と良く響いた。
「それで? 彼らが主に会ったとき、どういう言葉を口にしましたか?」
「全部知ってて聞いてるだろう、お前……」
「ええ、予想はある程度ついています。ですが、主の口から私は聞きたいのですよ」
ここでようやく、互いに視線を交わし合うヴァラルとセラン。黒髪の青年は体を起こしてソファーにもたれかかり、悪魔は本をバタンと閉じた後、彼の真正面に座り込んだ。
「……俺に礼を言ってきた。『ありがとう』ってな」
ぼそりと聞き取りにくい声ではあったが、確かにヴァラルは口にした。
彼らが感謝の言葉を述べていたのを、改めて振り返るようにして。
「そう、その通り」
セランは満足そうに頷き返す。彼の言い回しは、まるでその場に見ていたかの如く確信をついたものだった。
「かつて世界をさ迷い歩いた終わりなき旅路。その果てに、貴方は世界を救った。分かったでしょう。彼らは皆、主に恩義を感じていることを」
そして長き時を刻み、造られたのがアルカディアという国。様々な種族が集まり、明確な形となって現れた理想郷。
「しかしどうも、主が未だこの事実に対する実感が湧いていないように見える。私の気のせいでしょうか?」
「……お前が言うなら、きっとそうなのかもしれないな」
頭では理解しているが、心が追いついていない。セランの指摘により、ヴァラルの顔に影が差した。
「セラン。俺はこれまで一度も、世界を救おうだなんて思ったことはないんだ」
宙を仰ぎ見るヴァラルの声が、静かな書斎にて木霊する。
「誰がどうして考えられる。あんな、あんな状況で……買いかぶらないでくれ」
「罪滅ぼしのつもりだったと?」
「……そうだ」
自らの罪を告白するかのような、懺悔の言葉。
元々あれは自らの招いた不手際、セラン達は勘違いしている。
「主は随分と、己の為されたことに否定的ですね。アイシスやガルムがいたらどうなっていたことか」
「世界を救ったなんて綺麗事よりも、そっちの方が俺にお似合いだ」
「しかも自罰的。変わっていませんね、本当」
やれやれとした表情でセランは立ち上がる。彼は後ろにある本棚へ移動し、新たな本を探し求めた。
「当たり前だ……こんな立派な国を見せられて、正気でいられるか」
目覚めた後に次々と起こる常識外の出来事。それを間近で見ているうちに、本当に自分はここにいても良いのだろうかと、余計なことまで考えてしまうヴァラルだった。
「私たちの厚意、受け入れられませんか?」
「……正直、重いと思うことはある。けれど、無駄にはしない」
誓いにも似たヴァラルの決意。
今はまだ気持ちの整理がついていない。だが、いずれはきっとこの国に馴染むことが出来るだろう。
「……そうですか」
彼に背中を向けたまま、セランはため息をつく。
ヴァラルの言葉にショックを受けているのか、どこか投げやりに聞こえる。
しかし、
「仕方がありません。ならば早速、そのへたれた根性を無理やりにでも直しましょうか」
彼の口から出た台詞は意外なものだった。
まるでこうなることを予期していたかのように、口元を吊り上げる悪魔の青年。
「……勘弁してくれ」
ヴァラルから思わず間の抜けた声が漏れた。
白く真新しい建物の中で響く二人分の足音。
ビフレスト区画の三分の一を占める学術都市『メルディナ』。その教育の中心地であるメルディナ魔法学院にセランとヴァラルは訪れていた。
「あっ、理事長先生!」
「おや、ラシーヌ。こんなところでどうかしましたか?」
解放感ある長い廊下を二人は歩く。すると、この学院の制服を着たラシーヌと呼ばれる女生徒が話しかけてきた。
セランはヴァラルへ顔を向け、ここは私に任せてくださいと自然に合図を送った。
「聞いてください理事長先生。さっきまでわたし、学長に呼び出しを受けたんですよ?」
「直々に呼び出しとは穏やかでない……ラシーヌ、貴方何をしたのです?」
「ひっどい! 理事長先生までそんなことを言うんですか!? 言っておきますけどわたし、今回はなんにも悪いことしてません。ただ噂を集めてただけですから」
ここ数日、静かにアルカディアへ広がる喜ばしい出来事。その真相を探るため、彼女は独自の聞き込みを行っていたようだった。
「ユグドラシルやウトガルドの大人たちは知っているみたいなんです、妙に嬉しそうだったから。それで私、何があったのか聞いてみたんです。けど、いずれ分かるからって笑ってばっかり。はぐらかされちゃいました」
ラシーヌはつまらなそうに後ろ手を組み、外の風景を眺めた。
「どうして教えてくれないんでしょうか。そんなに秘密にするような事なのかな」
今まではそんなこと、一度もなかった。
これまでも様々な噂がビフレストに流れたが、彼女はその足を使って直接出向き、真実を掴んできた。けれど今回は何故か、真実を知る者が全員口を閉じてしまっているため、全容がつかめない。
「それなのに、学長に言われたんです。あんなゴシップを流されちゃたまらない、早く何とかしろって……わたしのせいじゃないのに」
さらに、ラシーヌの情報を頼りにしていた友人たちの気はそぞろになり、妙な噂が学院中に流れ始めている。そのこともまた、彼女の悩みの種だった。
「余程気に食わなかったようですね、その様子だと」
「はい、とっても怒ってました」
おかげで今日はこの後、誤解を解きに行かなくちゃいけないんですと、ラシーヌは愚痴をこぼした。
「因みに、それはどんな噂なのですか?」
「言って良いんですか? 理事長先生にも関係することですけど」
「ええ、構いません」
あまり目立たない様、背後にいるヴァラルの横目の視線を感じながら訊ねるセラン。
わざわざ一学生を呼び出し、火消のために派遣させる程の噂とやらは何なのか、興味をそそられていたのだった。
「……学長と理事長がついに付き合い始めたとかなんとか」
「ああ、成る程、それは怒りますね」
合点がいったようにセランは苦笑した。
「ということは……」
「ありえませんよ、そんなこと」
「うっ、やっぱりそうですか」
二人からの否定により、学院内の噂は全くのデマとはっきりした。またもや真相は闇の中だと、ラシーヌはがっくり落ち込んだ。
「……本当のところ、学院長とはどんな関係なんですか? 理事長先生」
しかし、ここでへこたれる彼女ではなかった。顔をあげて、それならばとラシーヌは続けてセランに問いかけた。
「彼女は弟子ですよ。とっくの昔の話ですけど」
それを聞いて、セランが弟子をとるだなんて珍しいこともあるものだとヴァラルは思った。
「……大人の関係って複雑ですね」
「ラシーヌが思っているよりは単純かと」
「ま、二人が以前からの知り合いだと言うことは分かりました……それはそうと、後ろにいる方はどなたですか?」
ふと気になって、セランの背後にいるヴァラルへ顔を覗かせるラシーヌ。話に一切かかわろうとせず、セランの方も自ら話題に出そうとしなかったことから、どうにも意図的に隠されているような気がしないでもなかった。
「俺は――」
「ああ、紹介が遅れました。彼は新しく私の秘書として働くことになった『フェイタス』という男です」
「……よろしく」
息を吸うようにセランは平然と誤魔化した。
打ち合わせとは違うと思いながらも、ヴァラルはつっけんどんにラシーヌに挨拶する。
「こんにちはっ! わたし、ラシーヌって言います!」
ラシーヌはヴァラルという初対面の相手にも笑顔を見せる、明るい学生だった。
「さて、ラシーヌ。私たちはこの辺で失礼します。学長に用があるのでね」
「わたしみたいに、怒られに行くんですか?」
「まさか、そんなわけがないでしょう」
セランは貴方とは違いますと首を横に振る。それを見て、ヴァラルはようやくここへ来た目的を理解したのであった。
「ラシーヌもしっかりと励みなさい」
「はあい。それじゃあさようなら!」
礼儀正しく、快活な学生だ。
彼女はぺこりとヴァラルに頭を下げて、短く切り揃えられた髪とスカートを翻し、駆け出していった。
「主とは全く違う性格ですよ、彼女は」
セランがぼそりと、余計な一言を付け加えた。
「変わったな、セラン」
ラシーヌと別れて再び廊下を歩きだし、さっきの話を振り返るヴァラル。
「ここの理事長をやっていたなんて初耳だ。しかも弟子までとっていたなんて、どういう風の吹き回しだ?」
「名ばかりの役職ですよ、実際は何もしていません。ただのお飾り、誰にでも出来ます」
セランはつまらなそうに肩を竦める。
「それに弟子と言っても、私が教えたことなどたかが知れてます。言われずとも向こうが勝手に学んでいってしまったのですから、私の立場などあったものじゃない」
「優秀なんだな」
「優秀すぎるのも案外考え物ですよ、主」
セランがここまで認めるメルディナ魔法学院の学長。彼が手を焼いてしまうくらいの逸材に、ヴァラルは関心を抱いた。
「気になりますか?」
顎に手を当てて考え込むヴァラル。すると、彼の前を歩いていたセランが怪しげな視線を振り向けてきた。
「安心してください。最初から彼女は、主にご執心のようですから」
「は……?」
彼女は自分を知っている? 一体どうして。
唐突にセランからおかしなことを言われ、ヴァラルは戸惑った。
「彼女の名はリリス。聞き覚えは?」
「……いきなり言われてもすぐには思い出せない。ただ、初めて聞く名前……でもない気がする」
「ふむ、そうですか」
興味深そうに顔を覗かせるセランだったが、そのまま彼はずんずん進む。
そしてセランが急に立ち止まり、ヴァラルも続けて足が止まる。
目の前には学長室の文字。どうやら目的地にたどり着いたようだ。
「少しの間お待ちください。後で呼び出しますので」
「あ、おいっ!」
ヴァラルの静止を聞かずに、セランはそのまま学長室の中へ入っていくのだった。