黒龍マルサス、聖龍バハムート
外へ出る三人の足元に差す巨大な影。仰ぎ見るヴァラル達の前には二本の足で佇む黒い龍が現れた。
古代龍。
それはかつての黄金時代に繫栄した上位種族。強大な魔力をその身に秘め、大空を自在に飛び回る彼等は何者をも寄せ付けぬ存在であり、一大勢力を築いた偉大な龍。
しかし、大災厄が発生したことで彼等の栄光は地に堕ち、消えていった。その巨体に半比例するかのように個体数が少なかった古代龍。彼らもまた大災厄によって、滅びの危機に直面していた。
けれど、彼らもまたこの地に身を寄せ生き延びたのだろう。古代龍の生き残り、その長である黒龍がヴァラル達をじっと見据えていた。
「マルサスッ! その姿でここへ来るなとあれほど言ったはずじゃ! もう忘れたのか!」
しかし、そんな黒龍を前にして怒声が轟く。ドワーフのエドが一歩前に進み出で、ガミガミと説教をし始めた。
ここにはガルムがいるので最悪の事態は免れるが、目の前にいるのは黒龍だ。出来ることなら正面から相手取るのは勘弁願いたい。
なんとも豪胆な性格だ、ドワーフは皆こうなのだろうかとヴァラルは目を見張った。
「ああ、すまないエド。つい忘れてしまった。余りここへはこないからな、許してくれ」
意外なことに、マルサスと呼ばれる黒龍は理性的だった。
良く言えば大人しく、悪く言えば気弱ともとれる若者の声。黒龍はなんとエドに向かって首を大きく縦に振り、謝り始めた。
「それで済むならさっさと手伝え!ああ、小屋が……」
半壊になった魔鉱石の保管所を嘆き、飛び散った鉱石を急いで集め始めるエド。
黒龍が着地したときに、ちょうど近くにあった彼の小屋に尻尾が掠ってしまったようだ。
「おお~マルサスじゃないか。どうした? こんなとこで」
エドが泣く泣く拾い上げるのを横目にして、ガルムはマルサスという黒龍に声をかける。
「ああ、ガルムさんを見かけたと仲間達が騒いでいてね、ちょっと挨拶しようと思ってこの場所へ来たんだ」
「……そういえばあまり顔を出していなかったな。悪い悪いっ! すっかり忘れてたわ!」
なははっ、と陽気なガルムの笑い声に、ヴァラルは首を大きく傾げた。
「忘れてたって……だったら今まで、どこで寝泊まりしてたんだよ」
「ビフレスト。ついでに言えば、セランの所」
「……ちゃんと顔くらい出しておけ」
あの黒龍がガルムさんと慕うのだ、しっかりしてくれよとヴァラルは項垂れた。
「ところで、隣にいるそこの御方。初めて目にする顔だが、貴方はガルムさんの知り合い、ということで良いのかな?」
ガルムとヴァラルのやり取りを見て、マルサスが目を細める。彼にとってヴァラルを目にするのは初めてであるため、あけすけに接する彼の態度が珍しく映っていた。
「知り合いというか、昔の仲間だな、ガルムとは」
「仲間……? ということは、まさかっ」
「そうだぜ~、こいつが例のヴァラルだ」
ガルムが久しぶりにウトガルドにいる理由。ヴァラルを案内するためだとして説明すると、マルサスは大層驚いた様子だった。
「貴方があのヴァラルさんだったか!」
「……まあ、一応な」
光が溢れ、見る見るうちに人の姿へ変わるマルサス。その彼が足早に近づき、挨拶を交わす。
「色々とガルムさんから話は聞いているよ。この国を造ったのは貴方の指示だったと」
「いや、それはあいつらが勝手に――」
「謙遜を。例えそうだったとしても、我らがここで暮らしていけるのもヴァラルさん、貴方のおかげだ」
「……ああ」
古代龍を束ねる黒龍マルサス。その彼がわざわざ人の姿――笑顔のまぶしい青年となって礼を言われたことに、ヴァラルは思い切り調子を崩された。
「ガルムさんも人が悪い。それならそうと、早く言ってくれれば良いのに」
「いっや~。すぐに分かることだからつい、な。口止めもされてたし」
「セランさん、か。成る程、あの人の考えつきそうなことだ」
ヴァラルが目覚めたといきなり喧伝すれば、本人とアルカディアの住人達との間で大きな混乱が起こることはまず間違いない。千年前とは全て変わってしまった今の現状を踏まえ、彼がこの国に馴染むための時間を設けたのだろう。
「私は運が良い。偶然にも皆より先に会ってしまったみたいだ」
「でもこいつ、そんな言うほど珍しいか?」
「ちょっ、やめろっての」
ぺしぺしヴァラルの頭を叩いたり、わしわし黒髪を撫でまわすガルムを鬱陶しそうにするヴァラル。
「……ガルムさんや他の二人はそう感じるかもしれない。けれど、ヴァラルさんの事を聞けば聞くほど、ね」
大災厄の中突如として現れ、世界を救いし救世主。
それが今ではこの通り、むすっとした顔を浮かべたままガルムに良い様にされている。己の想像したイメージとは全く違うあのヴァラルに、黒龍の青年は苦笑した。
「仲間たちに一つ自慢話が出来た。ヴァラルさんに会ったとね。きっと大騒ぎす――」
その時、マルサスの脳裏に何かが閃く。そのまま彼は少しばかり考え、名案が浮かんだと、うんうん細かく頷いた。
「ヴァラルさん、この後に私達のとっておきの場所へ案内しようか?」
「……あそこか?」
「ガルムさんの想像通りの場所だ」
「行こうぜっ!」
手を放したかと思えば、即座にヴァラルに詰め寄るガルム。彼がいじり倒したせいで、ヴァラルの黒髪はすっかり乱れていた。
「ヴァラルさんも是非。きっと気に入ると思う」
古代龍の住処はメクビリス山脈の奥深い場所にあるそうだ。しかも彼らの言うとっておきの場所。それが一体何なのかヴァラルもまた気になる所だった。
「それじゃあ行ってみるか」
「流石っ! 話が分かるなっ!」
「それは良かったっ! じゃあ早速ここを――」
ヴァラルが素っ気なく返事をするとガルムとマルサスの顔が明るくなる。
だが続けざまに、ヴァラルの声が遮った。
「その前にエド、手伝わないか?」
泣く泣く魔鉱石や木材をかき集めるドワーフ。それを見た後、至って真面目な調子で黒髪の青年は二人のドラゴンに今の惨状を伝えたのだった。
「すまないの、わざわざお主に手伝ってもらって」
日は高く昇り段々と傾き始めた頃、キラキラと光を放つ魔鉱石。その山がいくつも積み上がり、一息ついたところでエドはヴァラルに感謝しきりだった。
三人が加わったことで予想以上に鉱石集めは早く終わり、とりあえずひと段落。小屋は補修しなければならないが、それはまた後日ということになった。
「これくらいで礼を言われちゃ困る。もっと普通にしてくれ」
「いやいや、本当に感謝しているんじゃ。ここにいるドラゴン共はどうにも自分勝手すぎる」
悪気の欠片もない所がまた困ったものだと、修理用の木材をせっせと大量に積み込み終わったガルムとマルサスをじっと見やり、エドがぼやいた。
「……ところで、さっきの会話を耳にしたのじゃが、あ奴の住処へ行くそうだな、ヴァラル殿」
「ガルムが何であそこまで喜ぶのが不思議だ。そんなに凄いのか?」
「あ~……まあ確かに、わしにとっては魅力的な場所だと思うぞ。じゃが、他の区画連中からすれば微妙な所かもしれん」
エドはかの場所を訪れたことがあったのか、その風景を思い出し言い淀む。
「なんだそれ、好みが分かれるのか」
「それぞれの住人の気質みたいなものじゃな。何せあそこは――」
「こっちは終わった! そろそろ行こうぜっ!」
詳しくエドが説明しようとしたところで、ガルムは急かす。
「分かったよっ! ……悪いエド、続きは自分の目で確かめてくる」
「あやつらに潰されぬようにな」
「……?」
潰される。それはどういう意味なのだろう。まさか文字通り、かの地に訪れた瞬間彼らに踏み潰されてしまうのか。
身を案じる言葉をエドが投げかけたことについて考え込みながら、ヴァラルは彼の工房を後にした。
その後、エドと別れ小屋を後にしたヴァラルたち。
「よっし、この辺で良いだろ」
軽く周囲を確認するガルム。
辺りに広がるのは荒野の大地。僅かな草が生え、メクビリスの冷たい乾燥した空気が流れ込む広大な場所だ。
その中心地で体を動かすガルム。腕や膝を曲げ、念入りにほぐす。ヴァラルとマルサスの見守られた彼は、傍から見ればとても奇妙な光景だった。
そして程よく体が温まった所で、
ガルムは人の姿を解き放った。
輝くような魔力の奔流。それが凄まじい勢いでガルムを中心に渦巻いていく。竜巻のような強風と眩い光により直視できずにいるマルサス。その一方で、ヴァラルは目を細めはしたものの黙って見届ける。
竜巻の中でガルムの影が現れ、それが徐々に人から龍へと変貌する。
「それじゃあ、行くか」
彼の周りに渦巻いていた風が立ち消える。
白銀に光を放つ龍鱗に覆われた巨躯、見るもの全てが立ち竦む圧倒的な大きさの剛翼。
数多のドラゴンの理想にして頂点に立つ、聖なる龍。
聖龍『バハムート』と呼ばれるドラゴンが、ヴァラルの下に顕在した。
「圧巻だ……」
ガルムの真の姿を見て、言葉少なく感動に打ち震えるマルサス。
常に孤高、そして不可侵の存在たる聖龍。天を舞い、遥か高みから地上を見下ろす幻のドラゴン。
その彼が一つの場所に長く留まり、こうして目にするだけでも、実はとても希少な出来事である事をマルサスは知っていた。
「何度見ても大きいな。やっぱり人のままでいるのが正解だな」
「念押しするがよ、こっちが本当だぜ」
「知ってる。改めて思い出したんだよ」
しかし、マルサスの感動はヴァラルに伝わらない。彼はバハムートであるガルムと長く行動を共にしていたため、すっかり馴染み深くなっていた。
理想郷の常識に疎い、独自の価値観を持つ青年。
黒龍と出会ったときよりも驚きは少なく、旧友感覚で彼はありのままの感想をガルムに告げていた。
「ほんと、ラルって食えない奴だな……ほら、とっとと乗れ」
ガルムが右腕を差し出すと、器用に身をこなし彼の体に飛び移るヴァラル。そして肩に乗った所でガルムは翼を使い、空へ急上昇。マルサスもすぐさま龍の姿へ変えて彼に続き、ヴァラルたちはメクビリス山脈にあるという古代龍の住処へ向かった。
マルサスによる先導の下、切りたつ山々を越えた三人は滑り降りるようにしてマルサスの住まう霊峰へ降り立ち、ヴァラルはガルムから飛び降りて周囲を確認する。
辺りは霧がかかっていてなかなか見えてこない。しかし、辺りに立ち込める芝生の感触にヴァラルは戸惑う。
ここはメクビリス山脈。断崖絶壁が立ち並ぶ険しい山岳地帯にいるはずだ。
そう思っていると、視界を遮っていた霧は徐々に晴れていった。
「……ユグドラシルかよ、ここは」
息を吸う度に香る涼しげな緑の息吹。視界が開けた先には野原が広がっていた。
「いやいや、あれほどの規模は私達にはとても……」
自身と同じ目線に立ったマルサスに、それはどうかとヴァラルは思った。
ユグドラシルもそうだが、とはまるで環境が異なり、しかもこの辺り一帯に山を切り拓いた跡がある。きっと長年の時間をかけゆっくりと開拓していったに違いない。
「それよりもヴァラルさん、あそこを」
ヴァラルの肩を叩き、異なる方向を指すマルサス。示した先に点在する多数の窪地には透明な水のようなものが流れ、満たされている。
「水……湧水か?」
非常に澄み渡った水面、このような高地に大量に湧き出るのはとても珍しい。
「おっ先~!」
ヴァラルがじっと目を凝らしていると、横から人の姿に戻ったガルムがわき目もふらず泉の一つに飛び出していく。しかも、大きな樽を抱え込んで。
「なんであいつがあんなに喜んでるんだ……」
「ではヴァラルさん、これを」
マルサスから手渡されたのは、丁度手に収まるような木製の杯。これをどうしろというのかと訊ねようとした時、ガルムが泉に辿り着く。すると彼は大樽を使って泉の水をすくい上げ、浴びるようにして飲み始めた。
水しぶきが弾け、仄かに漂う不思議な空気がヴァラルをかすめる。
気持ちが高揚したくなるような、独特の香り。まさか、あの窪地に満たされている水のようなものは全部――
「酒なのか!?」
彼がマルサスへ振り向いた途端、地響きを起こし、上空から現れる古代龍達。宴の準備は整ったと言わんばかりの力強い迫力だった。
ヴァラルの驚いた顔を見て、マルサスの満足した顔が全てを物語っていた。