旅の続き
メラメラと燃えさかる屋敷を僅かな護衛と共に着の身着のままで逃げ出すタルセン達。
いざというときに備えて事前に設置してあった地下通路が役に立った。だが屋敷も襲われた以上、恐らく自分と彼らとの関係に気づいてしまったのだろう。遠く離れた森の中を走りながらタルセンは最早襲撃犯のことなどどうでもよく、とにかく一刻も早くこの場を離れて生き延びることに必死になっていた。
――だが、
「何だッ!!何が起こってるんだッ!!」
「わ、私にだって分かりませんよッ!!」
森の中で発生しているわけのわからない出来事にタルセンは恐慌状態に陥っていた。
何しろ後ろの方で誰かが悲鳴を上げるごとに一人、また一人とどこかへ消えていくのだ。これでパニックを起こさないほうがおかしい。このため、タルセンと部下の男の反応はある意味当然だったのかもしれない。
「と、とにかく、この国を早く……」
だがその言葉は最後まで続かず、最後の護衛の男が目の前で消えたとき、
「う、うわああああ!!!!!!」
彼の何かが崩壊したのか、大きな悲鳴があたりに響き渡ったのだった。
――あれからどれだけ走り回ったのだろう、タルセンは息を切らしながらひたすら逃げ回っていた。けれど、どれだけ走っても全く終わりが見えない。まるで周りの風景が彼に合わせて移動しているようだ。そんなこともあってか、彼自身、既に時間と場所がよく分かっていなかったのだった。
「うわッ!!」
タルセンは大きくつまずいた。その足元には大きな木の根が生えており、タルセンを転ばせたのだった。
「よう、久しぶり……でもないか」
そして、じんじんとした鈍い痛みにあえいでいるとき、頭上から声が聞こえてくる。
ヴァラルだった。
◆◆◆
「なっ、なんでおまえが……こんなところにいるんだ……」
「薄々気がついているんじゃないのか?ここにいる理由も何もかも」
まるで幽霊を見るような怯えた目つきで彼を認識するタルセンに対し、ヴァラルは以前の怒りはどこへいったのやら、相変わらず普段の態度で接していた。
そのあまりの温度差に違和感を感じるほどに。
「ま、まさか……全部お前一人でやったのか?」
「いや、今回はまだ何も。正確に言えばお前がやったことを真似しただけだな。それにしてもまあ、こんなにもよくやる……」
彼らのアジトから押収した書類をぺらぺらとめくりながらタルセンの行ってきたことに驚くヴァラル。そこに書かれていたのは目も覆いたくなるようなありとあらゆる悪逆非道の数々が協力者の名前と共に載っており、おいそれと人前に出すのも憚られるような内容のものだった。
「かっ、かえせっ!!」
タルセンは即座に取り返そうとする。あんなものを世に出せばエールバス家だけでなく、彼に組していた貴族もことごとく取り潰し、いや死罪は免れ得ないほどのものだったからだ。
と、そのとき、
「ぐッ!?」
"抵抗は無駄です"
"下種が、王の御前だ"
見えない何かにつぶされるかのようにタルセンは地べたに押さえつけられてしまった。
すると、ヴァラルの左右に突然二人の黒い騎士が現れ、それを合図にするかのようにタルセンを取り囲むようにして同じような騎士達が行く手を阻み、彼がそれを取り戻すことは出来なかったのであった。
「だ、誰だ……おまえらは……こっ、こいつと何の関係があるんだ!!」
黒い鎧を着込んだ騎士達は、明らかにこの国の者達ではないことをすぐに理解するタルセン。
いや、させられたと言ったほうが正しいだろう。
その鎧に施された数々の魔法的な意匠は今の鍛冶士が為しえないような剛健さと優美さを併せ持ち、鎧と中にいる者が有機的に一体化しているように見えた。しかも彼らの持ち得ている武器の一つ一つもまた、タルセンが今まで目にしたことの無いような強力な魔力を秘めたものであり、そんな彼らが、目の前の古臭い貧相な武具を着ているヴァラルと知り合いであるはずが無い。恐怖と疑念の入り混じった声で彼は叫んだ。
「こんな見た目でしか物事を判断できない男だったとは……貴様ッ!!この御方をどなたと心得ているッ!!」
「だ、誰って……」
ヴァラルの横に控えている二人のうちの一人が怒声を上げてタルセンを罵る。
(ヴァラルはちょっと有名になった薄汚い冒険者のはずだ……そうだ、そのはずなんだッ!!)
けれど先程と同じように彼を王と呼ぶ黒騎士の得体が知れなかった彼は、震えんばかりの大声にその思いとは裏腹に尻込みしていたのだった。
「……ガウェイン、少し落ち着きなさい」
「ランスロー……このような男、早々に斬り捨てるべきだ!!王に対するこれまでの無礼な働き、私は我慢ならない!!」
ガウェインという名の黒騎士はいきり立つ。
序列二位の称号をもつ彼はランスローの親友でもあり、良きライバル関係だ。そして、ヴァラルをこよなく崇拝する一人なのであった。
「まだですよ。王が彼に言いたいことがあるようですから」
「……なあタルセン。お前はマリウスやデパンに限らず冒険者まで見下しているようだが、そんなに偉いのか?」
地面に這いつくばっているタルセンの前にヴァラルは進み出でて問いただす。どうも彼は他者を見下す癖があるようで、それがヴァラルの癪に障っていたのである。
「……僕は公爵なんだぞ。そんなの当然だ……」
「……成る程、お前さんの考えは良くわかったよ……おいランスロー、あれやれ」
「はっ」
すると、ランスローの手が謎の光を帯びて輝きだす。だが、その光の前にタルセンは怖気づいた。
あれに触れれば全てが終わる、そんな危機感を彼は抱いていた。けれど、体は金縛りにあったかのように動けないまま。そのためタルセンに抗う術は無く、黒騎士が歩くたびに近づいていき、それが頭に触れた瞬間、
彼の意識は吸い込まれるようにしてなくなった。
(あ、あれは一体何なんだ……)
タルセンの目の前には信じられない景色が広がっていた。
この世のものとも思えない荘厳な建物が立ち並び、遥か大昔に滅びたはずの伝説の生き物達が山のように大きな城の前に詰めかけており、彼は思わず腰を抜かしていたのだった。
(は、ははははははっ……夢、夢?そうだ夢に違いない……こんなこと、絶対に信じられない。ありえない、そう、ありえないんだ……)
これらが夢や幻だったらどんなに良かっただろう、だが決してそれらの類ではないことをすぐさま理解させられる。
(!!!)
雄大な城のバルコニーにて、見ただけで己の存在そのものを永久に平伏させてしまうような神聖な衣装を身に纏ったヴァラルが彼らに手を振っていたのだ。しかも彼の後ろにもまた大勢の者が控えており、その中には黒騎士達の姿も見えることで、この光景はかつて本当にあった出来事なのだと魂の根幹に刻み込まれていく。
(あ、あわあゎぁぁ………)
そして、そんな絶対的な王者としての覇気を放つヴァラルにタルセンの肉体は決して目を背けたり気絶することは許さず、彼と自分の立場がいかに違うということを思い知らされ、彼の意識は戻されていったのだった。
「フェンバルの森は知っているか?」
「……」
いまだに惚けているタルセンに対し、ヴァラルは語りだす。
「実はな。その森を抜けて、山を越えると国があるんだよ」
「……」
何度も調査隊を派遣したものの、生きて帰ってきた者は誰もいない魔の森の奥にそんな場所があったなんて……
タルセンは項垂れたまま彼の言葉を黙って聞く以外には無かった。
「……さて、それじゃあ改めて自己紹介をさせてもらおうか。俺はヴァラル、」
――理想郷の王をやっている
普段と変わらない淡々とした口調でタルセンに名乗ったのだった。
◆◆◆
「これで分かっただろう。貴様がいかに矮小な存在で、この御方が遥か高みにおわす方だということを」
「……」
「そもそも偉大なる王と言葉を交わす、いや、その目に映しただけでも大変名誉あることなのです。それなのに貴方は無礼を働くだけに留まらず、あまつさえ殺意を向けるとは、到底許されざることなのですよ……」
するとガウェインと立場を逆にしたかのように、落ち着きを保っていたランスローがタルセンの眼前に剣を向ける。こう見えても彼はガウェインと対照的に底冷えするような冷徹な一面を持っているのだ。
その迫力に気圧されたタルセンは思わず、
「お、お許しを……ど、どうかッ!!お許しをッ!!」
命乞いをし始めた。
「貴様……この期に及んでまだそんなことを……」
「ガウェイン、そこまでにしておけ。ランスロー、まだこいつには言いたいことがある。少し待て」
「「はっ」」
彼らにその場で待機するよう指示するヴァラル。
そして彼の目の前にキャリトの亡骸をドサリと落としたのだった。
「ひ、ひぃ!!!」
「お前がこれまでに暗殺を仕掛けた奴らもこんな風に死んでいった。それだけじゃない、お前のしたことで数多くの者たちが犠牲になった。どうせ知らないふりをしてきただろうがな」
ヴァラルは彼の手によって凄惨な人生を歩むことになった者達全員の名前を挙げだした。誘拐され、人身販売により貴族の慰み者となった少年や少女達。彼の卑劣な策略により路頭に迷い、一家心中で命を落とした者達等、その一人ひとりの嘆きを伝えるかのように。
「それにお前は公爵なんだろう?誰よりも偉いんだろう?なら、」
――誰よりもしっかりと責任を取らないとな
「あ、ああああああああ!!!!!!」
その断末魔と共に、タルセンの人としての人生はそこで幕を閉じたのであった。
◆◆◆
それからのトレマルク王国は大変な騒ぎに見舞われる。
各地でベザレイ一味や他の犯罪者集団が忽然と一斉に姿を消失し、それぞれの場所に駐留する王国騎士団は人々の騒ぎを抑えるため総出で事を収めるのに時間を費やすのだった。
勿論それは王都インペルンでも例外はなかった。何と、心を無くしたのように呆然としたタルセンが数々の悪行の証拠となる書類の束と共に騎士団の詰め所の前に放置されていたため、デパンやマリウス、それにガナードやコーレリクスさえも大変に慌てふためいたのだった。
その頃、そんなてんやわんやなウォストン城をヴァラルは歩いていた。
"しかし、あのままで本当によろしかったのですか?"
"どちらにせよあいつは破滅だ。あれが目にとまった以上、奴はもう日の目を見ることは無いだろうさ"
あの書類を王国が見つけた以上、遅かれ早かれ彼の死罪は免れ得ないし、これ以上ランスローたちの手を汚させる必要も無い。それに万が一死罪を免れたとしても彼は一生心を閉ざしたままだ。情報漏洩の心配は無い。
ランスローは何故彼を生かしたのか多少の疑問に思っていたのだが、ヴァラルはそんな彼の問に答えたのだった。
"そうですか、王の決定なら私達は従うまでです……では、また何かあればいつでもお呼びください。どこへでも私達ははせ参じますので"
"ああ、ご苦労さん。しっかり休んどけ、そうガウェインたちにも伝えておいてくれ"
"了解しました"
そうしてランスローとの連絡を止めたヴァラル。
マリウスやデパン、ガナードやコーレリクスは様々な事後処理で手が離せない。そのため彼は一旦自室に戻り、のんびりくつろごうとしていたのであった。
しかしそこへ、
「ヴァラルと言うのは貴方か」
マントを羽織った小綺麗な貴族風の男が自室の前に佇んでいた。
◆◆◆
「私はライレンに住まうリヴィア皇女殿下から遣わされた者です。どうぞこれをお受け取り下さい」
「……またそれか……」
「はい?」
「……いや、なんでもない」
魔法士と思われる彼から、蝋でしっかりと固められた質の良い手紙を前にして思わずたじろいだヴァラル。ここ最近この手の類で碌な思いをしたことが無かった彼は、今回もまた厄介な騒動に巻き込まれることを予期しながらも慎重にその中身を確かめた。
(……)
そして、その内容はマリウスとタルセンを足し合わせたかのような内容で、アザンテ討伐の礼を言いたいので手紙を受け取り次第、すぐにライレンへ来ること。
そのようなものであった。
「私は数日の間ここへ滞在します。それまでの間に準備をしていただければ……」
「断る」
「……は?」
「断ると言ったんだ、俺は」
ここへ到着してから一週間も経っていない。満足にこの国を見て回っていないのにどうして自分から赴かなければならないのか。昨夜のタルセンの件もあってか、即座に断りを入れるヴァラルだった。
「そ、それでは困ります!!何としてでも連れて来いとの命令を受けたので、おいそれと引き下がるわけには……」
「そうか、ならその皇女殿下とやらに伝えるんだな。そんなにも俺に会いたければ、」
――自分で足を運ぶんだな
彼はライレンにいるやたら偉そうな少女(何故かそう思った)に向かってそう告げたのであった。
「……ふう、これでひとまず安心だな」
魔法士の男をしっしと追い払い、やっとの思いでくつろぐヴァラル。
彼があのような態度に出たのは訳があった。
何せ皇女の立場である彼女のことだ。この国に直接住まうマリウスが出向くこととはあらゆる意味で状況が違う。そのため、他国から冒険者一人のためにわざわざ彼女がここへ来ることはまず無いだろう。そのように彼は考え、あんなことを言ってのけたのだ。
……だが、彼女はヴァラルの思惑を遥かに上回る破天荒な性格をしていたということを理解していなかったのだった。
◆◆◆
「むぅぅぅぅ!!!」
リヴィアはヴァラルの元に遣わした魔法士からの報告を聞くや否や頬をぷうっと膨らませ、宮殿内をスタスタと早足で歩いていた。
喜怒哀楽の激しい彼女はこうして感情を表に出すことが多く、そのこともあってその日の彼女はどんな気分なのか一目で良くわかり、そんなリヴィアを宮殿内の者たちは敬意を払いながらも微笑ましげに眺めていたのだった。
(ヴァラルめ……せっかくの妾からの誘いを断りおって……)
まさか拒否されるとは夢にも思わなかったのだろう、彼女は冒険者の彼にむかむかしていた。
(……まあ良い、そこまで会いたいのなら致し方ない。妾の方から直接出向くことにするか……くふふっ、あ奴の驚く顔が目に浮かぶわ……)
が、その一方で彼の言葉の意味を盛大に取り違えた彼女は怪しげな笑みを浮かべていたのであった。
「お姉さま!」
「お姉ちゃ~ん!」
「やややっっっ!!!これはリヴィア様、こんなところで一体何を?まさか、またどこかへお出かけになられるのですかな?」
すると、二人の幼い少女がリヴィアにがばっと飛びかかり、見るからに生真面目そうな魔法士の男がリヴィアに声を掛けてきた。
リヴィアとほぼ同じ位の少女達の名はベリッタ・ファ・ライレンとアンナ・ミウ・ライレン。
魔法皇国ライレンの第二・第三皇女である。
「おおっ、二人とも!!それに――なんじゃ、お主か……」
「リヴィア様、いくらなんでもそれはあんまりですぞ……」
そして、わらわらと二人の妹達に揉まれているリヴィアが簡単にあしらった魔法士の男の名はブレント・エイムズ。
ライレンの誇る宮廷魔法士の団長を勤める男だ。
「冗談じゃ。それよりもブレント、妾はこれよりトレマルクへ赴く。ちょっとした用事が出来ての」
「なななっっっ何とっっ!!それならば是非私をお連れください!!リヴィア様に何かあってはこの国の一大事、けっして手出しはさせませぬ!!」
「……ブレント、少し落ち着くのだ。妾は別に戦をしにいくわけではない。それにオーランドも連れて行く、だからお主はここで留守番じゃ」
彼は一体何と戦うつもりなのだろうか、やたらと戦る気満々なブレントに対しリヴィアは辟易としていたのだった。
「オーランド卿が!?しかし彼はこの時期忙しいはず……よく連れ出すことが出来ましたなあ、リヴィア様」
「ふふんっ、これもまた妾の人徳のなせる業というもの。これくらいどうということはない」
成長途中の小さな胸をそらせ、ブレントの尊敬を集めるリヴィア。
実のところはオーランドもまた彼女と同様にヴァラルに興味を抱いており、彼の方から同行を申し出たのは内緒である。
「私も!」
「私も~!」
そして、はしゃぐようにベリッタとアンナも宮廷魔法士長の彼に続く。二人は単にリヴィアについていきたいだけなのだろう、その四つの紫の瞳はきらきらと輝いていた。
「二人はここで待っておれ、すぐに戻ってくるからな。その間は母様と共に待っておるのだ」
「分かりましたっ、お姉さまっ!」
「分かったっ、お姉ちゃん!」
「ほほっ、姫様。そろそろ準備はよろしいですかな?」
「うむっ!!いつでも大丈夫じゃっ!!」
山彦のように繰り返す妹達の元気な返事に満足していると、準備が整ったのか、オーランドが四人の前に現れ、リヴィアは出立できることを彼に伝える。
その後、彼の元に付き従ってフォーサリア宮殿の入り口に出てみると、ドラゴンに牽引された煌びやかなとても大きな馬車が待機しており、
「それではいってくるぞ!!」
元気な明るい声と共にライレンを後にしたのだった。
そして、一人の少女が冒険者である彼に会いにいくのと同時に、
――ただ今戻りました、父上
あの日以降、彼と別れた彼女は無事に帰宅の途についたのであった。
……ヴァラルの旅はまだまだ続く。
様々な人々との出会いを経験しながら。
――トレマルク王国編・終――