セレシアの想い、ヴァラルの思い
「そろそろここを出るか」
エンラルの宿でヴァラルはふと何かをひらめいたように呟いた。
あれから数日、街ではいろいろなことがあった。セレシアたちAクラスのことはいざ知らず、Sクラスの制度やヴァラルという冒険者についてギルドの公式見解を求めて人々が殺到し、大変な騒ぎとなったのだ。
このときのギルドの中は、こんなにも人でごった返したことはないだろうという彼らの想定以上の混雑ぶり。そして通常の業務に支障をきたし、この事態を受けてギルドマスターであるモーロンは今回の騒動について説明する機会を設けたのだった。
翌日、ギルドの会議室で彼はSクラスの制度の概要やヴァラルは一人でAクラス以上の昇格試験を受けていたということを市民の前で発表する。
だが、これで混乱が収まったかといわれればそんなことは無かった。
なぜなら当の本人のヴァラルがその場にはいなかったし、モーロンの解説にはヴァラルの具体的な実力について彼は一切の黙秘を貫いたためだ。そのため冒険者を含む市民の間からは様々な憶測が流れ出していったのだから、むしろ悪化したといっても良いだろう。
だが、モーロンとしてはヴァラルがライレンの宮廷魔法士やオーガの集団を一人で倒したなど、すぐに明かせるわけがなかった。
王国やライレンについさっき報告書を送ったばかりなのだ、関係者以外にはまだもらす訳にはいかない。そう考えたため、一旦時間を置いて、彼のことについてどう市民に説明していくのかをライレンと協議を図り、解決への糸口を探ることとなったのである。
(しっかし、こうも騒がれるとは予想だにしなかったな。たかが冒険者一人のことだというのに……)
そんなこんなの状態であったため、ヴァラルは心理的、いや物理的にギルドへは一歩も近づくことが出来ずにおり、しかも外に出ただけで結構な視線に晒され、段々と居心地悪くなっていったのだった。
(ま、ここを出るのには他に思うところがあってのことなんだがな……さて次はどこへ行くか)
ヴァラルは地図を広げあごに手を当てながら考える。
(とりあえず、トレマルクのどこか、だよな。まだ他の国へ行く気はしないな。村、街ときたから、今度はもう少し大きなところを見てみたい……)
アルカディアを囲んでいるメクビリス山脈はトレマルク王国とバルヘリオン帝国に隣接している。彼としてはどこからでも回っても良かったのだが、転移魔法陣の関係でトレマルク王国から巡ることにしたヴァラルであり、とりあえず次の目的地もセクリアの街の近辺にしようと考えていた。
(だが、ここは王国の中でも結構大きいところだからな。そう他のところが都合よく見つかるわけ……ん?ここは……意外と良さそうだな。よし、次はここへ行ってみるとするか)
ヴァラルは地図とにらめっこをしている最中にとある一点を凝視する。
その場所はセクリアの街から東南に位置するトレマルクの王都、
インペルンだった。
◆◆◆
「そうか……ヴァラルはこの街を出ることにしたのか。グレインたちもいなくなったし、寂しくなるな……」
「ああ、ぼちぼち他のところも見たくなってな。短い間だったが世話になった二人とも。色々とセクリアのことを教えてもらって助かった、おかげで楽しかったぞ」
「何、俺達の方も存分に楽しませてもらったさ。特にこの数日は刺激的な毎日だった。そうだろう?ケラク」
「ああ、もちろんだともクレース。こんな寂れた酒場の店主人生の中で、こんな冒険者と知り合える機会なんて早々無いからな。あの発表を聞いたとき、本当に驚いたぞ」
日が沈み始めた頃、少し早いがクレース亭にてヴァラルとケラク、そして店主であるクレースの三人は集まっていた。エンラルの宿を経営するケラクは普段忙しい毎日を送っているのだが、彼が旅立つことを聞いてわざわざ駆けつけてくれており、クレースの場合、俺のおごりだといって本日の酒代は無料にしてくれた。そしてそんな二人の厚意に感謝しつつ、ヴァラルは緩やかな雰囲気に身をゆだねているのであった。
「お前達もか……全く、この街の連中はどうしてこうも噂好きなのか」
ヴァラルはやれやれといった感じで首を横に振る。
「そんな愚痴を言ってられるのも今のうちだぞ?ここほどではないにせよ、きっと大陸全土にお前さんの名が広まっているだろうさ。覚悟はしておいたほうが良いぞ」
「クレース、そんな不吉なことを言うなよ。面倒くさいな……」
そんなことを思いつつもヴァラルは徐々に気持ちを切り替えつつあった。注目の的になるのはこれが初めてではなかったし、余計なちょっかいをかけられることも全くといっていいほど無かったため、こうなったらとことんこの状況を利用してやろうと意気込んでいた。
「はははっ!まあ、俺達からの忠告だと思って受け取っておくんだな。ところでヴァラル、これからお前さんはどこへ行くつもりなんだ?」
「そうだ、肝心なことを聞いていなかった。一体次はどこで騒ぎを起こすつもりなんだ?」
「ん?まだ言ってなかったか。とりあえずインペルンに向かう予定だ。というか、ケラク。お前は俺のことを何だと思っているんだ……」
「そりゃあ、天下のSクラス冒険者様だ。きっと道行く先々でとんでもないことが起こるだろうさ」
「ぐ、ちょっとそれは洒落になってないぞ……」
酒を煽るのをやめ、ケラクの言葉をすぐに否定することが出来なかったヴァラル。あの発表の後、彼は原因不明のくしゃみが止まらず、しかも何かに狙われているような寒気までしたのだ。けれど体調にはどこも異常がない。そのため、これはまた厄介なことに巻き込まれるなとヴァラルの直感が告げているのだった。
「おいおいケラク、そこまでにしておけ。ヴァラルがびびっているだろうが……まあ、あまり気にするな。あんたなら大丈夫だよ。セレシアたちと一歩も引かずに付き合ってきたんだ。それだけでも十分凄いことなんだぞ」
「確かに、そりゃあセレシアたち以上に強かったのならあんなふうに口を聞けたのもわかる……そういえばヴァラル、お前にまた尋ねたいがあったんだ。ちょっと聞いてくれるか?」
「……何だ?改まって」
「セレシアたちのパーティは解散したんだよな?」
確認するようにケラクはヴァラルに質問する。
「ああ、そうだ。というか、ケラクもその場にはいたはずだ。覚えていないのか?」
解散の打ち上げではケラクやクレース、それにヴァラルの初依頼者である親子や受付嬢といった比較的親しい者達だけで静かに行われた。それ以来、グレインやソイル、エーニスの姿を見たものはいない。だから、彼の言うことはある意味正しかった。
一部を除いて。
「勿論覚えている。だがな、どうしていまだにセレシアだけがこの街に残っているんだ?」
「……それはだな」
すると、クレース亭の入り口から、
「ヴァル!探したぞ!」
セレシアが息を切らせてヴァラルの前に現れたのだった。
◆◆◆
「ここを出るって……それは本当なのか!?」
「ああ、そうだ」
「そんな……」
エンラルの宿にあるヴァラルの一室にてセレシアは愕然としていた。
実は、ヴァラルに起きた身の回りの変化はSクラスの冒険者が知れ渡ったということだけではない。セレシアの彼に対する態度が大幅に変わってしまったことも大いに含まれていて、むしろヴァラルとしてはこちらの方が大いに戸惑う原因となった。
今までは誇り高き騎士のような振る舞いを見せていた彼女だったのだが、あの日以降、ヴァラルにやたらと甘えるようになってきたのだ。
どこへ行くにしても雛鳥が親鳥についていくようにヴァラルの後ろをついて回り、挙句の果てにはこのようにヴァラルの部屋に夜中に訪ねるようになって、日増しにその行動がエスカレートしていったのである。
尚、今回のクレース亭の飲み会に関しても彼女には何も言ってなかったはずなのだが、あっという間に見つけられてしまったのだった。
「だったらヴァル……お願いがあるんだ……」
「聞くだけ聞いておこう……何だ?」
何かの決断をしたのか、ヴァラルに真剣に何かを頼み込もうとするセレシア。ただ、彼にはこの後に続く言葉が容易に想像できた。
「私も一緒に連れて行ってくれないか?」
「……」
「ほ、ほら。ヴァルはまだ旅に慣れていないだろう?私は一応他の国々を回ってきたことがある。だから道案内として役に立つことが出来る」
確かにその提案は魅力的だ。地図だけでは分からないことがそれぞれの街にたくさんあるだろう。
だが、ヴァラルは相変わらず腕を頬について黙ったままで、漆黒の二つの瞳がセレシアの全てを見透かすかのようにじっと見ていた。
「それに、ヴァルの剣の技には正直驚いた。だから……気が向いたときでいいんだ。私にもその技を教えて欲しい」
「……」
「勿論、そのときはまた別に私に出来る限りのことはするつもりだ。お金ならある、あまり使ってこなかったからな。料理だって出来る、こう見えても多少の自信がある」
これにはヴァラルも心当たりがあった。セレシアが金を使っているところを見たのはクレース亭や街の市場や鍛冶屋など、必要最低限の所でしか見たことが無かったし、彼女の料理も中々の腕前だった。
彼の気を引こうと自分の出来ることを精一杯アピールするセレシア。だが、ヴァラルにとってはそれがあまりに必死すぎて、とても痛々しいものだった。
「それに……ヴァルが望むのなら……」
セレシアはがたりと椅子から立ち上がり、テーブルを挟んで座っているヴァラルの目の前に立つ。その瞳は潤み、頬は赤く上気しており、以前の凛々しい彼女からは想像できないほど女の色香を振りまいていた。
鍛えられながらも細くくびれた腰、すらりとモデルのように伸びた手足、胸も平均以上のサイズであり、服の上からでもそれははっきりと強調されており、彼女の放つ甘い香りと共に彼を誘惑するかのようだ。
そしてテーブルに片手をつき、つやつやとした鳶色の髪をかきあげ、ヴァラルの口元にその唇を近づけようとしたとき、
「やめるんだな、そんなこと」
ヴァラルは彼女に対してきっぱりと拒絶の意を示し、
――セレシアとヴァラルの激しい夜が今ここに始まったのであった