問いかけ
ギリギリのところで助けられたセレシアは、両腕を失ったオーガを瞬時に倒したヴァラルの煌く剣技に圧倒されていた。
どうしてクヴィクトの森にいるのか。自身を完治させた黄金の液体は何なのか。問いただしたいことが山のようにあった。
けれど、それらを全て忘れてしまうほど目の前で起きた出来事に心奪われていた。
(凄い……)
まず、オーガの元へ近づく彼があまりにも自然な動きだった。まるで魔物なんかそこには存在せず、そのまま散歩に出かけるかのような軽やかな足取りであった。
一方でオーガを真っ二つにせしめたあの一撃はセレシアでも完全に捉えるのが難しいほど苛烈極まりないものだった。あれをまともに受ければ一切の反撃を許さず、そのまま防戦一方の展開になることは間違いなかった。
そんなことを思っていると、状況はまた移り変わっていく。
仲間を殺されたというよりも折角の楽しみを邪魔されたのが気に食わない様子で、新たなオーガがヴァラルの目の前に現れたのだ。
――アァァオォォオ!!!!!
「いちいち喚くな、鬱陶しい」
怒り狂っているオーガの殺気をまるで気にしていないヴァラルは剣を持ったまま徐々に近づいていく。
すると、彼のふてぶてしい顔を恐怖にゆがめようとオーガもまた彼との距離を縮め、
武器を振りかざした。
「危ないッ!!!」
思わずセレシアは叫んでしまった。
筋骨隆々とした太い腕から大斧が繰り出され、ヴァラルを真っ二つにしようと頭上へ降りかかる。
他方でヴァラルは何故かその場を動こうとせず、ただじっとしているだけだ。
「くッ!!」
何をぼうっとしているんだと思わず駆け出しそうになるセレシア。
けれどもう遅い。避けるにしても、受け流すにしてももう無理だ。
思わずセレシアは悲惨な結末を想像してしまい、目をぎゅっと閉じて顔を横に背けようとする。
その直後、
ガキンッ!!
何かが互いにぶつかったような激しい音が耳に聞こえてきた。
彼女は恐る恐る目を見開くとヴァラルの剣とオーガの大斧が、
真正面からぶつかり合っていたのだった。
「そんなッ……ありえないッ……!!」
オーガは魔物の中でもかなりの力を持っている。
巨大な腕から振り下ろされる一撃は木々を易々と粉砕し、立ちはだかるものを全て蹴散らすのだ。たとえ万全の状態のグレインでもそれを受け止めるのは不可能で、セレシアがやろうとするならレイピアごと破壊されてしまうだろう。
(それを剣一本で受け止めるだなんて……)
「この状態でも案外いけるな。流石はエド、やっぱりあんたに頼んで正解だったな」
(何を言っているんだ、彼は……この状況を理解しているのか?)
彼の意味不明な言葉の直後、さらにとんでもないことが起きた。
グググッ
何と、力で圧倒しているはずのオーガが負けている。
絶対的な体格差があるにもかかわらずヴァラルはギリギリと大斧を押し返していき、そんな馬鹿なとでもいうかのようにオーガの顔が驚きに変わっていくのだ。
「おらァッッ!!!」
彼の掛け声と共に大斧は火花を散らせて空中に弾き飛ばされる。そして、手元に何も無くなり唖然とするオーガを余所にヴァラルはすかさず剣を横なぎに振るう。
宙を舞った大斧がドサリと地面に突き刺さったとき、また一体オーガを打ち倒したのだった。
「ほら、次。早く来な」
――オオァオオアアア!!!!
その瞬間、憤怒の雄叫びを上げた無数のオーガたちが一斉に襲い掛かってきた。
言葉を理解できないはずだが、目の前の男が挑発していることを肌で感じ取ったのかその勢いは増していく。
そして濁流に流されるかのようにヴァラルの姿はオーガに埋め尽くされ、あっという間にその姿が見えなくなってしまったのだった。
(あああああ…………)
彼の安否を心配するセレシア。それもそうだ、あんな大勢のオーガが一度に来たのなら最早逃げるしかない。一体を力ずくで倒したとしてもまた次が来る。あれはまさに数の暴力だ。
――けれどほんの僅かだが、ヴァラルがこんなことで死ぬはずがないという思いが湧き上がっている自分に気がつく
オーガの集団に飲み込まれていったのに何を考えているのか良くわからなかった彼女だが、そのとき、彼女の呼び声に応えるかのように、
「邪魔だ」
オーガの集団の中心地からまばゆい光が彼らの隙間から漏れ出していく。
そして、その直後オーガたちはその巨体を突風に煽られたかのように吹き飛ばされていったのだった。
「くッッ!!」
その衝撃波に思わず身を屈めるセレシア。そして、光が収まり彼女がゆっくりと目を開けると、
彼の武具が様変わりしていた。
◆◆◆
「……かかって来いとはいったが、いきなり全員で来るなよ。びっくりさせやがって、全く」
全てを断ち切る白銀に輝く剣と、全てを拒絶する漆黒の鎧を纏ったヴァラル。そして無様に転がっているオーガたちを眺めながらぼそりと呟く。
本来はこの姿をセレシアには見せたくなかったが、一斉に襲い掛かられたことで驚きのあまりつい魔力を込めてしまった彼なのであった。
「でもまあ、おかげでこの剣の良さが改めて分かったことだし、そろそろ退場してもらうか」
彼女への弁解をどうしようかと考えつつ、彼は一番近くに倒れているオーガの元へ駆け寄り、目にもとまらぬ早さでその首を刎ねていく。
ヴァラルがセレシアの昇格試験、要はモーロンの依頼を引き受けたのは個人的な事情も絡んでいた。勿論セレシアの手伝いが最大のものだったが、魔力の込められていない『真龍の剣』の力を知りたかったのも理由の一つだった。
何せ事あるごとに剣を人前で光らせたら流石に目立つ。ローグの驚きようからもそれは明らかだった。けれどEクラスの魔物討伐では全くの手ごたえが無い。どうしたものかと彼を悩ませていたのだが、そこへ舞い込んできたのが今回のAクラスの昇格試験の依頼。
つまりヴァラルは素の状態の真龍の剣でオーガとどれ位戦えるのかを試してみたかったのだ。
そして真龍の剣は彼が何の魔力を込めていないのにもかかわらず、大斧の一撃にも全く傷つかず、さらには分厚いオーガの皮膚を易々と断ち切った。
ゆえに、この状態でも十分名剣であると結論付けたのであった。
(おかしい……あいつらにも多少の感情があったはずだが……一体どうしたんだ?)
そして、その後のヴァラルはオーガの集団を徹底的に『駆除』していった。恐れをなして逃げ出すのならまだしも、何故か彼らはヴァラルを目の敵のように攻撃してくるのだ。(逃げたとしても追撃に出ていたが)
次から次へと繰り出される大斧を全身を躍動させて華麗に避け、彼らの隙間を縫うかのように高速で移動、白銀に輝く真龍の剣で大斧ごとオーガの体を断ち斬りつつヴァラルは彼らの行動に疑問を投げかける。
セレシアから見ればオーガの集団を一人で屠っていくという凄まじい光景であるのは間違いないのだが、
彼にとってはこの程度のこと、
造作も無かった。
実際のところ、彼らは目の前の存在があまりの理不尽な強さを誇っていたため恐慌状態を起こし、そのままなだれ込むようにして彼に戦いを挑んでいったのが事の真相だったのだが、
けれどそんなことに最後まで気づかないまま、ヴァラルの魔物討伐は瞬く間に終わりを告げたのだった。
――オーガの群れを一切寄せ付けない圧倒的な強さを見せ付けて
◆◆◆
「やっと終わったか」
最後のオーガが断末魔をあげて息絶えたのを確認すると、剣と鎧は眠りにつくかのように輝きを失い元の古びた姿に戻っていった。
(けれどどうしたものか……説得するのが面倒になりそうだ)
彼のことを黙ってじっと見つめている彼女を見ながら彼はため息をつくのであった。
そして二人は対面する。
辺りはすっかり闇に包まれていたが、互いの顔がしっかり見えるほど二人の距離は縮まっていたのだった。
「ヴァル」
「何だ?」
「助けてくれたことに礼を言わせてくれ。本当にありがとう……」
自分が助かったことに改めて気づいた彼女が思わず涙ぐむ。
「気にするな。それよりも――」
「分かっている。詳しいことは聞くな、だろう?……分かっている」
意外にも、セレシアは彼の心配をよそに冷静に事実を受け止めていた。コボルドの討伐、Bクラスの自分にあっけからんと接するその態度。彼女の中でパズルのピースがはまるように彼の驚異的な実力について納得した部分があったのだ。
しかも自分にはヴァラルに隠し事をしているという負い目があり、何よりも助けてくれた恩人にいちいち詮索するのは恥であると彼女自身感じていたのだ。
「そうか、なら助かる」
「あ、でも……一つだけ、一つだけ聞かせてくれないか!」
突然、何かを思い出すかのように彼女はヴァラルに尋ねてきた。冒険者である以上、過去の素性をおいそれと聞くのは無礼なことであることを承知の上で。
「言ってみろ」
ヴァラルはその先を促す。本当は色々と聞きたいことがたくさんあっただろうが、その中でも一つだけと言う言葉に気がかりを覚えた彼であった。
すると、彼女はもじもじとして、一呼吸置いた後、
「……ヴァルは、もしかして」
――魔法を使えるのか?
彼に問いただした。
(何故そうなるんだ……普通はもっと別のことを聞くものじゃないのか?)
予想外の質問にヴァラルは戸惑った。実際、彼は魔法を行使した覚えは一切無かったからだ。
(……ああ、もしかして俺の動きが魔法で強化されたものに見えたのか)
身体強化の魔法はたしかにある。なるほど、彼女の知り合いにはその魔法を使える者がいるのかもしれない。
それかヴァラルのことをライレン出身の魔法士と勘違いしたのだろう。あそこは日々魔法の技術が進歩している国だと聞く。
きっとエリクシルなどもその産物だと思ったようだ。彼はそう考え、
――ああ、使えるぞ
彼女の疑問に答えた。
しかし、この一言がきっかけでセレシアとの関係に大きな影響を与えることになろうとは露も知らないヴァラルだった。
◆◆◆
「ッッ!!!!そっ、そうかっ!!あ、いや、すまない。変な事を聞いたな……その、悪かった……」
すると彼女の纏っている雰囲気が一瞬変わった。いつもの凛としたセレシアではなく、少し幼くなったような気がしたのだ。
(……どうしたんだ、一体?)
シュンとして謝るセレシアの姿にどこか違和感を覚えたヴァラルだったが、とりあえず話を進めることにした。
「謝ることは無い。それよりも早くここを出るぞ。あいつらに追いつかないといけないからな」
「け、けどどうやって?それに、オーガは……」
辺りは真っ暗だ。探そうとしてもそう簡単には上手くいかないだろう。それに目の前にはオーガの死体の山。全部で四十体はいるだろう。それらの部位を集めたのならばかなりの金額で引き取ってくれるに違いない。だがヴァラルはそんな宝の山とも呼べるオーガ達を興味なさげに眺めていた。
「気にするな。それよりあいつらもシアのことを心配しているだろう。だから早く合流したほうが良い」
するとヴァラルは彼女から背を向けしゃがみ込んだ。どうやらセレシアのことを背負って彼らを見つけるようだ。
「ほら、乗れ」
「でも……」
彼女の体は返り血で汚れている。それにセレシアといえど、男の背中におぶさるというのは小さい頃以来だったため、中々踏ん切りがつかなかった。
「いいから、ほら」
「……分かった……」
渋々といった具合で彼女はヴァラルの背中にもたれかかる。
広くて大きな背中だ。近くで見たことはあるものの、こうして直に触れてみると全然印象が違っており、とても頼もしい体つきだった。
「重くは無いか……?」
ヴァラルの耳元から恥ずかしがるように囁くセレシア。
オーガとの力比べに勝利した彼にとっては今更だったが、女としてはやはり気になるところだった。
「全く問題無い。それよりしっかりつかまってろ。少し飛ばすからな」
だが、ヴァラルはそんなことをまるで気にしていないかのようにセレシアを背中に乗せて疾風のごとく駆け出していった。
仲間達と再会するために。
◆◆◆
その頃グレイン、エーニス、ソイルの三人は汗を大量にかき、森の中をひたすら駆け抜けていた。
途中で彼らは何度も引き返そうと思ったが、それでも辛うじてその欲求をこらえ、彼らはセレシアの言う通りにしていたのだった。
「くッ!」
グレインはエーニスの荷物も持ち、がしゃがしゃと音を立てて走っている。火事場の馬鹿力なのか、このときの彼はソイルも驚くほどの怪力を発揮していた。
「グ、グレインさん!危ないです!いくらなんでも無茶ですよ!」
「うるさい!セレシアの姉さんが必死に戦っているのに俺達が頑張らないでどうする!」
併走するエーニスを鬼気迫る形相で睨みつけ彼は奔走する。
「け、けど……」
グレインの言い分も尤もなところがあるが、このままでは彼が倒れかねない。そんなことを心配していると、
「待ってください!こちらに何かが近づいてきます!」
ソイルが警戒するよう二人に告げる。
「何だと!?」
その言葉にさすがのグレインも急停止した。今までオーガの一体も追いかけてこなかったのだ、それはつまり、彼女が生きており上手く足止めをしてくれていたという証でもあった。
けれど、ここへ近づいてくる存在がいるということは……
(くそッッッ!!!)
グレインは悔しさに涙を浮かべつつ、身の丈もある改良されたクレイモアを素早く構え、ソイルやエーニスも次々と身構える。
(こうなったらやけだ……覚悟しやがれ怪物ども……)
最早逃げ切ることはかなうまい。それなら一体でも多く道づれにしてやる。森の中から現れるオーガと思われる存在をひたすら待つグレインたち。
しかしその反面、三人はどことなく違和感を感じていた。
まず音が軽い。オーガは三メートルもあり、しかもあの場には集団でいたため、こんな人間一人が出すようなカサカサとしたものではないはずだ。
そして何といっても……
「「「上ッ!?」」」
目の前の茂みからではなく、頭上の木々から聞こえてくるのだ。
そして次の瞬間、三人の目の前に
「よう、元気にしてたか?」
「……その、待たせたな……」
ヴァラルとその背中に子供のようにおぶさっているセレシアが降ってきて、
「「「……………」」」
驚きのあまり、口をあんぐりと開けているグレイン、エーニス、ソイルがそこにいたのだった。