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黄金の時代  作者: 木村 洋平
アルカディア編
3/79

ユグドラシル


 アルカディアには大きく分けて、三つの区画がある。

 自然豊かな湖や森林・耕作地が存在するユグドラシル区画。

 アルカディア周囲を守るようにしてそびえ立つメクビリス山脈に、大規模な鉱山地帯が存在するウトガルド区画。

 国の研究機関が集中し、様々な商業・娯楽施設や教育機関が立ち並ぶビフレスト区画。責任者はそれぞれアイシス、ガルム、セランが担当している。

 その中の一つユグドラシルはアルカディア内で最大の敷地面積を持つ一大拠点。魔法道具や魔法薬の原料となる貴重な樹木や薬草・花々を栽培し、ありとあらゆる食料の生産を担い、提供しているのだった。


 ◆◆◆


 ユグドラシル区画の入り口となる深くうっそうと茂った森の入り口。ヴァラルはアイシスを待たせない様大分早くここへ来たはずなのだが、既に彼女は今か今かと待機している。

 来るのが早すぎると思いながらも、ヴァラルは気遣うようにして声をかけた。

 「すまない、少し待たせたか?」

 「そんなことはありませんっ! 私も今来たばかりですからっ!」

 どう考えても違うなと、はきはきとした彼女の様子に申し訳ないと思いつつ、ヴァラルはこの後の予定を聞くことにした。

 「よろしく頼むアイシス。それで?この後はどうするんだ?」

 「今日はこのユグドラシルとっておきの場所を見てまわろうかと思います。さすがに一日では全部を見ることは出来ませんから」

 「分かった。期待してる」

 日が昇る前の静かな時分から、ヴァラルは彼女と共に森の奥へ進んでいくのだった。




 「このユグドラシルには私たちの他に沢山の方々が暮らしています。皆さんとても仲良しなのですよ?」

 それなりに整備された林道を歩きながら、アイシスの解説を聞いているヴァラル。

 ユグドラシルにはアイシスのようなハイエルフや妖精フェアリー等、豊かな恵みの森で生きる種族たちが暮らしているという。

 そして、その中には幻狼もいるということにヴァラルは驚きを隠せなかった。

 「幻狼もここにいるのか、また随分と大所帯に……けど大丈夫なのか?」

 彼らは確か縄張り意識が相当強いはず。迂闊に彼らの住処に足を踏み入れれば何をされるかわかったものではない。

 「そんなことはありません。彼らとは今も良好な関係を築けていますし、とても頼もしい方々です」

 「本当か……?」

 「心配せずとも平気です、主様」

 「……それなら大丈夫か」

 きっとアイシスが彼らのために力を尽くしたのだろう。

 自身の心配などいらなかったと一安心し、ヴァラルは木々の隙間から覗き込む空を仰ぎ見た。




 「到着です、主様」

 何度か休憩を挟み、いくつかの農場や牧場を見学したヴァラルとアイシス。そんな彼らが辿り着いた先には、とてつもなく大きな湖が見渡す限り広がっていた。

 日が真上に昇り穏やかな気温になった頃、青々とした草木が風に揺れる。さらさらと頬を撫でる爽やかな草原の香りにヴァラルは清々しい気分になった。

 「アイシス。今回は何を作ってきてくれたんだ? 正直言ってかなり待ち遠しい」

 時刻はちょうど昼の時分。腹具合もこの時を待っていたかのように空腹を訴えており、彼女の手に下げたバスケットを見ながらヴァラルは訊ねた。

 アイシスはとても料理が上手である。その一人一人の好みに合わせた調理法と味付けはヴァラルやガルム、セランの舌をも唸らせる。そんな彼女の手料理が間近にあるのだ、期待しないほうがおかしい。

 「ふふっ。主様、慌てなくてもちゃんと用意してありますよ」

 急かすヴァラルを落ち着かせるように近くの芝生に腰掛け、彼女は大きなバスケットから様々な料理を取り出した。

 「おお、これは……」

 食欲をそそる出来立ての香り、豊かに彩られた数々の一品に唸るヴァラル。

 一見どこにでもあるような普通の料理だと思ってしまいがちだがそんなことはない。彼女の真骨頂は、こうしたありふれた料理にこそ真価を発揮する。

 ヴァラルは彼女に感謝しながら、手を付け始めるのだった。

 

 


 「ご馳走様。美味かった、腕は全く落ちてないな」

 「ありがとうございます主様。とても光栄です」

 そよそよと風が心地よく通り抜け、青空の下、白雲が流れていく。

 のんびりと芝生の上で仰向けになりながら、黒髪の青年はアイシスに礼を言う。

 日が丁度いい具合に照りつけ、今にも眠りそうな彼。隣ではアイシスがヴァラルの顔を微笑ましげに眺めていた。

 「平和だな……」

 ここは以前草の根一つ生えない大地だったのだ、それがここまで自然豊かになるとは。

 かつての日を思い出し、ヴァラルは言葉を漏らした。

 すると、そんな弛緩した空気に一石を投じるかのごとく湖に異変が起きる。

 「何か来る……!」

 湖底からゆっくりと何かが接近するのを感じ取り、突発的に体を起こすヴァラル。水面に巨大な影が写りこみ、水かさが急激に増していく。ヴァラルはすぐに湖面の近くにかけ寄り、注視していた。

 ごう、とまき散らすような突風と凄まじい水しぶき。アイシスに気をつけろと声を上げようとした瞬間、その生物は姿を現した。

 「目覚めていたのか、ヴァラル」

 「お前は……」

 頭に直接響く、老練とした声音。光に照らされきらきらと輝く鱗、羽のように透明で鋭角的なヒレ、頭部に生えた槍のように細長い角。

 息を呑むほどの巨体を持った海蛇のような何かが、湖からやってきた。

 「こんにちは、フィリス。今日はまたどうしてここへ?……といっても、貴方なら分かりますか」

 『リヴァイアサン』

 全身から迸る圧倒的な水の力を宿す彼は、かつてヴァラルに力を貸してくれた盟友でもあった。

 「アイシスか。いやなに、懐かしい気配がしてな」

 フィリスと呼ばれるリヴァイアサンは巨大な体躯をゆっくりと揺らし、ヴァラルの下へと進んでいく。

 「随分と久しいな、ヴァラルよ」

 「ああ、本当に久しぶりだ。まさかあんたがここにいるとはね」

 リヴァイアサンも幻狼と同様、自らの認めた者にしか心を開くことの無い気性の持ち主。一筋縄ではいかない彼までもユグドラシルに住んでいたとは思いもしなかったヴァラルだった。

 「そんなにも意外だったか?」

 「ああ。てっきり自分の住処に戻っていったのかと思ったよ」

 フィリスの体でヴァラルの足元に影が差し、見上げる形で彼は言葉を返す。

 海の獣、リヴァイアサンには海底神殿――聖地と呼ばれる特殊な場所を持ち、居を構えているものなのだ。

 「再び戻った時には、影も形も無くなっていた」

 「……すまない。余計なことを聞いたな」

 恐らく大災厄によって、己の住処も失われてしまったのだろう。それで彼は世界を彷徨い、この地に辿り着いたのか。

 「滅びる運命さだめであった我らのことだ。ヴァラル、おぬしの気にすることではない」

 「……」

 心の機微を悟られないように沈黙を保つヴァラル。

 さっきの一言がフィリスなりの励まし、善意からのものであることは理解している。

 けれど一方で、彼の言葉に含まれた自覚無き諦観にヴァラルは複雑な感情を抱いた。

 運命。

 どうしようもなく理不尽で、残酷な一言。フィリスのような者でも、かの災厄のショックは抜けていなかったか。

 無意識とはいえ命をぞんざいに投げ打ったその発言に、何よりも己を許せなかったヴァラルだった。



 

 時刻は夕刻、ヴァラルとアイシスはフィリスの住まう湖畔を後にして小高い丘にたどり着いた。

 この場所はユグドラシル全域を見渡すことの出来る所であり、彼女はこの場所を最後に見せたかったようだ。

 「いかがでしたか? このユグドラシルは。といってもほんの一部しか見せられなかったですけど……」

 「幻狼やフィリス、妖精にハイエルフ|(仲間たち)……アイシスは本当にここの連中から慕われているんだな」

 フィリスとの会話の途中、続々と湖畔に集まってきた彼らの事をヴァラルは思い浮かべる。どうしてここに来たのかと訊ねたところ、何でもアイシスの様子が昨日から変だったことを心配していたようだった。

 「……私なんてまだまだです。主さまに大見得を切っておきながら、彼らの力なしにはここまで来ることが出来ませんでしたから」

 けれど、彼女の隣にはヴァラルがいた。それが彼らにとって大いに驚くべき事態であったことは想像に難くなく、あの場を抜け出すのに相当の時間を要していたのであった。

 「いいや。俺からすれば、フィリスたちが協力したいと思わせる決意がアイシスにはあったからだ。謙遜するな」

 「そんなこと言ったら主さまだって……きりがありませんね。止めましょうか」

 「……そうだな」

 口を開こうとしたヴァラルを見た彼女は、これ以上譲り合っても無駄だと思い話を中断する。そして、自然とヴァラルの隣に寄り添った。

 沈みゆく日の光。意識せずとも毎日行われるその現象に、なんて綺麗なのだろうと感慨深くなるアイシス。

 まるで今まで見ていた灰色の景色が突如鮮やかな色彩を帯びたかのような、そんな感覚。

 「千年、千年経ったんです」

 ざぁ、と吹きつける風がアイシスの髪をなびかせる。

 「主様のおかげで、私たちはまたやり直すことが出来ました」

 迫りくる絶望を前に互いを憎しみ合い、わずかに残った健全な土地も奪い合う凄惨な状況。

 彼と二人きりになったことにより、アイシスの本音の言葉が紡ぎだされていく。

 「……アイシス?」

 「ねえ、主様」

 そんな中突如現れた一人の男。

 最後まで自身を罰し続け、そして我が身を犠牲にした青年。

 誰にも認められることなく、孤独のまま眠りについたヴァラル。

 「貴方の眼に、この世界はどう映っているのですか?」

 彼の正面に立ち、アイシスは問いかけた。

 「あの時の選択が正しかったのか私には分かりません……けれど、主様は本当に良かったのですか?」

 この後に出る彼の言葉が後悔する嘆きであろうものなら癒せる。罵倒が飛ぶようなものなら受け止めることが出来る。アイシスはどこまでも他者を優先するヴァラルに、自身を巻き込んで欲しいと思っていた。

 けれど、アイシスは結局ヴァラルの心中を伺い知ることはできなかった。

 ヴァラルはちらりと目を合わせたとおもいきや、

 「……当たり前だ」

 視線を戻し、夕焼け空を眺め静かにぼやくのだった。

 ヴァラルとアイシスの間に沈黙が下りる。

 その独特の空気は決して険悪なものではなく、かと言って軽々しく陽気に返事の出来るものでもなかった。

 夕陽がゆっくりと地平線の彼方へ沈み込む。日没を迎える空は徐々に暗がりを増していき、彼女は一抹の寂しさを覚えながらも、照れくさそうに言葉を口にした。

 「実を言うと、主様と一緒にこの景色を眺めることが私の夢だったんです」

 「……随分と小さい夢なんだな」

 「ええ、そうです。私はそれだけで満足してしまうんです」

 千年前と全く変わらないヴァラル。いつも一人で抱え込み、決して弱みを見せようとしない彼に、自分はどんなことが出来るのか。

 「さ、そろそろ帰りましょうか。あんまり遅いと二人に怒られます」

 彼の支えになるにはまだまだ遠いと、ほんのりと残念そうにつぶやいた彼女はヴァラルを横切り、歩き出す。

 「アイシス。そういえば、まだ言ってなかったな」

 「主様?」

 アイシスは後ろにいる彼に振り向こうとして、


 「ありがとな。ずっと待っていてくれて」

 これまで自身を見守ってきた彼女に感謝するように、ヴァラルの顔が穏やかなものになった。

 笑顔と呼ぶには到底ほど遠い、小さな微笑。だがそれは、不器用な彼にとって精一杯の親愛表現。

 「……おかえりなさいっ! 主様っ!」

 その微笑みは、先ほどの出来事を一瞬にして忘れさせてしまうほどの貴重なもの。

 黄昏の夕陽に映り込む彼を見て、アイシスのとびきりの笑顔が輝いた。


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