彼女の苦悩
その頃セレシアたち一行は街道を歩きつつ、目的地であるクヴィクトの森を目指していた。彼女達の歩く速度は中々速い、このペースで歩き続ければ三日後には到着するだろう。
けれどセレシア、グレイン、ソイル、エーニスは誰も喋ることはなかった。それも当然だ。彼らは冒険者ギルドの最高峰であるAクラスの昇格試験を受けている真っ最中、緊張しないわけがない。そのため四人の空気はどことなく重たいものだった。
すると、エーニスが場を和ませようとグレインに明るい声で話しかけた。
「グレインさん、モーロンさんの言ってたことをどう思いましたか?私としては少し拍子抜けしたというか……その、今までの試験のことを考えたら楽そうだなと」
「まあ、Aクラスの内容にしては簡単だろうな。俺はてっきりオーガを討伐することになると思っていたからな」
「そうですよね。私達なら大丈夫です!このままさっさと終わらせて、街に帰りましょう!」
「ああ、そうだな」
オーク討伐ならセレシアたちのパーティは何回も経験済みだ。そのためか、二人の雰囲気は明るくなっていき、あれやこれやと色々な会話をしていた。
「……二人とも、そんなことを言って大丈夫なのですか?ギルドマスターも話していたではないですか、オーガも確認されていると。私はとてもこの依頼は一筋縄ではいかないと思いますよ」
だが、ソイルはエーニスとグレインに水をさす。
二人は甘い、これはAクラスと同等の依頼内容なのだ。必ず何かあるに決まっている。そんなことでこの先立ち向かうことが出来るのか、彼は不安だった。
「ソイルさん。今回、オーガは関係ありません。私達はオークを相手にすればいいんですよ」
エーニスが内容を確かめるように彼に指摘する。
今回の討伐は発見されている八割程、つまりは約五十体倒すことで依頼達成となる。彼女の言い分も考えると何とかなりそうな気もするが……
「ですが、実際に戦闘になったときはどうします?見つかったらそのまま尻尾を巻いて逃げるのですか?試験だけを考えるのならそれでも良いかもしれませんが、村や街はどうなります?調査といってもそのままオーガを放っておくのですか?私は反対です」
昇格試験とはいえ結局のところ形を変えた通常の討伐依頼と同じなのだ。それをみすみす放置することなど彼には出来なかったのだった。
「だからといって五十体のオークを倒した後にあいつの相手にするのはさすがにきついぞ。分かって言ってるのか。まず何よりも俺達が生き残らなきゃ話にならないだろう」
明るいムードになりかけたと思ったらいつの間にか険悪なものとなり、バチバチと三人の間で火花が散っていた。彼らの間で意見の食い違いがあったのはこれが初めてではなかったが、それでもこれはかなりまずい状況だった。
「……三人ともそこまでだ。ソイル、あくまでもオーガについては調査だということを忘れるな。実際の村の被害はオークによるものだと聞いている。ひとまずそのことは置いておけ。それとエーニスとグレイン、場を和ませようとしたのはわかる。だが、その考えは危険だ。最後だからこそ、油断は禁物だ」
彼女たちは行方不明の冒険者パーティの捜索というのも引き受けたことがある。その中で依頼達成の半ばに死んでいった者たちを彼女達は何度も見てきたのである。彼らの争いを見かねたセレシアは諭すようにして自身の思いを伝えたのだった。
「そ、そうですね。すみません……反省します……」
「……悪い。少し浮かれていた。最後だからって油断していちゃ元も子もないな」
「……エーニス、グレイン、私からも謝らせてください。どうやら少し緊張していたようです。あなた達の気持ちを知りながらも、少しむきになっていました……」
「それでいい。こんなところで争いになってもしょうがないからな……もうすぐ日が暮れるみたいだ、初日からそんなに急ぐこともないだろう。三人とも、準備の手伝いを頼む」
グレインたちが仲直りしたのを確認し、日が地平線に沈むのを遠目で眺めていた彼女はこのあたりで休むことを提案した。もう少し先に進むことも出来たが、今日のところはお預けだ。
「分かりました」
「了解です」
「オッケー。とっとと終わらせるぜっ!」
セレシアの言葉にそれぞれ野営の準備に取り掛かる三人。何度も繰り返してきたため、その動きに淀みはない。
(どうやらいつもの調子に戻ったようだな……)
彼女はとりあえず一安心した。
◆◆◆
「そういえば、ヴァラルがこの場にいないのは珍しいことだよな」
グレインがふと思い出したようにぽつりと呟いた。
時間は少し経過し、四人は焚き火を囲いながら彼のことについて振り返る。日はすっかり沈み周りは夜の闇に支配されていたが、炎の暖かさが彼女達の疲れを癒し、セレシアを含めた四人はこうした時間が何よりも好きだった。
夜であるがゆえ魔物には警戒をしなければならなかったが、それでも親睦を深めるいいタイミングであることには間違いないからだ。
十分すぎるほど既に深まっているのも事実だったが。
「確かに、ここ最近は彼の依頼に付き合っていましたからね。こうして四人だけと言うのも久しぶりな気がしますよ」
「そうですね……今思うとなんだかとても不思議な人でした」
「ヴァルは冒険者の才能の塊みたいな奴だからな。全く、今までどこで何をしていたのだか……」
そうなのだ。ヴァラルという男はセレシアたちの協力があったとはいえ、どの依頼もそつなくこなしていったのである。大抵何かしらの失敗をこの時期にするものなのだが、彼女達が見る限りそういうことは一切なかった。むしろ依頼人の大半から感心される場合がほとんどであった。
セレシアたちも今では有名な冒険者パーティの一員として名を上げてはいるが、当然最初の頃は様々な失敗を経験した。今では笑い話ですむものがほとんどだが、その当時は色々と落ち込んでいたものだ。
「彼がもしこの場にいたらどうなっていたんでしょうね」
「案外、この試験もあっさりパスできたかもしれないぜ?」
ソイルが冗談混じりに笑うと、グレインもそれに続く。
「仮定の話をするのはよせ、あいつはここにはいないんだ」
「でも、彼といると安心するんですよね。何か大きなものに守られているような……そんな感じがします」
「そうだ、それ。何でだかわからないが、あいつとは不思議と息が合うんだよな。なあ、セレシアの姉さん。本当にヴァラルは素人なのか?正直かなりおかしいと思うんだが?」
「そういわれても……私と彼が会ったときはクレース亭なのは知っているな?そのとき、あいつから冒険者登録をしたのだと聞いた。実際、ギルドカードも発行されたばかりのものだった」
「う~む……怪しいなあ……」
グレインはセクリアの街にいるはずのヴァラルに疑いのまなざしを向ける。
正直言ってセレシアに紹介されたときからおかしいとは思っていたのだ。Bクラスを目にしたEクラスの連中はグレインの顔のことを差し引いたとしても恐れおののくのが普通だ。
なのに彼は何食わぬ顔で席に着き、自らの素性をはぐらかし、余計な口を一切挟まず聞き役に徹していたのだ。通常だったら格下の冒険者は自らの顔を売るために何かしらの行動をとるものだが、ヴァラルは全くそんな気配を見せなかったのだから尚更おかしい。
「嘘をついてもしょうがないだろう。それともグレイン、ヴァルが実力を隠しているとそう言いたいのか?なら何故Dクラスを受けなかった?エーニスだったら分かるだろう?」
「私の場合は魔法士ということで、逆にギルドの方からすぐにでも昇格試験を受けるよう言われましたから……けれど普通だったら受けるのでは?」
冒険者になった以上、彼らの大半がCクラスを目標にしている。そこから先は分からないが、とりあえず一種のスタート地点であることには間違いないだろう。それを目指さなかったとしたら一体彼は何が目的なのだろうか?
……これ以上悩んでも仕方がない。エーニスは考えるのをやめ、再び三人の会話の中に入っていった。
「セレシアさん、彼はこの後どこまで伸びると思いますか?」
ヴァラルについてソイルも何か思うところがあるのか、彼女に聞いてみることにする。彼もまたヴァラルの不可解さに疑問を持っているようだ。
「Dクラスはすぐにでも受かると思う。気の会う仲間を見つければCクラスもあっという間だろう」
「本当のところは?」
当たり障りのない模範的な回答を聞いてソイルはセレシアをじっと見つめた。そんなことを聞いているのではない、もっと本質的な意味でのことだと訴えるかのように。
「正直わからない……ヴァルはグレインも言ったように本当につかみどころがない……覚えているか?コボルドの討伐のときのことを」
「ええ、覚えています。あのときはさすがに彼は戸惑っていたようですけどね。何とか倒すことが出来ましたが」
「そうか……ソイルはそう思ったのか……」
「セレシアさんはどう思ったのです?彼にとって最初の討伐のはずですが……私としては特に違和感は感じなかったのですが」
「彼は別の意味でコボルドに苦戦しているように見えた。本来の実力を出せないかのような……ああ、さっきと言っていることがまるで逆だな。すまない、忘れてくれ」
セレシアは人を見る目が確かである。彼女がヴァラルのことを紹介した時点で信頼に値する人物であることソイルは知っている。だが、当の本人でさえ理解できないという彼女の姿は非常に珍しいものだった。
何ともいえない沈黙が彼女達を包み込む。彼のことを考えれば考えるほど四人は深みにはまっていくようだった。
「……セレシアの姉さん」
「何だ?グレイン」
「一度ヴァラルと腹を割って話してみたらどうです?あのことを含めて」
「そうですよ!彼はきっと大丈夫です!」
「だが……」
「……二人とも、これはリーダーである彼女自身の問題です。迂闊に触れて良いものではありません」
「でもよ……これが終わったら俺達ばらばらになっちまうだろう?その前に話くらいはしてもいいんじゃないか?」
「それでもです。私達は以前、そのことでセレシアさんに一歩引いてしまったのも事実なのです。私達はその時点で既に何かを言う資格などないのですよ」
「ソイルさん……」
「……ソイル、グレイン、エーニス。お前達の気持ちは良くわかった。ありがとう、少し考えてみることにする」
「……分かりました。出すぎた真似をしてすみませんでした」
「いや、いい。気にすることではないからな。今日は私が寝ずの番をするからお前達は早く休め」
三人はちらりと彼女を眺め、了解したと頷き、そのまま眠りについたのだった。
◆◆◆
ぱちぱちと火花が散り、薪をくべながら彼女は焚き火を眺めていた。先程の喧騒はなくなり、夜の闇はますます色濃くなっていった。
あれから彼女は必死に考えた。何度も何度も繰り返して。けれどAクラスの昇格試験の影響か、結局彼女は後一歩が踏み出せないでいたのだった。
「……すまない二人とも。やはりヴァルには言えない……これ以上誰かが離れていくのはもう嫌なんだ……」
膝を抱え、何かに怯えるようにして夜明けを待つセレシア。
その姿は凛々しい騎士のものではなく、一人のか弱い女の姿であったことは言うまでもなかった。