初仕事
次の日の朝、彼はセレシアと共に朝食を共にした後、一人ギルドの館に向かっていた。
彼女はヴァラルにメンバーをしきりに紹介したがっていたが、とりあえず今日のところはお引取り願った。
何せ今日は冒険者として初めて活動すると決めていたヴァラル。アルカディアで彼がそんなことをしようものならアイリスたちが大騒ぎしてしまうため、彼は年甲斐もなく心が高鳴っていたのである。
そして館に到着すると、昨日の受付嬢が同じ場所でカリカリと仕事をしていた。それに熱中しているようで、こちらにはまだ気づいていないようだ。
こんなに朝早くから勤勉なことだ、そう思いつつ今回の用件を彼女に伝えるため声をかけたのだった。
「昨日冒険者登録をしたヴァラルだが、早速依頼をこなしたい。何か良いものはないか?出来ればやりがいがあるもので」
「あ、すみません……こんなに朝早くからようこそいらっしゃいましたヴァラルさん。早起きなんですね」
「まあな。人は少ないみたいだし、時間があるのなら選ぶのを少し手伝ってもらえないか?」
「分かりました。それでは今ある依頼を持ってきますので少々お待ちください。それと、無理に掲示板の方を利用しなくても大丈夫ですよ?私に直接声をかけてくだされば色々とアドバイスを差し上げられると思うので、是非活用してください」
「わかった。これからはそうする」
そうして彼女は一旦仕事を中断し、奥から紙の束をドサリとおいて、ヴァラルと一緒に相談を始めたのだった。
◆◆◆
「これも駄目だな……他にはないのか?もっとこう、古代遺跡の調査とか、ニーベンスの探索とか」
「そんなのあるわけないじゃないですか、ヴァラルさん。昨日初めて登録したばかりなんですよ?」
あれからヴァラルはどの依頼を受けるかでひたすら悩みに悩んでいた。紹介されたものはどれもこれもピンとくるものがなく、彼女の紹介された依頼書を手に取って吟味していくうちに彼の顔色は徐々に怪しくなり、三十分を経過した頃にはすっかり曇っていたのだった。
因みに、彼が言った内容の依頼は基本的にBクラス以上のパーティが受けるもの。Eクラスのヴァラルに受けられるはずもなかったのだが、諦めきれず駄目もとで聞いてみたのだが、結局無駄だったようだ。
ヴァラルは冒険者登録をする際、いくつかの誤算が生じていた。その内のひとつがニーベンスを含む未確認の地に足を踏むことが出来なくなってしまったことだ。
冒険者は軽はずみな行動をしてはいけない、彼はクラスという枷に囚われたのだった。
しかしそれもまた当然なのかもしれない。ニーベンスや、まだ十分に調査されていない秘境や遺跡にルーキーであるEクラスの冒険者を放り出したらどうなるか。
いわずもがな、彼らはあっというまに死んでしまうだろう。
そんなことを防止するため、ギルド側はあらかじめクラスという枠組みを設けたのだった。
「しかし、さすがにこれは……」
Eクラスは冒険者の中でも最低クラスだ。
その依頼は魔物の討伐や秘境の探索ではなく、店の雑用や街の中での荷物の運搬等、冒険というよりかは多少きつい労働だったため、冒険者というよりまた別の何かに思えたのだった。
「えっと、ヴァラル様のご要望は挑戦し甲斐のあるものということでしたね?それではこの魔物の討伐依頼は如何でしょう?」
「どれどれ……」
彼女が一枚の依頼用紙を差し出し、ヴァラルに確認を取った。そしてそこに書かれていた内容は
"コボルドの討伐"
「……却下だ」
「え~!!何でですか?」
「飽き……いや、気分が乗らないからだ」
「ヴァラルさん、この依頼はEクラスの方々だったら結構苦労するものなんですよ?Dクラスの方でも油断して失敗することだってあるんです。やりがいのある依頼が欲しいというから見せたのに……」
ぶーぶーと彼女は文句をつける。
(口調が段々と馴れ馴れしくなってきた様な気がする……)
しかし、このままでは言い合っているだけでは埒が明かない。そう思ったヴァラルは
「その紙を見せてくれ」
「あ、ちょっと!」
受付嬢から依頼用紙をひったくり、自分で調べることにしたのだった。
「ふむ……」
確かに魔物の討伐は良い物がない。と言うより、討伐依頼の数自体がかなり少なかった。
さすがに新米の冒険者が多いこのクラスに頼めるほど簡単なものではないらしい。
(そうなると期待出来るのは採取依頼か?)
ぺらぺらと紙をめくっているとヴァラルはとある依頼に目がいった。
"ハナメキ草の採取"
「これなんかはどうだ?」
「その依頼ですか……」
ヴァラルが紙を差し出すと、受付嬢は怪訝な顔をする。どうやら訳がありそうだった。
「難しいのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんです」
彼女曰く、これはレニア渓谷に生えている野草をとって来て欲しいという依頼のようだ。
その内容自体は比較的簡単なようだが、
「時間がかかるんですよね……」
レニア渓谷へはここから往復すると四日かかるというらしい。しかもその報酬が銀貨一枚だという。
Eクラスの冒険者の日給は大体銅貨六十枚ほどといわれているため、仮に計算すると銀貨二枚と銅貨四十枚だ。
けれどこれは四日で銀貨一枚だ。そこからさらに諸経費を差し引くことでかなり割を食ってしまうことになる。
実は、最初の金貨一枚を支払うだけで精いっぱいの新米冒険者はたくさんいる。
もともと貧しい出の者が多いためか、金を稼ぎたい。彼らが最初に思うことは大抵これである。
彼女もまたそんな者達をたくさん相手にしてきたため、だからこそヴァラルにはあえて見せなかったのだ。
けれど彼はそんな配慮をよそに、
「よし、これにしよう」
あっさりと決めた。
「え、ええええええ!!」
彼女の声が、ガランとしたロビーに響き渡ったのだった。
◆◆◆
「わざわざ引き受けてくださり、本当にありがとうございます……あ、私ナタリアと申します」
「ヴァラルだ。今回は宜しく頼む」
この儚げな女性が今回の依頼者らしい。
ヴァラルはギルドの館を出た後、こうして依頼者の住む家に出向き、彼女の口から今回依頼した事情を直接聞いていたのだった。
「……なるほど、病気の治療のためということか」
「はい……」
ナタリアにはマリンという一人娘がおり、その子が病をこじらせて現在は起き上がるのもやっとな状態だという。
冒険者をしていた父親は魔物に襲われて命を落とし、現在はナタリアがマリンの面倒を見てきたのだそうだ。
先程ヴァラルは眠っている彼女の容態を確認したのだが、悪夢でも見ているのか時折うめき声が聞こえ、確かに心配するのも無理はないなと思ったのだった。
「薬草売りのお店をいくつも訪ねたのですが、結局買えずじまいで……」
「それで銀貨一枚だったということか」
ハナメキ草は市場の安い所でさらに値切っても銀貨五枚はかかってしまうという貴重な薬草で、貧しいナタリアにはとてもではないが手が出せる代物ではなかった。
そのため、駄目もとでギルドに依頼したところ、奇跡的にもヴァラルが来てくれたということだ。
「よし、事情はよく分かった。それでいつまでに持ってくればいいんだ?」
「出来るだけ早くお願いします。マリンの体調がだんだん悪くなっているんです……あ、す、すみません!折角来て下さったのにこんな注文をつけるような真似をして……」
「別に良い。今回はあんたが依頼者だ、気にすることはない」
そういって、ヴァラルは彼女の家を颯爽と飛び出していった。
「……出来るだけ早くということだからな」
セクリアの街の郊外でパラリと地図をめくり、レニア渓谷の位置と彼女から貰ったハナメキ草の絵を頭の中に刻み込み、
「とっとと終わらせるかッ!!」
辺りに人の気配がないことを確認し、彼は一気に草原を駆け出していったのだった。
◆◆◆
「ヴァル。冒険者としてのはどうだったんだ?」
「まあまあだったな。ほら、ちゃんと報酬も貰ったぞ?」
夜、クレース亭でヴァラルはちゃりんと銀貨を弾きながらセレシアに答える。
あの後ヴァラルは昼過ぎに出発し、夕刻には戻ってきた。かかった時間は往復四時間。
四日かかるのを僅か四時間で踏破したのだ、彼は。
実のところ、ヴァラルとしてはハナメキ草採取の依頼はそう悪いものだとは思っていなかった。
確かに四日かければかなり割に合わない仕事になるだろう。
だが、もし一日で達成することが出来たのなら?
一日(実質四時間)で銀貨一枚だ。すると途端にEクラスの中でかなり割の良い報酬に早変わりとなる。
そしてヴァラルが行うことでかかった時間は実質三時間だったため、破格の依頼に変貌することになるのだ。
また、彼が戻ってきた際、夕食の準備をしていた彼女は大いに慌てることとなった。
もしかして何か大切なもの忘れてきたのではないかと。けれど、ヴァラルが袋から取り出したハナメキ草を見て彼女はさらに驚きをみせた。
「こ、これをどこで?」
「ああ、行く途中で知り合いに会ってな。譲ってもらった」
さすがに四日かかるところを一日で済んだと言えなかったため、彼は適当にでっち上げる。
「譲ってもらったって……そんな」
「気にするな。何というか……そいつには貸しみたいなものがあってな。それでチャラということにしてもらった」
「それでしたらその方にも是非お礼を……」
「俺の方から伝えておく。それよりも、娘さんを待たせちゃまずいんじゃないのか?具合が悪いんだろう?」
ヴァラルは話を打ち切り、ハナメキ草を強引に手渡す。
「それと、依頼は四日後に報告しておいてくれ。変な風に思われたくないもんでね」
別にそのまま報告しても良かったが、後で余計に調べられるのもまずいので一応つじつまを合わせることにするヴァラル。
冒険者ギルドは彼の嘘のように自身の人脈を使っての入手も許容される。彼らはあくまでも仲介役なのだ、依頼者と冒険者の合意があったのならば基本的に不干渉の立場をとっている。
殺人や脅迫といった犯罪行為を見つけた場合には問答無用で介入してくるが。
「……分かりました。ヴァラルさん、今日は本当にありがとうございました」
そして母親は深々と頭を下げ、今日の依頼を無事に達成したのだった。
「しかし、初の仕事で銀貨一枚か。一体どんな依頼だったんだ?」
「何、そこらへんに生えている薬草を集めて欲しいと言う何の変哲もない依頼だ。Bクラスのシアだったら簡単すぎるものだぞ?」
ついさっきの出来事に思いを馳せていたヴァラルはセレシアの言葉で回想するのをやめ、多少の皮肉を交えて彼女の質問に答えた。
「む、あまりクラスのことを出すのは止めないか?私は対等に接したいんだ」
「ああ、悪かった。つい、な」
「全く……ヴァルときたら……」
こうして彼の冒険者としての初の仕事は終わった。
ヴァラルは多少不便ながらもこうして細々と冒険者稼業を行いつつ、各地を巡る予定だった。
だが、過ぎたる力はどんなに隠してもいずれ露見してしまう。
そのことを彼が知るのはもう間もなくのことであった……