二人の関係
二人が酒場を出たのは結局あれから四時間も経った後のことだ。
夜の闇はさらに深くなっており、通りにはヴァラルとセレシア以外誰もいない。しかし時折笑い声が聞こえていることからすると徹夜で飲み明かす者が結構いるのだろうとヴァラルは思った。
「そういえば、ヴァラルはどこへ泊まるんだ?ここへ来たのは初めてなんだろう?」
最初会ったときとは違い、少し砕けた口調になっていたセレシア。先頭を歩き、くるりと振り向いた彼女の姿はとても絵になっていた。
「ああ、ケラクという主人がやっているエンラルの宿というところに泊まる予定だ。人気のところだと聞いてな」
「そうなのか!私もそこへ泊まっているんだ。あそこの店主とは顔馴染みでな、ここへ訪れた際はよく世話になっているんだ」
「ということは、お仲間達もそこに?」
「いや、彼らは別の宿に泊まっている。皆良い連中だ。日を改めて紹介させてくれ」
「そのうち頼むことにする……ああ、そうだ。今更の疑問なんだが、どうしてここまで俺に良くしてくれるんだ?まだ会って一日も経っていないじゃないか?」
「それは……ヴァラルは冒険者として登録をしたのが今日なのだろう?それに私は辞める身だ。いわば冒険者として最後のおせっかいというものだ。それに……ヴァラルからは何か不思議な感じがするんだ」
「不思議な……ね」
「い、いや。別に悪い意味ではない。ただ懐かしいというか安らぐというか…ああ、もう何を言っているんだ!私は!」
自分で言っていることが良くわからなくなってしまったセレシアは頭が混乱したようで、ヴァラルは苦笑しながらその姿を眺めていたのだった。
――だが、
「お!さっきの兄ちゃんじゃないか!冒険者登録は済ませたのか?」
二人が宿へ到着する前にハプニングが起こった。
「ああ、まあな。で?俺に何のようだ?もしかして依頼でもあるのか?だったらギルドの方を通してくれ」
"彼らは?知り合いなのか?"
"まったく知らん"
小声でヴァラルとセレシアはやりとりを行う。
しかし彼らの口調からすると自身のあとをつけて来たようだと推測をする。また、こんな夜遅くまでご苦労なことだと呆れつつも冗談交じりに答える彼だった。
因みに、依頼者は掲示板で募集するほかに冒険者を直接指名する場合もある。だが、これは有名な冒険者ではないと使われないといわれる制度だ。何せ前金と報酬は相当高額になり、冒険者自身が断ることも出来るからだ。
それでも大抵の冒険者は指名されれば喜び勇んで依頼を受けることが多い。金も勿論そうだが、自分達が認められているという証でもあるのだから。
「へへ、いやそういうわけじゃない。ちょっとあんたの持っているカードが欲しいだけなんだ。何、おとなしくしてれば危害は加えない。とっとと渡しな」
そういって男達は音を立てて刃物を抜く。辺りは薄暗いため、男達の顔は見えづらい。成る程、こういうことに手馴れている連中のようだとヴァラルは考えた。
「そこの嬢ちゃんも俺達に着いてきてもらう。かなりの上玉そうだからな……へへッこの後が楽しみだ」
早速トラブルに巻き込まれてしまうヴァラル。どうやら人攫いを兼ねたごろつきのようで、ギルドから注意されたことがあっという間に降りかかってしまった。
(全く、人がいい気分だったというのに最後の最後でぶち壊しだ……)
そう思い、軽く相手してやるかと思っていると、
「ヴァラル、ここは私に任せてくれ」
セレシアは一歩前へ踏み出していたのだった。
「ほう、威勢がいいねえ嬢ちゃん。だが、俺達は五人。そっちは二人。手を借りないとまずいんじゃないのかい?」
「彼にそこまでの無理はさせられない。それに私一人でも十分だ」
「なかなか言ってくれるねえ……それじゃあお相手願おうかッッ!!」
男達はすかさず駆け出していき、最初の二人が様子見とばかりにナイフを見せ付けセレシアの前に立ちふさがった。
「……」
相対する彼女は腰に下げていたレイピアをすっと彼らの前に突き出す。
それの刃先が彼らを威嚇するかのようにピッと伸ばされることで、男達はウッと思わず声を漏らした。
「……チッ」
じりじりとした緊張感があたりを包み込むと、その空気に耐えかねたのか前にいた男の一人がナイフを振りかざす。
刃先が暗闇の中でキラリと光り、セレシアに向けて凶刃が襲い掛かる。しかしそれを冷静に見極めた彼女は相手のナイフが届くより先に、
「フッ!!」
男の手にレイピアが突き刺さっていた。
「い、イデェェェ!!!!」
「!!やってくれたなッ!!」
男の一人はポロリとナイフを地面に落とし、庇うかのようにもう一方の手で負傷した手を押さえ、それを見るや否や、男達は一斉に彼女に襲い掛かった。多少バラつきはあるが、このままではあっという間に囲まれてしまう。だが、
セレシアは何と男達の方へ自ら疾走していった。
「なッ!!」
彼女の予想外の行動に一瞬彼らの動きが硬直する。しかしその隙を見逃すまいとして、セレシアは一気に近づき、
「ハァァァ!!!!!」
高速のレイピアが男達に繰り出されたのだった。
「中々やるな」
彼女の戦いを間近で見届けていたヴァラルは感心したように呟く。
男達とセレシアが接触したと思ったとき、誰もセレシアの技の前に気づくことすらできなかったのか、彼らはどさりどさりと崩れ落ちていった。またうめき声をもらしていたことから命に別状はないのだろう、それほどまでに実力が違いすぎたのだ。
五人の男を一瞬で制し、誰の命を奪うことのない卓越した技量。
彼女はまさに一流の冒険者、いや騎士のようだと彼は思った。
今のヴァラルも拳でなら彼らを無力化することは出来る。けれどセレシアと同じように四人を同時に武器を使って戦った場合はまた別だ。武器での制圧に慣れていないヴァラルはそのまま彼らを殺めてしまうため、一人ずつ無力化することになるからだ。
けれど、彼女は難なくそれを成し遂げた。セレシアのことだ、殺そうと思えば簡単に出来たのかもしれない。けれどあえてそれをしなかった。
男とセレシアの間には隔絶した実力差がそこには存在していたのだった。
「……ヴァラル、すまないが警備の者たちをここへ呼んできてくれないか?」
レイピアをさっとしまい、彼女は男達が持っていた縄で彼らを拘束する。自分で自分の用意した縄に縛られるのはいたく滑稽だったが、
「ああ、分かった」
ヴァラルは彼女の言うことに従い、この場を立ち去っていった。
「これは……」
目の前のぐるぐる巻きに捕縛された連中を見て驚きをあらわにしていた警備の者達。
無理もない。女の冒険者が一人で五人もの男を捕縛したのだ、それは誰だってびっくりしてしまう。
しかも騒ぎを聞きつけたのか、現場にはたくさんの野次馬がそこにはいたのだった。
その一方、セレシアは盗賊たちが目に見える範囲で物陰に隠れていた。壁を背にして腕を組みながらヴァラルを待っていたようで警備隊の中にいるのを見つけると、急いで駆け寄ってきた。
「どうだった?あいつらの様子は」
「私の姿を見るなり怯えていたよ。どうやら私の顔に見覚えがあったようだ」
「ん?確かにセレシアは凄い腕を持っていると思ったが……結構有名人だったのか?」
「私が吹聴しているわけではないんだが、その、知らない間に……な。さ、後は彼らに任せよう」
「おいおい、事情も説明せずに帰るのか?さすがにそれはまずいんじゃないのか?」
すると、野次馬達は騒ぎのことよりも急に現れたセレシアのことを眺めていたようで、彼女はその雰囲気に呑まれたのかどこか気まずげに辺りを見回していた。
(何だ…?この雰囲気は?)
「あの~もしかしてセレシア・ミファエットさんですか?Bクラスの」
すると、警備隊の人がヴァラルの疑問に答えるかのように彼女に尋ねたのだった。
冒険者はCクラスで一人前と呼ばれる。けれど、その上にも当然クラスは存在する。
ではなぜCクラス以上の人間がここまで騒がれるのか。それはBクラス以上の特殊性にある。
Bクラスからは人並み以上の努力は当然のこと、類稀な才能と運、その両方を味方につけた者達が集結しているからだ。
そのため、彼女は冒険者の中でもトップエリートとして名を馳せていることがわかる。
また、Bクラスのパーティには必ずといっても良いほど魔法士の存在がある。大抵彼らがリーダーを勤めているのだが、セレシアの場合は違っていた。
彼女はその実力でリーダーになり、というか、魔法士の方から自らパーティに志願してきたという経緯がある。
そのため、Bクラスの魔法士からもやたらと注目され、それ以外の冒険者達は彼女を憧れと畏怖のまなざしで見ていたのだった。
◆◆◆
「なるほどね……だからあのときさっさと移動したかったわけか」
あの騒ぎの後、エンラルのロビーで話し込むヴァラルとセレシア。(というよりも、彼女が一方的に彼を連れ込んだ)
ヴァラルはやれやれといった具合の表情で、セレシアは嘘がばれてしまったかのような気まずげな表情を浮かべていたのだった。
「決して騙そうとかそういうことは思っていないんだ。ただ、こんな風に喋るのは本当に久しぶりだったんだ……」
どうやら彼女は何も知らないヴァラルと普通に話すことがとても楽しかったようだ。
ただ、それならば彼らを倒した時点でそのままにしておけばよかったのではと一瞬思ったが、そこは彼女としても見過ごせなかったのだろう。
……まあ、いずれにせよすぐに分かってしまうことなのに、ここまで意固地になってしまうということは彼女も色々と苦労してきたのだとヴァラルは考えたのだった。
「別に気にしてないぞ。あのときの時間が楽しかったのは事実だからな」
「そうか……そう言ってもらえるだけで有難い……」
そして二人は沈黙する。ヴァラルのほうではなく、セレシアの方からまだ話が残っているようだ。
「まだ何かあるのか?俺はそろそろ戻りたいんだが」
「……それでだな、ヴァラル。厚かましいと重々承知の上で聞いてくれないか?」
「何だ?改まって」
「その、ヴァラルさえ良ければさっきと同じように接してもらえないだろうか?」
(……)
本当に彼女は豪胆だ。つまり、人目のある中でEクラスの冒険者がBクラスの冒険者に対して対等に接して欲しいという。
当然、そんなことになればヴァラルは他の連中から白い目で見られることは間違いないし、下手すれば彼女の仲間達からも嫌な顔をされるに違いない。
「そんなことか……別にかまわないぞ」
だが彼はあっさりと承諾したのだった。
「い、良いのか!?」
断られるとばかりに思っていた彼女は身を乗り出して思わず尋ね返す。
「だから良いといっているだろう。誰かに敬語を使うのはあまり好きじゃない。それに俺にとっても実はありがたい提案だったりする」
彼は滅多なことでは敬語は使わない。ほんの一部だけ例外はあるが、彼の態度はたとえ王侯貴族が相手でも一切変わらないのだった。
「す、すまない。少し動揺してしまった。しかし、ヴァラルの前だと私はどうも調子が狂う…本当にEクラスなのか?」
「言っただろう?さっき登録したばっかりだと。逆にセレシアが変なだけだ。無礼千万で引っ叩くならまだしも、そのままで接してくれだなんて大抵のやつはそんなこと頼まない」
「ふふふ、そうか。だがヴァラルも十分おかしいと思うぞ?私のことを知ってもまるで驚くそぶりが見えないし、さっきと全然態度が変わっていないじゃないか」
「驚くのはもう慣れたしな……それにこれが俺の性格だ、まあ気にするな。それとセレシア、俺のことはヴァルで良い。親しい奴は俺のことをそう言うからな」
そう呼ぶ者はアルカディア内でもごく僅かだった。堅苦しいのが苦手な彼は何度も言い方を直すようアイリスやセランたちに言って聞かせたのだが、まるで効果がなかった。それでもヴァラルはめげずに広めようとしていたのであった。(結局無駄だったが)
「分かった、ヴァル。良かったら私のこともシアと呼んでくれ、私をこのように呼ぶのは本当に少ないんだ。遠慮なくそう言ってくれ」
「改めて宜しくだな、シア」
「こちらこそ、ヴァル」
そう改めて自己紹介をし、二人はロビーを離れた。
「ん?シアもこっちなのか」
「ヴァルこそ」
もうすっかり遅い時間だ、早く寝なければ明日に差し支える。そう思ってヴァラルは自分の部屋へ移動していたのだが、どうも同じ方向のようだった。
そして二人はそのまますたすたと廊下を歩き、自分の部屋にたどり着く。
しかし、
「なっ!隣だったのか!」
「そっちこそっ!」
お隣同士であった。
――二人の奇妙な関係はまだまだ続きそうだった。