遭遇
アールヴリール大陸には現在、四つの国が存在している。
冒険者ギルド発祥の地ともされるトレマルク王国。
魔法研究において最先端を誇る魔法皇国ライレン。
広大な領土を持ち、軍事力では他国を圧倒するバルヘリオン帝国。
数多くの信徒を抱え、各国に多大な影響力を持つ宗教国家アルン。
その他に、魔物や亜人の生息が確認されている暗黒の地ニーベンスがある。
そして現在、トレマルク王国にあるフェンバルの森にヴァラルはいた。
「アルカディアの周りはこういう場所だったのか」
彼は周囲を確認しつつ感慨にふける。
朝露が草に滴り落ち、木の香りが森の全域を濃密に包んでいる。アルカディアとは全く違うところであると彼はしみじみと実感していたのだった。
フェンバルの森は冒険者の間で迷いの森として恐れられている。それは、奥へと進んでいった者たちがまるで神隠しにあったかのように二度と戻ることが無いからだ。
尚、その実態はこのあたりに住む魔物がひときわ強く、大抵の者ではあっという間に殺されてしまうという至極単純な理由なのだが、死体を確認するものが誰もいないため、神隠しに遭うと誤解されているのである。
けれど、それはあくまでも奥地に進んだ場合のことであり、比較的浅い場所であるならば良質な薬草が採取できるので近隣の村々では大変重宝されている場所でもある。
(ここはメクビリス山脈を覆う森というわけか。成る程、こうも深いと誰も寄り付かないのもわかる気がするな。っとその前に……)
ヴァラルは袋から地図を取り出し、これから先どのように進むかを思案する。
この地図はセランの部下たち作成したもので、恐ろしく詳細に書かれていた。暗黒の地であるニーベンスまでは無理だったものの、ヴァラルの旅においてかなり重要なものだ。
「近くに村があるな……とりあえずそこまでいってみるか」
地図の正確性に驚嘆しつつ、ヴァラルは進むべき方角を確認し、フェンバルの森の近くにある小さな村を目指すことにしたのだった。
◆◆◆
「しっかし、こうも生い茂っているとどこにいるか分からなくなるな」
フェンバルの森に生えている茂みをひたすらかき分けつつやれやれといった表情で呟くヴァラル。
彼が愚痴をこぼすのも無理はない。ヴァラルがさっきいたところはメクビリス山脈と森との境界部分、いわば最深部になる。そこから森の外へ出ようとするのだ、今まで誰も最深部へ到達したものがいないため、このことを地元の人間が聞いたらびっくりするだろう。
(ま、こうして自然が元に戻っていることを確認できるし、それはそれで良いんだが)
そうしてヴァラルは森の外へ出るためにずんずんと歩き続ける。
――けれど、彼の旅はそう上手くいくものではなかった。以前もそうであったように、彼の冒険には何らかのアクシデントが発生するのが当たり前なのだ。
「うわぁぁぁ!!」
(……いきなりかよ)
しばらくの時間が経過し、ヴァラルが森の木陰で休憩をしていると、男の悲鳴が聞こえてきた。なにやら近くで穏やかではない事態が発生しているようだ。
(どこだ……ん?あっちか)
彼はすぐさま辺りの気配を確認すると、近くで大きなものと小さなもの、二つの気配がした。恐らく、その一方がさっき悲鳴を上げた男のものなのだろう。
「よし、確認するか」
彼はそうや否や声が聞こえてきた場所へ急ぐことにしたのだった。
ヴァラルがそこに到着すると、一人の男が大きな猪のような魔物に襲われていた。
男はここへ薬草を取りにきたのかいくつもの大きな袋をもっており、腰を抜かしている。今までこのような魔物と遭遇したことが無いのだろう、短剣を持っていたがそれを握り締める手はぶるぶると震えていた。
一方、猪の魔物の方は二本の大きな牙を持ち、男の持っているナイフでは傷一つつけることは出来ないくらい、頑丈そうな毛皮をその身に纏っている。さらにその魔物の目は完全に血走っており、フーフーと荒い息を立てて目の前の人間を完全に敵とみなしているようだ。
「おい、大丈夫か?」
「ひっ!あ、あんたは!?」
ヴァラルは魔物を一瞥しながら近寄って彼に話しかけると、急に現れたヴァラルにびっくりしたのか、似たような悲鳴を上げていた。
「俺はヴァラル、あんたの悲鳴が聞こえたからここへ来た。それよりも立てるか?」
そういって男をグイと引っ張り上げ、容態を確認する。
(特に目だった怪我は見当たらないな……多少すり傷があるが、走ることには問題ないだろう)
「お前はとりあえずここから逃げろ。魔物は俺が何とかする」
「あ、あんた冒険者の人なのか?」
冒険者とは何だ?聞きなれない単語にヴァラルは首をかしげたが、今は尋ね返す暇はない。
「……まあそういうものだ。とにかく早く行け、こいつをこれ以上刺激するな、できるだけそっと逃げろ」
「す、すまない」
男はその場からよろよろと立ち去っていく。何とか森の外へ逃げてくれれば良いが、ひとまずは目の前の魔物をどうにかしないといけない。ヴァラルは彼を見届けた後、そう判断したのだった。
◆◆◆
「……さて、目覚めてからこういったことは初めてだからな。体が鈍っていないか少し心配だ」
ヴァラルは腕を片方ずつ回し、目の前の魔物と対峙する。けれど腰に差している剣を引き抜くことはせず、棒立ちのままであった。どうやら素手で相手をするつもりのようだ、そしてかかってこいとばかりに猪の魔物に指で挑発した。
舐めるなと魔物はヴァラルへ突進していく。四本の強靭な足で彼に迫り、大きな二本の牙が彼に襲い掛かった。周辺の木々をなぎ倒すその威力は、巻き込まれればただではすまないだろう。
けれど、ヴァラルは落ち着いていた。目の前に何もかも破壊し尽くさんとする魔物の突進がその身に迫ろうとも。
そして、あらゆるものを巻き込み、魔物がヴァラルをなぎ倒そうとした瞬間、
その動きが唐突に止まった。
魔物は四肢を踏ん張り懸命に前に進もうとする。だがその努力もむなしく、その体はびくともしない。いきなりわけの分からない出来事に混乱していた魔物は、正面に映ったその光景に驚きのあまり目を見開いた。
そこでは、ヴァラルが魔物の鼻先を片手で受け止めていた。
その場から一歩も動かずに。
「!!!!!」
魔物は信じられないかのように激昂して牙を振り回す。
こんな馬鹿なことがあるかと。
しかしヴァラルはその瞬間、間合いからふっと離れた。霞を相手に戦っているかのように手ごたえが感じられなかった魔物は再び彼を獰猛な視線で射抜く。そして、さっきの怯えた男のことはすっかり忘れ、目の前のヴァラルに向けて生かしては帰さぬと言わんばかりに敵意をむき出しにするのだった。
「……おいおい、こんなものなのか?」
その一方、猪の魔物の敵意を軽く受け流し、ヴァラルは呆れの混じったため息を吐いていた。彼にとってもこれは計算外だったようだ。
――魔物のあまりの弱さに。
そんな彼の心の機微を感じ取るかのように、再び猪の魔物がヴァラルに向かって突進する。さっきよりもさらに速いスピードだ。
けれど彼は難なくそれをひらりと避ける。大抵の者では直ぐに轢き殺されてしまうような猛進をいともたやすく。
また、手ごたえの感じられなかった魔物はすかさず方向転換をして再び襲い掛かる。
(……)
ふとヴァラルの顔は本当にこれが全力なのかと確認するかのように、一瞬訝しげになった。
そして、先程と同じようにまた片手で受け止められてしまったのだった。
その後、そんなことがあれから何回も行われることでヴァラルと戦っている(つもりである)魔物も、目の前の男が明らかに異常な存在であることに気がついた。自分がまるで試されているかのような、そんなあまりにもばかばかしい一つの考えに至ることで。
けれど、それは正しかった。
そもそもヴァラルは目の前の魔物を殺そうと全く思っていないのだから。
(……もういいだろう)
そしてヴァラルは魔物の力量を把握し終えたかのように目の前で伸びをする。ウォーミングアップは終わったようだ。
「ある意味予想外の展開だったが……まあ、良いだろう」
突然、魔物の目の前にいたはずのヴァラルの姿は掻き消えた。そして彼は疾風の如く走り出し、魔物との距離を一気に縮め、
「じゃあな」
鼻っ柱に拳を叩きつけた。
そのとき、ヴァラルと魔物との間で強烈な光が迸り、
大爆発が起こった。
結果、魔物の命は一瞬にしてかき消されたのであった。
◆◆◆
「なっなんだ!?」
そのとき、丁度森の外にたどり着いた男の耳にすさまじい轟音が聞こえてきた。森全体が雄たけびを上げたかのようなその衝撃はヴァラルと魔物を中心に広がっていき、大地が震えたかのような振動で男は一瞬よろめいた。
「くっ!!」
あわてて男は森の方へ振り返る。すると、鳥達がギャアギャアとやかましく一斉に空へ羽ばたいていき、森が騒がしくなったかと思うと、直ぐにもとの静けさを取り戻すのだった。
「一体、何があったんだ……」
男は呆然とその光景を眺めていた。
「しまった……やりすぎた……」
その頃ヴァラルは顔を手で覆い、後悔していた。
目の前に広がるのは物言わぬ死体と化した猪の魔物だ。けれど、その死体には大穴が空いており、それは大型の大砲を至近距離でぶつけたかのような巨大なものだった。
ヴァラルは目の前の魔物を気絶させようと思い、こつんと殴りつけたつもりだった。けれど、その結果は見ての通りの大惨事となっていた。
「すまん、といっても聞いちゃいないか……」
彼はひとまず目の前の死体を片付けることにした。この惨状を誰かが見たらまずい、彼の直感はそう告げいそいそとその魔物を土の中へ埋めたのだった。
その作業は十分ほどで完了し、猪が暴れまわったあとに残った切り株の上で彼は休憩をとることにした。
「しかし、これは想定外だったな……外の魔物は皆こういうものなのか?」
ヴァラルは戸惑っていた。彼自身それなりに強いと思っており、昔はアイリス・ガルム・セランを相手にして互角に持ち込む程度の力があるからだ。(そこにイリスも加わるとちょっとどうかと疑問符がつくところだが)
またこの冒険には国の命運がかかっているため、万全の態勢で望んだつもりではあった。
なにせ戦争が確認されてから三百年が経っているのだ。外の者たちの実力が未知数である以上、アルカディアの住人に危険な目に遭わせるわけにはいかない。自分が出向くことで万が一の事態にも対応できると思ったからだ。
けれど、思わぬところでつまづいてしまった。
以前、ガルムが世界を支配できると言ったことがあったが、ヴァラルは冗談だと思い聞き流していた。戦争というものは結局のところ数で決着が着くので、いくらアルカディアでも外の国々を丸ごと相手に出来るとはこれっぽっちも考えていなかったのだ。
(……ま、いっか)
彼は気持ちを切り替え、倒した証拠である魔物の牙の欠片を持ってその場を後にしたのだった。