新幹線のように、滑るようにとはいかない。
今、私はローカルな私鉄にゆられている。
特に目的地はなく、本来なら乗る事すらない路線。
普通ならば今は講義を聞いている時間だ。
講義をさぼった理由はなかった。
それと同じくらい、今、ここにいる理由は、意味はない。
先日買った高性能のヘッドフォンを耳に当てて、微かに体を揺らす電車の振動に身をまかせて。
ただ、ぼんやりと私は意味もなく電車にのっている。
可聴域を遥かに越える音すらカバーするヘッドフォンは、その機能を余すことなくいかんなく発揮するために分厚い綿と革で耳を覆い隠し、外界の音を完全に遮断している。
かわりに耳に飛込んでくるのは、形容しがたき奇妙さも無い混ぜだがやはり素晴らしい、崇敬するジャズピアニスト、キース・ジャレットのフォレスト・フラワーのなかの楽曲。
『天才』と言う称号が『平凡』と同義であるジャズピアニストの世界において、一般に使われる意味をそのまま残しての『天才』と賞したい素晴らしきアドリブ演奏は、何度耳にしても舌を巻く。
ヘッドフォンは、外界の雑音を奪い去り、『いつも』と異なる風景においてさえ、私の『いつも』を演出していた。
改めて見渡すと、まばらななかに一人、目を引く影があった。
若い、男だった。
25、6才…くらいだろうか。
服装は落ち着いた色合いで統一した、しかしカジュアルなもの。
今日の天気は悪化していくから傘を膝に立掛けているのは特に珍しくはない。
あ、傘を忘れてきたな。
朝準備をして来たのに、時間に追われて結局傘の存在を失念してしまうなんて。
畜生。
キース・ジャレットの玉に瑕(とはいえ好きなことにかわりはない)、なんだか小学生が考え付きそうなメロディの曲が流れだした。
まるで、コメディ番組の演出だな。
……何故その男に引っ掛かったのか、再び視線を向ける。
平日の昼前、彼のような年代が悠々と読書をしながら私鉄にゆられていることも、私が彼を気にとめた理由の一つにはちがいなかったが、決定的な理由はその手元の黒い高級そうな革張り無地の見るからに年季の入った本――つまりそのキリスト教の聖書――が、異彩を放っているような気がしたためであった。
それ以上の理由はなかった。
無論見ず知らずの真っ赤っ赤な他人だし、私はどんな宗教だって基本、否定はしない。
デビルフィッシュを食べることを否定しても難無く私は食べる主義だし、それを強要もしない。
強いて言うなら日頃のイベントとしての宗教を歓迎するくらいだ。クリスマスとか。
話がそれたな…。
何故か。
それは、その聖書が20代中頃、仮に彼が30にいっていたとしてもとても足りないほどの膨大な年数を感じさせる代物だったからだ。
所々に焦げ跡のような汚れ、刻みこまれた手垢のくすみ、テカり、くたびれた縁、繰り返し開かれた皺に爪の痕。
のぞきこまなくても見える(彼は、座っている膝の上に180度開いて聖書をおいているのだ)内側は中心にいたるまでカスタードクリームに一週間漬け込んだ様を彷彿とさせるほどに黄ばんでいた。
親から彼へ、引き継がれたものだろうか。
まるで彼は今、初めてしっかりと目を通すかのように、気に入った(気になった?)フレーズにマーカーペンで線を引いていた。
黄ばんだ紙なのに、黄色のマーカーペンでだった。
彼は今なぜここにいるのだろうか。
私は何故今ここにいるのだろうか。
彼は、その『紙に染み込んだインクの模様』から、何を得たのだろう。
何を獲たのだろう。
彼はその紙の束を、彼からしたなら神の束を、誰かから受け継ぎ何を受け継いだのだろう。
それは、その元の持ち主と同じものなのか、違うのか。
彼にその神の束を継承した誰かには、もうソレは不必要になったのだろうか。
それが彼の父母ならば、彼はその聖書から、『両親』の一片を受け継いだのだろうか。
意味は、この思考の意味なんてものは、全くと言っていいほど無いのだろう。
まさに無意味なのだろう。
ヘッドフォンから流れる曲は『超絶技巧』ジャズピアニストのアート・テイタムへと変わった。
風景は、どこか見たことのあるものへと変わっていた。
はははは、なんだなんだ。
青々と生い茂る田の緑の先には、澄んだ川のそこに沈殿する目のこまかい砂のような雲。
その上に入道雲が陣笠のように被さり、その隙間から多分に湿った空気に乱反射する日の光が美しい。
いつの間にかそこは、実家がある田舎だった。
『次は〜××〜』
アナウンスが流れている。
親父が、そういえば…風邪をひいたらしい。
『大学をさぼるなど何事かっ!』
と強がりながらふかぶかと眉間に皺を寄せそれをお袋がせいするのを目の前で見たように鮮明に思い描く。
そんなつもりは、なかったんだけどな。
電車が止まる少し前に腰をあげた。
無論見ず知らずの真っ赤っかな他人の『彼』に会釈も無く。
後ろ髪も引かれないまま。
私は電車を降りたのだった
終幕
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