7、愛
その日、NO,TUV-2080はライアを待っていた。
いつも、ライアは朝早く部屋にきて、朝ごはんを持ってきてくれる。
それを、部屋にある牢屋の外に持ち込んだ机と椅子で、食べるのだ。
けれど。
その日は、いつもの時間を過ぎてもライアはこなかった。
ライアが持ってきた置時計に目をやると、もうすぐ実験対象のデータ収集時間となる。
ライアがこないなんて、彼女がNO,TUV-2080の担当になって以来初めてのことで、胸の奥で何かが詰まったような妙な感じがした。
落ち着かず、何度も何度も時計をみるが、徐々に時間は過ぎていく。
3日前に。
NO,TUV-2080は、ライアに名前がほしいと言った。
自分から何かをほしいというのは、はじめてで。
どうしても、言いたかった。
なんというのかわからない、このキモチを伝えるすべを知らなくて。
ただ、確かに胸の奥にある、この熱い何かを伝えたくて。
気づけば、口に出して言葉を紡いでいたのだ。
―――名前が欲しい、と
自分の名前を、ほしかった。
貴女に呼んでもらう、自分だけの名前がほしかった。
あれから、3日が経って。
NO,TUV-2080は、まだ名前は貰っていない。
ライアは、いい名前を考えるといい、安易に決めようとはしなかった。
NO,TUV-2080からすれば、ライアがくれる名前ならばなんでも嬉しいのだが、ライアはどうやらこだわりがあるらしく。
早く名前がほしい。
そして、その名前で、呼んでほしい。
自分だけの、名前を。
不意に。
かちゃり、と錠前を開く音がして。
NO,TUV-2080は、扉へと視線を向ける。
ライア、ではない。
ライアの足音はしなかった。
別の誰かの足音で、てっきり扉の前を通り過ぎるものだと思ったから気に留めなかったのだが、その足音はNO,TUV-2080の部屋の前で止まり、鍵を開けているようだ。
扉が開き、入ってきたのは一人の男。
まだ歳若い・・・恐らく、ライアほどの年齢と思われる男。
前に、見たことがある。
ライアの知り合いだった、はず。
その男は、いつもライアが持ってくるこの部屋の鍵を持っていた。
「おい、とっとと出ろ」
牢の中で座っていたNO,TUV-2080に、男は言った。
いらだったようなその声を聞いて、NO,TUV-2080は一瞬にして自分の立場を思い出す。
自分は、ここで作られたニンゲン。
ここのモルモットなのだ。
ライアとの生活に、馴染んでしまっていて。
忘れるところだった。
ライアの前に担当だった研究員は、NO,TUV-2080を命ある者としては扱わなかった。
あのころは、それが当たり前で。
自分に感情があり、こうやって物事を考えるなんて思ってもいなかった。
NO,TUV-2080は、黙って牢を出て。
男に従った。
繋がれた鎖は冷たくて。
強く引かれて、腕が痛かったが。
これが自分が受けて当然の扱いなのだと、知る。
男は、ライアのように話しかけてはこなかった。
ずっと無言で、黙々とNO,TUV-2080をデータ収集室まで誘導していく。
実験対象は、しゃべることを許されない。
NO,TUV-2080は、無言のままただただ男のあとについて歩いた。
何がなんだか、わからなかった。
ライアは、どうしたのだろうか。
ライアは・・・。
目の前を歩くのは、ライアではなく別の男で。
そのことが・・・信じられなかった。
***
ライアは、鳴り響く携帯電話を、取った。
億劫だったが、着信を見るとグランレイスからだ。
同じ研究員であるグランレイスは、同期の仕事仲間である。
親しいというほど仲がいいわけではなかったのだが、彼もまた、昨年から実験対象の世話を行っているということで、ここ最近はそれなりに交流があった。
「はい、ライア・ラウルです」
《ライア?俺》
「ええ、グランでしょ?どうかした?」
《まぁ・・・ライアは、大丈夫か?》
「熱は、大分下がったから。明日にはいけそう」
昨夜は38度の微熱があったが、今日になって大分下がった。
明日には、仕事場にいけるだろう。
そう、ライアは風邪をひいて仕事を休んでいた。
はっきりと風邪と言うことはできないが、とりあえず熱が出て堰が出て頭がぼうっとしたから、風邪だろうと自己判断して、風邪薬を飲んで寝てた過ごして、今に至る。
もう、3日も仕事を休んでしまった。
毎日欠かさず顔を合わせていたNO,TUV-2080と、3日も会っていない。
―――会いたい
と、思うのは。
世話が心配だから、とか。
大丈夫だろうか、という不安が理由ではなく。
ただ単に。
会いたい、のだ。
心から、彼に。
会いたい。
会いたい。
会って、なにをしたいというわけではないのに。
あの日。
NO,TUV-2080に抱きしめられて。
名前が欲しい、といわれて。
あの日から、何かが変わった。
彼はもう、ライアにとって世話をするだけの実験対象ではなくなってしまった。
《ライア?》
「あ、なぁに?」
《明日くるなら、いいんだけどさ。実は、ライアが世話してるモルモットがさぁ》
「・・・え?」
ライアは、目を見張った。
「なに、それ。今すぐ行くからっ」
《は?お前、無理すん・・・》
強制的に携帯電話を切り、ライアは急いで準備を始めた。
車の傍まで行き、慌てすぎて車の鍵を忘れていることに気づいて、もう一度戻って。
「落ち着くのよ、ライア。慌てたら、余計に時間をとるわ」
自分に言い聞かせて、大きく深呼吸した。
出来る限り急いで、研究所へと向かった。
自宅からは、車で約30分。
地下の駐車場に車を止めて、カードキーと指紋照合を経て研究所内へと入る。
既に10時を過ぎた研究所内は、残業を行っている研究員たちや泊まりの研究員のみで、廊下はしんと静まりかえっていた。
カツカツと靴音を響かせて、すぐさま実験対象が収容されている牢屋・・・部屋へと、向かう。
世話を行うもののみが、世話を行う実験対象の牢の合鍵を持ち歩くことができ、ライアも持っていた合鍵を手にもってNO,TUV-2080の部屋へと向かった。
実験対象の個室がある廊下は、とても暗かった。
暗い廊下に並ぶ、重たい扉たちはとても不気味で、重苦しい。
だが、そんな不気味な廊下も、今のライアにはそんなこと気にならなかった。
グランレイスには、ライアが休んでいる間、NO,TUV-2080の世話を頼んでおいた。
だが、実験対象に対しての世話を、グランレイスは最低限のことしかしないだろうとも思われた。
だから、あえて言っておいたのだ。
最低でも、食事は一日二回、絶対にあげてほしい、と。
グランレイスは、ライアの頼んだとおり、食事は一日に二度行ったらしい。
朝と夜、昼と夜、など時間はばらばらだが、とにかく二回は持っていったのだと、グランレイスは言った。
だが、NO,TUV-2080はグランレイスが持ってきた食事に、一度も手をつけなかったそうだ。
何も食べず、そして水分さえ殆ど取っていないようで。
それが、今日で3日目だという。
あのときの電話は、それを知らせるものだったのだ。
―――どうして、もっと早く言わなかったのよっ
グランレイスに対して、愚痴る。
こんなことなら、自分からグランレイスに電話して、毎日NO,TUV-2080のことを聞いておけばよかった。
ライアは、通いなれたNO,TUV-2080の部屋の前で立ち止まり。
合鍵で扉をあけ、中へとはいった。
部屋の中は真っ暗で。
そっと、電気をつけると。
部屋の中・・・牢の中から、NO,TUV-2080がライアを見ていた。
ライアを凝視する、薄い青の瞳。
目を見開き、真っ直ぐにライアだけを見つめている。
「NO,TUV-2080・・・ごめんね、ずっと来れなくて」
「・・・ライア」
「ご飯、食べてないって。どこかしんどい?痛い?」
ライアはすぐに牢へと駆け寄り、ガチャリと鍵をあけた。
自分も牢の中へと身を滑り込ませて、地面に座るNO,TUV-2080の前に膝をつく。
「ライア・・・」
NO,TUV-2080の手がのびて、ライアの腕を掴んだ。
そのままぐいっと引き寄せられ、今度はライアが目を見張る。
気づいたときには、ライアはNO,TUV-2080の腕の中にいた。
力強い腕の力に、ライアは思わず真っ赤になった。
改めて、彼は男のひとだと実感する。
「NO,TUっ」
「もう・・・こないのかと」
搾り出すような、その声に。
ライアは、そっと顔をあげた。
NO,TUV-2080の顔を、覗きこむように見つめると。
彼は、いつもの無表情で・・・そっと、目を伏せた。
「NO,TUV-2080・・・」
「ライア」
「ここに、いるわ。ごめんなさい、ずっと来なくて。明日から、毎日くるからね」
NO,TUV-2080の背に手を回し、ライアは彼を抱きしめた。
より一層強く抱きしめられて、ライアはNO,TUV-2080の胸に押し付けられた状態となる。
こんなときなのに。
胸が、高鳴る。
どきどき、と胸が苦しい。
これは、あれだ。
恋、に似ている気がする。
ふと思って、ライアは自分で驚いた。
恋?
自分が、NO,TUV-2080に?
「NO,TUV-2080・・・?」
恐る恐るといったように、ライアは再びNO,TUV-2080の顔を見た。
この3日でやつれたNO,TUV-2080が、ライアを見つめて・・・ふと、笑った。
微かに、瞳を優しげに揺らして、いとおしいものを見るように。
その笑みに、ライアは思わず赤くなる。
そんな必要ないのに、妙に恥ずかしくて・・・嬉しい。
ただでさえ、恥ずかしくて居た堪れないライアだったが。
次の瞬間、徐々にNO,TUV-2080の顔が、近づいてきて。
ライアの額に、彼のほんのり暖かな唇が、触れた。
「ライア」
NO,TUV-2080は、ライアの名を呼ぶと、何度も何度もライアに口付ける。
額、頬、瞼・・・そして、最後に、唇。
あのときの、掠めるような口付けではなく。
啄ばむような・・・まるでお互いを確認しあうような、そんな口づけ。
何度も何度も唇を合わせあい、どれだけ時間が経ったのか。
「ライア」
「・・・NO,TUV-2080?」
気づけば、すぐ目の前にNO,TUV-2080の顔があり。
その顔からは先ほどの笑みは消えており。
見たこともないほど・・・真面目な表情だった。
真摯な目を向けられ、ライアは視線が外せなくて。
すぐ近くで、お互いを瞳に映しあった。
「・・・もう、会えなくなるのかと思うと」
「NO,TUV-2080・・・?」
再び。
力強く、抱きしめられた。
「貴女に、会えないのかと・・・」
泣いているわけではない。
なのに、NO,TUV-2080の声はどこまでも悲痛で。
触れ合った身体から、伝わってくる
悲しみと、切なさと。
「・・・ごめんなさい」
こんなに、辛い思いをさせたなんて。
NO,TUV-2080は、もう出会ったころの彼じゃない。
ライアが、彼を特別なように。
NO,TUV-2080にとっても、ライアは特別なのだ。
きっと・・・。
そう。
彼の世界は、ここだけなのだから。
「NO,TUV-2080」
「はい」
ライアは、NO,TUV-2080を見上げると。
こつんと額を彼の肩にあてた。
「言いたいこと、あったら言ってね。なんでも、いい。聞かせてほしいの。貴方を知りたい。離れてて、貴方に会いたいって思ったの。貴方が、とても・・・特別だから」
ライアは、そう告げて。
これは告白なのかな、とぼんやりと思った。
けれどこれは、ライアの真摯なこころ。
偽りのない、キモチだった。
「貴女に会いたかった」
ぽつり、とNO,TUV-2080が言った。
「貴女に会えないと、落ち着かない。あの男は、ライアと親しいのに、私は違う。私の知らないライアを、あの男が知っているのが嫌だ」
「・・・え?」
ライアが、顔をあげると。
すぐ様、顔が近づいてきて。
降りてきた唇が、ライアのそれと重なり合う。
ライアは、黙ってそれを受け入れて。
そっと唇が離れたころ、言葉を紡ぐ。
「あの男、って。グランレイス?」
「・・・恐らく」
ライアは、腕を伸ばして。
NO,TUV-2080の頬に触れる。
両手で包み込むように、彼の頬のなでて。
今度は、自分から顔を近づけた。
どきどき、した。
他に、付き合った男なんて何人もいたのに。
キスも、それ以上のことだって、してきたのに。
NO,TUV-2080と、唇が触れ合うこの行為が。
とても、とても。
嬉しい・・・。
「あたしね、決めたの」
「ライア?」
「貴方の・・・名前」
ライアの口が動いて、ある名前が呟かれた。
紡がれた名前。
NO,TUV-2080の、名前。
ライアは、そっと自分に言い聞かす。
大丈夫。
大丈夫。
彼は、私が守るから―――
兵器に、恋をしたヒトが、ここに一人。
ライアは、彼と共に生きることを決めた。
続く
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