6、決意
「ライア」
呼ばれて、ライアは振り向いた。
ヴィル・カリューが、神妙な面持ちで近づいてくる。
ライアは、パソコンから手を離し、思わず立ち上がる。
「何か・・・?」
「来るんだ、NO,K100487号がそろそろだ」
そろそろ、という言葉に、ライアは思わず駆け出した。
あれから、ひと月が過ぎた。
徐々に、NO,K100487号の細胞周期が縮まっていった。
それでも、大分もった方だった。
ひと月が、経って。
NO,K100487号は今、数多くの機械に繋がれている。
その姿は、一月前の若々しい姿ではなく。
老衰で、指一つ動かすことさえ困難な状態になった、老人だった。
結局原因は、不確かなまま今に至ってしまい。
わかっているのは、無理な肉体改造と精神制限の末、脳に異常をきたして起こった、ということだ。
駆けて、辿り着いたのは集中治療室。
と言っても、開発局の内部に設置されたそれは、研究のための設備であり、人命を長引かせると同時に、多くのデータが収集できるよう、改造を施し新たに作られた機器たちだ。
「あ・・・」
ライアは、死の淵に立つNO,K100487号の姿を見て、思わず息を呑んだ。
ライアは、主にデスクワーク担当であり、実際に実験対象と関わることはそんなにない。
だから、一月前のあれからNO,K100487号を見ることなど、なかったのだ。
わかってはいた。
頭では、わかっていたのだ。
けれど、実際にNO,K100487号の変わり果てた姿を見ると、胸が締め付けられるようだった。
「ライア」
「おじさま・・・もう、NO,K100487号は」
「君を呼びに行っている間に、息を引き取ったそうだ」
ライアは、目を見張ってNO,K100487号を見た。
機械につながれたまま、寝台に横になっている。
彼の周りに、人の姿はなく。
少し離れたところで、研究員たちがデータの解析を行い、収集し、何かを話し合っている。
NO,K100487号のことなど、使用済みといわんばかりの態度に、ライアは怒りを覚えた。
だが、何も口にすることができない。
臆病な、自分。
どうすればいいのかさえ、わからないでいる愚かな自分。
ここでの常識に、馴染めなくて。
酷く浮いている。
ヴィルも、研究員たちに混じり、忙しそうに話を始めて。
ライアは、ただ茫然とNO,K100487号を見つめるしかなかった。
***
「本を持ってきたの」
「本、ですか」
お昼のお弁当を持って部屋に入るなり、ライアは紙袋を持ち上げて、NO,TUV-2080に見せてみた。
このひと月で、NO,TUV-2080は文字を覚えた。
それは、ライアの想像以上のスピードで。
どんどん、知識を吸収していく。
「そう、本。一応、色々な種類を持ってきたの。これが物語り。これが、歴史。こっちが、文学。科学、とか」
袋から取り出し、それらを一冊一冊説明しながら、NO,TUV-2080へ渡した。
NO,TUV-2080はものめずらしげにそれらを見つめ、パラパラと中身を捲ったりしている。
ライアは、その間に二人分のお弁当を広げた。
お茶を煎れつつ、ちらりとNO,TUV-2080を見る。
相変わらずの無表情だが、真剣に本を見る姿はとても美しい。
一度も切ったことのない長い髪は、勉強の邪魔になるということで、最近では後ろに一つに束ねていた。
元々、容姿はかなり麗しいNO,TUV-2080だ。
容姿だけなく、声も綺麗で。
彼をみると、こんなところで生活しているのが勿体無いとさえ思う。
「置いておくから、読んでみて」
「はい」
「それから、明日の土曜日なんだけど」
基本的に、土日は研究所は休みだ。
だが、世話係の役にある者は、午前中にのみ出勤が義務付けられている。
もっとも。
殆どのものは、前日に多めにパンなどを放りこんでおき、休日は休んでいるのだが。
「明日は、こられないのですか」
「ううん、明日は予定が空いてるの。だから、一日来られるから。明日、お風呂にしよっか」
時間の都合上、湯を使って身体を洗う、という行為は月に一度が限度である。
清拭は週に一度は行っているが、もっとしっかりと身体を洗った方がいいのは絶対だ。
が、現実には中々時間が取れないでいる。
だから明日、時間のあるうちに身体を洗っておこう、と思ったのだ。
「はい、わかりました」
「うんうん。じゃ、食べよっか」
こうして、二人で取る昼食にも、慣れた。
NO,TUV-2080とも、普通にとまではいかないが、大分スムーズに会話をするようになって。
ただ毎日、何気なく過ぎていく。
そう、過ぎていく。
何かをしなければならないと、思うのに。
刻は、確実に過ぎていくのだ。
いずれくるだろう、別れ。
それを、あえて考えないようにしている自分がいる。
***
土日は、ほぼ完全に休日状態で。
一部の局を除いては、ほぼ無人となっている。
ライアは研究所へ着くなり、最初に台車に水を張った大きな桶を置き、タオルや石鹸、シャンプーなどを準備して。
ガラガラと台車を押しながら、NO,TUV-2080の部屋へと向かった。
部屋と言っても、やはり牢のようなところで。
見慣れた重い鉄の扉を開いて、中へと入った。
中は、大分変わったと、ライアは思う。
綺麗、とまではいかないが、机その他の家具や道具が置かれ、部屋らしくなった。
「おはよう、NO,TUV-2080。今開けるわね」
部屋の中にある牢に、NO,TUV-2080はいる。
台車を部屋の隅に置くと、蝶番を外し、NO,TUV-2080に牢から出てもらった。
本を抱えたまま出てくるNO,TUV-2080に、思わずくすりと笑う。
「本、読んだの?」
「はい」
これと、これと、これを。
と、物語と科学、そして歴史についての本をNO,TUV-2080が差し出した。
「どうだった??面白かった?」
「とても興味深い内容でした」
どうやら、随分とお気に召したらしい。
「そっか、よかった。じゃ、身体を清めましょうか」
服を脱いで、と告げて、盥を準備する。
水が入った盥は重いので、スライドさせてなんとか床に置く。
そして、タオルや石鹸を手の届く位置において。
「じゃ、NO,TUV-2080。準備を・・・あれ、服脱がないの?」
「・・・」
NO,TUV-2080は、微かに眉を顰めたまま、固まっている。
無表情のNO,TUV-2080が、僅かとはいえ眉を顰める様は、珍しい。
「どしたの?」
「・・・服を、脱ぐのですか」
「?じゃないと、濡れちゃうけど」
最後にお風呂にしたのは、実はひと月とんで更に半月前。
いい加減、清拭だけでは清潔を保てない。
場所が場所であることもあり、また、週5日もデータ収集のために様々な実験をさせられているのだ。
汚れも、半端じゃない。
「さぁ、脱いで。熱湯回したから、ほどよい熱さのはずだし、今のうちに・・・」
「・・・脱ぐのですか」
え、とライアは眉を顰めた。
どうも、NO,TUV-2080は脱ぐのを渋っているようだ。
「・・・ねぇ、脱ぎたくないの?」
「そういうわけではありません。ただ・・・」
「ただ?」
「脱いでよいのか、わかりかねます」
「?」
わからない?
むしろ、脱いでほしいと言っているのに?
何を考えているのか、とライアは考え・・・ふと、ある結論に至る。
「ねぇ。もしかして・・・恥ずかしいの?」
覗きこむように聞いてみると。
NO,TUV-2080は、ふいっと顔を逸らした。
いつもしゃべるときは目を合わせるのに。
黙りこんでしまうNO,TUV-2080を見て、肯定も同然なのだとライアは思った。
「・・・恥ずかしい、かぁ」
それはつまり。
操り人形のような、ただの命令されるだけの機械に過ぎなかったNO,TUV-2080が、人へと変わってきているということ。
身体を流れるオイルが、徐々に赤い血へと、変わってきているのだ。
いや、元々赤い血が流れている、ということに、気づいたというべきか。
なんだろう。
それが、とても嬉しくて。
同時に、同じくらい・・いや、それ以上の焦りを覚えた。
このまま、NO,TUV-2080が感情を知っていってしまったら。
今の自分の状況に、気づくかもしれない。
そして、幻滅するかもしれない。
これまでは、何も知らずに毎日を過ごしてきたNO,TUV-2080だが。
変わってしまう、かもしれない。
感情を得れば、喜怒哀楽を覚えるということで。
そんな単純なことを、ライアは、今まで気づかなかったのだ。
知識を得る、ということと。
感情を知る、ということは。
別なのだ。
別物、なのだ。
「じゃあ、このバスタオルを巻きつつ・・・で、どう?あっち向いてるし」
「わかりました」
瑠夷は、NO,TUV-2080にタオルを手渡すと背を向けて、ガチャガチャと洗面器や石鹸等の準備を始めた。
折角なので、持ってきた温泉の元を湯の中に溶かし、袖を捲って腕でかき混ぜる。
背後で、パサリと布の落ちる音が聞こえて、ライアは少しだけドキドキした。
「脱いだ?」
「はい」
振り返ると。
下半身にバスタオルを巻いた、NO,TUV-2080が立っていて。
毎日データ収集を行うにあたり、鍛えているだけあって。
とてもいい体つきで。
清拭の際に、見慣れているはずなのに。
ライアは、かぁぁと顔が熱くなるのを感じた。
上半身だけでなく、下半身がバスタオルだからだろうか。
清拭の際は、服を肌蹴させて拭くだけだったから。
NO,TUV-2080に桶の中へ、座るように告げて。
NO,TUV-2080は、言われるまま桶の中へ座り込んだ。
「寒かったら、もっと熱湯入れるけど」
「丁度よいです」
そっと、ライアは、洗面器で後ろからNO,TUV-2080の背中に湯をかけた。
背中にはあちこちに、小さな傷がある。
手当ても無いまま放置してあったものばかりで、痕が残ってしまっている。
どれも、ライアと知り合う前についたものだ。
「じゃあ、頭からかけるよ」
そう言って、ザバッと頭に何度か湯をかけて。
シャンプーinリンスで洗っていく。
中々泡立たないので、湯で流しつつ、シャンプーを付け直して、何度か洗う。
「かゆいところはございませんか〜」
「はい」
ザバッとシャンプーを流して、今度は泡立てたタオルを手渡す。
自分で洗えるところは洗ってもらい、そのあとはゆったりと湯に使ってもらう。
冷めてきた湯に、少しずつ熱湯を足して。
ライアは、黙ったまま湯につかるNO,TUV-2080を見た。
「ねぇ、NO,TUV-2080」
「なんでしょう」
「本、どこが面白かった?」
「それぞれ興味をひかれました」
「そう・・・例えば、小説とかどうだった?面白い物語だって、ススメられたんだけど。あたしはまだ読んでないのよ」
どうだったの?
と、聞くと。
NO,TUV-2080は、少し考えるように動きを止めた。
「・・・男女の関係について書かれておりました」
「へぇ」
恋愛ものかな、とライアは思った。
「純愛もの?」
「ジュンアイ、というものを知りません。しかし、本の内容としては、男女の営みや、不純な関係にあるものの描写が多々みられました」
「・・・そう」
とりあえず。
面白い、とススメた友人に、文句を言っておこう。
「・・・私は」
「ん?」
「私は、”男”なのですか」
「え。あ、うん。そうだけど」
ライアは目を見張った。
そうか。
NO,TUV-2080は、性別さえ知らなかったのか。
言われて見れば、確かにそうかもしれない。
ずっとここに閉じ込められているような、生活で。
誰かと話すことも、関わることもないのだ。
ただ、命令されるだけの日々なのだから。
「では、あなたは”女”ですか」
「そうよ」
「では、子どもを産むのですか」
「へ!?」
何を、言い出すのか。
と、思ったのだが。
次の、NO,TUV-2080の言葉に、ライアは固まることになる。
「赤子という姿で、人は腹から産まれるのだと知りました。私は気づいたら、水の中にいましたし、赤子ではありませんでした」
「っ」
確かに、そうだ。
NO,TUV-2080は、青年の姿で生まれた。
水で満たされた水槽のような、機械の中で作られたのだ。
「男と女の間で、子どもができるのだと書かれていました」
「そう、ねぇ」
「あなたも、腹から生まれたのですか」
「・・・」
ゆっくりと、NO,TUV-2080が振り返った。
ライアは、言葉が出ずに、ただ目を見張って。
ふいっ、と視線を逸らした。
「ねぇ、そろそろ出よっか。湯冷めしてもあれだし」
「・・・はい」
「NO,TUV-2080。NO,TUV-2080は、ここにいるから」
バスタオルを彼の身体にかけて、そっと拭いていく。
「アタシとNO,TUV-2080の出生は違うかもしれないけど。でも、こうして生きてるから」
そう、だ。
生きて、いるのだ。
生まれはどうであれ、生きている。
命が、あるのだ。
NO,TUV-2080だって、こうして考えて動く。
感情も、あるのだ。
「生きて、るんだから」
NO,TUV-2080は、生きている。
わかっていたのに。
わかっている、ふりをしていた。
何もできないことを、言い訳にして。
せめて、今だけは幸せであるようにしたい、などと。
今がよければいい、と、最初から諦めていた。
「ねぇ、NO,TUV-2080」
ライアは、そっと手を伸ばして。
つ、とNO,TUV-2080の頬をなでた。
確かに、人のぬくもりを感じて。
きゅ、と胸が切なくなる。
「はい、なんでしょう」
「守ってあげる」
―――一線を、超えていく
けれど、それはライアが望んだことで。
ライアが、決めたこと。
「貴方だけは、あたしが守ってあげる」
頬をなでるライアの手を、 NO,TUV-2080が掴んだ。
「ライア」
「っ」
初めて、名を呼んで。
NO,TUV-2080は、真っ直ぐライアを見た。
次の瞬間。
ライアは、抱きしめられていた。
僅かにしっとり濡れた、NO,TUV-2080の身体の熱さを感じて。
ドクドク、という心音が伝わってくる。
「貴女を、困らせたくありません」
そう言って。
NO,TUV-2080は、更に強くライアを抱きしめた。
「違うの、困ったりしないわ。あたしが、したいの」
そ、とNO,TUV-2080はライアの項に顔を埋めて。
すりすり、と顔を摺り寄せた。
まるで、そこにライアがいるのを確かめるように。
「ライア」
「なぁに?」
NO,TUV-2080は、ゆっくりと顔をあげて。
真っ直ぐ、ライアを見つめた。
そのまま、どちらからともなく、顔を近づけて。
微かに、唇が触れ合う。
かすれる程度のものだったが。
それでも、胸が温かく。
同時に、ドキドキと高鳴った。
顔を離して、ライアはくすりと笑う。
NO,TUV-2080は無表情のままだが、照れているのだとわかった。
「・・・ライア」
NO,TUV-2080は、少し頬を緩めて。
そして。
はっきりと、言った。
「私に、名前をください」
―――その日、人物兵器は恋を知った
|