5、変化
「っ、局長っ」
ライアは、思わず声をあげた。
あれから、3日が経った。
NO,K100487号の実験中のことだった。
NO,K100487号の血液中の数値に異常がみられたのは、3日前。
あれから、様々なデータを取った。
そして、わかったことがある。
「始まりますっ」
男の研究員が、叫んだ。
室内がしんとなり、皆固唾を呑んでNO,K100487号を見つめた。
「ぁ・・・ああぁ、ぁぁ」
NO,K100487号の苦しそうな声。両手足を縛られた状態で、視点の定まらない目を宙に漂わせている。
その刹那、メキメキという音がガラス越しに聞こえた。
実験対象と実験室を隔てるガラスさえ通り越して、聞こえてくるその音に、皆息を呑んだ。
それは、信じられない光景だった。
今まで何人ものモルモットを研究してきた研究員たちが、目を見張っているのだ。
NO,K100487号は、メキメキと音を立てて、成長していった。
目に見えるほどの速さで、大人へと変貌を遂げる。
やがて、目に見えるほどの成長は止まり、NO,K100487号は肩で大きく息をしていたかと思うと、気を失った。
先ほどまでは、10代半ばほどだった年齢が、完全に二十歳を超えているだろう青年へと変わっている。
現実には、ありえないことだった。
人の細胞分裂は、一部を除いて50回まで行われる。
年齢にして、120歳まで生きられるのだが、それはあくまでも通常健康に過ごした場合の、可能な分裂回数だ。
そして、それぞれの細胞分裂には周期がある。
だが、NO,K100487号の場合、細胞周期及び世代時間がめちゃくちゃなのだ。
どの種にも当てはまらない、異常な分裂速度だった。
「このようなこと、ありえるんですか」
「・・・だが、現に今、目の当たりにしたことだ」
さすがのヴィル・カリューも、渋い顔をしている。
NO,K100487号の場合、ただ単に細胞分裂の速度が速いというわけではない。
数日置きに、数秒に渡ってのみ急速に細胞活性化し、分裂を繰り返す。
しかも、定期的に行われているわけではなく。
どうやら、成長するにつれて、細胞周期が短くなっているようだが、はっきりした法則にのっとって、周期があるわけではないらしく。
現時点では、次の細胞分裂がいつくるのか、わからない。
彼は、人に造られたというだけで・・・中身は、我々と変わらないはず、なのだ。
肉体強化の実験を行っているので、その副作用のようなものなのかもしれないが。
だが、このような異常な速さで細胞分裂を繰り返すなど、耐えられるはずがない。
先ほどのNO,K100487号の苦しみからも、わかるように。
これから調べることだが、もしかしたら異常な速度で分裂した細胞は、うまく身体の一部として機能できていないのかもしれない。
それは、恐ろしいことだった。
何にしろ、これからNO,K100487号は24時間監視下に置かれ、謎の解明にむけて当局は動くことになるだろう。
副作用であるのならば、それの解決方法を。
そして、肉体の成長を早めることが可能であるのならば、その方法さえも得るつもりなのだ。
ただ、ウィルが言うには、脳のどこかが通常と違っていることは、確かなようで。
それが何によるものなのか、という究明が優先されるだろう。
もし、NO,K100487号がこのまま異常な細胞分裂を繰り返し、成長していくことになると。
少なくとも、今月中には老人へと変わり、そのまま寿命となるだろう。
そんな彼に群がり、研究を行う同僚たち。
ライアは、そんな彼らから視線を外し・・・自らもまた、実験データの解析を始めた。
これが、仕事なのだ。
だから、しないといけない。
仕事ができないのならば、ここに居ることさえ出来ないのだから。
***
昼休み、NO,TUV-2080の部屋でお弁当を食べ終えて、ライアは持ってきた文字版と紙、ペンを机に広げた。
ライアは、NO,TUV-2080へ字を教えることにした。
ここで過ごす日々は退屈なのだろうと思い、せめて本でも読めたなら、と思ったのだ。
知識をつけさせることはあまりいいことではないのは、確かなのだが。
それでも、ライアは決めたのだ。
NO,TUV-2080と、人として接すると。
数日前に、NO,TUV-2080に名前をつけては、情が移りすぎると思った。
だが、もうすでに情ならば移っていると、認めざるを得ない。
もし、NO,TUV-2080がNO,K100487号のようになってしまったら。
と、考えると。
居てもたっても、いられなかった。
きっと、ライアは死に物狂いで解決方法を調べるだろう。
研究所のためだとか、そんなこと関係なく。
NO,TUV-2080と、こうして過ごす時間が、今のライアにとっては当たり前のことに、なりつつあるから。
またこの日常に戻るために、なんだってするだろう。
「読める、かな。文字、なんだけど」
「文字、とはなんですか」
そうか。
NO,TUV-2080は、文字も知らないのだ。
「えっと、文字っていうのは、言葉をこうして記号化して、紙にしたためたりして・・・」
そう言って、ライアは紙にペンで”RAIA”と書いた。
その文字を見て、NO,TUV-2080は、わからないというように一度だけ瞬きをした。
NO,TUV-2080は、他のモルモット同様、あまり感情をみせない。
けれど、最近はこうして僅かだが感情の動きがみられるようになったし、ライアも少しずつ読み取ることができるようになった。
この表情は、ライアの言葉を理解していないときのものだ。
「この”文字”は、なんとあるのですか」
「紙に、文字を記すことは”書く”っていうのよ。これは、ライア。あたしの名前」
NO,TUV-2080は、じぃっと文字を見つめた。
そして、暫くして、小声で呟いた。
「これが、”ライア”」
「そう、あたしの名前」
そ、とNO,TUV-2080が、文字を指でなでた。
その様子を見て、ライアはにっこりと微笑んだ。
「覚えてみる?文字」
問うと、文字を見つめていたNO,TUV-2080が、顔をあげる。
薄い、青の瞳がライアを捉えた。
「はい」
こくりと頷いた、NO,TUV-2080。
その様子に、ライアは微かに目を見張った。
初めて、NO,TUV-2080がライアの問いに答えた。
今まで彼は、自分で何かを選ぶような、YES・NOで答える質問に、わからないと答えてきた。
今度もてっきり、「わかりかねます」と答えるのかと思ったのだが。
NO,TUV-2080は、頷いた。
しっかり、と。
変わってきている、と思った。
確かに、変化してきている。
NO,TUV-2080は・・・変わってきている。
「じゃあ、読み方を教えるね。この表と照らし合わせて、覚えてみて」
「はい」
そう言って、身体をわずかばかり乗り出すNO,TUV-2080。
その姿勢からも、やる気が伺える。
頭のいい彼ならば、すぐに覚えてしまうだろう。
そしたら、本を持ってこよう。
NO,TUV-2080は、何が好きだろうか。
本を読んだあとには、感想なども聞いてみよう。
ふと、そんなことを考えた。
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