10、副官
手を上げて。
実験の中断を示した。
実験対象は、その場でしゃがみ込み首を押さえてもがいていた。
朝食もろくにとっていないのだろう、僅かばかりの吐瀉物がぶち撒かれ、辺りが異臭に包まれる。
「これ以上か無理か。他の対象物をもってこい、あれは捨てていい」
ミカエルの言葉に、研究員たちが一同に動く。
今は実験中。
新しい筋力強化剤の、モルモット実験の最中だ。
モルモットは、処分間近なものたちばかりを使用する。
だからか、あまり身体的に良好なものはおらず、今のように途中で倒れてしまうものも少なくない。
使い捨てにさえならない、出来損ないたち。
そんな実験対象は山ほどいる。
中には、生まれる前にダメになるものも多々おり、モルモット一人ひとりに一々構っていられない。
ミカエルは、冷めた目で連れて行かれる先ほどの実験対象を見つめた。
かつて。
自分もこうして、この分厚いガラスの向こうであのように実験データをとられていたのだ。
辛いことさえ知らずに、孤独さえ気づかずに、ただ日々そこにあっただけ・・・生きている、とさえいえない日々だった。
そんなとき、ライアに出会って。
全てが、変わった。
***
ライアは、自分の実験対象にミカエルという名前をつけた。
もう、ミカエルはただのモルモットじゃない。
ライアの・・・大切な、ひとだ。
「大切な、ひと・・・なのよね」
ぽ、とライアは一人頬を染めた。
恋人、という関係になって・・・もうすぐ、半年。
ミカエルが、第一能力研究所の部長となって、半年ということになる。
あの時、ライアは無我夢中だった。
ミカエルがあの牢から出て、一個として生きていくためにはどうするべきか。
考えて考えた結果、ミカエルは今尚モルモットとして生きている。
ミカエルは、今でもモルモットだ。
牢から出て、第一能力開発局局長、として敷かれた道を歩き、データ収集をしている。
感情、思考、頭脳等、牢の外で生活する中でどう変化し、どう生きてゆくのか。
ミカエルは、これからを見据えたモルモットだ。
いずれ、潜入捜査用のニンゲンを造ることになる。スパイ活動等に比較的使用しやすいように改造する必要があり、完全なニンギョウでは困るのだ。命令には服従だが、自分で判断し行動する力も必要となる。その際、感情というものは不必要だが、表情は必要になってくる。
ミカエルは、モルモットとして生まれながら、外の生活。
いや、研究員として暮らすことでデータ収集に積極的に協力するという条件の下、戸籍というものを与えられた。
だが、所詮はモルモット。局長といっても、いくらでも変えはいる。
ライアの父も、ミカエルがモルモットとしての立場を崩さないという条件のもと、あの牢から出したに過ぎない。
恋人だ、などとライアには口が裂けてもいえないことだった。
それでも、ミカエルは立派に今の職務を真っ当している。
本当は嫌で仕方がないだろう。
彼も元々はあのように、実験台にされていた身なのだから。
けれど、彼は必死で生きている。
今を手放したくないと、そう言って必死に勉強もしている。
ミカエルは、常に本を片手に持っている。
少しでも知識を吸収して、ヒトに近づきたいのだと言っていた。
ライアは、実験室横の待合室にある自販機で、コーヒーを買った。
既に時間は深夜の10時を過ぎようとしており、周囲に人の気配はない。
しんと静まり返った施設には、夜勤者以外に殆ど人は残っていないだろう。
こくりこくりとコーヒーを呑みつつ、ライアはちらりと掛け時計を見る。
そろそろかな、と思う。
彼を待つ、この時間がとても嬉しい。
ミカエルは、一応ライアの恋人・・・なのだろう。
はっきりとそういう約束をしたわけではないが、そうだとライアは思う。
でも、ミカエルは格好いいから。
他の女性研究員たちからも、人気が高い。
ミカエルは、牢の外を知って。
奴隷ではない、モルモットではない生活を知って。
ライア以外の人と、触れ合って。
ライアから、離れていく。
ミカエルと普通に過ごしたいと願ったのはライアだったのに。
世話係とかでなくて、もっと普通に・・・。
なのに、ミカエルがモルモットから人へと近づくほど、不安が押し寄せる。
自分から、離れていくのではないかと。
外を知って、ミカエルにとって”大切なもの”が増えていくことが、とても怖い。
いつか、ライアではなく。
他に大切なものを見つけて、そちらを選ぶ日がくるのではないか。
そう考えずにはいられない。
彼を待つ、この時間はとても嬉しい。
けれど。
同時に、とても切ない。
いつまで続けることができるのだろう。
いつまで、自分にミカエルを留めることができるのだろう。
頭脳明晰で、容姿端麗。
既に、部下からも慕われていて。
事実、仕事で結果も出している。
そんな彼を、一目置く研究員は多々いる。
彼に憧れ、恋い慕う女性も多くいて・・・。
不意に、廊下の向こうから足音がして。
その聞きなれた足音に、ライアは慌てて顔を上げた。
「ライア」
低く、清んだ声。
どこまでも透き通るような重低音。
大好きな、あの人の声。
声の先を見つめると、淡い金の髪が目に入る。
真っ白な白衣に栄えるその髪は、ため息が漏れるほど美しい。
「待たせた、すまない」
相変わらずの無表情。
それでも、その瞳に僅かだが喜びの色がみえて。
ぽ、と胸の奥が熱くなる。
先ほどまで切なさが、どこかへと消えていく。
「ううん、そんなに待ってないよ」
「・・・ああ」
二人並んで、歩きだす。
手を繋ぐこともない。
それでも、肩を並べて二人で歩く。
彼独特のにおいがして、ドキドキする。
ミカエルは、社員寮で暮らしている。
ライアとしては、本当は一緒に暮らしたかったが、そうもいかないようで。
会えるのは、こうして仕事が終えたあとの、廊下を歩く道のりだけだ。
それでも、施設を出るところまでで。
ほんの、数分間。
もっと、一緒に居たいのに。
ライアが世話をしていたときよりも、会える時間は少なくなっていた。
「どこかで、食事でもしていかない?」
思い切って、ライアは明るく言ってみた。
見上げてみると、ミカエルはいつもの無表情で。
感情は、読み取れない。
少しばかり期待して返事を待ってみたが。
「いや、やめておく」
あっさりと、玉砕してしまう。
自分だけなのだろうか。
ミカエルは、外を知って、外の世界に触れて・・・今までのように、ライアを必要としなくなった。
それは、わかりきっていたことだった。
最初から、わかっていて、知っていて、ライアはミカエルを出してほしいと父に頼んだのだ。
だから。
ミカエルが幸せだと、それでいい。
「そっか。そうだよね・・・ラウ局長も疲れてるし」
ラウ、というのはミカエルの姓にあたる部分だ。
笑ってみるが、ミカエルはライアを見ようともしない。
「ああ、すまない」
素っ気無く返事を返され、ライアはそれでもただ微笑む。
―――もう、自分だけがミカエルの傍にいる女ではないのだから
ライアはただ、彼の傍で。
微笑むしか、できないのだから。
***
「ラウル副局長」
呼ばれて振り返ると、そこには第一能力開発局副局長であるサナ・ヴィルバインが立っていた。
ライアは、足を止めて振り返る。
「なんでしょうか、ヴィルバイン副局長」
「こちらを。我が第一能力開発局の資料です、例のモルモットのデータですわ」
「わざわざどうも」
「極秘データですもの、当然のことですわ」
最初に目に付くのは、真っ赤なルージュ。
身体のラインを強調した、服。
細い銀縁の、眼鏡。
いかにも男が好みそうな女性、というのが彼女の第一印象だ。
テキパキとしていて、ライアよりも副局長という地位がよく似合っている。
――ミカエルの傍にいて、見劣りしない美女でもある
金の髪はふわりと肩にかけており、とてもいい香りがする。
ライアは資料を受け取ると、そっと踵を返した。
胸の奥がズキズキする。
いつも、ミカエルの隣に並ぶ彼女に、嫉妬する。
嫌な女だ、私は。
ライアは自分のデスクに戻ると、早速資料を見た。
ふとそこに、気になる項目を見つけ、先にそこに目を通した。
他の部分も目を通し、ライアは立ち上がる。
時間は夜の8時。
殆ど、研究員も残っては居ない。
少し疑問に思う書類の事項を聞きに、第一開発局へと行くことにした。
ミカエルと、少し早く会う口実ができた。
そういう考えがあったのも事実で、ライアはパンッと頬を叩いて気を引き締めて、部屋を出た。
***
「ラウ局長、こちらを」
手渡された資料を受け取り、ミカエルは自分の副官へ視線を投げた。
このサナ・ヴィルバインはとてもよく働く。
知的で行動力もあり、副局長としての威圧感もある。
事実、ミカエルはこのよく働く副官がとても気に入っていた。
あれこれという前に行動し、ミカエルをよく察してくれる。
これ以上ない優秀な部下だ。
資料に目を通していたミカエルは、不意にした物音と気配に、顔を上げた。
もう帰ったと思っていたサナが立っており、こちらへ歩み寄ってくる。
手にはお盆を持ち、上には湯気が立ち昇るカップを持っていた。
紅茶のとてもいい香りがする。
「差し出がましいとは思いましたが、疲れによく効く茶葉を混ぜておきました。どうぞ」
「すまんな」
ことり、と置かれたカップに手をかける。
口をつけ、嚥下をしてほっとする・・・少し、疲れているのかもしれない。
ミカエルは、再び書類に視線を落とす。
今日の結果の資料を中心に、新たなプロジェクトの参考資料へも視線を投げかける。
「・・・局長」
ふと、呼ばれて。
ミカエルは、視線を向けないまま、「なんだ」とぶっきらぼうに答えた。
「局長は、お付き合いされている方は、おられますか?」
つい最近も似たような質問をされたことを思い出し、ミカエルは訝るように眉を顰めた。
サナは、そんなミカエルに気づき、視線から逃れるようにそっと目を伏せる。
「局長は、とてもお美しいので、既に恋人がおられてもおかしくはございませんが」
「何が言いたい。美しいというのならば、君の方だろう?それに美しいという言葉は、男に使うものではない」
微かに頬を染めるサナから、ミカエルは視線を書類へと戻す。
「恋人は、おられますか・・・?」
いつもならば、サナはミカエルに対して同じ質問をしない。
この繰り返された質問に、ミカエルは無意識に答えを探る。
恋人。
まず、思い浮かべるのはライアのこと。
大切な人。
とてもとても、大切な人。
けれど・・・恋人なのだろうか。
ライアを恋人と、位置づけていいのだろうか。
「局長・・・?」
「・・・いない」
「本当、ですか!?」
「ああ」
書類へ視線を向けたままのミカエルは、気づかない。
蕾が開くように笑みになるサナと。
嗚咽を堪えつつ、走り去るライアのことを。
つづく
ありがとうございました。
評価や感想下さった方々、とても嬉しいです。
ここで一言。
まだ完結していません。。。
長くてすみません;
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