9、新任―2
ダビリスは、駆けていった友人を不思議そうに見つめ、ふと時計をみた。
まだ時間に余裕があるが、先に研究室へ戻って仕事を始めておこう。
まだ今の職場へきて3ヶ月というダビリスは、仕事になれていない。
少しでも早く始めなければ、追いつかないことも多かった。
お膳を戻し、そのまま第一能力開発局の研究室へと向かう。
この時間、研究室には幾人かヒトがいるものの、今からダビリスの向かう第二研究室には、殆どひとがいない。
ヒトがいないからこそ、やりやすい仕事だってある。
そもそも、第一能力開発局の研究員たちは、怖すぎる。
毎日目を光らせ、無言の圧力をかけてくる。
たまに発する言葉も、厳しい。
一人でいる時間がこれほど楽だなんて、思わなかった。
それがまず、ここへ転勤してきて知った初めてのこと、だ。
「人間、一人の時間は大切、っと」
そんなことを呟きながら、扉を開いた。
が。
ふと、部屋に人影を認めて、慌てて動きをとめる。
最初に見えたのは、淡い金髪。
今では見慣れた、白衣を着た長身の男。
男は、ダビリスに気づいてゆっくりと振り向いた。
長い、淡く波打つ金髪を後ろで一つにまとめており。
空色をした、両の目はどこまでも怜悧で冷たい。
だが、その容姿は誰もが目を見張るほど麗しく。
それが、彼の怜悧さを尚引き立てていた。
「・・・部長、失礼しました」
慌てて継げたダビリスに、第一能力開発局、局長は無表情で視線のみを逸らした。
「・・・構わん」
とだけ告げ、先ほどまで自らが行っていた作業を再開する。
ダビリスは、迷った。
正直、今すぐここから逃げ出したかったが、明らかにこの部屋に用があるように入ってきたのに。
今出て行っては、「貴方がいるから嫌なんです」と言っているようなものではないか?
「・・・」
迷った挙句、そっと部屋にはいり。
目当てのデータ集を手に取り、持ってきたファイルを広げた。
畳10畳ほどの部屋に、局長と2人きり。
しん、とした中で作業をするのは、とても気まずかった。
「部長は・・・昼休みにも、お仕事ですか?」
沈黙に耐えかねて、ダビリスは口をひらいた。
そもそも、部長は無口で。
どこまでも冷たく、他者を寄せ付けないところから、皆から恐れられている。
同時に、あの麗しい容姿からか。
影では女研究員に、強く憧れられているのも事実で。
名前も、ミカエルといい、それもまた、人気がある理由の一つだと思う。
「いや」
なんだ、違うのか。
と思ったと同時に、再び沈黙。
会話が、終わってしまった。
「あ、えっと〜・・・ミカエル部長は、彼女とかいるんスか?」
ダビリスは、なんとか会話を繋ごうと必死だった。
が。
次の瞬間、後悔する。
ぴた、と部長の動きが止まったかと思うと。
感情のない、けれども威圧感のある瞳が、ダビリスを射抜いた。
「っ」
「私の名を、呼ぶな」
「す、すんませんっ」
ああ。
怖い。
無理に話しなんてするんじゃなかった。
ダビリスは、なきそうになりながらも、とぼとぼと逃げるように部屋を後にした。
あの気まずい中では、仕事をする気になれない。
それに、大体の資料は照合し、確認したから・・・今のデータで出来る範囲の仕事は、先に済ましてしまおう。
はぁ、とため息をつき、ダビリスは第一能力開発局、第一研究室へと向かった。
ミカエルは、とぼとぼと部屋を出ていった部下を見て、ふと顎に手を置いた。
あの者は、今なんといった?
―――彼女、いるんスか?
とかなんとか、言っていた。
彼女、といわれて。
思い出すのは、ライアのこと。
「・・・」
恋人、と言ってもいいものか。
ライアならば、”いいに決まってるじゃない!むしろ私の方がいいのか心配よ”とか言いそうだ。
「・・・ライア」
ふと、無意識のうちに呟いた己の言葉に、くすりと笑む。
早く、会いたい。
今日の仕事を終わらせて、彼女に会いたい。
ライアは、ミカエルに多くをくれた。
全てをかけて、ミカエルを守ってくれた。
今、この瞬間があるのも・・・ライアが、いてくれたから。
ミカエルのすべては、彼女がくれたものだ。
だから、この一秒であっても、ミカエルの全てはライアのもの。
そして、そのことがとても幸福で。
―――この幸福を、手放したくはない
今のままで、あり続けるためならば。
なんだって、する。
モルモットと呼ばれる実験対象を、無残に処分することも。
より強固な人間兵器を造ることに、努めることも。
今の地位であり続けることが、今の自分で生き続けることが、ライアの傍にいられる唯一の方法なのだから。
今でも、思い出す。
きっと、これから一生、忘れることはない。
あの、名前をくれた日のことを。
―――あたしね、決めたの。貴方の、名前・・・
天使のように、綺麗で。
あたしに、この幸せな気持ちを、くれた。
貴方に、名前を、あげるわ。
貴方の名前は。
―――ミカエル
そう言って、微笑んだライア。
「私の名は、貴女だけが呼んでいい・・・」
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