銀色の彩雲
中島 艦上偵察機『彩雲』
最高速度:609.5km/h
武装:7.92mm機銃×1
乗員:3名
日本海軍は艦隊における偵察任務に艦上攻撃機を使用していたが、広大な太平洋ではより高速の艦上偵察機が求められた。そのため中島飛行機に専用の艦上偵察機として開発させたのがこの『彩雲』である。
空母のエレベーターに合わせた機体のサイズに収めつつ、主翼の八割を燃料タンクにすることで航続距離を高めている。速度性能は日本軍機ではトップクラスであり、米軍のF6F戦闘機を振り切った際の「我ニ追イツクグラマン無シ」という電文は極めて有名である。
しかし実践投入される頃、本機を搭載するはずの空母機動部隊は壊滅しており、いずれの機も陸上基地で運用された。
戦争が終わった。
私は当時十五歳の少年で、海軍の特攻隊員だった。華々しく散華するために過酷な訓練を受けてきたが、ついに最期の時を待たずして日本は降伏した。終戦を告げる玉音放送を涙ながらに聞き、恐らくもう会うことはないであろう仲間達と別れ、故郷へ帰る事になったのである。
だが私にはどうにもやりきれない想いがあった。このまま帰郷して、自分は何をすればいいのか。訓練中に死んだ仲間達は自分をどう思うだろうか。日本はどうなるのか。
「俺は故郷に帰って、家の寺を継ぐ」
同じ班の相吉はそう言っていた。歳は同じなのに大柄で厳つい奴で、しかし寺の子のせいか穏やかな性格だった。背が低くて負けん気の強かった私だが、不思議と彼と気が合い、休暇の際はよく一緒に出かけたのを覚えている。
相吉は事故死した仲間たちに念仏をあげてやりたいのだと言っていた。戦争中は花を飾って通夜をすることもできなかったから、と。
「……俺、このまま田舎に帰りたかねぇよ」
「早まったことはしちょし」
相吉は心配そうに俺を見た。方言(海軍では普段は禁止されていた)をうっかり口にしていたことから、多分本気で私を心配していたのだろう。そのとき私は決して死ぬ気はなかったが、特攻隊員として敵艦と刺し違えるべく訓練していたのだから、たった一人でアメリカ軍を迎え撃とうとする奴がいてもおかしくはない。
「しねぇよ、しねぇ……」
だが私はもう、死ぬのが怖くて仕方がなくなっていた。そしてそんな自分が腹立たしかった。
「白井、飛行機見に行かねぇずらか」
ふいに相吉はそんなことを言い出した。
「飛行機?」
「戦争に負けたんだし、見ておくなら今ずら」
我々は特攻隊員ではあったが、航空機で敵艦に体当たりする神風特攻隊ではない。私も相吉も飛行機に憧れはあったが、それを見に行くことに意味があるかは分からなかった。ただ黒山は内陸の山梨出身だから、帰郷したら海軍の飛行機とは縁が切れるということかもしれないと思った。そして私としても、何もせず帰郷するよりはいいと考えられた。
飛行場はそれほど遠くなく、我々の足取りは重かったものの、想像よりも早く到着したのを覚えている。
我々の隊とは違い、やはり航空部隊の根城は立派だった。空襲で格納庫の一部が損傷していても、灰色の滑走路が長く伸びている光景は雄大に見えた。だがそこには我々の見たがっていた飛行機の姿がない。
どうやったのかは記憶に残っていないが、何とかして基地の中に潜り込み、飛行機を探した。終戦で気力を失くしたのかは分からないが、歩哨も少なかった気がする。そして飛行場の端に置かれた布張りの『赤トンボ』こと九三式中間練習機、それとあの銀色の飛行機を見つけた。
「攻撃機かな?」
その飛行機は風防が長く、二人または三人乗りに見えた。以前写真で見た艦上攻撃機に似ている気がしたのだ。しかし相吉は首を横に振った。
「ありゃ彩雲って奴ずら。艦上偵察機の」
飛行機に詳しい相吉には遠目でも機種が分かったようである。その機体は胴体と翼の日の丸以外に塗装がなく、銀色の金属板が太陽光を眩しく反射していた。塗装する暇がなかったのかな、などと思いつつ、私たちはもっと近くで見ようと駆け寄った。近づくに連れて、三人乗り座席の長い風防や、後部座席の機関銃がよく見えてきた。
そのとき、とうとう見つかった。
「誰だ!」
背後から叫び声が聞こえた瞬間、バットで殴られたときの痛みが尻に蘇ってきた。相吉共々、恐る恐る振り向くと、飛行服を着た士官が立っていた。歳は三十手前くらいだったろうか、ベテランの風格がある偉丈夫だった。
「何者だお前ら?」
士官は訝しげに俺たちを見て、何だ子供じゃないか、とでも言いたげな顔をした。そのためか口調も少し砕けていた。
「じ、自分たちは……」
「伏龍特攻隊員です!」
血の気の多かった私はおどおどしている相吉が気に入らず、大声で答えた。
「伏龍……ああ」
士官はどこか嫌そうな、切なそうな顔をした。
「人間機雷か」
「伏龍です! 人間機雷ではありません!」
冷や冷やしていた相吉を尻目に、私は即座に言い返していた。
我々の任務は潜水服を来て海底に待機し、敵の上陸舟艇に柄付き爆雷を叩き付け自爆すること……まさしく『人間機雷』と呼ぶほかない。だが当時の私は国に身を捧げて死ぬ気でいても、自分が機雷だの爆弾だのと同列に扱われるのが嫌だった。というより、認めたくなかったのかもしれない。訓練中の事故による仲間たちの死が、機雷を一つ消耗したという程度に扱われるのが我慢ならなかったのだ。
「……そうだな。悪かった」
士官は少し笑った。飛行場に忍び込んだ上、無礼な振る舞いをしたにも関わらず優しい笑みだった。
「俺の仲間も大勢特攻へ行った。そいつらを人間爆弾と呼ばれりゃ、俺もいい気はしない。うん、悪かったよ」
彼は銀色の彩雲の方へ向かい、我々を手招きした。少し躊躇いつつも、私たちは着いていった。
その士官は水崎中尉と名乗り、その彩雲が自分の愛機であると明かした。間近で見てみると、後部座席以外に武装の無い偵察機と言えど何とも言えぬ迫力があった。直線的な姿の機体はいかにも速そうで、これが飛ぶのだ、空へ上がるのだと考えるとたまらない高揚感が湧いてきたものだ。
「何故塗装されていないのですか?」
「剥ぎ取ったんだよ。塗料が無くなればその分軽くなるだろ」
少しでも機体を軽量化するために、そこまでするのか。飛行機乗りの執念に私は驚いた。
だが戦争が終わった以上、もう出番はない。中尉はそう言って苦笑した。
話しをしながら中尉が帽子を脱いだ瞬間、私と相吉はあっと叫んだ。水崎中尉の頭には、髪の生えていない一本の線が走っていた。露出している地肌には生々しい縫い目があり、敵機の機銃にやられたのだと中尉は言う。あと数センチずれていたら脳みそが半分になっていただろう。訓練中に仲間たちの死を見てきた私でも、背筋がぞくりとする思いだった。
「この彩雲はな、日本海軍最速なんだ。しかもこいつは整備の連中と相談して、塗装以外にもいろいろ改造してある。速いぞ」
「これからどうなるんですか?」
「もう飛ばないんですか?」
アメリカ軍が来るのだから、奪われないよう破壊するのだろう。分かってはいたが、生まれて初めて間近で見た飛行機が壊されてしまうのは嫌だった。相吉も同じ気持ちだっただろう。
すると水崎中尉は私たちを見て、ニヤリと笑った。
「実は最後に一回、かっ飛ばしてやろうと思ってな。お前らも乗れ」
……いきなりの誘いだった。
驚く私たちを他所に、水崎中尉は整備兵を呼びに行き、あれよあれよと言う間に飛行準備が進められた。整備兵たちは私と相吉を訝しんだが、特攻隊員だと聞くと年配の班長が「まあいいじゃないか」と言ってくれた。
相吉は飛行機好きではあってもまだ心の準備ができていない様子で、本当に乗っていいのかとしきりに尋ねていた。正直私も不安はあったが、好奇心がそれに勝っていた。
頬に大きなほくろのある班長は整備と給油を指揮しながら、話を色々聞かせてくれた。彩雲は翼の八割が燃料タンクなので長い距離を飛べるということ。大きなプロペラをつけるために脚が長く、着陸が難しいということ。
そしてその高速性能で米軍機を振り切った武勇伝の数々は痛快だった。最高時速六百キロを超えると言われてもどのくらいかピンと来なかったが、相吉が「零戦より三、四十キロは速い」と教えてくれたので、凄い機体なのだと改めて思った。米軍が多数の新型機を配備していたというのに、私は零戦こそが世界最強であると、無邪気にもその当時まで信じていたのだ。
「今入れてるのはアメリカ製のガソリンだ。日本のガソリンよりずっと質がいいから、もっと速く飛べるぞ」
班長の言葉を聞いて、私はガソリンに善し悪しなどあるのかと感心した。酸素ボンベの中身が等しく酸素であるように、ガソリンも全て同じガソリンであると思っていた。後に知ったところによると、ガソリンの品質はオクタン価という数値によって表されるのだが、日本海軍のガソリンは九十二、アメリカのは百二十という差だったようである。
「どこからアメリカ製のを持ってきたのですか?」
相吉が尋ねた。
「墜ちたB-29から引っこ抜いた。燃料タンクが丸々無事だったんでな」
つまりB-29はそれだけ頑丈と言うことだ、と班長は付け足した。
「ここには少し前まで、もっと沢山飛行機があったんだがな。ほとんど特攻機に持って行かれちまった。搭乗員ごと……あんな物にまで爆弾積んでな」
布張りの『赤トンボ』練習機を顎で示し、班長は渋い顔をした。この人は自分の整備した機体が特攻へ出されるのを見てきたのだ、と思うと、特攻隊員として何かやるせない気持ちになった。同時に自分たち伏龍と違い、大勢の整備兵が見送ってくれる神風の人たちの方が、少しはマシだったかもしれない、とも。だがあんな布張りの練習機で、凄まじい対空砲火の中へ飛び込めねばならなかった人たちはどんな思いだったのだろうか。
「お前たち、歳はいくつだ?」
「十五です」
「俺も十五歳です」
答えると、班長はふむふむと頷いた。
「その歳でいきなり潜水服なんぞ着せられたんだ、死人も出ただろう」
「……はい」
私は初めて潜水服を着て、海に潜ったときのことを思い出した。船から海底へと降りて、いや、落ちていく感覚は途方もない恐怖を感じた。しっかりしろ、俺は特攻隊員なんだと自分に言聞かせながら、海底に足が着くのをひたすら待った。長く感じられたが、実際には僅かな時間だったのだろう。
しかしやっと海底に立っても、安心感はなかった。まだ海中で歩く訓練は受けておらず、とりあえず潜水に慣れろというような命令だったので、暗い海底でじっとしているしかない。潜水服の中で、教わった呼吸法を守ることだけに神経を集中させた。伏龍の酸素供給器は苛性ソーダにより呼気の二酸化炭素を取り除く仕組みで、五時間の潜水が可能だが、呼吸法を誤ればすぐに窒息する。鼻から息を吸い、口を排気口にしっかり当てて吐く。夢中でそれを繰り返していた。
ふと視線を前に向けると、後から潜ってきた仲間の大島が目の前に立っていた。彼が片手を上げ、私に挨拶をしてくれたから少しだけ不安はなくなった。私も同じように、大島へ挨拶を返した。
だが次の訓練で、大島は死んだ。酸素供給器の潜水缶は壊れやすい。破れ目から流入した海水と反応して苛性ソーダが沸騰、大島の鼻から入り込んで肺腑に大火傷を負わせたのだ。彼はベッドの上で藻掻き苦しんで死んだ。他にも海底に立ったまま窒息死していた奴や、潜ったまま帰ってこない奴もいた。
死んだ皆のためにも、私は絶対に米軍の上陸船と刺し違えてやるつもりでいたが、訓練を重ねるにつれ不安は増す一方だった。
水中で視界が利かず、ろくに身動きもとれないのに敵の船に機雷を当てられるのか。
自分が自爆したとき、他の仲間の機雷も誘爆してしまうのではないか。
そもそも米軍は上陸前に砲撃を行うと言うから、海に落ちた砲弾で一網打尽にされるのではないか。
そして戦争に負けたと知った途端、死ぬのが怖くなった。
「水崎中尉の仲間もな、大勢死んでいった」
小声で班長は言う。当の中尉は操縦席で計器を弄っていたが、あのどこか達観的な態度は多くの死を見届けてきたせいかもしれない。
「中尉もお前たちも、生き残っちまったんだ。生きているからには次の戦いに行かなきゃなるめぇ」
「でも、戦争は……」
戦争はもう終わってしまったではないか。そう言いかけたとき、班長は油の付いた手袋を外し、班長は俺と相吉の肩を叩いた。長年整備作業に従事してきたのだろう、皮が剥けてボロボロになった手が印象的だった。
「空へ上がったら、景色をよく覚えておけ。日本人はもう飛行機を作れなくなるかもしれん」
私ははっと、相吉の言葉を思い出した。戦争に負けたんだから、飛行機を見ておくなら今……もう日本人が飛行機を持つことは許されなくなるだろうと、彼はそう言いたかったのだ。そしてそこまで思い至らなかった自分が恥ずかしくなった。相吉は彼なりに、未来に目を向けていたのだ。
「だが、これからだ。これからなんだ」
班長の言葉は我々へ向けたものであり、同時に自分に言い聞かせているようだった。
……準備は着々と進んだ。整備兵たちはこれが最後の飛行になるだろうからと、真心込めて念入りに点検整備を行った。陸軍の戦闘機隊を謳った軍歌に整備兵が出てくることを思い出した。
やがて水崎中尉が言った。準備良し、乗れ……と。
翼には踏んではいけない場所があるようで、まず相吉が整備兵たちの指示を受けながら、ぎこちない動作で偵察員席に乗り込んだ。不安そうだった彼だが、憧れの飛行機に乗ることができ、計器などを興奮した様子で眺めていた。
続いて私も、相吉が脚をかけたのと同じ場所を踏むようにし、慎重に一番後ろの席へ座った。電信員兼後部機銃手の席だ。と言っても機銃は機体を軽くするために降ろされている。どうせもう使わないからだ。狭いその空間は棺桶のようにも感じられたが、潜水訓練のときより遥かに良い。広い海の中にいるはずなのに例えようもない閉塞感を感じていたあの日々に比べれば、風防から光の差し込む電信員席は快適だった。
整備兵がクランクを回し、エンジン始動の準備をする。日本軍の飛行機は始動に手間がかかったものだ。
「コンターック!」
水崎中尉の叫びの直後、エンジンが唸りを上げた。プロペラが回転し始め、機体に命が宿ったかのように思えた。翼の上に乗った班長が中尉に言葉をかけていたが、エンジン音でかき消された。
班長が翼から降りると車輪止めが外され、機体は滑走路へとゆっくり進んでいく。班長が私たちに笑って敬礼をするのが見えた。
「そら、行くぞ」
「はい!」
「はいっ」
伝声管を通じて聞こえてくる中尉の声に、反射的に返事をした。
灰色の滑走路で、銀の彩雲は走り出す。風防を開けたままなので風が顔に当たった。次第に速度が上がり、周囲の景色が後方へと流れていった。
やがて尾輪が浮き上がり、機首が徐々に引き起こされていく。ああ、地面から離れたのだと感覚で分かった。地上を車輪で滑っていく震動が消えたのだ。
私は風を受けながら、徐々に遠ざっていく飛行場を見下ろしていた。見送ってくれていた整備兵たちがすぐに見えなくなった。水崎中尉の操縦により、彩雲はぐんぐんと高度を上げる。
何もかもが小さく見えた。飛行場も、空爆で崩れた町並みも、港も。そして俺たちが訓練していた海……仲間達が死んで行った場所も。
こんな景色だったのか、この中に自分は住んでいたのかと、私は瞬きもせずその光景に魅入っていた。
「どうだ、いい眺めだろう」
中尉が言った。静かな声だった。
「速度を上げるぞ。風防を閉めろ」
言われた途端、体が反射的に動いた。電信員席が密閉され、体に受ける風の感触がなくなり、同時に恐怖に似た爽快感も半減した。あまり器用ではない相吉は少し苦労しながらも風防を閉め、俺と顔を見合わせた。笑っておらず、悲しんでもいない。かといって無表情でもない、そんな何とも言えない表情を今でも覚えている。私もきっと、同じ顔をしていたことだろう。
機体が左にゆっくりと傾き、旋回する。地上の光景がさらによく見えた。
そして水平に戻ったとき、エンジンが吠えた。排気炎と吐き出しながら機体がグンと加速し、眼下で地面が通り過ぎていく。
速い。ただひたすら、速い。銀色の彩雲は太陽の光を照り返しながら、一路海へ向かって飛んだ。陸地のゴタゴタした光景に代わり、紺碧の海面が眼下に広がった。
そこが、私たちの潜った海。仲間達が死んでいった海だ。
あの大戦の死者の数からすれば、本当に些細な犠牲に過ぎないのだろう。だがその上を飛んだとき、私には海底から彼らの叫びが聞こえるように思えた。
「皆、この下に……」
相吉がぽつりと言った。彼も私と同じことを思ったのだろう。皆の魂は靖国へ行けなかったのだ、今でもこの海にいるのだ……と。
「俺の仲間はな、このずっと向こうにいるんだ」
水崎中尉が操縦席から前方を指差した。遥か先の水平線、そのさらに向こう側を。
「俺たちは生き残った。それが良いか悪いか決まるのは……これからだ」
その言葉は私たちに向けられたものであり。
同時にやはり、自分に言い聞かせているようだった。
……彩雲がゆっくりと着陸し、中尉は「付き合ってくれてありがとうな」と笑っていた。
その後のことはあまり記憶にない。覚えているのは相吉が別れ際に言った言葉だけだ。
「死ぬのが怖いのは、恥ずかしいことじゃねぇと思う」
寺の子として人の死を見てきた相吉はきっと、ずっと私にそれを言いたかったのだろう。彼ともその後、会うことはなかった。
この二年後、アメリカのX-1試験機が音速突破に成功したが、私にとっては今でもあの銀色の彩雲こそが最速の飛行機だ。私が何か壁にぶつかる度、耳にあの轟々としたエンジン音と、声が聞こえてくる。
これからだ、と。
お読み頂きありがとうございます。
以前別の場所で投稿したものを元にしていますが、ほとんど原型は留めていません。
戦闘シーンがないので歴史ジャンルにしようかとも思いましたが、歴史ジャンルは明治時代以前が基本のようなので戦記ジャンルで投稿しました。
彩雲は実際に米軍の試験で、日本のカタログスペックを大幅に上回る694.5km/hという速度を叩き出しています。
戦争は負の遺産ですが、戦時中に培われたこのような技術が戦後復興、及び鉄道や自動車産業などの発展を支えたこともまた事実です。
ご感想・ご批評、お待ちしております。