第一章 2.3
エルファンドはルガリ庄に入り、眉間に皺を寄せた。
腐敗臭が集落から漂って来る。しかも、流行病が流行してから一年も経つのに、あの独特な血の匂いが消えていない。流行病の喀血は、なぜか甘い匂いがする。散々吐いていたエルファンドが一番よく知っていた。
エルファンドは足早に集落の一番近い門戸を叩いた。
「誰かいないか?」
門戸が少し開き、やせ衰え澱んだ瞳がその隙間から覗いてきた。
「だれ?」
エルファンドはその場に座り込み、その瞳と同じ高さに視線を揃える。
「こんにちは。お母さんはいないのかな?」
その覗いていた瞳が潤み出した。
「――父ちゃんも母ちゃんもいない。父ちゃんは血を吐き出して死んじゃった。母ちゃんもこの前血を吐いていなくなっちゃった」
エルファンドのすぐ後ろにいた四人は驚いたように、エルファンドの背中を見詰めた。
エルファンドはその扉に手を掛け、そこから覗いていた子供を思わず抱き締める。
子供は驚いたようにエルファンドの後ろに立つ男達を見詰め、エルファンドの暖かさに涙腺が壊れたように、涙を零した。
エルファンドは子供を抱き上げ振り返った。
「フラーナは残れ。クエスは他の連中に指示を。動ける人間を中央広場に」
視察組は慌てて集落に散っていく。ダニエとハルシはエルファンドを見て、目を丸くした。
「え、エルファンド」
「まだ大丈夫だ」
エルファンドはダニエ達を一瞥し、口許をかすかに歪ませる。
ダニエ達の目には、明らかにエルファンドが異質に映っていた。何がまだ大丈夫なのか。ダニエはその答が指先に触れている小さな石にある気がした。
ダニエとハルシはゆっくり腰袋から手を離す。
エルファンドの瞳がその仕草を一瞥し、再び口の端を上げ、フラーナに視線を移した。フラーナは黙ってエルファンドを見詰めていた。
「連絡玉を二つ」
フラーナは我に返り、慌てたように水晶玉をエルファンドに差し出した。
エルファンドはその一つを額に付け、その後、空中に投げ上げる。その玉は瞬時に消え失せた。次に片手で素早く術陣を描き、もう一つをそこに放り投げた。術陣は銀色に光を帯び、連絡玉は空中に浮き、緑色に何度か光る。
「誰だ! 非常回路使ってるヤツ!」
「緊急事態だ」
その術陣の中に、フォークと皿を持ったティコが現れ、エルファンドを見て肩を竦ませた。
「――エルファンドか。どう身体の具合は? もしかして喀血した?」
エルファンドは目の前に現れたティコを見詰めたまま、動かなかった。
ティコはエルファンドを一瞥し、口の端を上げながら、赤茶色の麺類と思われる昼食を、フォークに巻き付け口に運んだ。
「どうした、エルファンド。喚び出したのはお前だよ。もしかして、口も利けないほど、具合悪くなった?」
「――いえ、私の事はいいんです。今、ウナルバ領バチナス郷ルガリ庄に来ています。ここはまだ流行病が横行してます。しかも女性まで発病してます」
昼食を取っていたティコの腕が止まった。
「――なるほど、緊急事態だ。分かった、知らせてくれてありがとう。半刻ぐらいでそっちに行く。出来る限り情報は集めて欲しい」
エルファンドはティコを見詰め、頷いた。
「分かりました」
「あー…… あと、エルファンド。無駄に怒るなよ」
エルファンドは消えていくティコを、呆然と見詰めてしまった。
エルファンドはティコが消えた術陣をしばらく見詰め、なぜ、彼に怒りがバレたのか考えていた。
「あの…… アルスルーン様」
エルファンドはその声に慌てて振り返った。
「な、なに?」
「今の術、凄いですね」
フラーナは関心したように、術陣の中にある連絡玉を見詰めている。
エルファンドはその言葉で慌てて術陣を見、首を振った。
憤慨しながらも、ティコにこの事態を知らせなければならないとは、朧気ながら思っていた。だが、自分はこんな複雑で高度な術陣は知らない。描いた記憶がない。
エルファンドは抱き抱えた子供に回す腕に少し力が入った。シャランと腕輪の金飾りが音を立てる。
「まあ、そんな深く考えるな、エルファンド」
エルファンドは思いっきり肩を竦ませ振り返ると、そこには、竜王とマックスウェルのニヤけた顔があった。
「竜王様、マックスウェル様」
竜王はエルファンドの肩を叩き、ダニエとハルシの側に寄っていく。マックスウェルは辺りを見渡し、眉間に皺を刻んだ。
「――酷いね」
「これは私の責任でもあります」
マックスウェルは苦笑いを浮かべた。
「エルファンドの所為、ウナルバ伯爵の所為ではないよ。確かにここはウナルバ領内だけど、これは人為的災害だから」
エルファンドはマックスウェルを見詰めた。
「人為的災害? では、ワザと病原体を撒いたって事ですか?」
マックスウェルは頷いた。
「そう。目的は分からないけれど、人為に撒かれたのは確かだね」
エルファンドはマックスウェルの横顔を見て、苦笑いを浮かべた。
「もしかしてマックスウェル様、怒ってらっしゃいます?」
マックスウェルはエルファンドに満面の笑みを浮かべた。
「怒っているように見える?」
エルファンドは素直に頷いた。
マックスウェルは荒れ果てた集落に視線を戻し、口の端を上げる。
「憤慨至極とはまさにこの事だよ。私の足下でこの術系統が使われ、攻撃を受けるなんて、甚だ心外。私に牙を向けた酬いは、必ず受けてもらう」
マックスウェルはエルファンドを再び見て、笑い掛けた。
「怒りを撲つける相手が出来て良かったね。思う存分、その怒りを撲つけるといいよ」
エルファンドは苦笑いを浮かべた。
「どうして、私が怒っていると分かるのですか?」
「いや。みんな怒るでしょ? こんな事されて怒らないヤツはいない。特に君は、こんな幼気な子供が不幸になっていると、いつも憤慨するからね」
マックスウェルはエルファンドの腕に抱かれた子供の頭を撫でた。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「アーリン」
アーリンと名乗った幼女は、恥ずかしそうにエルファンドの肩に顔を隠した。
マックスウェルはそのはにかんだ横顔に微笑み、歩き出した。
「さて。広場に人が集まってきたようだ。行くよ、エルファンド」
エルファンドはアーリンを抱き直し、マックスウェルの後を追った。
エルファンドは着いた広場を見て唖然とした。集まったのは、ものの見事に幼年期から思春期に掛けての子供ばかりだった。
「――なんて事」
エルファンドは怒りに拳を震わせた。
「アーリン!」
エルファンドの側に鳶色の髪の少年が走ってきた。
「お兄ちゃん!」
エルファンドはアーリンを降ろし、抱き合う二人を見詰めた。
鳶色の彼はエルファンドに頭を下げる。
「従妹がお世話になりました」
「いや。君の名は?」
「マーリン・アウアと申します」
エルファンドはマーリンに頷いた。
「マーリン、大人達は……」
マーリンは力強くエルファンドの瞳を見返して来た。
「流行病に掛かった大人達は、町医者の家にみんな隔離しています。とは、言ってもかなり少ないですが……」
マーリンの側に似たような年頃の少年少女達が集まってきた。
「――少年少女自警団って所かな」
マックスウェルがエルファンドの隣りに立ち、マーリンに微笑んだ。
「で。君がリーダー?」
「リーダーってわけじゃないです。あの、いったい何をするんですか?」
マックスウェルはマーリンに微笑んだ。
「このお兄さんが村の状況を知らせてくれてね。詳細把握するために集まってもらったんだよ」
マーリンはエルファンドを見て、大きく頷いた。
「僕らはなんか注射を打たれて、流行病に罹らないけど、大人達は次々に罹って…… でも、注射を打った子供も罹るヤツがいて……」
「支援物資は届いているかい?」
マーリンはへの字口になった。
「いつだか大人がいっぱい食料とかいろんな物持ってきてくれたけど、庄屋のヤツが独り占めしやがった」
エルファンドは眉間に皺を刻んだ。
「フラーナ。ここの庄主は誰だ」
「ラヤナタ・ドーウ。豪農ですね」
「でも、あの庄屋はもういないよ!」
マーリンの隣りに立っていた少女が、エルファンドとマックスウェルを見て声を上げた。
「だいぶ前、村が盗賊に襲われて、庄屋の家、焼けちゃった。そんとき、庄屋も家族も死んじゃったよ」
エルファンドとマックスウェルはその少女を見詰めた。盗賊に襲われた村に人間が残っている事自体珍しい事だ。
「でね、朝起きたらみんなの家の中に食料があったの。でね、こんな綺麗なカードがくっついてたの」
女の子は腰袋からカードを取り出し、エルファンドに差し出した。
カードを見ると、表は幾何学模様で、裏は紅と黄金で描かれた羽ばたく鳳凰の姿があった。
エルファンドはマックスウェルに肩を竦ませながら、カードを渡した。マックスウェルも肩を竦ませる。
「朱雀団が動いたみたいだね」
エルファンドはその声に振り返ると、ティコを筆頭にした医師団がいた。
「やあ、ティコ」
「マックスウェルは例ので来たの?」
マックスウェルはティコに頷いた。
「そうだよ。この庄の情報はもう全て集まったけどね」
ティコは肩を竦ませ、エルファンドを見た。
「エルファンド。この子供達は何?」
「この集落で動ける村人です」
ティコは眉間に皺を寄せた。
「――そう。取りあえず、一団は子供達の診察を、二団三団は僕と共に町医者の所に」
エルファンドは動き出した医師団を見詰め、安堵の溜め息を吐いた。マックスウェルはその溜め息に口の端を上げる。
「ここは取りあえず一安心だね。伯爵にも伝えてあるんだろ?」
「ええ。でも、この先を考えると、新たに視察団を組直した方が良さげです。医師団を少しお借りする事は可能ですかね」
マックスウェルは顎を撫でた。
「多分、可能だけど。なんでそんなに急ぐんだ?」
エルファンドは口の端を下げた。
「隣りの庄、リルエリス庄にガイルとキースが住んでいるんですよ。クーイットとミルーナに頼まれましてね……」
マックスウェルは顎を撫でた。
「ああ。二年前に小剣を届けてくれた彼らか。今年の春に上京してくるはずだったけど…… 今のところなんの音沙汰もないよ」
マックスウェルは広場の子供達を見て、溜め息を吐いた。
「大抵、親はまず子供に血清を受けさせる。体力も免疫力もないからね。だが、今回はそれが仇になった。庄の再編成を考えた方がいいかもしれないよ」
「ですね……」
「取りあえず、救援隊が着いたら、僕達はリルエリス庄に向かおう」
エルファンドは驚いたように、マックスウェルを見た。
「え。マックスウェル様も来るんですか?」
「行っちゃいけない? 僕だってあの双眸のアメリクサが心配なんだよ」
マックスウェルはエルファンドにそう微笑み、広場に入ってきた竜王に近付いていった。
エルファンドは溜め息を吐く。相変わらずマックスウェルの思考が掴めない。自分のように生死を心配しているのは合っていると思う。だが、あの人がそれだけで動くとは思えなかった。
エルファンドは竜王とマックスウェルを改めて見て、背筋がゾクッとした。
この帝国戦士最高位、護衛騎士団頭達が自ら動いている。それは帝国をも揺るがす事態になってきている証拠だ。
マックスウェルはエルファンドを一瞥し、苦笑いを浮かべる。
「やっと気が付いたみたいだね。エルファンド、お前も渦中にいるんだよ」
エルファンドは武者震いをし、マックスウェルに頷いた。
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