第三章 1.4
いつものように昼食を大通りに面した食堂で取ったミルーナは、頃合を見計らい、ダーリにこの数日間の事を問い質した。だが、ダーリはミルーナを一瞥し、ティーの入ったカップを傾けるばかりで、口を開こうとはしなかった。
ミルーナは頑なに口を閉ざしているダーリを睨み付ける。
「だんまり決め込むわけ?」
ダーリはミルーナを再び一瞥し、カップを口にした。
「――何を言うかと思ったら…… 俺とエルマの事だ、ミルーナには関係ないだろ」
「エルマはあたしに相談してきたの! 夜、一人で動いているのは分かってるんだからね! それと離縁と繋がらないじゃない!」
ダーリはミルーナを見て肩を竦ませた。
「一人でなんて動いてないさ。俺はそんな仕事熱心じゃないよ。家に帰るのが嫌だから、酒屋で呑んでいるだけだ」
ミルーナはダーリに口の端をゆっくりと上げた。
「ダーリ。あたしを舐めてるわね」
「舐めてなんてないよ」
「ふうん。しらを切るのもいいかげんにしてよね」
ミルーナはそう言って、腰に差していた紙をテーブルに広げ、ダーリを見た。
ダーリはその紙を見て息を飲んだ。
ミルーナはその紙を指でなぞる。
「四日前の夕方、あんたは研究所でヒューメルの記憶を見た。その後、五本木の飲み屋パールモラに行った。一昨日の夕刻、あたしと別れた後、同じ五本木の飲み屋パールモラで明け方まで過ごした」
ミルーナはダーリの目を見据える。
「ここまで間違いないわよね」
ダーリはミルーナをただ見詰める事しか出来なかった。ミルーナが警羅姫という冠を欲しいがままにする優秀な警羅だと、頭からすっかり抜け落ちていた。ミルーナなら情報屋を飼い慣らす事なんて、朝飯前だろう。
「どうなの?」
ミルーナの問いにダーリは唾を飲み込み頷いた。
「ああ、間違いない」
ミルーナはダーリの行動が記されている紙に目を落とし、目を閉じる。そして、ゆっくりと目を開け、怒気の含んだ視線をダーリに投げ付けた。
「――昨日、パールモラで知り合った女性と一日一緒にいた。どういう事?」
ダーリは目を閉じた。
「そういう事だ」
「何を調べているの?」
ダーリはミルーナが怒鳴り声を上げると思っていたが、予想に反して静かな声の問いに目を開け、真剣な眼差しのミルーナを見た。
「いったい何を一人で調べてるの?」
「別にしらべ」
ダーリの頬に平手が飛んできた。ミルーナを見ると、目に微かな涙を溜め、自分をにらみ付けていた。
「ダーリ! 舐めるのもいい加減にしてよ! そもそもの発端がヒューメルの拉致からじゃない! ヒューメルの記録に何があったの? その女性はなに? あたしはあんたの相棒なんだよ!」
ダーリは打たれた頬を押さえ、口を歪めた。
「ホント、ミルーナは優秀だよね」
ミルーナはダーリの瞳を覗き込み、眉尻を下げる。
「お願い。あたしに隠し事しないで。この山は一人じゃ手に負えるような代物じゃないの。エルマに離縁をいうような事に巻き込まれたんでしょ? ダーリ、お願いだから、一人で抱えないでよ」
ダーリは目を閉じ、軽く息を吐いた。
「――ホント、ミルーナはいい奴だよな。エルマがさ、警羅に入った時、すごい面倒みてくれただろ? 未だにエルマのヤツ言うんだぜ。ミルーナがいなきゃ、警羅続けられなかったって」
ダーリは目を開け、大通りを見た。通りは活気に満ち人々が次々と行き交う。
「俺もいろいろとミルーナに助けてもらった。エルマの事もそうだし、俺自身の事もそう。感謝してもしき」
ダーリの言葉が突然途切れる。ダーリは立上がり通りを見詰めたまま、険しい表情になった。
ミルーナは首を傾げながら、ダーリが凝視している方向に振り返ると、人々の波が自然と割れ、その真ん中をゆらゆらと漂うように歩くボロ布を纏った男の後ろ姿があった。
「あれはっ!」
ミルーナは立上がり、通りに飛び出していった。
「待てっ! そこの乞食っ!」
男はミルーナの声が聞こえないのか、ゆらゆらと通りを歩いてゆく。ミルーナは素早く男の進路を塞ぎ、男の顔を確認したと同時に、目を丸くした。
「な、なんでっ! ウソ、ウソよっ!」
ミルーナはその生気のない顔越しに、苦笑いを浮かべたままの同じ顔を見た。
「ダーリっ!」
「エルマを頼んだ」
ミルーナは慌ててダーリの側に寄ろうとするが、不可視な壁に跳ね返された。
「いや、なんでっ!」
「掛かっちまったんだよ。掛かったら解く事が出来ない」
ダーリは悟ったような笑みを浮かべ、消え掛かっている足下の小石を拾い、真上に投げ上げる。小石は鋭角な放物線を描きながら、腰が砕けているミルーナの前に落ち転げた。
ミルーナは転がった小石をしばらく見詰め、ダーリに顔を上げる。ダーリはすでに下半身が消えていた。
「なんで…… どうして……」
「なんでだろうね」
ダーリは苦笑いを浮かべ言葉を続ける。
「ミルーナ。俺も警羅なんだよ。
攫われた連中を助けたかった。
攫う連中をこの手で捕まえたかった。でも、出来そうにないや。出来そうにないから、後はミルーナに託すよ。俺の最後の三日間、無駄じゃなかったって、証明してくれよ」
ダーリはそう言い終えると思いっきり腕を振り上げた。日の光を浴びキラキラと輝きながら放物線を描く物がある。
ミルーナは泣きながらその物を両手で受け取った。
ミルーナがダーリを見ると、すでに胸下まで消えていた。
「ダーリっ! 消えていく感覚ってどんななのっ!」
「消えていく所が熱いんだ。何かお湯に浸かっていくような感じだ。それと痺れてる。消えた所は感覚がない」
ミルーナはダーリを見詰めたまま何度も頷いた。
「エルマに伝えてくれよ。この世から消え去っても、お前を愛――」
ダーリは言葉を止め、目を見開いた。
ミルーナが振り返ると、抱き帯をしたエルマが呆然と立っていた。
「エ、エルマっ!」
「――そ、ウソよ…… なんで、なんでダーリなのっ! いやあっ!」
エルマはダーリに走り寄るが、不可視な壁に跳ね返された。
ダーリは哀しげに地面に転がるエルマを見詰める。
「会いたくなかったのに」
「ダーリっ!」
エルマは不可視な壁に縋り付き、肩まで消えかかっているダーリを見上げた。
ダーリはエルマに顔を近付ける。
「愛してる、エルマ」
エルマはダーリの瞳をしばらく見詰め、目を閉じ不可視な壁に唇を押し当てる。ダーリは不可視な壁越しに、エルマへ最後の口付けをした。
エルマの唇から不可視な壁の感触がなくなっていく。エルマの閉じたままの瞳から止めどなく涙が溢れ、口から嗚咽が洩れた。
「――エルマ」
ミルーナは力なくエルマの隣りに立つ。エルマは思いっきり目を見開き、ミルーナを突き飛ばした。
「ダーリを返してよっ! あんたと組まなかったら、ダーリは消えなかったっ!」
ミルーナは呆然とエルマを見詰める事しか出来なかった。エルマはミルーナに掴み掛かり、胸元を何度も殴り出した。
「ダーリを返してよっ! 何が警羅姫なのよっ! 何にも出来ないじゃないっ! ダーリを返してえ! ダーリを…… ダーリを……」
ミルーナは胸元に額を当てるエルマの肩を抱き締めた。
「ごめん、エルマ。何にも出来なくて……」
ミルーナは手の中にあるダーリの指輪を見詰め、溜め息を吐いた。
エルマとハルマをクーイットに預け、自分は研究所の所長室に座っている。本当ならエルマに詰られようと自分の気がすむまで側にいて、少しでも慰めていたかった。だが、ダーリは職務中に消えた。しかも、指輪を投げよこした。消えていくダーリはすでに覚悟を決め、警羅としての使命を全うしようとしていた。
「――ホント、あんたは真の警羅だよ」
「ミルーナ、ダーリが消えたってホントか!」
そう部屋に飛び込んできたのは、部屋主のマックスウェルではなく、エルファンドだった。
ミルーナはその顔を見た瞬間、涙腺が緩む。
「なんで、なんで、あんたがいるのよ」
エルファンドはミルーナの隣りに座り、涙を零すミルーナを何も言わずに強く抱き締めた。
「――エルファンド、あたし、何も出来なかった。ダーリを捜査から外す事だって出来たのに、あたし、巻き込んだ」
「ミルーナの選択は間違ってはいない。そもそも一番最初に攫われた警羅の隣りにいたのは、ダーリだ」
ミルーナはエルファンドの胸を押し、身体を無理やり離した。
「あたしと関わったから、ヤーシャもヒューメルもダーリも他の警羅も攫われたんだ。やっぱり、あたしは死の」
エルファンドはいきなりミルーナの口を口で塞いだ。
ミルーナはしばらく呆気に取られていたが、慌てて顔を引き剥がし、思いっきりエルファンドの頬を平手打ちした。
「エ、エルファンドっ!」
エルファンドは打たれた頬など気にもせずに、ミルーナの肩を持ち、ミルーナの瞳を真剣に見据える。
「口にするな。絶対に口にするな。絶対に違う。どんなに周りが言おうとも、俺とクーイットが生きている限り違うんだ」
「でも、流行病に掛かって生死の狭間を彷徨ったじゃない」
「でも、生きてる。死んでない。病気なんて誰でも掛かる。それに今回の事件は、お前と関わっていない区民も攫われている。自分を責めるな」
ミルーナは涙目のまま、エルファンドを見詰めた。
「でも……」
「いいか、ミルーナ。ダーリはお前に何を託したんだ? ダーリの希望を託されたんじゃないのか? ダーリはお前に何を望んでいるんだ?」
ミルーナはエルファンドの左目を見詰めた。ミルーナはエルファンドの右目の眼帯に手を掛ける。
エルファンドは咄嗟に顔を引いた。
「なんだよ」
「眼帯とって」
エルファンドは溜め息を吐き、眼帯を外しミルーナを見詰める。
ミルーナは銀緑に輝く右目を見詰め返し、大きく頷いた。
「うん。やっぱり両目がいい。エルファンド、あたしと会う時は眼帯外して」
「なんで?」
ミルーナは軽く口を尖らせる。
「眼帯なんかしてるから、知らないエルファンドに見えるのよ。眼帯なんかされてると調子が狂うのっ!」
エルファンドはミルーナに苦笑いを浮かべた。ミルーナに活力が戻ってきている。
「分かったよ。二人っきりになった時には外すよ」
エルファンドはそう言ってミルーナに片目を瞑る。
ミルーナは小首を傾げたが、次の瞬間、その真意に気が付き、エルファンドの腹部に拳を突き出した。
「あんたはっ!」
「気力が戻ってきたようだね」
扉が開き、マックスウェルがオーパを連れて入ってきた。
「マックスウェルさんっ! ダーリの記録を見せてっ! ヒューメルの記録を見せてっ!」
マックスウェルは自席に座り、ミルーナに手を差し出した。
「指輪を」
「見せてくれるの、くれないの!」
マックスウェルは肩を竦ませ、出した手を上下させた。
「ダーリの記録は見せて上げるよ。ヒューメルの記録は見せられない」
「なんでっ! ダーリはヒューメルの記録を見て、手掛かりを得たの! あたしだって見たい!」
「見たって何もならないって事だよ。ダーリはヒューメルの記録を見て動いた。ミルーナはダーリの行動を無駄にする気なのか? ダーリの行動をまるっきり同じようになぞれるのか?」
ミルーナはマックスウェルをしばらく見詰め、溜め息を吐いた。
「遠回しに言わないでよ。あたしはヒューメルの記録を踏まえてダーリの記録を見たいだけ。でも、それが無駄って事ね」
「無駄だね。警羅姫の冠が支障をきたすいい例だよ。ダーリの記録を見て、警羅姫なりの行動を取るしかない」
ミルーナはマックスウェルを見詰め、大きく頷いた。
「分かった。でも、ヒューメルの記録、マックスウェルさんも一緒に見てたんだよね」
マックスウェルはミルーナの瞳を見詰め、苦笑いを浮かべた。
「ヒューメルの記録を見て何も気が付かなかった僕の失態だよ。申し訳ない」
ミルーナは鼻息を大きく一つ吐き、マックスウェルに指輪を渡した。
「警羅と術士の差だよ。ダーリの記録を見せて」
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小説『グロッサム』後書き
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