第三章 1.2
病院を後にしたミルーナとダーリは、足取りも軽く、通りを歩いていた。
ミルーナは大きく伸びをしながら、夕暮れ迫る大通りを眺めた。
「んー! すごい大きな一歩だ!」
「だな。これで注意を促す事が、少しは出来るし」
ダーリは左人差し指に違和感を感じ指を見ると、指輪の石が微かに光っていた。
「あ、いけね。研究所に行かなきゃ」
ミルーナは指輪の石を見て、肩を竦ませた。
「報告時間になると光るんだ」
「そう。光るだけじゃないんだよ。忘れてると、ビリって痺れるんだ」
ミルーナは苦笑いを浮かべた。
「さすがマックスウェルさん。用意周到だ」
ダーリは通りを走る辻馬車を見て、ミルーナに手を上げた。
「じゃ、ちょうど辻馬車が来たから」
ダーリはそう言って走り出し、辻馬車に手を振った。馭者は手綱を引き、馬のスピードを殺す。ダーリは辻馬車の乗車口の支柱に手を掛け、馬車に飛び乗り、ミルーナに手を振った。
ミルーナはその姿を見て、手を振り返し、大通りを歩き出す。
「――取りあえず、本部に報告しなきゃダメか」
ミルーナはそう一人頷き、夕暮れの大通りを走り出した。
ダーリは指輪が帰ってくるのを、研究所の一室で待つように言われた。
ダーリが部屋に入ると、そこには数人の男達がいる。恐らく自分と同じように指輪を待っている男達だろう。
ダーリは壁際のソファに座り、部屋を眺めた。そこにいるのは、帝国戦士が一人、商人風の男が二人、農夫が三人、職人風の男が一人だった。
商人風の男と職人風の男は何か話をしている。農夫達も固まり話をしていた。
「よう、警邏の兄さんも指輪を渡された口?」
そう言ってダーリに帝国戦士が近付いてきた。ベルトのバックルは、下位戦士ダークハンターの上級位である銀を示している。
ダーリは戦士に愛想笑いを浮かべる。
「そう」
「研究所の連中は、相変わらず訳が分かんねえ研究してるよな。健康促進研究ってなんだよ」
ダーリは戦士の話に合わせるように頷いた。
「そうだね。たぶん、流行病が蔓延しちゃって、多くの人間が死んだから、それで上から言われたんじゃないかな?」
戦士はダーリの言葉に顎を撫でた。
「なるほど。そういや、警邏連中がかなり動いてるけど、なんかデカい事件でもあったのか?」
「まあ、そんなトコロ」
戦士は顎を撫でながら、窓の外を見た。
「上層部はなんか慌ただしい動きしてるし、警邏はバタバタ。流行病から落ち着かねえなあ」
「そうだね。早く前みたいに戻るよう頑張るよ」
戦士はダーリに苦笑いを浮かべた。
「あ、すまん。別にケチ付けたわけじゃねえんだ」
ダーリは戦士に笑い返す。
「分かってるさ。でも、不安な世論が出るのは、警邏がしっかり動けてない証拠だしね」
戦士は頭を掻いた。
「警邏だけじゃねえよ。帝国戦士がしっかり動けてない証拠でもあるからな」
扉が開き、研究員が顔を覗かせ、ダーリではない名前を口にする。
戦士が軽く手を上げた。
「あ、俺。じゃ、互いに頑張ろうぜ」
戦士はダーリに手を上げ、入口に向かう。
ダーリは軽く溜め息を吐き、夕焼けが見える窓に視線を移した。
自分は今、事件中枢に近い場所に立っているのを、改めて痛感していた。指輪を配られた戦士や一般区民とは、全く違う立場にいる。
「お待たせしました、ダーリ・エンダさん」
ダーリは名前を呼ばれ、立ち上がり、入口にいる研究員を見た。
「はい」
ダーリは研究所を後にし、その足で警邏本部に向う。本部の捜査本部がある部屋に入ると、同僚の警邏が二人、振り返った。
「よ、ダーリ、お疲れ。ミルーナと一緒じゃないのか?」
「これの報告日でね」
ダーリは同僚達に指輪を見せ、肩を竦ませる。
「ああ、研究所に寄ってたのか」
「そう。ミルーナは帰っただろ? 札が裏返しになってるから」
ダーリは自分の札も裏返しにし、同僚達を見た。
同僚達は肩を竦ませ、ダーリを見る。
「いいよなあ、ダーリは」
「何が?」
「だってよ、ミルーナと組んでるんだからよ。あいつ、やっぱり警邏姫だけあって、着実に糸口探してくるだろ? それに深夜外勤務がねえし」
ダーリは水桶から水を汲み、カップを口にした。
「そのミルーナは、深夜外勤務が出来ないって嘆いてたけどね」
「これ以上ミルーナに活躍されたら、俺らの立場がねえっつうの」
同僚達は肩を竦ませた。ダーリは苦笑いを浮かべる。
「確かに。そういや、この時間にはいつもここにいるヒューメルは、どうしたんだ? 聞きたい事あったんだけど」
同僚達は顔を見合わせ、ダーリに首を振った。
「知らないのか? ヒューメルのヤツ、今日の午後、攫われたよ」
ダーリは唾を飲み込んだ。
「――あいつ、指輪してたよな」
「してた」
「報告日はいつだったんだ?」
同僚達は顔を見合わせ、首を捻った。
「さあ…… あ、でもあいつ今日だけ午後出になってたから、午前中とか?」
ダーリは急いて踵を返した。
「ダーリ、どうした?」
「研究所行く!」
同僚達はダーリの唐突な行動に首を捻った。
ダーリは研究所の門番詰所に飛び込んだ。
「すまん! マックスウェル様に会いたい! ダーリ・エンダ、警邏のダーリだっていえば分かる!」
門番はダーリの血相を見て、慌てて詰所にいる研究員を見た。研究員は門番とダーリに首を振った。
「エンダさん。生憎、本日所長はいらしてませんよ」
ダーリはしばらくその研究員を見詰め、思案をした。自分が今一番何をしたいのか、今一番何を知りたいのかを考えた。
自分が一番知りたいのはヒューメルの行動記録だ。そこに絶対糸口がある。
「――じゃあ、この指輪の件で話が通じる人にどうしても会いたい」
研究員はダーリの左人差し指を見て、頷いた。
「分かりました。グラグル様が所長の代理で来ているので、聞いてみましょう」
研究員は徐に目を閉じ、微かに眉間に皺を寄せた。
ダーリと門番は研究員をしばらく見詰めている。
研究員は息を吐き、ダーリに瞳を向けた。
「エンダさん。研究所入口入って右脇の待合室に行って下さい」
ダーリは大きく頷き、門番と共に詰所を出た。
ダーリが待合室の扉に手を掛けると後ろから声が掛かった。
「えーっと、エンダさん?」
ダーリが振り返ると、萌黄色の軽い癖っ毛の細身の男が立っていた。
「はじめまして。僕はオーパ・グラグルです。今日はマックスウェル様の代理です」
オーパはそうダーリに微笑み、手を差し出した。
ダーリは慌てて服で手を拭き、オーパの手を握り返す。
「警邏のダーリ・エンダです。お忙しい所すみません」
オーパは軽くダーリの手を握り返し離した。
「そんな忙しいってほどではないですよ。それよりエンダさんの方が、切羽詰まった感じがしますけど」
「どうしても話を聞いて欲しいんです」
オーパは軽く首を傾げ、真剣な表情のダーリに微笑んだ。
「うーん、そうですねえ…… ここじゃなんですから、マックスウェル様の部屋に行きましょう」
ミルーナとエルファンドと共に来た部屋に、ダーリはオーパの後に続き入っていく。
オーパは手際良くティーを用意し、ソファテーブルに置き、入口に立ったままのダーリに微笑んだ。
「座って下さい。まずはティーでもどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ダーリはソファに座り、カップに口を付ける。だが、味なんて緊張で分かったモノじゃなかった。
オーパはダーリの様子を一瞥し向かいに浅く腰掛け、ティーをゆっくり口にした。
「ああ、美味しい。日が落ちると、最近はグッと冷え込んできますよね」
オーパはダーリにそう笑い掛けた。ダーリはオーパに少し笑みを浮かべ頷いた。
「そうですね。秋の訪れは毎年早いですからね」
「本当に日が落ちるのが釣瓶落としみたいに早くなりましたし。もう一ヶ月もすれば初雪の時期ですしねえ」
オーパはすっかり宵闇が支配する窓の外を見た。
「ところで、エンダさんのお話はどんな話なんですか?」
オーパはダーリがティーを飲み終わったのを確認し、二杯目のティーをカップに注ぎながら、話を促した。
ダーリはヒューメルの話を自分の見解をオーパに早口で話し出した。話しながら、マックスウェルやエルファンド、ティコ達に話すより緊張がない事に気が付いた。オーパは終始優しげな笑みを浮べ、ダーリの話を聞いている。この話し易さはオーパの物腰の柔らかい口調とその笑みからくるのだと、ダーリは話し終えて、ティーを口にしながら思っていた。
オーパは軽く指を蟀谷に当て、首を傾げていた。
「うーん、そうですねえ…… まずはそのヒューメルさんの行動記録がいつまで記録されているか、確認してみましょう。少し待っていて下さい」
オーパはそう言ってダーリに笑い掛け、部屋を出ていった。
ダーリは時間が掛かるものだと思って、伸びをした所にオーパは戻ってきた。
「エンダさん」
ダーリは慌てて、手を降ろし、オーパを振り返った。
「は、早かったですね」
オーパはソファに座り、水晶玉を四角い小さな座布団と共にテーブルに置いた。
「研究員に聞いたらすぐに分かりましたから。やっぱりエンダさんの言う通り、ヒューメルさんは今日のお昼頃、研究所にいらしたようですね」
ダーリは唾を飲み込み、水晶玉を見詰めた。
「では、これがヒューメルの行動記録……」
オーパはダーリに頷き、水晶玉に片手を翳した。
「さっそく見てみましょう」
「え。いいんですか?」
オーパはダーリの言葉に首を傾げた。
「ヒューメルさんの記憶にヒントが隠れているなら、致し方ないと思いますよ。それに、もう、ヒューメルさんは戻ってこれませんし」
ダーリは驚いたようにオーパを見た。
「も、戻って来れないって、どういう事ですか?」
オーパはダーリを見て、慌てて口を押さえた。
「グラグルさん。どういう事ですか」
オーパは額に手を当て、目を瞑った。
「マックスウェル様、ごめんなさい…… 口が滑りました」
「たく。何してるんだ、オーパ」
ダーリはその声に目を見開き、豪勢な書机を見た。いつの間にか、マックスウェルがそこに座って、書類に目を通していた。
「ま、マックスウェル様、いつの間に!」
ダーリは思わず立ち上がっていた。
「んー…… ダーリが水晶玉に気を取られている時かな。ちょっと戻ってきただけだから、すぐに失礼するけど」
「マックスウェル様、ヒューメルが、攫われた人間が、戻って来れないってどういう事ですか?」
「言葉通りだよ。なんで攫われたのか分からないけど、大の大人、しかも男ばかりが攫われているんだ。どう考えたって、生きて無事に帰ってくる確率は物凄く低いだろうね。ダーリは警邏なんだから、正確な情報を感情抜きに判断を下した方がいいと思うよ」
マックスウェルはダーリを一瞥し、再び書類に目を通し始めた。
「ま、同僚達が次々と攫われたら、感情抜きになんて出来ないのは分かるけどね。オーパ、そのヒューメルとやらの記憶、僕にも見せてくれ」
ダーリはマックスウェルをしばらく見詰め、力なくソファに座り直した。
マックスウェルが言った事に、間違えていると反論出来ない自分がいた。ヤーシャもヒューメルも他の同僚達も無事にいて欲しいと思うのは、希望的感情だ。その反面、十中八九生きて会えないとも思っていた。
「エンダさん……」
ダーリが顔を上げると、哀しげに顔を歪めているオーパがいた。
「グラグルさん。頭では俺も分かっていた事ですから…… ヤーシャが攫われた時、もう会えないと思ったのも事実ですし。始めて下さい」
オーパは頷いて、水晶玉に手を翳した。
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小説『グロッサム』後書き
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