第二章 3.8
直轄区に戻り、他の護衛騎士団頭や帝王に報告を済ませ、護衛騎士団寮の自室に帰ってきたマックスウェルの姿があった。
マックスウェルは溜め息を吐きながら長外套をはずし軽く長外套を投げる。長外套はフワリと一人でに外套かけに引っ掛かった。
「全く…… 野営になるとはね……」
着替えをしているマックスウェルの後ろで、この地では物凄く珍しいかなり高価な品である陶磁器のカップやティーポットが宙に浮き、ハイティーを淹れていた。
着替え終えたマックスウェルが振り返ると、ちょうどいい高さにカップと受け皿があり、カップの中からハイティーの薫りがゆらりと立ち上ぼっている。
マックスウェルはそれを手に取り窓辺に立ち、ハイティーの香りと味を楽しむようにゆっくりと口を付ける。
「やはり、ハイティーはアシュアリン領産に限るね」
マックスウェルはカップに笑い掛け、再び口を付けた。
ハイティーを飲む仕草はゆったりとしていて優雅な雰囲気を醸し出しているが、眉間の皺と夕暮れ迫る窓の外を見詰める瞳が、それを否定していた。
一見平和そうに見える夕暮れ風景だが、この瞬間にも未だ解明すら出来ていない術で、帝国民が拉致されているかもしれない。
例の指輪を身に着けていた帝国民が昨日までに六人、警羅が四人、連れ去られている。
その人間達の過去を検証しても特に怪しい箇所も見つからず、さらに、あの訳の分からないアンデッドの出現。一見、灰色熊と人間の掛け合わせのようなアンデッドだったが、それだけではないような気が、マックスウェルにはしていた。
ただ、言える事は、この帝国を陥れようとしている敵がいて、その敵は魔光界系術を使っている。キースの対アンデッド術が効いた事がそれを物語っていた。
「冥界にも魔界にも属していないアンデッドねえ……」
マックスウェルは窓の外を見ながら、ガイルが散々言っていた台詞を独り言ちる。
彼の頭脳に蓄積された様々な知識がいくつかの推測を弾き出したが、それを立証するには全くと言っていいほど事実がない。だが、ガイルの台詞で二つの推測が消えたのは確かだった。
マックスウェルはカップを傾け、ハイティーが入ってないのに気が付き、肩を竦ませた。
「もう飲んでしまったか…… 取りあえず、目先の問題から片付けないと、ゆっくり楽しむ時間もないか」
マックスウェルはカップを受け皿に置き、歩き出しと共に受け皿を離した。彼が扉を開けた時、カップと受け皿は洗い桶の中に入っていく。
マックスウェルが扉を閉め、入った部屋を見渡し口の端を上げる。部屋の中央にあるソファセットで振り返るオーパの肩越しに、キースの顔が見えた。
「マックスウェル様」
オーパはソファから立ち上がり、マックスウェルの側に寄ってきた。
「相手をさせてすまないね」
「いえ。それより、もう、会議は終わられたのですか?」
「報告だけだからね。材料が揃ってなければ何も出来ないよ。それよりキースはどう?」
オーパはソファのキースを一瞥し、マックスウェルに苦笑いを浮かべた。
「全く、反応なしです」
「そう。青はご飯とか食べた?」
オーパはますます苦笑いを浮かべた。
「食べた事は食べたんですが、どうして犬みたいなんでしょう、青は……」
「父親の力だからね、青は。まあ、食べたならいい。オーパ、ちょっと出かけるから、研究所、お願いね」
「どちらに」
マックスウェルはオーパにただ笑みを浮かべた。その笑みだけでオーパは行く先をくみ取ったらしい、小さく頷きマックスウェルの瞳を見詰めた。
「――畏まりました。何か分かりましたら、いつものようにお知らせいたします。では」
「よろしくね」
オーパはマックスウェルに一礼をし、部屋を出て行った。
マックスウェルはオーパを見送ると、ソファの隅で犬座りするキースの前に軽く腰を屈める。キースはマックスウェルを睨み付け低い唸り声を上げていた。
「そんなに威嚇しなくても、取って食べたりはしないよ」
マックスウェルはキースの頭を撫でようとすると、キースが咄嗟に頭を動かしマックスウェルの手を避けた。
「嫌われたなあ」
「あれだけの仕打ちをしたら嫌われても同然でしょう」
マックスウェルは隣りに立つ、マリアラードに口を上げた。
「赤を押さえるだけで、必死だった?」
マリアラードはマックスウェルに肩を竦ませた。
「分かっているなら、聞かなくてもいいんじゃない? 赤だけでも押さえておかなければ、貴方といえども無傷じゃいられないでしょうに」
マックスウェルはマリアラードに撫でられているキースを見詰め、肩を竦ませた。
「キャルの部隊を狙われなくて良かったよ」
「空腹で目の前に良質で美味しそうなお菓子の山と普通のお菓子があったら、山を狙うでしょうね。特に赤と青は幼いから。最初は赤も青も押さえていたんだけど、キースが一瞬動いてね、その隙をつかれて青が飛び出したの。悪い事したわね、マックスウェル」
マックスウェルは姿勢を直し、首を軽く振った。
「いや、撫子さんが謝る事じゃないよ。むしろ助かったし。で、今キースはどうなってるの? オーパの呼び掛けにも反応なかったみたいだけど」
マリアラードは肩を竦ませ、キースの頭を再び撫でた。
「マックスウェル、貴方は胎児を見た事ある?」
「胎児? ああ、見た事あるよ。ソフィアが妊娠中に何度かね」
マリアラードはマックスウェルの横顔を一瞥し、キースに再び視線を落とした。
「純粋な親心で見たのかどうかは聞かないけど、あんな状態よ。闇の中で丸くなっているわ」
マックスウェルはマリアラードの言葉に片眉を上げた。
「純粋な親心さ。僕のように虚弱体質だったら心配だし。――そう。丸くなって拒絶しているわけか……」
マックスウェルはいきなり青キースの頭を鷲掴みにした。
油断をしていた青キースが獣のような悲鳴を上げ、その場に崩れる。
「何したの!」
マリアラードは慌てて力ないキースの身体を抱き抱え、マックスウェルを睨み上げた。マックスウェルはゆっくりと口角を上げた。
「青と赤を一時的に封じて、キースを表に引っ張りだしただけだよ。そうしないと、骨抜きに出来ないからね」
「何をする気なの! いくら貴方でも許さないわよ!」
マックスウェルはマリアラードの怒気を見て、わざと肩を竦ませた。
「おお、怖い怖い。撫子さんも封じておとけば良かった」
マックスウェルは徐に手を叩いた。マックスウェルの後ろに空中から現れ跪く男を、マリアラードは睨み付けた。
「お呼びでしょうか」
「うん。馬車の用意をして。椿に行くから」
「畏まりました」
男はマリアラードを一瞥し、再び頭を下げ床に消えていった。
マリアラードはマックスウェルを見上げる。怒気は収まったが、今度は呆れた表情になっていた。
「骨抜きってそういう事なの?」
マックスウェルはマリアラードに笑い掛ける。
「それ以外に何があるの?」
「――だ」
マックスウェルとマリアラードは驚いて、彼女の胸に抱かれたキースを見た。
「キース?」
キースは眉間に皺を寄せたまま、口を開いた。
「ど‥に連れ‥く気‥んだ」
「キース」
マリアラードがキースの頬に触れる。
「気が付いたのね。喋らないで」
キースは目をうっすらと開け、マックスウェルを睨み付ける。
「赤と青を離せ」
マックスウェルはキースに口の端を上げた。
「苦しいか? お前が逃げるからいけないんだよ。逃げてどうなるモノでもない。お前が苦しいのは、赤も青もお前だからだ。いつまでもそうやって拒絶していると、大切なモノを失う羽目になるよ。あの女の子のようにね」
キースはマックスウェルをさらに睨み付けた。
「――どういう意味だ」
マックスウェルは笑みを浮かべたまま肩を竦ませる。
「僕は事実を言ったまで。あの女の子はキースの大切な人だった。女の子は殺され、キースはその子を失った。それは事実だろ?」
「マックスウェル様はアチャルが死ぬのを知っていたみたいだな」
マックスウェルはキースの言葉に顎を撫で始めた。
「うーん、そうだねえ…… まあ、そのアチャルとかいう子を知っていたわけじゃないから、なんともいえないけど、もし、その子が普通の子なら、あそこで殺されなくても近い将来」
マックスウェルはそこで一端言葉を止め、キースをジッと見詰め、再びゆっくりと口の端を上げた。
「お前に殺されてたかもね」
キースは返す言葉を失い、ただマックスウェルを呆然と見詰め返す事しか出来なかった。
「やめて、マックスウェル! 貴方って人はっ!」
マリアラードは堪らずにキースを抱き締め、マックスウェルを睨み付けた。
マックスウェルはマリアラードに笑い掛ける。
「なに? 母親代わりにでもなったつもりなの? そうやって撫子さんが甘やかすからいつまで経ってもイジケ虫なんだよ。石は石らしくさっさと融合した方が身の為だよ」
「撫子さんを侮辱するな」
キースはマックスウェルを睨み付けた。
マックスウェルは声を上げて笑い出す。
キースはさらにマックスウェルを睨み付けた。
「何がおかしい」
「口ばかり一人前か。女の腕の中から睨まれてもただただ滑稽なだけ。やはり骨抜きにしておくのが一番だな」
マックスウェルがそういい終わると同時に、キースに手を翳した。キースと撫子は何かに弾かれたように壁に吹き飛び、撫子は壁に当たったと同時に砕け散り、キースは壁下に崩れる。
マックスウェルが手を叩くと、彼の前に現れたのは、先ほどとは違う男だった。
「出発準備は出来ております」
「そう。じゃあ、連れていって。彼が気が付いたらこれを渡して」
マックスウェルはいつの間にか手にしていた大振りのアメリクサを差し出した。
男はそのアメリクサを目を見開きつつ、受け取った。
「随分と大きなアメリクサですね」
「まあね。元聡明の撫子だからね。融合しないなら邪魔なだけ。今のままではキースの為にならない。当分、石でいるといいよ」
男の手に渡ったアメリクサが、マックスウェルの言葉に怒りを表すかのような光を見せた。
男が気を失ったキースを指差すと、キースはそのまま宙に浮き始める。
マックスウェルはその姿を横目で確認し、男に笑い掛けた。
「じゃ、よろしくね」
「マックスウェル様は」
マックスウェルは男に微笑んだ。
「ちょっと故郷に帰って調べ物をしてくるよ。気になる事があってね」
「では、お供に」
マックスウェルは男に首を振った。
「いや、ジンシャルを連れていくから大丈夫」
男は納得したように頷いた。
「畏まりました。では」
男が一礼と共に床へ消えていく。それと同時にキースも消えて行った。
マックスウェルは軽く溜め息を吐き、首の凝りをほぐすように左右に頭を動かした。
「――撫子さんの事言えないなあ。僕も甘いね」
マックスウェルはキースが消えて行った床を見詰め、ゆっくりと口の端を上げた。
「ま、いいか。楽しませておくれよ、キース」
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小説『グロッサム』後書き
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