第二章 3.2
ガイルは自分の隣りに立つマリアラードを見た。
「撫子さん」
マリアラードはガイルに母親のような笑みを浮かべ、キースの背中を眺めた。
「親友の貴方だから、キースは話したのよ。キースの親友だから私は姿を見せるのよ。それは貴方を信頼しているって証拠にならないかしら? だから、同情されたくないキースの気持ち分からないかしら?」
そう言われたガイルはしばらくキースの背中を見詰め、いきなり走り出した。ガイルはキースの目の前に躍り出ると、思いっきり胸倉を鷲掴みにした。
「なんだよ、手離せ。触るな」
キースは眉間に皺を寄せ、ガイルを琥珀色越しに見据える。キースの瞳には明らかに不快な表情が出ていた。
ガイルは胸倉を掴む手にさらに力を入れる。ここで言わなければいけないような気がしていた。ここで言わなければ、言う機会がこないような気がし、ますます、腕に力が入った。
「――だからな!」
「何が」
「――なしだからな! もう、隠し事はなしだからな! だから、俺に話せよ! お前が抱えている全部、俺に話せよっ!」
撫子はガイルの無茶苦茶な言葉に肩を竦ませた。
キースはしばらくガイルの真剣な顔を見詰め、口を震わせたかと思うと、思いっきり吹き出し、声を上げて笑い出した。
「なっ、なんで笑うんだよっ!」
キースはまさに腹を抱えて笑っている。ガイルはなんで笑われているのか全く分からなかった。
キースは一頻り笑い、ガイルの力が緩んだ腕を払った。
「だが、断る」
キースの瞳がガイルを鋭く射貫いていた。
「ど、どうしてだよ! なんで俺まで拒絶すんだよ!」
キースはガイルの言葉に少し目を見開いた。
「拒絶…… 拒絶なんてした覚えはない」
ガイルは子供が駄々を捏ねるように激しく首を振った。
「してる! お前はあの日から今の今まで、俺さえ拒絶してる! 俺は同情なんてしてないし、お前の力になりたいんだよ! もっと昔みたいに話せよ! 答なんて出せねえけど、昔みたいに聞く事ぐらいは俺にだって出来る!」
キースは自分に苦笑いを浮かべた。六年間、ガイルを無意識のうちに傷付けていた事に、キースは気が付いた。
「ガイル、すまない。話してどうかなるなら話してるよ。不安定なガイルに負担を強いてしまうんじゃないかって、勝手に思っていた。不安定だろうがなんだろうが、全く関係なかったのにな」
ガイルはキースを黙って見詰めていた。キースは撫子を一瞥し、再び、ガイルを見る。
「それは俺が勝手に付けた言い訳に過ぎなかったんだよな。ガイルを拒絶する為の。正直、未だに身体に触られるのは、苦痛なんだ。身体が無意識に拒絶する。
赤と青の事も、自分でさえ全て掴みきれてないんだ。
あの日、自分のベッドで目を覚ましてから、赤と青は全く成長してない。成長してないのに、力を蓄えていく。いつか、知らない間にガイルに危害を加えそうで怖かったんだよ」
「だからってよ」
「そう。ガイルを全て拒絶する事はなかったんだよな。拒絶しているつもりはなかったんだけど」
キースは再び苦笑いを浮かべた。
「でも、話してどうかなるわけじゃない事は分かってくれ」
ガイルは頷いた。
「その辺は話されても分からん。でもよ、疲れたとかなんていうか、もっと意思表示してくれよ。俺はキースを裏切ったりしねえから。でも、久しぶりにキースの笑い声聞いたよ。なんか安心した」
キースは頭を軽く掻き、歩き出した。
「極力感情殺そうとしてたからな。ガイルの前でも」
「それなしな。でも、なんで大笑いしたんだ? すんげえ、真剣に言ったのによ」
キースはガイルに肩を竦ませた。
「あれは惚れた女にいう台詞だよ。惚れた女が一人悩んで傷付いたを知った男の台詞だ」
「ええ。そうかなあ」
キースはガイルに口の端を上げる。
「撫子さんもそう思ってるはずだよ」
ガイルはキースの隣りを歩くマリアラードを見た。
「そう?」
「そうね。何か悩みを抱えている恋人や奥さんにいう台詞かしら。ガイルはキースの支えになりたいのね。いい事だと思うわ」
ガイルはマリアラードに大きく頷いた。
「そう、それ! 親友が困ってたらそう思うのが当たり前だろ?」
「そうね。ガイルは今までも充分支えになっていたのよ。ガイルがいなかったら、キースは未だに部屋から出なかったと思うわ」
キースはマリアラードを軽く睨み付けた。
「撫子さん」
「あら、本当の事でしょ? キースが部屋から出たのも、笑顔を取り戻したのも、ガイルとあの女の子のお陰じゃない」
キースはマリアラードから視線を外すと、ガイルの視線にぶつかった。
「な、なんだよ」
「女の子ってアチャルの事?」
キースはガイルから視線を外し、前に視線を固定し、口の端を下げた。
「そうだよ、悪いか」
ガイルはその表情にキースの照れを見付け、口をニンマリ広げた。
「いーや。それを聞けて安心した。お転婆だけど、よろしくな」
キースは無言のまま、歩幅を広くし、一人、先を歩き出した。
ガイルはマリアラードを見て、口の端を上げる。
「照れてる?」
マリアラードはガイルに頷く。
「照れてるわね」
ガイルは嬉しそうにマリアラードに笑い掛け、キースの首を後ろから脇に抱え込んだ。
「が、ガイル、離せっ!」
「離すかっ!」
キースはその腕から力尽くで抜け出し、反対にガイルの首を脇に抱えた。
「何すんだっ!」
「お前こそ、何すんだっ!」
ガイルも抜け出し、再びキースの首を脇に抱え込もうとしたが、キースはその腕を躱し、数歩前に走り逃げた。ガイルはそのキースに再び挑むが、やはり躱されている。
マリアラードはその二人に肩を竦ませた。
「何だかんだ言っても、まだ子供ね」
マリアラードはキースを見詰め、戯れて笑っている表情に少し胸を撫で下ろした、と同時に寂しさを覚えた。前世と比べても仕方がない事は重々分かっている。でも、マリアラードは比べてしまう。惚れた腫れたなどの感情は疾うの昔になくなっている。だが、若い現世を見ていると、その残滓が脳裏に過ぎる。
「――撫子さん」
マリアラードはキースの声で慌てて顔を上げた。キースとガイルがマリアラードを手で呼んでいる。いつの間にか、マリアラードは歩むのをやめていたようだった。
マリアラードはキースに笑い掛け、姿を消した。
キースはガイルに肩を竦ませ、歩き出す。ガイルは首を傾げた。
「撫子さん、どうしたの?」
「時々体があった頃の事思い出すみたいだよ。魔光界屈指の孤高の術士ウォルティス・アギフォルナに惚れ抜いていたから」
ガイルはキースから聞いているマリアラードの現世を思い出していた。
「うーんと、撫子さんはあれなんだよな、魔光界前々帝王の右腕って言われていた宮廷術士なんだよな? 生涯独身で通して、今の魔光界宮廷術士の基本を作ったっていうすんげえお偉いさん」
「ガイルが何を持って偉いって判断してるか分からないけど、確かに撫子さんは偉人だと思うよ。ただ、生涯独身だったのはウォルティス・アギフォルナがいたからだろうし、礎を築いたのはウォルティス・アギフォルナの遺言だって聞いている」
ガイルはキースの嫌味に口を尖らせた。確かにマリアラードも竜王もハーツもマックスウェルもプロトメイトの帝王もガイルの中では、一緒くたにお偉いさんだった。
「俺はバカでぃ」
キースはガイルの尖った口に苦笑いを浮かべた。
「別にけなしたわけじゃないよ。ガイルは自分より格上は全て偉い人なんだろうけど、乙女も言っていたろ? あからさまに普段からそういう目で見られたくないって。中にはそうやって見られたくない人がいる事を、肝に命じといた方が身の為だよ」
「うーん、分かんね。もし、見られたくないないなら敬語必要ねえじゃん」
キースはガイルを呆れ返ったように見詰めた。
「ガイル……」
「あんだよ」
キースは首を軽く振った。
「ガイルがそこまで馬鹿…… ああ、違うな。ガイル、そう全てにはっきり白黒つけたがるはどうかと思うよ。それに極論すぎ。世の中、白黒だけで回っていたら、物凄い窮屈な世界だよ。敬語はある種の潤滑油だね。上手く人生渡っていく為の知恵。相手を尊敬しているから使うのが本来の使い方だけど、目上の人間と潤滑な関係にする為でもある。見られたくない人に対してだって、こっちからの敬意は示しておいた方が何かと得。いきなり友人になれるわけじゃないんだから、その辺は弁えた方が利口だよ」
ガイルはキースの顔を見詰めたまま、首を捻った。
「えーっと……」
キースは肩を竦ませ、ガイルの肩を叩いた。
「ようするに、敬語は使わないと損するって事だ。得した方がいいだろ?」
「ああ、確かに損するよりは得した方がいいな…… つか、誤魔化された気がする。そのウォルティスなんちゃらに撫子さんが惚れていたのは分かった。でも、それを思い出すのとどう繋がるんだ?」
キースはガイルの疑問に口の端を歪めた。
「煙に巻けなかったか…… ウォルティス・アギフォルナは俺の直前前世。ウォルティスと俺を重ねて見てしまう時があるんだよ、撫子さん」
ガイルはキースに目を見開いた。
「は? そのウォルティスなんちゃらの生まれ変わりがキースなのか? そもそも、なんで前世が分かるんだよ。俺は全く分かんねぞ」
キースはガイルに肩を竦ませた。
「俺だって分からないよ。撫子さんが、いろいろと教えてくれたんだよ。俺の先生でもあるから、撫子さん」
ガイルは再び目を見開いた。今の宮廷術士の大師と言っても過言ではないマリアラードが、キースを教えている。
あのマリアラードが自ら進んで教えるとは、思えなかった。それはキースに術士を目指す意欲があるからこそ、教えて貰っているのだ。ガイルはそう確信したように頷いた。
「――良かった。やっぱり、諦めてないんだ」
「何を」
「帝国術士になること、護衛騎士団になることだよ」
キースは安直なガイルの言葉に肩を竦ませた。
「諦めるも何も、六年前に成れる状況じゃなくなったんだよ。俺が撫子さんに教えを請うのは、赤と青の制御をする為。自分の魂が持つ力を制御する為だ。それが結果的に術士の勉強になるだけの話だ」
ガイルは寂しげにキースを見た。キースはその瞳を一瞥し、顔を背けた。
「そんな顔するな、ガイル。俺だって……」
キースは言葉尻を濁し、ガイルより先を歩き出した。
ガイルはその背中に、言い表さない答がある事に気が付いた。キースも諦めたくて諦めているわけじゃない。状況がキースを諦めさせている。
ガイルはキースに飛び付いた。
「俺が何とかする!」
キースはガイルの気持ちに苦笑いが浮かんだ。だが、その気持ちだけでも、十分に嬉しかった。
「何とかって何すんだよ」
「何とかするって言ったらするんだよ! だから、無理だって言うなよ!」
キースは無茶苦茶なガイルに肩を竦ませ、ガイルの腕を解いた。
「分かった、分かった。出来るなら何とかしてくれ」
「おう!」
ガイルはキースに満面の笑みを見せた。
「だから、取りあえず、試験受けちゃえ!」
「は?」
「受かっちまえばこっちのもんだろ! 受かった後で考えりゃいいじゃねえか」
あまりにも直球なガイルの策にキースは肩を落とした。
「ガイルに期待した俺が馬鹿だった。俺が推薦蹴りに来たの分かって言ってるよな」
「おうよ! キースが推薦を蹴るのは、家を手伝わなきゃいけないからだろ? だったら、受かっちまえば、こっちのもんじゃねえか」
キースは首を力なく振った。
「俺が推薦を蹴るのはそれだけじゃない。今、帝国戦士になるよりもやりたい事があるからだ」
キースはガイルを真っ直ぐに見詰めた。
「それが終わらない限り、帝国戦士にはならない」
「それってなんだよ」
キースはガイルにゆっくり笑い掛けた。
「ガイルは知らなくていいことだ。ガイルは試験を受けて、護衛騎士団を目指してくれ」
ガイルは首を即座に振った。
「嫌だ! 言ったじゃねえか! 俺になんでも話せよ! 何をするつもりなんだ!」
キースはガイルの真っ直ぐな瞳を覗き込み、口の端をゆっくりと上げる。
「下手したら犯罪者になるぜ。それでもいいなら話すけど」
ガイルは紫苑色の瞳を見詰めたまま、唾を飲み込んだ。
「な、なにをする気なんだ」
「話したらガイルを巻き込む事になるから話さない」
「は、犯罪者って……」
キースがゆっくり瞬きをし、ガイルのオリーブ色の瞳を見据えた。
「――復讐したいヤツがいてね。後三人残ってるんだよ」
ガイルは即座に七年前の事を思い出した。十人の旅の一座が来た七年前、七人がリルエルスで変死した。だが、ガイルはその変死の真相を知っている。
「――キース。覚えているのか?」
キースはガイルにニッと笑い掛けた。
「何を?」
ガイルはキースの問い掛けに口籠った。
「な、何をって、その……」
キースはガイルの優しさに苦笑いを浮かべ、大きく伸びをした。
「ウソだよ。ホント、ガイルは引っ掛かるよな」
ガイルは思いっきり肩を落し、大きな溜め息を吐いた。
「んだよ、キース。まじでビビったじゃねえかっ!」
キースはガイルの肩を軽く叩き、笑い声を上げる。
「さっきから力みっ放しだったから、からかいたくなったんだよ。今回の推薦は蹴るけど、次があるなら、一般で試験受けるつもりで、ハース兄さんと話をしているから」
ガイルはキースにニンマリと笑みを浮かべた。
「なんだよ、そうなら早く言ってくれよ。良かった、やっぱり諦めてなくてさ。俺、正直、キースは田舎で燻っているヤツじゃないと思ってたんだ。絶対に中央で活躍出来るヤツだって。撫子さんの事もそうだけど、赤と青もそうだし。悔しいけど俺より早く上がるんだろうなって思ってた」
キースは肩を竦ませた。
「何言ってんだか。術士と剣士じゃ比べようもないだろ。それにガイルはウバルナ一の腕があるじゃないか。聞いた話じゃ、ウバルナ一ってかなりいい線いくらしいよ?」
「そうなのか? おっしゃ! 俄然やる気が出て来た! 早くアチャル迎えに行こうぜ!」
ガイルはそう言って走り出した。
キースはその背中を寂しげに見詰めている。
「嘘つき」
キースの耳にマリアラードの声が聞こえてきた。
マリアラードの声にキースは口の端を微かに上げる。
「――ガイルは関係ない。ハース兄さんも家も関係ない。これは俺だけの問題だから。俺がやらなきゃいけない事だから」
マリアラードの溜め息が聞こえる。
「――キース。他にももっといい方法はあるはずよ」
キースは即座に首を振った。
「あったとしてもこれ以外考えたくない」
「キース早くこいよ!」
キースはガイルに笑い掛け、ガイルの隣りに走り寄っていった。
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小説『グロッサム』後書き
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