第二章 3.1
キースとガイルは二日を掛けて直轄区境にある検問所に来た。
「役人から見たらとんぼ返りにみえるんだろうな」
ガイルが徒歩で出区する人々の列に並び、人々の頭を眺めている。
キースはガイルの言葉に軽く肩を竦ませ、腰に巻いてある帯袋から本を取り出した。
「さあね。行き来する商人とかはとんぼ返りが普通だろうし、役人だって一日数百数千の人間を扱うんだから、一々覚えてないよ」
ガイルは本を読み出したキースを見て肩を竦ませ、再び前の人々の頭を眺めたり、通路から見える大河を眺めたりして、自分達の番を待つ事にした。
帝王領を流れる大河は豊富な水量を湛え、この国の肥沃な土地の源でもあった。その雄大な流れは変化に富み、絶景と言われる景観箇所をいくつも抱えている。この検問所から出た所にある中洲から景観もその一つだ。
「――なあ。アチャルと合流したらさ、中洲に降りてみね?」
キースは本から目を離さずに、口の端を上げた。
「お前にその暇があればな」
ガイルはキースの言葉で、肩を落とした。
「無理だ。戻ってきたらやる事山程あるじゃねえか」
キースはガイルに肩を竦ませ、ページを捲った。
「戻ってきてすぐじゃないなら、時間取れるだろ。その時ゆっくり観光すればいい」
ガイルはキースに頷き、ニンマリ口の端を上げた。
「だな。そうだ、きっとそん時は紅葉が綺麗だぜ!」
キースはガイルを見据えた。
「本読みたいんだが」
ガイルは苦笑いを返しながら、手で物を勧めるような仕草をする。キースは軽く溜め息を吐き、再び本に目を落とした。
ガイルは本の世界に身を投じたキースに肩を再び竦ませ、大河に目を移した。
大河は膨大な水量を湛え、ガイルの逸る気持ちとは裏腹にゆっくりと流れているように見えた。
ガイルはしばらく、雄大な流れを堪能していたが、人間の河はなかなか流れず、ガイルの爪先が小刻みに石畳を叩き始めた。
「なかなか進まねえな」
「そうだな。今日は出区する人間が多いんじゃないか?」
ガイルはキースの言葉に肩を竦ませ、鈍って来た身体を捩り出した。
キースはガイルを一瞥し、再び本に目を落とす。
「まだ進まねえ」
ガイルは出区ゲートを背伸びしながら、覗いている。
ページを捲るキースも顔を上げ、辺りを見渡した。通路脇の雑木林の影が、並び始めてから一刻はとうに過ぎているのをキースに教えていた。一刻前にいた場所から全くキース達は、動いてない。
「確かに、そうだな」
「んー…… ちょっくら見て来る」
ガイルはそう痺れを切らし、列から飛び出して送迎ゲートに繋がる通路に消えていった。
キースは本に目を落し少し眉間に力を入れると、本から小さな青キースがにゅっと顔を出した。
「前を見て来い」
青キースはキースに笑顔で頷き、本から飛び出し天井際を前に飛び去る。キースはその姿を確認して、再び本に視線を戻した。
「――面白いの飼ってるな」
キースは本に目を落としたまま、目を見開く。見える者がいないと踏んだから、青キースを使ったのだ。
キースはゆっくりと顔を上げ、声がした方を見た。
送迎ゲート用通路に、翠玉色の髪を無造作に結った色白の一人の男が腕を組み壁に寄り掛かっていた。キースは記憶を少し溯ってみるが、男がそこにいたかさえ定かではなかった。キースは近寄ってくる男を怪訝そうに見詰めた。
「何がです?」
男は青キースが飛んでいった方向を顎で差した。
「小さい青いのが本から飛んでいったろ?」
キースは素早く男を観察し、肩を竦ませた。
「虫か何かじゃないですか? 俺は気が付かなかった」
男は帝国戦士の証であるバックルも、帝国術士の証である腕輪も、帝国策士の証であるサークルもしていない。だが、腰には剣を佩し、戦士系の体躯をしている。
「虫ねえ…… お前、なかなか力ありそうだよな」
「力?」
男がキースにさらに近付いてきた。
「そう。どうせ、選考会に来た口だろ?」
「いや。俺は付き添い」
男はキースに口の端を上げた。
「付き添いなら暇だろ? いい話があるんだけどよ、小遣い稼ぎしねえか?」
キースは男に口の端を上げ返した。
「あいにく小遣いには困ってなくてね。他を当たって下さい」
「俺の仕事手伝ってくれりゃいいんだ。退屈しないぜ」
男は食い下がってくる。キースは眉間に軽く皺を寄せ、男を見据えた。
「無理強いは良くないですよ。確かにあれは虫じゃない。だが、あれが見える兄さんも相当力あるね。そんな力のある人間が素姓も知らない人間を雇おうなんて、怪し過ぎる。悪いが他を当たってくれ。俺は波風立てたくないんだ」
男はキースの瞳を見詰め、肩を竦ませた。
「双眸のアリューサかよ。ますます惜しい逸材だなあ。まあ、いい。お前とは縁がありそうだ」
血相を変えて走ってくるガイルを男は一瞥し、足早に去っていった。
「キース!」
キースは本を閉じ、ガイルにやんわりと口の端を上げる。
「助かったよ、ガイル」
ガイルは男が消えていった区内を見詰めた。
「なんだ、あの男」
「まあ、差し詰め、男娼のスカウトだろ? いい小遣い稼ぎ口があるって言ってたから」
「だっ! きっ、キモい!」
ガイルは慌てて両腕を擦った。キースは青キースが飛んで帰って来るのを確認し、ガイルに苦笑いを浮かべた。
「気にすんな。そんなのしょっちゅうだから」
ガイルは本に消えていく小さな青キースを見て、口を尖らせた。
「んだよ。俺が聞いてくるまでもねえじゃねえか」
「青は状況を見る事は出来るが、人には聞けないからね。で、男女一組‥夫婦かな? が騒いでいるようだけど?」
ガイルは肩を竦ませた。
「聞いた話じゃ、その夫婦の娘姉妹がもう三日も帰ってこないんだって」
「ふうん。で?」
「バルファム郷アミア庄の病気の祖父ちゃんだか祖母ちゃんだかのお見舞いに行ったきりらしいよ」
「バルファム郷アミア庄ならここから日帰りで余裕だろうし、直轄区外とはいえ、そんなに治安が悪いわけじゃなかろうし」
「そうそう。夫婦は迎えに来たけど、娘達が帰ってこないんで、母親が祖父ちゃんだか祖母ちゃんだかに文を出したら、娘達は当日に帰ったって返事が来て……」
ガイルは顎を擦り、聞いてきた事をさらに続けた。
「えーっと、でも、娘達は帰って来てなくて、母親が出区しようとしたトコロを父親が止めに入って、うんで、父親が役人に娘達の入区を全ての検問所に確認してもらっているみたいだ」
キースは肩を竦ませた。
「三日間の入区確認するんじゃ時間喰うわな」
「にしてもさ、出区は関係ねえよな」
「夫婦が出区ゲートに陣取っていたら、他の人間を通すに通せないだろ」
キースがそういうと、列が動き出した。
ガイルは溜め息を吐き、ゆっくりと足を進めた。
「やっと動き出したぜ」
前方で検問所警備担当の帝国戦士達が声を上げて、徒歩出区者を誘導している。
キースは顎を撫で、軽く首を捻った。
「なんでこんなに厳重なんだ?」
「帝王の膝元だからじゃね?」
キースは九年前を思い出し、今の状況と比べてみる。入区の時もそうだったが、かなり厳重な警備体制を敷いている。
「九年前はこんなに厳重じゃなかった」
ガイルはキースの顔を見詰め、誘導する剣士を見た。
「すみません!」
「なんだ?」
「九年前に来た時はこんなに厳重じゃなかったのに、今日はなんで?」
剣士は隣りに立つ仲間の術士を一瞥した。術士はガイルに笑い掛ける。
「坊主。そんな気にする事ないよ。流行病の後遺症で、治安が不安定だからだよ」
ガイルはキースを一瞥する。キースはガイルに頷いた。
「あ、ありがとうございました」
ガイルはその戦士と術士に軽く頭を下げ、キースに並び、出区ゲートに向かっていった。
「キース」
「治安が不安定だからって、こんなに厳重な警備体制をとる事はないと思う」
ガイルは首を捻った。
「じゃあなんだ?」
「なんか重大事件でも起きてるんだよ」
ガイルはキースの言葉に顎を撫でた。
「重大事件ねえ…… ミルーナも動いてるのかな」
「そうだと思うよ。あの人は警羅なんだし。それが仕事なんだから」
ガイルとキースはしばらく歩き、臨時に設けられた出区窓口に身分手形を差し出した。
「お帰りですか?」
窓口にいる役人が出区帳に名前と出身地を記入しながら、軽い検問を始めた。
「いや。俺の妹を迎えに行くんだ。だから、また、戻ってくる」
「左様で。ミゼルナさんも同じ理由で?」
「同じ」
役人は出区理由欄にその旨を書き、身分手形を二人に返した。
「最近、物騒な事件が多いのでお気を付けを」
ガイルとキースは役人に手を上げ、出区ゲートに向かった。
キースは役人の言葉や行動に確信を得たように頷いた。
「うん。やっぱり何かしらのデカい事件が起きているんだな」
「あんな言葉で分かるのか」
ガイルは役人の言葉に特に引っ掛かるモノはなかった。
「あの役人。普通の役人じゃないよ。もしかしたら、帝国高位術士かもしれない。身分手形に術掛けた」
ガイルは慌てて身分手形を見た。
「え」
「術種から行くと、行程追跡術だね。通常から物凄く逸脱した行程を取ると、術士に連絡が行くってヤツだ。監視が必要なほどデカい事件が起きてるんだよ」
ガイルはキースの言葉で再び身分手形を見詰めた。
「監視ってなんか嫌だな」
「逸脱した行動しなきゃ別に嫌がる事じゃないし、気にするな」
キース達が本来の出区窓口の側を通ると、娘の情報を待っている夫婦であろう、一組の男女がいた。二人共、腰に剣を佩し、軽甲冑を身に着けている。
「君達っ!」
女性がガイルとキースに気が付き、声を張り上げた。
「これ、持って行って! 家の娘達を見付けたら教えてっ!」
ガイルは投げられた物を咄嗟に受け取った。キースは肩を竦ませ、その女性戦士に苦笑いを浮かべた。
「一応預かりはしますが、力添えになるかどうか分かりませんよ」
「いいの。こういう時は人海戦術がモノいうから。気に止めておいてくれるだけでいいの」
女戦士はキースに笑い掛けた。その笑みは、無理矢理笑顔を作っているようで、キースは居た堪れなくなり視線を逸らした。
「――分かりました。ガイル、行こう」
キースはガイルを急いて、出区ゲートを足早に潜っていく。ガイルは何度も夫婦を振り返りながら、キースの横を歩いていた。
「なあ、キース。あの笑顔はなんなんだ?」
「母親としては諦めきれないけど、戦士としては望みが薄いのを感じている笑い顔かな…… あの人達、娘達が生きているとは思ってないよ」
「え?」
ガイルは投げられた紙屑を広げてみた。石に紙が巻かれていて、紙には娘二人の人相書きと特徴が書かれていた。
「八才と六才……」
「最近物騒な事件が多いって役人も言ってたろ? それにそんな子供が三日も帰らないんじゃ、事故にあったか事件にあったかぐらい、すぐに気が付くだろ。多分、祖父さんだか祖母さんの方でも探しているはずだ。で、行程追跡術を掛け出したのは彼女達が出区した後なんだろうね。こんなに手間取ってるって事は」
ガイルは紙を見詰めたまま、口の端を下げた。
「絶望的って事か?」
「最悪はな」
「なんでこんな子供だけで」
「行方不明になるって分かっていたら、さすがに親だって出しゃしないだろ。恐らく通い慣れていたんじゃないか? 俺達、出区者に一縷の望みを掛けてるんだよ、最悪な状態でも見付けて欲しいんだよ」
ガイルはキースを見た。
「キース、赤と青、使えないのか?」
キースは肩を竦ませた。
「いうと思ったよ。撫子さん、ガイルが用あるそうだ」
キースがそう言うと、キースの脇にマリアラードが歩いていた。
「何かしら?」
ガイルはマリアラードの脇に移動し、紙を広げた。
「この子達を見付けて欲しいんだ」
マリアラードは紙を一瞥して、ガイルに苦笑いを浮かべた。
「ガイル。それは私にも赤にも青にも出来ないわ。キースが死んでも構わないなら、見付けてもいいけど」
ガイルはマリアラードを見詰めた。
「な…… 死って」
「キースがそう命ずれば、赤も青も私も、その子達がたとえ地の果てにいようとも必ず見付け出す。でも、それはキースの力を絞り取るって事。見付からなければ、見付けるまで戻ってこない。戻らなければ、キースは衰弱しやがて死ぬ。キースが死ねば私達も消える。私達はキースの一部なのよ」
ガイルは腕を組んだ。
「えーっと…… なんだ? 良く分かんねけど、出来ないって事?」
「出来るけど、キースが死ぬ。だから、出来ないのよ。ガイルの頼み方じゃね」
ガイルは自分が言った言葉を振り返った。
「うーんと…… 期限付きとか範囲付きとかなら出来るって事?」
キースは肩を竦ませた。
「さっき、青を使ったみたいに短時間なら可能だけど、一日どころか半日でも離れりゃ、俺はぶっ倒れる。俺がぶっ倒れると、青と赤は喜んで栄養を取りに行く。下手すりゃ、俺は寝てる間に殺人を犯す事になる」
ガイルはキースを見詰めていた。
「それって…… 俺と同じって事?」
「大雑把に言えばな。青と赤を使わなければ、青と赤は栄養を取りに行かない。俺が寝なければ、青と赤は外に出れない。今は撫子さんがいるから、そこそこ寝れてるんだけど」
ガイルは平然と言うキースをただ見詰めていた。キースは琥珀色の髪越しにガイルの表情を一瞥し、肩を竦ませた。
「そんな顔するな。同情なんていらん」
「べ、別に同情なんてしてねえよ。ただ、ちょっと……」
キースはガイルを一瞥し、足を進めた。
「不安定じゃなくなったお前だから話しただけだ。同情なんてされたくない」
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