第二章 2.6
マルラは一通り部屋の説明をし、キースとガイルの当座の住処となる部屋を後にした。
ガイルはキースとの共同空間になる居間のテーブルに座り、手渡された鍵を弄んでいた。
「――鍵ねえ」
「それだけ物騒って事なんだろ」
キースは簡易台所に立ち、ティーを煎れ始める。
ガイルは鍵をテーブルに置き、キースの後ろ姿を見詰めた。
「昼間、マールからフクロウが届いた」
「なんだって?」
キースはガイルにカップを差し出し、自分は出窓の際に座り、カップに口付けた。
「アチャルの馬鹿、こっちに向かってるらしい」
キースは思いっきりティーを吹き出した。
「キース、借りた早々汚すなよ」
キースが人差し指を動かすと、簡易台所から雑巾が宙を飛び、あっという間に吹き出されたティーを綺麗に拭き取って、簡易台所に戻っていく。
「アチャルに言ったんだよな?」
ガイルは軽く眉間に皺を寄せたまま、キースを見詰めていた。
「必ず戻るから付いて来なくていいとは、言ってあったんだけどな」
ガイルは軽く溜め息を吐いた。
「――帰ったら、アチャルと婚約するって、本当なのか?」
キースはガイルを見詰め、口の端を上げた。
「心配か?」
「女喰い放題のお前が、本気で言っているのか分かんねえからな」
キースはガイルに再び口の端を上げ、出窓の外に視線を移した。
「するつもりだよ。寺子屋の先生にでもなって、兄さんの手伝いしながら、アチャルと暮らす」
「ホントに帝国戦士、諦めちまうのかよ」
キースからの返事はなかった。ガイルは軽く溜め息を吐き両手の中にあるカップに視線を落とした。
「――アチャルは確かにお前に惚れてるけどさ、お前は違うんじゃね?」
キースはカップを見詰めているガイルを一瞥し、再び窓の外を見た。
「お前は俺じゃないんだから、違うかどうか分からないだろ? アチャルしか、いないんだよ」
ガイルはその言葉でキースを見ると、キースの横顔に愁いの影が落ちていた。
ガイルの脳裏に一番下の妹アチャルの笑顔が浮かんでくる。アチャルの笑顔は、兄のガイルが見ても心が癒される笑顔だ。キースの隣りにいつの間にか寄り添い、唯一キースの心を解す存在になっていた。
ガイルは溜め息を大きく吐いて、カップに口を付けた。
「あのお転婆、迎えに行かなきゃな」
「もし、あれなら、別々の部屋を借り直すか?」
ガイルはキースを見詰め、軽く頬を赤くしながら、首を振った。
「あいつだって、金があるわけじゃねえ。そうなりゃ俺が森に行くよ」
ガイルはそう言って、立ち上がった。
「取りあえず、主に会ってくる」
「いってら。俺は疲れたから寝るよ。鍵掛けて行けよ」
キースはそう言って、自分の部屋に入っていった。
ガイルは一通り片付けを済ませ、鍵を持ち部屋を出、部屋に鍵を掛けた。
「よう」
ガイルは驚いたように顔を上げると、右隣りの住人、イサ・スドーが同じように鍵を掛けていた。
「えーっと、イサ・スドーさんでしたっけ?」
「そうだ、ガイル・ゼベッツ。イサで構わない」
「ガイルって呼んで下さい。これから仕事ですか?」
イサはガイルに肩を竦ませた。
「仕事っていえば仕事かな。自主練だ」
ガイルはイサと並び、歩き出した。
「自主練ですか。やはり帝国戦士になると、そういうのも必要なんですか?」
イサはガイルを一瞥して顎を撫でた。
「俺はダークの銀だが、人それぞれかな。帝国戦士になると、毎日朝から晩まで鍛練の繰り返しだけど」
「それだけじゃ、イサさんは足らないって事ですよね」
イサはガイルを見詰めた。ガイルは両手を頭の後ろに組み、大きく伸びをしている。イサはガイルの言葉に裏がない事に苦笑いを浮かべた。
「お前、自分に素直だよな」
ガイルは伸びをしたまま首を傾げる。
「えーっと…… それはどういう意味ですか?」
「感じたままを疑いもなしに口にする。なんでそう感じたのかなんて、考えた事ないだろ?」
ガイルはイサに苦笑いを浮かべた。
「ないですね。俺、狩人なんで直感のまま動いている事が多かったかな?」
イサは再び苦笑いを浮かべた。
「直感のまま、ね」
「そういや、なんで主の居場所を教えてくれたんですか? つか……」
ガイルは初めて隣りに歩くイサの不気味さに気が付いた。気が付いた途端、身体が本能的に身構えていた。見た目だけでは、分かるはずのない血筋をイサは簡単に読取り理解した。
イサは身体に緊張が走るガイルを一瞥し、口の端を上げる。
「ホント、素直だよな」
「なんで分かった」
イサは鋭くなった口調にガイル本来の性格をみた。ガイルの血は自然そのもの。自然ほど、直情なものはない。
「――なに、簡単な事だ。俺にそういう能力があるってだけだ」
「聖眼ってヤツ?」
イサは顎を撫でた。
「聖眼か…… 聖眼は知識がないと聖眼として機能しないが、俺の能力は知識がなくても、分かるんだな。お前がいう処の狩人の直感みたいなもんだ。狩人って事は弓を得意としてるのか」
「弓が上手いのはマールだな。あ、マールって、俺のすぐ下の弟なんだけど。俺は一応、領一の剣の腕があるけど、片田舎の一番なんて高がしれてるし」
イサはますます苦笑いを浮かべた。
「お前、訝しがるって事しないのか? そんな理由で納得出来るのか?」
ガイルはイサの言葉に一瞬首を傾げたが、イサに笑い掛けた。
「それも直感。確かに血を読まれたのはビビったけど、仲介屋の婆さんやキースが言ってた事思い出して、敵意がイサさんに感じられないから、そういう人もいるんだって思った。それにここはそういう差別がなさげだから」
「血の差別か。お前みたいな血の連中は差別ないが、他はあるんだぜ」
ガイルは眉間に軽く皺を刻んだ。
「やっぱりどこでも差別ってあるんだ」
「一般区民はそんなにないが、貴族には差別、戦士達には軋轢があるかな」
「差別と軋轢の違いってなんですか?」
イサは自分を指差した。
「俺はギャラル・リヴ、ダークの出身だ。ダーク嫌いな貴族戦士が上司になったり、選考の担当員になったりすると、確実に差別を食らう。戦士の中にはダークを毛嫌いする連中もいる。そういう連中と接触すれば、少なからず軋轢が生まれる」
「アホだなあ。プロトにいるんだから、ダークなんて関係ないのによ」
イサは肩を竦ませた。
「お前は若いからそう言えるんだ。ダークに親兄弟、旦那や女房、子供を殺られた連中は、そう簡単に割り切れないだろうよ。それじゃなくてもプロトには敵が多い」
ガイルはイサの言葉に口を尖らせた。
「確かに若いけどさ…… 戦士を集めるって事はそれだけ敵がいるんだろうけどさ…… うーん、なんか納得出来ねえ」
「お前が納得しようが納得出来なかろうが、それが現状だ」
ガイルは立ち止まり、イサの背中を見た。
「人間って、ホント馬鹿っすね」
イサはガイルを振り返り、微かに口の端を上げる。
「そうだ、馬鹿だ。お前もその馬鹿な人間だ」
ガイルにそう言わせるのは、ガイルの中に流れている高位精霊の血。
ガイルはイサに思いっきり口角を上げた。
「うん、馬鹿な人間だ! つか、俺は馬鹿だ! 馬鹿だからなんでも面白いんだよな。で、イサさんはどこで自主錬するんですか?」
再び隣りに並んだガイルを見て、道を指差した。
「森だ」
ガイルは鬱蒼とした夕暮れの森を見て、背筋に緊張が走った。バチナス郷の勝手知ったる森とは訳が違う。
「――なんか濃い」
イサは再び立ち止まったガイルを見た。
「濃い?」
ガイルは大きく一歩を踏み出し、イサに三度並んだ。
「そう、なんか濃いんすよ。森自体、そんなに大きくないけど、リルエリスの森の方が広いけど、リルエリスの森はここまで濃くない。なんだ?」
ガイルはその濃い理由を腕組み首を捻りながら考え出した。
イサは森を見て、口の端を上げた。
これも血の違いなのかもしれない。自分の目には、どこの森も同じように見える。特に夕暮れ時の森は、なお一層薄暗く不気味な雰囲気を醸し出している。ガイルが云う『濃い』は自分が感じているモノと、次元が違うのだろう。
「ガイル。この森は太古からある森だ。古代森『ヴォンスィエス』の一部だと、云われている」
ガイルは再び森を見詰めた。
「ヴォンスィエスの森……」
ガイルはイサを見て、苦笑いを浮かべた。
「ヴォンスィエスってどんな意味なんですか?」
イサは内心、肩透かしを食らっていた。ただ無意識に血だけが反応しているようだ。
「『ヴォン』は産まれる『スィエス』は命の意味を持つ古代語『サンフィルト語』だ」
ガイルはその言葉を聞いて、大きく頷いた。
「ああ、だからか! だから、すごい濃くて複雑なんだっ! 納得。つか、すげえ! こんな都会なのに古代森が残ってるなんて!」
ガイルは森の入口にある大木に抱き付いた。
「うひょ! すげえ! 強えっ!」
目を閉じ大木に抱き付いているガイルに、イサは肩を竦ませた。うら若き少女が大木に抱き付き大樹の呼吸を聞いたりする姿は微笑ましかったりもするが、大の男に抱き付かれた大木はさぞかし気持ちが悪いだろう、見ているほうも気持ち悪い。
ガイルは大木に平手打ちを何度かし、手に伝わって来るその反響を楽しんでいた。
「いいねえ、いいねえ。これならすんげえ楽だ。おい、爺さん。主のトコロまで案内頼むよ」
イサはガイルの言葉で大木を見上げた。大樹の枝に立派な真っ白い顎鬚を蓄えた小さな老人がガイルとイサを見下ろしていた。
老人は顎鬚を撫で、フクロウのような笑い声を上げる。
「フォラール様から言われておるわい」
老人はイサを見詰め、鼻を鳴らした。
「黒いの、今日は休みか」
イサは肩を竦ませた。
「お前さんがいう休みが何を差すのか分からないが、夜勤じゃねえのは確かだな」
老人はまたフクロウのような笑い声を上げた。
「儂らに隠し事は無理無理! 取りあえず、フォラール様がお前さんにも会いたいと言っておったからの」
老人はガイルの肩に飛び下り、指を森に差し出した。
「当分道なりじゃ」
ガイルはイサを見た。イサは肩を竦ませる。
「自主錬は出来そうにないな」
「主が会いたいっていうイサさんって、ホントにダークの銀なんすか?」
「無論、ダークの銀だ」
イサはガイルに口の端を上げた。ガイルはその含み笑いに肩を竦ませた。
「位はダークの銀って事なんすね」
「位はね。いろいろと事情があるんだよ」
「そうそう。どんなに俺が誘っても上がってこようとしないしな」
ガイルは背後からの声に身体を硬くした。全く気配が感じられなかった。イサを横目で見ると、口を歪めている。
「どんなに誘われても上がる気はないね」
ガイルは思い切って振り返った。そこには夕暮れの風に黒髪を靡かせた、ハーツ・マーズ・ヨゼフィーナが立っていた。その後ろには、数人の戦士がいる。
「トーニャ、先に帰っていてくれ」
ハーツと同じ黒髪の男が頷き、他の戦士達と共に森の道に入っていく。
「イサ。この坊主はなんだ?」
「竜王推薦の一人。ガイル・ゼベッツ」
ハーツはガイルを爪先から頭の天辺まで一瞥し、顎を撫でた。
「ふうん。俺はハーツ・マーズ・ヨゼフィーナ。護衛騎士団頭」
ガイルは唾を飲み込んだ。自分と目があった瞬間、ハーツの右目が赤く見えた。夕日の加減ではなく、ハーツの虹彩が深紅なのを証明している。ガイルの本能がその深紅の瞳に警鐘を鳴らしていた。
「が、ガイル・ゼベッツです。よろしくお願いします」
ハーツはガイルに口の端を上げ、イサを見た。
「よろしく。で、坊主を喰う気か?」
「お前なあ。ガイルがドン引きするような冗談はやめろよ、美味しすぎるから」
ハーツとイサがガイルを見ると、ガイルは思いっきり首を横に振っていた。
イサはハーツを見て、肩を竦ませる。
「純朴な田舎青年をからかうのはこの辺にしとかないとな、本気にされても困るし。森の主に会いに行くんだ」
「森の大精霊フォラールにか? 俺もいく」
「いうと思ったよ」
イサは肩を竦ませた。
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小説『グロッサム』後書き
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