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  Growin'up to something -SECOND BIRTH- 作者:剣崎 輝
第一章 1.2
 翌朝、万能医者はエルファンドが所属する隊の上司を連れて往診にやってきた。
「あれ? なんでカッツェさんが一緒なの?」
 出迎えたミルーナは、護衛騎士団頭カッツェリーグ・ジルナの訪問に驚いていた。
 カッツェリーグはミルーナに苦笑いを浮かべる。
「なんでって、部下を見舞いに来てはいけなかった?」
 ミルーナは首をブンブンと横に首を振る。
「あんなエルファンドの為に、お忙しいカッツェさんが、わざわざ見舞いになんて来なくてもいいのに。でも、来るなら事前に言って欲しかったなあ」
 ミルーナの言葉にカッツェリーグは首を傾げた。
「なんで?」
「今日から仕事復帰なんですよ。来るって分かってたら、明日からにしたのに。そうしたら、カッツェさんと話がいっぱい出来たのに」
 ミルーナは本当に残念そうに口を尖らせている。
 完全に無視をされている万能医者、ティコは、苦笑いを浮かべた。
「ミルーナはミーハーだなあ。それとね、俺も物凄く忙しいんだけど」
「ヤダ。ティコさんの事すっかり忘れてた。ちゃっちゃと終わらせて下さい」
 ミルーナは慌てて玄関を広げ、中に招き入れた。ティコとカッツェリーグは顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。
「連れて来るんじゃなかったかな」
「何なら竜王でも呼んでくる?」
「あれはますますダメ。完全に俺の事無視されちゃうから」
「じゃあ、俺しかいないでしょ」
 カッツェリーグはそう言って、部屋の扉を開けるミルーナの背中を見た。
 ミルーナは部屋を覗き込んだ。
「ティコさん来たよ」
 エルファンドはティコの後ろを見て、慌てて飛び起きた。
「ジルナさ、っ!」
 胸を抱えたエルファンドに慌ててミルーナは走り寄り、背中を擦った。
「だから言ってるじゃない! 無理に起きるな!」
 エルファンドを寝かすミルーナの肩を、ティコは軽く叩いた。
「診察するから」
「お願いします。終わったら声掛けて下さいね」
「分かったよ」
「いい、二人とも! 温和しく診察受けるのよ!」
 ミルーナはエルファンドとクーイットに釘打ち、部屋から出て行った。
 カッツェリーグは右に寝ているクーイットを見て、軽く頭を下げる。
「邪魔するね」
 クーイットも少しだけ頭を持ち上げ、お辞儀し返した。
 ティコはエルファンドを見て、苦笑いを浮かべる。
「常駐看護婦さんの言い付け守ってくれなきゃ困るよ」
 エルファンドは涙目で苦笑いを返した。
「手荒い看護婦ですけどね」
「君達にはピッタリさ。ミルーナじゃなかったら、言う事聞かないだろ」
 ティコはそういいながら、エルファンドの寝間着を(はだ)ける。
 カッツェリーグは、エルファンドの胸板の変色具合を見つめ、溜め息を吐いた。
「これでよく助かったな」
「この二人は血清がギリギリ間に合った口。ミルーナが飛び掛かって来なかったら、今頃死の行列に並んでるよ」
 ティコはエルファンドの胸に手を置いた。
「――うん。いけそうだな。エルファンド、どうする? 一気に治す事も可能だけど」
 エルファンドはティコを見つめた。
「完治って事ですか?」
「今は進行を止めてあるだけ。体力がある程度戻らないと、完全除去も再構成出来ないからね。再構成しても一年も寝てたんだ、戦士として完全復帰はまだ先の話だよ」
 エルファンドは自分の胸を見つめた。
「日常生活は?」
「再構成が上手くいけば、ベッドから出られる程度まではいけるよ」
「馬車とかは?」
「まあ、別に問題はない」
「一気にやって下さい」
 エルファンドはティコを見つめ頷いた。
「分かった。ただ今までのと比じゃないくらいの痛みだよ、麻酔出来ないから」
 エルファンドの額に冷汗が(にじ)んだ。今までの治療もかなり苦痛だった。胸を(えぐ)るような激痛があった。
「というわけで、ちょい失礼」
 ティコが頭陀袋から拘束具を取り出すと、それは生き物のように、エルファンドの手足肩腰とベッドの足に絡まり、あっという間にエルファンドの動きを封じた。
 カッツェリーグが軽く口笛を吹く。
「さすがティコ。鮮やかだねえ」
 ティコはカッツェリーグに苦笑いを浮かべた。
「何喜んでんの。カッツェはサド?」
「サディストじゃなきゃ、こんな仕事してないよ」
 カッツェリーグはゆっくりと口の端を上げた。
 ティコは肩を竦ませ、エルファンドを見た。
「舌切断防止の為に猿轡も填めるよ」
 エルファンドは腹を括り、首を持ち上げた。
 カッツェリーグはエルファンドの頭脇に立ち、頭を撫でる。
「もうしばらくの辛抱だ」
 カッツェリーグはもう一度頭を撫で、部屋を出ていく。
 ティコの計いに、エルファンドは泣けてきた。
 恐らく悲鳴を上げるだろう。その悲鳴を聞いたら、ミルーナが飛び込んでくるのが目に見えている。こんな姿は、男としてミルーナに見られたくない。ティコはそれを分かっているのだ。
「さて。カッツェがミルーナを引きつけている間に、ちゃっちゃとやっちまおう」
 ティコは素早く頭陀袋からサイドテーブルに、深い皿、水筒、タオルを用意し、腕まくりをし、手を軽く二、三度(はた)いた。
 エルファンドはティコを見つめ、大きく頷いた。
 ティコはエルファンドの右胸に指先を触れると、そのまま指が胸に吸い込まれるように、入っていく。
 エルファンドは治療の度にその光景を目にするが、不思議でしかたがなかった。この時は全く痛みを感じないのだ。
 ティコの手が半分ほど埋まり、そのまま水平に胸を移動する。それはまるで病巣を探しているような動きだった。
 その手が止まる。
「エルファンド、覚悟はいいな」
 エルファンドは再び大きく頷いた。
 ティコの緑色の腕が赤い気に包まれた。
 エルファンドは思いっきり顎を上げ、(うめ)き声を張り上げた。
 エルファンドの(うな)り声に、クーイットは顔を背け目を瞑る。エルファンドのベッドが激しく軋む。
 エルファンドの呻き声がぱったり止んだ。
「――やっぱり落ちたか」
 ティコの笑みが含んだ声がした。
「落ちた?」
「大抵の奴は失神するよ。どんな鍛え上げられた戦士でもね。臓腑を引っ掻き回されるんだ、死んだ方がマシだって思うくらいの激痛だよ」
「貴方は業と最初に一番痛くやっていませんか?」
 クーイットはティコの背中を見ると、微かに肩が揺れていた。
「正解。麻酔が使えない時はこれしかないからね。でも難しいんだよ、ショック死しない程度にやらなきゃいけないから」
「はあ」
 医学の知識なんてないクーイットは、曖昧な返事しか出来なかった。
「えーっと、クーイットだっけ? まだ喀血するの?」
 クーイットはティコの背中を見た。ティコの右手が皿の上に移動し、黒く壊疽した肉片を皿に落とす。
 クーイットは顔を逸らした。
「先日、万能医者が帰った後、少し血を吐きました」
「色は?」
「変わらないです。鮮やかな赤でした」
「うーん…… 進行止処置は完璧なんだけどなあ…… 粉塵が肺にあるからかなあ…… 合併症起こしてる可能性があるなあ」
 クーイットは不思議そうにティコの背中を見た。
「ふんじん?」
「君の場合は金属粉塵だね。物凄い小さな金属片。君の商売柄しかたがないって言えばそうなんだけど、作業する時、専用マスクするように、町医者から指導されてない?」
 クーイットは頭を掻いた。確かに専用マスクをするように、町医者から再三指導されている。が。作品を造る時、気になって外してしまうのだ。いつしか、マスクに埃が厚く被っていた。
「――気が散って」
 ティコは溜め息を吐いた。
「慣れないうちはね。で、着けてない口だね。ダメだよ、着けなきゃ。早死にするよ」
 クーイットは苦笑いを浮かべた。
「早死にですか」
「まだ嫁さんも貰ってないんだろ? ヴァコバ装飾鍛冶の才能は残さないと勿体ないよ」
「別に一生独り身でも構いませんし」
「なんで?」
 クーイットはティコの問い掛けに答えず、黙って天井を見詰めた。
 ティコはクーイットを軽く振り返り、肩を竦ませた。
「エルファンドが終わったら、取りあえず診てみるけど、喀血が止まらない限り、除去出来ないし再構成も無理。まだ、しばらくはベッド生活だね」
「このまま帰っちゃまずいですよね」
 ティコは水筒から水を出し、手に付いた血液を荒い流し、タオルで手を拭いながら、クーイットを見る。
「そんなに死にたいのか?」
「死にたいわけじゃないですが……」
「俺には死に急いでるしか見えないけどな。死にたいならミルーナに聞いてからにしたらどうだい?」
 クーイットはティコを思わず睨み付けた。ゴーグルの奥でティコの目が笑っているように見える。その目は全てを見透かしているように思えた。五分の一以下も生きていない自分が(かな)う相手ではない。
 クーイットは溜め息を吐いた。
「ミルーナにですか」
「そう。その命は半分ミルーナのもんだ。君達は知らないだろうけど、あの子、感染してたんだよ」
 クーイットは驚いたようにティコを見詰めた。
「女は感染しないって……」
「感染はするよ。発病しないだけ。予防接種してないのに、卵ちゃんがウヨウヨの喀血を被り、感染しないわけないだろ」
 クーイットは愕然とした。
「そんな……」
「血清を打つと熱が出る。そんな中、寝ずの看病をしたはずだ。だから、君の命は半分ミルーナのもんだ」
 クーイットは扉を見詰めた。
「どうして」
「どうして? あの子の言葉が全て語ってると思うけど?」

『大切な人を奪わないで!』

 クーイットの脳裏にティコから聞いたミルーナの言葉が過ぎる。
「――俺なんて大切に思ってくれなくてもいいのに」
「そりゃミルーナの勝手だろ? で。ここまで聞いといてまだ、死に急ぐかい?」
 クーイットは力なく首を横に振った。
 ティコは頷いて、クーイットの服を(はだ)ける。クーイットの胸は、エルファンドよりさらに、変色をしていた。
「うん。やっぱり粉塵で合併症起こしてる」
 ティコは二、三回、手を(はた)き、クーイットの胸に指を突っ込んだ。
「痛いよ」
 クーイットはティコの言葉で歯を喰い縛った。
 ティコの腕が赤い気に染まる。クーイットの口から呻き声が漏れた。
 腕の気が何度か不定期な点滅を繰り返す。
「合併症の進行が(のろ)くて助かったよ。合併症は薬で行けそうだな」
「い、いや、出来るだけ早く治したいから、いっ!」
 ティコは首を振った。
「無理。合併症で喀血を起こしているんだ。自分だって分かっているはずたろ? 体力が戻ってない事くらい。ここで摘出処置したら、俺は人殺しになっちまうよ」
 クーイットは涙目でティコを見詰めた。
「俺は医者。患者の命を助けるのが使命」
 ティコはクーイットの胸から手を引き抜き、水筒の水で手を濯いだ。
 クーイットは天井をただ睨み付けていた。





 エルファンドは行李(こうり)の蓋を閉め、皮ベルトを巻き付けた。
「忘れ物ねえか」
 エルファンドの背中にそんな声が掛かる。
 エルファンドは振り返り、ベッドに寝ているクーイットに苦笑いを浮かべた。
「すまん、クーイット。先に帰る事になってしまって」
 クーイットは軽く首を振る。
「気にすんな。元はといえば町医者の注意を聞かなかった俺が悪い。それよりこれから大変なのはお前だろ?」
 エルファンドは自分が寝ていたベッドに座った。
「大変な事は大変だが、体が戻るまで、向こうに専念出来るからな」
 エルファンドは昨日初めてウナルバ領の現状を聞いた。そして、弟である次男と四男が流行病で亡くなった事も。
 次男のカルフェスは、被害視察先のバチナス郷ルガリ庄で発病し、そのまま亡くなった。四男のマルシャレールは、主治医の手当て空しく、八歳の短い生涯を閉じた。
 エルファンドの父親、ウナルバ伯爵は、病魔には打ち勝ったが、相次いでの息子の死と、嫡男の安否不明で打ち(ひし)がれ、未だにベッドから出られない生活をしているという。
 ミルーナがティコを拉致してきた時点で、自分の居場所は伝わっていると思っていたが、どこもかしこも大混乱状態では、伝わるものも伝わらなくなる。周囲の人間達も伝わっているものだと、思い込んでいたようだ。
 エルファンドは溜め息を吐いた。
「たぶん、クーイットも安否不明のままなんだろうな」
「お前がそうじゃ、俺なんて死んでるかもな」
 クーイットは苦笑いを浮かべる。
「有り得そうで怖いよ。病原体第一保持者はルリャーダ領ウエウス郷からハーマン領、ウナルバ領経由で帝王領に入ったらしい」
 クーイットは少し頭を(もた)げた。
「ハーマン?」
「そう。ルリャーダから帝王領に入るには一番早い道だからな」
 クーイットは顎を撫でた。
「――エルファンド、頼みがある」
 エルファンドはクーイットの言いたい事は何となく分かっていた。自分も病原体第一保持者の道順を聞いた時、真っ先に頭に浮んだ二人の少年がいた。カルフェスは少年達が住む一つ手前の庄で行倒れ、実質そこで被害視察は止まってしまっていた。
「あの坊主達の事だろ?」
 エルファンドはクーイットを見た。
「そうだ。あれから何度か遊びに来てくれたからな」
「そうか……」
 エルファンドは浅葱色の髪の少年と、琥珀色の髪の少年を思い出していた。果たして彼らがこの流行病を乗り切れているのか…… 彼らの住む庄にまで血清が届いたのだろうか。
 クーイットはエルファンドの眉間を見つめ、同じように眉を(ひそ)めた。
「どうした」
「第一保持者の出発点から近ければ近いほど、被害が大きくなっていると思うんだ」
 クーイットは天井を睨み付けた。
「ガイルもキースも無事だといいが……」
 エルファンドは大きく頷いた。
「確かに。視察は各領主がしなきゃならない事だし、ジルナ様の話じゃ、ウチみたいな領はいくつかあるらしい」
 エルファンドは顎を撫でた。
「俺も安否を知りたいが、そんなに早くは動けないと思う」
「それは仕方ないさ。分かったら教えてくれ」
 エルファンドはクーイットに頷いた。
「了解」
「ただいま! 良かった、エルファンドの見送り間に合った!」
 ミルーナは部屋に飛び込んで来て、ホッとしたように笑顔になった。
「仕事はよ」
「今昼休憩なの。お昼作るけど、エルファンドも食べる?」
 エルファンドは首を振った。
「いや。もうすぐ迎えが来るはずだから」
 ミルーナは寂しげに笑い返した。
「そっか。ねえ、エルファンド、頼みがあるんだけど」
「ガイルとキースか?」
 ミルーナはエルファンドに頷いた。
「さすがエルファンド! 坊や達の事、心配で心配で」
 エルファンドもクーイットも頷いた。
「ミルーナ、すぐには動けないけどいいか?」
「うん。エルファンドがこれから大変なのは分かってるよ。何かの(つい)ででいいから、様子見て来て」
 エルファンドは苦笑いを浮かべた。家が一段階したら、自分の足でバチナス郷に行くつもりではあったが、ミルーナは自分が行くと思い込んでいる。
「俺が行ければいいけど」
「ダメっ! エルファンドが行かなきゃ意味ないよ! キースもガイルもきっと大変な思いしてるんだよ、助けて上げられるのは、エルファンドしかいないじゃないっ!」
 エルファンドはますます苦笑いを浮かべた。クーイットを一瞥すると、クーイットも苦笑いをしている。ミルーナの中では安否ではなく、生活面の心配だけのようだ。ミルーナの中では、キースとガイルは絶対に生きているらしい。
「ミルーナは生きてると思ってんだ」
 クーイットはエルファンドの心情を代弁した。
「当たり前じゃない! あの坊やとあのガイルなのよ! 生きてるに決まってるじゃない!」
 ミルーナはクーイットを睨み付けた。ミルーナの瞳が微かに潤んでいる。その潤んだ瞳がミルーナの心情を全て語っている気がした。ミルーナも安否を物凄く心配している。死の否定も出来ない事も十分に理解している。だが、それを口にしないのが、ミルーナだ。
 エルファンドはミルーナを抱き締めた。
 ミルーナはエルファンドの服を掴み、胸に頭を付け、肩を震わせ出した。
「坊やは、坊やは生きてる! ガイルは生きてる! 生きてるんだから!」
 エルファンドはミルーナの頭を撫でる。この一年、弱くなりそうな己をその言葉で励まし、自分達の看病をし続けたのだろう。

『ダメ、生きるの! 病魔に負けないで! 置いて行かないで!』

 意識混濁した自分達にずっとそう呼び掛けていたのだろう。それは自分達だけじゃなく、キースやガイルをも思って言っていたのだろう。
「――帰ったらさっそく視察に行くよ。だから、泣かないで」
「ダメ! 無理しないで!」
 エルファンドはミルーナの涙を指で拭った。
「惚れた女に泣かれて、無理しない男はいないよ」
 ミルーナは顔から火が噴いたように、真っ赤になった。
「な! 何言ってるの、エルファンド! 坊やもガイルも大事だけど、あんたも大事なの! 完治してからにして!」
 エルファンドはミルーナに片目を瞑った。
「完治したら、直轄区に戻ってこなきゃなんないんだけどな」
「うが! と、取りあえず、帰ってすぐはダメ! いい!」
 エルファンドは両手を軽く上げた。
「はいはい。看護婦さんの言うことは聞きますよ」
 玄関の扉を叩く音がする。
 ミルーナは慌てて、部屋を飛び出した。
 エルファンドは溜め息を吐き、クーイットを見る。クーイットはエルファンドを見詰めていた。
「なに、クーイット」
「――いや」
 クーイットはエルファンドから顔を背ける。
 エルファンドは行李を手にし、顔を背けたままのクーイットに口の端を上げた。
「グズグズしているなら、俺がかっ(さら)うからな、無理矢理にでも」
 クーイットの肩が少し揺れる。
 エルファンドは再び笑みを浮かべ、部屋を出て行った。
 クーイットはそのエルファンドの背中を黙って見送る。
 表でミルーナとエルファンドの声がする。ミルーナは母親のように、再三身体の事を言っていた。エルファンドはいつものように、話半分に聞いているような受け応えをしている。
 クーイットは溜め息を吐き、右掌を見詰めた。
 エルファンドのように洒落た言葉など出てこない。いつもつまらない一言でミルーナを傷付ける。大抵ミルーナを泣かせるのは、昔から自分だった。ただ泣くだけで終わらないのが、ミルーナだが。それである意味救われているようなものだ。
 この手に商売道具が持てるのは、後どの位先になるか分からない。ケリを付ける為にやってきて、蓋を開けたら、ケリを付ける処ではなくなっていた。
「ジッと手を見る」
 クーイットは驚いて、咄嗟に息を深く吸い込んだ。その途端、気管を液体が遡り、()せ込むと同時に口から血を吐き出した。
「ごめん!」
 ミルーナは慌てて、クーイットの手にタオルを押し当てた。
 クーイットは気管を遡った血液を全て吐き出し、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
「大丈夫だ」
 ミルーナは枕元にある濡れタオルで、クーイットの口許と手に付いた血液を(ぬぐ)う。
「ごめん、クーイット。そんなに驚くとは思わなかった」
「大丈夫だから」
 クーイットの掌に水滴が落ちてくる。
 クーイットが顔を上げると、手を拭うミルーナが静かに泣いていた。
 クーイットは眉間に皺を寄せ、涙を流すミルーナをただ見詰める。
「――なんで泣けてくるんだろう。さっきも泣いちゃうしさ。やんなっちゃうね」
 クーイットは空いた手を少し上げたが、そのまま降ろし、ベッドの中で握り拳を作る。
 ミルーナは綺麗に血を拭い去り、手の甲で頬を拭い、クーイットに微笑んだ。
「今からお昼作るから」
「――分かった」
「いっぱい食べて、早く体力戻さないとね」
 ミルーナはクーイットに笑い掛け、部屋を出た。
 クーイットはその閉まる扉を見詰め、握り拳をさらに強く握り締めた。



 ミルーナはしばらく扉に寄り掛かり、俯いていたが、思いっきり手の甲で顔を擦り、鼻息荒く顔を上げた。
「さあ、お昼お昼っ!」
 ミルーナは腕まくりをし、朝仕込んでいった昼食用の鍋を(かまど)に掛ける。
 竈の火加減を見ながら、鍋を掻き混ぜていると、鍋に水滴が落ちた。ミルーナはまた手の甲で頬を拭う。
「くそっ! 涙腺壊れた」
 ミルーナの心配が瞳から次々と零れ落ちる。不安が次々と溢れ出す。

 喀血が止まらないクーイット。

 安否が分からないキースとガイル。

 無茶を絶対にするエルファンド。

 どんなに不安を言葉で打ち消しても、雨雲のようにあっという間に心を覆ってしまう。

 このまま、治らないかもしれない。

 もう、あの二人の笑顔は見れないかもしれない。

 再びベッドに戻ってしまうかもしない。

 一年の間、毎日、その暗雲と格闘してきた。毎日、否定してきた。そして、いつも思っていた。
「――なんで、あたしじゃないのよ。なんで、あたしだけなのよ」
 ミルーナは悔しそうに何度もその言葉を呟き、頬を何度も何度も拭った。


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小説『グロッサム』後書き
(剣崎輝のBlogカテゴリーになってます)

*:.。..。.:*
拍 手
*:.。..。.:*


↓キースとガイルの少年時代↓
Be born to something- CHILDHOOD'S END-

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