第二章 2.2
ガイルは隣りを無表情で歩く幼馴染みのキース・ミゼルナを一瞥し、溜め息を吐いた。
「キース。機嫌直せよ」
「別に機嫌は悪くない」
「じゃあ、なんでそんな仏頂面なんだよ」
キースの辛うじて髪の間から見える右目で、ガイルを一瞥した。
「一番会いたくない人にあった」
ガイルはキースの頭を思いっきり叩く。
「お前な! なんて事いうんだよ! ミルーナは、すんげえお前の事心配してたんだぞ!」
キースは叩かれた場所を軽く撫で、ガイルを一瞥した。
「叩くな」
「それに心配してくれた人にあの態度はないだろ!」
「心配してくれって頼んだわけじゃない」
ガイルは再びキースの頭を叩いた。
「お前な!」
「一々叩くな」
キースはガイルの顔を見て、微かに口の端を上げる。
「まだ惚れてるんだ、諦めてないんだ」
ガイルの健康的な茶褐色の顔が仄かに色付いた。
「な! ば、馬鹿な事いうな! ミルーナにはクーイットさんとエルファンドさんがいるんだ!」
ガイルはそう言って、通りを悔しそうに見詰めた。
「あんな二人に好かれてりゃ、俺なんて無理だよ」
「ふうん」
キースはガイルの横顔を一瞥し、不意に立ち止まった。
ガイルはキースが立ち止まった事に気が付かず、そのまま歩き続ける。
「――それにしたって、お前のあの態度はよ、絶対にミルーナ傷付いたとおも…… お? キース? キース! お前な!」
ガイルはキースが隣りにいないのに気付き、橋の袂を曲がり路地に消えていく琥珀色の髪を追った。
「曲がるなら声掛けろよ!」
ガイルがキースの隣りに立つと、鼻息が下から聞こえてきた。
「面白い」
ガイルがその声の主を見ると、そこには皺くちゃな老婆が椅子に腰掛けていた。
「お前さん達、選考会上都組かい?」
ガイルはキースを見ると、キースはその老婆を黙って見詰めている。
ガイルは肩を軽く竦ませ、老婆に笑い掛けた。
「当たり。良く分かったね、婆さん」
「長年の勘じゃ」
「どう面白いんだ?」
キースが老婆にそう問い掛けた。
老婆はキースを見上げ、顔がくしゃくしゃになり、ゆっくり笑い声を上げた。ガイルはそれが笑い顔だと声を聞くまで分からなかった。
「面白いは面白いんじゃ。では、聞くが、お前さんはなんでワシの前に立ち止まった?」
キースは老婆の瞳を見詰め、口の端を微かに上げた。
「部屋を探してた。婆さんならいい部屋知ってそうだったから」
老婆は椅子から立ち上がり、引き戸に手を掛けた。
「躓く石も縁の端じゃ。ワシが石だがのお。マルラ、とびっきり男前の客二人だよ!」
キースはその老婆の後を黙って付いていき、ガイルは肩を竦ませ、店に入っていった。
この店の店主であるイクナ・ヴァセッタ嫗は、ガイルとキースと共にテーブルを囲み、マルラと呼ばれた女性の動きをティーを啜りながら、見詰めていた。
マルラはガイルとキースが書いた書類と身分手形を預かり、二人に微笑んだ。
「えーっと、ゼベッツさんとミゼルナさんね。ゼベッツさん、滞在期間が書かれてませんが」
ガイルはキースの書類を見て、キースを見詰めた。
「なんだよ。お前やっぱり帰る気なのか?」
「俺はお前に言われて、辞退を伝えに来ただけだ。お前の選考会結果が分かったら、俺は帰る」
ガイルは溜め息を吐き、マルラとイクナ嫗を見た。
「取りあえず、選考会結果が出るまで」
「お前さんは選考会出ないんかい」
イクナ嫗はキースを見詰めた。
「出る気ない。本当はここにも来る気はなかった」
ガイルはキースの頭を叩き、マルラとイクナ嫗に苦笑いを浮かべた。
「俺ら推薦枠で選考会に出るだけど、こいつ出たがらなくって。推薦をしてくれた人に頭を下げろって連れて来たんだよ」
ガイルの言葉にイクナ嫗の瞳が光った。
「ほう。推薦枠なんかい。で、推薦人は?」
「俺は竜王さんでこいつはマックスウェルさん」
イクナ嫗とマルラは思いっきりティーを吹き出した。
マルラは慌てて、台布巾で書類やテーブルを拭き出す。
イクナ嫗は大きく深呼吸をし、ガイルとキースに苦笑いを返した。
「お前さん達、その二人がどんな人物か分かっているのかえ?」
「護衛騎士団頭だろ? すんげえ雲の上の人間だって知ってるさ、会った時は全然分からなかったけど。推薦状が届いた時は村上げての大騒ぎだった」
イクナ嫗はキースを見た。
「でも、お前さんは断るんだ」
「――俺は」
キースはイクナ嫗を見詰めたまま、口を閉ざした。イクナ嫗はキースを見詰め返している。
キースはその視線から顔を背けた。
「――断る」
イクナ嫗は溜め息を吐いて、首を振った。
「――意気地がないねえ。ま、推薦枠ならギリギリまで考えればいいじゃろ。取りあえず、マルラ。こやつらに金華荘か白翼荘の資料見せてやれ」
マルラはイクナ嫗に頷き、棚から一冊の冊子を取り出し、ガイルとキースの前に広げた。
「金華荘も白翼荘も全く造りは同じだから」
ガイルとキースはその冊子を見て顔を上げた。
「飯は美味いの?」
「これ、異世界の文字だよね」
ガイルはキースを見て、溜め息を吐いた。
「お前、気になる所はそこかよ」
マルラはイクナ嫗を困ったように見た。イクナ嫗はティーを啜り、キースに顔を歪ませた。
「そうじゃ。異世界の文字じゃ。これが『きん』、これが『か』これが『そう』じゃ。『金』は金貨の金と同じ意味、『華』は『はな』とも言ってな、花と同じような意味がある。『荘』は貸し家や長屋に付ける接続語じゃ」
「じゃあ、はくよくそうの『そう』は『荘』なんだ」
イクナ嫗は手元にあった紙に『白翼荘』と書いた。
「これが『はく』これが『よく』。『白』は『しろ』とも言ってな、色の白じゃ。『翼』は『つばさ』とも言ってな、お前さん方の背中にあるヤツじゃ」
「へえ。家主は博学なんだ」
ガイルはイクナ嫗の説明を聞き、関心したように、家主の名前を見た。
キースは家主の名前を見た瞬間、毛が逆立った。
マルラはその姿に驚き、自分にティーを浴びせ掛けていた。
「キース!」
ガイルの声でキースの髪が元に戻り、キースは深く息を吐いた。
「すまん、ガイル。――婆さん。この人」
イクナ嫗はキースの瞳を見詰め、ゆっくりと口を広げた。
「そうじゃ。名前を見ただけで見抜くとは、お前さん、なかなかじゃの。やはり、面白い」
「で、会わなきゃダメなのか?」
イクナ嫗はキースの言葉に首を横に振った。
「まるっとワシに任せてくれとるからの。家主との面接はない」
キースは再び溜め息を吐き、椅子に深く腰掛けた。
「ならいい。ガイル、決めた事を守ってくれれば、どこでもいい」
ガイルは興味を失ったキースに肩を竦ませ、マルラとイクナ嫗を見た。
「で。ここって下宿なんだろ?」
「そうですよ。一階が食事処をやっているので、下宿人は皆さん食事処でのご飯になります。お風呂は併設された銭湯がタダで入れます。あとお手洗い、台所、洗濯場は全て共同になります」
「へえ、そいつはいいや。で、キースと寝室は別にしたいんだけど、そんな部屋ある?」
マルラはガイルに微笑み、冊子を捲った。
「共同部屋があって寝室が別々の部屋はこちらです。共同部屋には簡易台所が付いてます。ただ、他の部屋よりはどの部屋も狭くなります」
キースはその部屋の間取りを見て、マルラを一瞥した。
「そこって今すぐ見れる?」
「金華荘と白翼荘はどちらがいいですか?」
「立地条件も見たいから両方」
マルラはキースに頷き立ち上がった。
「ご案内しましょう」
キースとガイルは即座に立ち上がった。
マルラを先頭にキースとガイルは、店から遠い白翼荘に向かっていた。
「えーっと、マルラさんだっけ? そういや、そこの飯って美味いの?」
ガイルが斜め前を歩くマルラの深緑の頭を見詰めた。
「白翼荘の食事処も金華荘の食事処も、量もあって美味しいって評判ですよ」
マルラはガイルに少し振り返り、笑い掛ける。
ガイルは腕をいきなり組んだ。
「そういや、下宿料聞いてなかった…… 飯が美味くても部屋が気に入っても高きゃ借りれねえや」
ガイルのぼやきにも似た呟きに、キースは拳で口元を押さえた。
マルラも口元を手で押さえている。
「金華荘、白翼荘とも今から見に行く部屋は、一部屋小金五枚です」
ガイルは目を丸くした。
「え! 小金五枚? 安くね?」
マルラはガイルに微笑んだ。
「家主のムーン様はほとんど奉仕活動の一環として、四棟の下宿屋をやっています。ムーン様の下宿屋に入る方は、高祖母のお眼鏡に適わないとダメなんですよ」
「こ、こうそぼってなんだ?」
キースはガイルに肩を竦ませた。
「曾祖父母の母親。つまりガイルのトコでいうと、モモ曾祖母の母親。マルラさんはあの婆さんからすると、玄孫。曾孫の子供って事だ」
ガイルは指を折りながら、キースの説明を聞いていた。
「うんまあ、なんだ。とにかく婆さんには変わりないって事か」
マルラはガイルの言葉に笑みを零した。
「そうですね。私は大婆様と呼んでますが」
「じゃあ、曾祖母ちゃんはなんて呼ぶんだ?」
「中婆様です。ちなみに祖母は小婆様です。でも、ミゼルナさんは物知りですね」
マルラはキースに微笑んだ。
「こいつは本の虫だからさ」
ガイルがキースの肩に手を置こうとすると、キースはその手を避け、ガイルを琥珀色の向こうから一睨みした。
「あ、すまん」
ガイルは咄嗟に手を上げ、手持ち無沙汰になった手をそのまま、頭に持っていった。
キースはガイルを一瞥し、マルラの前を歩き出す。
キースは頭を掻きながら、マルラに苦笑いを浮かべた。
「あいつ、身体、触られるの嫌いでさ」
マルラはキースの背中を見詰め、ガイルに微笑んだ。
「いつも気を張ってらっしゃるみたいですね」
「うんまあ、なんていうか」
「ガイル。余計な事喋るな」
ガイルは首を竦ませ、振り返り気味に睨み付けるキースに苦笑いを返した。
「すまん」
キースはマルラに目を細め口の端をふんわりと上げた。
「気にしないで下さい。下宿内で揉め事は起こしたりしませんから」
マルラはキースの笑みに思わず見惚れてしまった。
キースはもう一度、マルラに微笑み、歩き出す。
ガイルはマルラの目の前で手を振った。
「おーい、マルラさーん」
マルラは慌てたように、冊子を抱き締め直した。
「――嫌だわ。ゼベッツさん、他に聞きたい事ありますか?」
ガイルはマルラに苦笑いを浮べ、頭を掻いた。
「うーん…… 女の人ってキースみたいのがいいのか?」
「へ?」
マルラはガイルを見詰めた。
ガイルはマルラに口元を大きく引き、笑い掛けた。
「あいつ、村でも大モテでさ」
マルラは慌ててガイルから視線を反らし、さらにキツく冊子を抱き締めた。
「――ゼ、ゼベッツさんも素敵ですよ。甲乙つけがたいくらい」
「へ?」
マルラはガイルに微笑んだ。
「きっとゼベッツさんもモテてたと思いますよ。ゼベッツさんが気が付かなかっただけで」
ガイルは腕を組んだ。
「うーん…… モテた記憶はないんだけどなあ」
前でキースが吹き出した。
「あ、なんだよ、キース!」
「お前の鈍感ぶりに吹いただけだ」
ガイルはキースの隣りに走り寄り、持っていた剣の鞘でキースを突々いた。
「笑う事ねえだろ!」
「なにすんだよ」
マルラは手元にある書類に目を落とし、戯れあうガイル達を見て微笑んだ。
「まだ、若いモノね」
マルラはその戯れあう二人の後をゆっくりと付いていった。
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小説『グロッサム』後書き
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