第二章 2.1
ミルーナとダーリは、警邏本部から出、溜め息を吐いた。
「なんか拍子抜け」
ダーリは周囲を見渡し、同僚達がいないのを確認して、ミルーナの言葉に頷いた。
「確かにもっと大騒動になるのかと思ってたら、健康促進研究だもんなあ」
「ホント。あたしとダーリはただ選ぶだけだったし」
ダーリはミルーナを見た。
「でもさ、なんか騙しているようで気が引けるんだよな、俺」
ミルーナはダーリの言葉を聞いて、顎を撫でた。
「――ああ。真相を話したらそれこそ大騒動だわ。そんな事したら、敵に気付かれてしまうかもしれないって事か。敵を騙すならまずは味方からって、戦法ね」
「なるほど。でも、本当に区民達も攫われてるのかね?」
「ここ一ヶ月、行方不明者が増加の一途を辿っているらしいわよ、防犯生活課によると」
ミルーナはそう言って、腰袋から数枚の紙を取り出した。
ダーリはその紙を一瞥し、肩を竦ませた。
「行方不明者の目録?」
「の一部。あたしらの捜査区は三ツ橋二本木から五ツ橋二本木までだったわよね。そこの区間のを選別してもらってたの。一〜二ヶ月の間に捜索願いが出された男達。女子供はあたしらの仕事じゃないしね」
ダーリはミルーナの仕事の早さに肩を竦ませた。
「虱潰しに当たるしかねえか」
「捜査の基本は足」
ミルーナはダーリに笑い掛けた。
「確かに。じゃ、さっそくいきますか」
ダーリは大きく伸びをし、ミルーナと共に歩き出した。
ミルーナ達は午前中の捜査を振り返りながら、遅い昼食を四ツ橋二本木大通りの軽食屋の軒先席で取っていた。
「やっぱり増えたね」
ダーリは一皿に全て盛り込まれている昼食の、野菜の炒め物を口にした。
ミルーナは茶色に色付いた麺類を頬張り、フォークの柄で、テーブルに広げている紙を突々く。
「三本橋区だけで昨日から八人増えてる。やっぱり働き盛りの男ばっかり」
ダーリは肩を竦ませた。
「何の為に攫うんだか」
「それが分からないから不気味よね。誘拐や人攫いって、営利がほとんどじゃない? 特に男を攫うのって。でも、こんなに男ばっかりが攫われて、一体何がしたいんだか」
「逆ハーレムって事はないだろうしな」
ミルーナはダーリの言葉に苦笑いを浮かべた。
「それだったら、ある意味平和だ。その色惚け婆々(ばばあ)を引っ捕まえりゃいいんだから」
ダーリはミルーナの言葉に吹き出した。
「確かに!」
「でしょ? ホント、淫乱婆々(ばばあ)だったら、こんな苦労しないのにさ」
ミルーナが茶色の麺類を頬張ると、通りがいきなり騒がしくなった。
ミルーナとダーリが通りを走る人々に目を向けた。
「強盗だってよ! 人質取って立て籠もってるらしいよ!」
ミルーナとダーリはその言葉で立ち上がり、野次馬と共に現場に向かった。
ミルーナ達が現場に着くと、同僚のヒューメル・ライズが二人に軽く手を上げた。
「よ、姫」
ミルーナはヒューメルに拳を突き出した。
「だから、嫌だって言ってるでしょ!」
「そうか? 俺は警邏王って呼ばれるの嬉しいけどな」
ヒューメルはミルーナの拳を軽く左手で受け流し、野次馬と警邏が囲む軽食屋を見た。
「人質は三人。軽食屋の看板娘と犯人の隣りで注文をしていた女性客。あと、その後ろで順番を待っていた大人しそうな青年だそうだ」
ミルーナはヒューメルとダーリに肩を竦ませた。
「人質とるなら女子供って、手本のような連中ね」
ダーリは顎を撫でる。
「で。犯人の要求は?」
「ま、一応、逃亡経路確保かな。ギャラル・リヴ(ダーク)に逃亡を要求してるらしいよ。で、腕に自信のあったらしいマスターは、大怪我をして運ばれた。あの怪我の具合からすんと、犯人は術士だね」
ダーリは肩を竦ませた。
「術班待たなきゃいけないのかよ」
「な、何が起きたんだ!」
その声にヒューメルとダーリ、そして、ミルーナが振り返った。
そこには長身のヒューメルと同じくらいの上背で、浅葱色のクセのある長髪を頭の天辺で結った、良く日に焼けた肌の好青年がいた。
ミルーナはその青年をしばらく驚いたように見詰め、いきなり、青年に抱き付いた。
「うお! なっ、なんだ!」
「ガイル!」
「え?」
ミルーナは顔を上げ、青年に微笑んだ。
「ガイル!」
ものの見事までに好成長を遂げたガイル・ゼベッツは、ミルーナを抱き締め返した。
「うわ! ミルーナだ! 久しぶり!」
ヒューメルとダーリはいきなり現れたガイルに、肩を竦ませた。
「ミルーナ。この好青年は?」
ミルーナはガイルから離れ、ガイルの胸を拳で軽く叩きながら、ヒューメルとダーリに微笑んだ。
「九年前、ちょっと冒険の旅をした仲間。来期入隊の選考会にウナルバ領から来たの」
「ガイル・ゼベッツです」
ガイルはヒューメルとダーリに軽く頭を下げ、ミルーナを見た。
「で、ミルーナ。何が起きたんだ?」
ミルーナは肩を竦ませた。
「強盗が人質三人とって立て籠もってるの」
「人質?」
「そう。女性二人に大人しそうな青年一人」
ガイルはミルーナをしばらく見詰め、辺りを見渡した。
「――いねえ」
ミルーナはその言葉に心臓が大きく脈打った。
「――いないって」
ガイルが頭を掻きながら、軽食屋を見詰めた。
「俺、用があって、あいつをここに待たせてたんだよねえ……」
突然、軽食屋が紫色の炎に包まれた。
ミルーナもヒューメルもダーリも、そこにいた野次馬、警邏も唖然と軽食屋を見詰める事しか出来なかった。
複数の男の悲鳴が軽食屋の中から響いてくる。
軽食屋の扉がゆっくりと開き、看板娘と女性客が相次いで飛び出してきた。
「ガイル。行こう」
店を見詰めていたミルーナの背後でそんな声が聞こえてきた。ミルーナは慌てて振り返る。
ガイルの横にいつの間に立っている一人の青年を見て、ミルーナは息を飲み込んだ。琥珀色の前髪を鼻下まで垂らし、腰ほどある後ろ髪を緩く結った色白の一見物静かそうに見える青年。ミルーナに微笑むあの九年前の明るい面影は、ほとんど残っていなかった。
「――キース」
ミルーナがそう呟くと、前髪の向こうから紫苑色の切れ長の目がミルーナを一瞥し、軽く頭を下げ、ミルーナに背を向けて歩き出した。
「ガイル、行くよ」
ガイルはミルーナとその背中を何度か見て、ミルーナに苦笑いを浮かべた。
「うんじゃ、ミルーナ。改めて挨拶に行くから」
ガイルは頭陀袋を肩に担ぎ直し、琥珀色の髪が揺れる背中を追いかけた。
ミルーナはその二人の背中を見詰める。二人と擦違う町娘達はその二人を振り返り、頬を赤らめながら、燥いでいる。
「なんだい、あの色男二人組は」
ミルーナがその声で顔を上げると、ヒューメルが二人の背中を見ていた。
ミルーナは二人小さくなった二人の背中を見詰めた。
九年前と明らかに違う。全ては六年前の流行病から変わった。
「特にあの後から現れたヤツは何者なんだ?」
「だから、九年前にちょっと冒険の旅をした仲間。あの頃は二人ともまだ子供だったけどね……」
ダーリは思い出したように、二人の背中を一瞥した。
「ああ! ミルーナと一緒にナイフをウナルバ領から直轄区に届けた少年達?」
ダーリがミルーナに微笑んだ。
「そう」
ミルーナはさらに小さくなっていく背中を、悲しげに見詰め直した。
「お。姫にそんな表情をさせるなんざ、さすが色男だねえ。どっちが好み?」
ミルーナはヒューメルに睨みをきかせた。
「――あたしの気持ち、あんたなんかに分かりゃしない!」
「おっと、いきなり噛み付くなよ。そりゃ話してくれなきゃ分からん。今度ゆっくり話を聞きたいなあ」
ヒューメルはミルーナの肩に手を回し、笑い掛けた。
ミルーナはその手を思いっきり叩き、ヒューメルを再び睨んだ。
「ヒューメル…… 彼女大事にしてやらないと、痛い目みるよ」
「おお、痛。彼女? 特定の女性は作らない主義でね」
ヒューメルは手を振りながら、ミルーナに口の端を上げた。
ミルーナとダーリはその言葉に肩を竦ませた。
軽食屋に入っていった警邏達が、慌てて担架を用意するように外の警邏に叫んでいる。三人は顔を見合わせ、現場に寄っていった。
「なに、人質怪我したの?」
「違う。強盗犯が気絶してんだよ。って、ミルーナ」
現場担当の警邏は、ミルーナ達を見て肩を竦ませた。
「なんだよ、三人揃って高みの見物かよ。暇なら手貸してくれ」
「生憎手を貸せるほど暇じゃないんだけど、気になってね。で、残りの人質は? 大人しそうな青年がいたんでしょ?」
同僚はヒューメルとダーリの視線に肩を竦ませた。
「いないんだよ。詳しくはまだ証言取ってないから、分かんねえけど」
入口付近にいる警邏に囲まれた人質を、ヒューメルは一瞥し、それに向かって歩き出した。
ミルーナとダーリは、その後ろに付いていく。
人質だった看板娘と女性客の傍らにいる女警邏の肩を、ヒューメルは突々いた。
「フィナ、お疲れ」
フィナと呼ばれた女警邏はヒューメルを振り返り、嬉しそうにヒューメルに微笑み返した。
「ヒューメル、お疲れ様。そっちの捜査はどう? 進んでる?」
「ボチボチってトコかな。でさ、俺が聞いた話だと人質もう一人いたはずなんだが、そいつは?」
フィナは肩を竦ませた。
「消えちゃったらしいわよ」
そう言って、フィナはヒューメルに軽食屋内で起きたあらましを話し出した。
「――で、犯人達が泡噴いて相次いで倒れて。そしたら、琥珀色の髪の青年が指を出入り口を指差してね、彼女達は相次いで泡喰って飛び出してきたわけ。で、軽食屋に乗り込んだら、いるはずのその青年はいなかったの」
「琥珀色の髪で間違いない?」
ミルーナがフィナに聞き直すと、フィナは顔を横に向けた。
「知らないわよ」
ミルーナは肩を竦ませ、側にいた人質だった二人を見た。前掛けをした軽食屋の看板娘と思われる目の大きな女性に、ミルーナは微笑んだ。
「同じように人質だった青年は、琥珀色の髪で間違いない?」
看板娘はミルーナの言葉に大きく頷いた。
「はい。あと、目が夕闇の空みたいな綺麗な色でした」
ダーリとヒューメルは互いに顔を見合わせ、ミルーナを見た。
「ミルーナ。その人質って……」
ミルーナは通りを振り返り、すでに見えなくなっていた背中を思い出し、軽く首を振った。
「どうして……」
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小説『グロッサム』後書き
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