第二章 1.7
エルファンドは護衛騎士団寮に向かいながら、顎を撫でた。
「この時間帯だと、寮より鍛練場の方だな」
エルファンドは寮門から左に寮敷地内を周り、帝国戦士達が日夜鍛練をしている広大な鍛練場に出た。鍛練場は、森林区域と整備された運動場区域、室内鍛練場がある。運動場区域の奥に森林区域があった。
エルファンドは、運動場区域を一心不乱に走る甲冑を着込んだ戦士一団を、ゆっくりと見送る。
「相変わらずキツそうだなあ、ナイトの連中」
大抵、この時間帯に集団となって鍛練をしているのは、中下位戦士達だ。ナイトは帝国戦士位であるが、実戦にはまだまだ使えない戦士予備軍。実戦に使えるようになる戦士位は、ハンターと呼ばれる中位以上の帝国戦士達だった。ここでは最上位戦士に当たる護衛騎士団の指導の下、常に鍛練が行われている。
エルファンドは懐かしそうにその鍛練に励む戦士達を、しばらく見詰めていた。
自分もこの鍛練場で今の地位まで這い上がるために、時に血反吐を吐くような鍛練に耐えた。
特に戦士の卵と云われる最下位の騎士から上がったナイトは、かなり叩かれる。
ここで耐えられない戦士は実戦で全く役に立たないからだ。ナイトを上がれば、楽になるかといったらそうでもない。ただ、ナイトで徹底的に鍛え直されるから、ナイト以上の位に就いても、へばる事が少なくなるだけだ。
エルファンドは広場をゆっくり見渡し、鍛練場の中ほどで、ナイト達の素振りを見ている竜王を見付けた。
「竜王様」
エルファンドがそう走り寄ると、竜王が欠伸を噛み殺しながら振り返った。
「お、エルファンド、久しぶりだな。今着いたのか?」
「おひさしぶりです、竜王様。昼前には城下に着いていたんですがね。それより話が少し」
竜王はエルファンドの眼帯をしばらく見詰め、軽く手を上げた。
「分かった。もう少ししたら、行く。部屋で待ってろ」
エルファンドは竜王に頷き、鍛練場を後にした。
エルファンドは自分の位、シヴァが使用する寮に足を向けながら、眼帯に手を触れた。
竜王は眼帯を見ただけで、何かを察知した。
いや、眼帯を見たのは、判断するために見たに過ぎないだろう。それに見ただけではないのだろう。あの数秒でエルファンドの情況を推測し、指示を出す。
眼帯の奥にある碧銀の瞳と少ない言葉からの情報、それにエルファンドが置かれている情況などを加味し、適宜な指示をする。
「やっぱり護衛騎士団の頭ともなると違うよなあ」
エルファンドは広い鍛練場でも頭一つから二つ飛び抜け目立つ、灰色で時折光の加減で虹色に光る髪色を振り返った。
エルファンドが新たに当がわれた自室に入ると、すでに荷物は運び込まれていた。エルファンドは旅長外套を外し、貴族用平服を脱ぎ、荷物の中から裾が長い戦闘服を取り出し着込み、シヴァハンターの中でも上級位、金の証であるバックルが付いたベルトを締める。
直轄区に入った時よりもベルト締める事により、さらに自分の位と級の自信と自覚が目を覚ます。それと同時に戦士としての剣士としての心持ちも頭を擡げた。
扉が軽く叩かれ、エルファンドが振り返ると、扉が開いた。
「エルファンド、いるか?」
「ジルナ様!」
顔を覗かせた直属の上司カッツェリーグ・ジルナにエルファンドは驚き、扉を広く開け、カッツェリーグを部屋に向かい入れた。
「すみません、ジルナ様。挨拶に行けなくて」
「いや、さっき擦違った竜王から、エルファンドが帰って来てるって聞いてね」
カッツェリーグはそうエルファンドに微笑み、手を差し出した。
「お帰り、エルファンド」
エルファンドはがっちり手を握り返し、カッツェリーグに微笑んだ。
「ただいま戻りました。長い休暇、本当にありがとうごさいました」
カッツェリーグはエルファンドの眼帯を見て、口の端を上げる。
「今回の療養休暇がなければ、覚醒融合も難しかったろう。私としては物怪の幸い」
エルファンドはカッツェリーグに苦笑いを返すしかなかった。
「ジルナ様が私を買って下さっていたのは、それもあったんですね」
カッツェリーグはエルファンドに笑い掛け、首を縦にゆっくりと振った。
「無論」
エルファンドはカッツェリーグにソファを勧め、備え付けのティーセットでティーを準備する。
「ところで、ジルナ様。私の今後の処遇はどうなっているのですか?」
「表面上、俺直属のいちシヴァの金だが、実質、どの護衛騎士団にも所属しない自由な状態。まあ、主にマックスウェル、竜王辺りの御用聞きになるかな」
エルファンドは肩を竦ませる。
そうなると予測はしていた。噂では、意外とそういう連中がいるとも聞いていた。だが、実際自分がなるとは思っても見なかった。それと同時にその連中が、自分に似通った力や能力、産まれなどの持ち主だという事が理解出来た。
「――例外処遇ってヤツですか」
「まあ、そんなトコロだ。帝国戦士はそんなに厳しい規則があるわけじゃないが、責務処は決めておかないと有耶無耶になるし、綻びを探しまくる連中に恰好の餌を与えてしまうからな」
エルファンドはカッツェリーグの言葉を聞きながら、カップを差し出した。
「責務処ですか……」
カッツェリーグはカップを口にしながら、頷いた。
「そう。エルファンドが大ヘマしない限り、俺が責任取る事はないけど」
エルファンドはその言葉に苦笑いを浮かべた。
「覚醒融合して良かったのか悪かったのか……」
カッツェリーグはエルファンドの苦笑いを見て、口の端を上げる。
「俺は万々歳だけど?」
エルファンドはその笑みを見詰め、肩を竦ませた。
「良いと思うようにします」
「そうそう。そんな事は今考える事じゃない。今考えるべき事は山程あるからな」
カッツェリーグはそう言って、窓の外を見た。
「着実に不穏な空気が濃くなっている。何を狙っているのか、敵の意図がさっぱり分からん」
エルファンドは、六年間不在だった直轄区の話をカッツェリーグから聞いた。
この六年間で術犯罪率が著しく増加し、術規制強化の声があちらこちらから上がってきていた。だが、術規制強化をすると、直轄区民の生活にかなりの不便を押し付けるようになる。強化案を出してくるのは、術の仕組みなど全く理解していない、区民生活を全く理解していない貴族議員ばかりだった。
「強化案ってどんなモノが多いのですか?」
エルファンドは首を傾げる。
「何だかんだ言って、全面使用禁止令を敷きたいみたいだな」
カッツェリーグは軽く肩を上げた。
「は? 全面使用禁止ですか? 馬鹿な! 自分達は術を一切使ってないと思っているのか!」
「思っているみたいだよ。この前の会議では、マックスウェルがシレッと指摘していたけどな」
カッツェリーグはその場面を思い出し、口の端を上げた。
「業を煮やした推進派の議員が、術で煙草に火を点けたんだが、マックスウェルがそれを見て『全面使用禁止令を発令するなりますと、今のような些細な術も使用不可になりますが、よろしいですか?』ってね」
エルファンドは苦笑いを浮かべた。
「馬鹿過ぎる。で、話は変わるのですが、術犯罪って主にどんな?」
「何でもござれになっている、まさに窃盗から呪術殺人まで。警邏の術鑑識班だけじゃ間に合わないくらいにな」
エルファンドは顎を撫でた。
「鑑識班じゃ割り出せない術を、使っている可能性がありますね」
カッツェリーグはエルファンドに微笑んだ。
「可能性ではなく、真実だと思うよ。術鑑識や研究員の話だとね。鑑識班は目下材料を集め、研究所ではその分析に躍起になってるよ」
エルファンドは研究所がある方向を見た。
「だから、ミュウが研究所にいたのか」
カッツェリーグはカップを口にしながら、口の端を上げた。
「あれもある意味生き字引だからね。俺もいろいろと聞かれたが、全くって言っていいほど、思い当たる節がなかったなあ」
エルファンドはカッツェリーグを見詰め、軽く首を振った。
「ジルナ様に思い当たる節がないのなら、私なんて……」
「嘘付け。エルファンドに思い当たる節がなかったら、竜王に話があるわきゃないだろ」
エルファンドはカッツェリーグの言葉に首を傾げた。
「それはどういう……」
カッツェリーグは軽く息を吐き、煙草に火を点けた。
「お前が研究所にいたのは、『ミュウが研究所にいたのか』の言葉で分かる。なぜ、お前が研究所にいたのか。恐らくミルーナに付いて研究所に行った口だろ? あの子が今、警邏誘拐事件捜査の中心人物だからね。で、大方、マックスウェルの見解でも聞きに行ったんだろ?」
エルファンドはカッツェリーグに苦笑いを浮かべながら、頷いた。
「まあ、大筋はそんなものです」
「で、マックスウェルに何か伝言を頼まれた。マックスウェルがわざわざエルファンドに伝言を頼むって事は、それ相応の話がエルファンドと交わされたって事だ。護衛騎士団左右や俺ら頭が知っていなければならないようなね」
エルファンドはカッツェリーグの言葉にはっとした。
自分はかなり呑気に考えていたようだ。直轄区や寮、鍛練場の空気が、いつもと変わらずのんびりとした雰囲気だったから、そんなに重く考えていなかったが、六年前から護衛騎士団が動いている緊迫した状況が続いているのを、改めて認識した。
「邪魔するよ」
その声と共に竜王が入ってきた。その後ろから、菫色の長髪を緩く結い、男なら振り返ってその容姿を頭に焼き付けたくなるような女性と、腰下に届きそうな長さの黒髪を持ち眼帯をした男性が、続いて入ってきた。
エルファンドはその二人を見詰めて、カッツェリーグを見た。
カッツェリーグはソファから振り返り、二人に手を上げる。
「よう、キャルにハーツ」
「なんで、カッツェがいるんだ?」
黒髪の眼帯男、ハーツ・マーズ・ヨゼフィーナが菫色の長髪の女性キャロル・ミュー・ガージャリアンと竜王を見た。
「エルファンドがカッツェの直属だからでしょ?」
キャロルは、腰に手を当てながら片足に重心を移動させ、両脇に走るスリットから惜しげもなく色白の太股を晒し、ハーツを少し冷たい視線で一瞥した。
ハーツはその場にいた人間達を見渡し、肩を竦ませた。
「ご尤も」
竜王はエルファンドを見た。
「で。話ってなんだ?」
エルファンドはその場に集まった四人の顔触れを見て、緊張からくる口の渇きを唾で何とか潤し、研究所でのマックスウェルとのやり取りを話出した。
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小説『グロッサム』後書き
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