第二章 1.4
ミルーナは横を歩くエルファンドを軽く仰ぎ見て、肩を竦ませた。
「――たった六年なのに、エルファンドが知らない人に見える」
エルファンドは通りを眺めながら、苦笑いを浮かべた。
「知らない人か…… 寂しい事言うね」
「だってそう感じるんだもん、仕方がないじゃない。眼帯なんかしてるしさ。雰囲気もますます落ち着いちゃっているしさ」
「落ち着いた雰囲気は嫌いか?」
ミルーナはエルファンドを見詰め、視線を逸した。
「嫌いじゃないけど…… 私は振る人より」
「飾る人が好きなんだろ?」
エルファンドはミルーナの言葉を続けた。
「知っているくせに、なんでからかうの」
「だから、からかっちゃいない。私は何度も言っているけど、ミルーナが好きなんだ。仕方がないだろ?」
「――でも、その気持ち、嬉しいけど困る」
エルファンドはミルーナに笑い掛けた。
「初めて否定したね」
ミルーナは驚いたようにエルファンドを見上げると、寂しそうにエルファンドが自分を見詰めていた。
「少しは進展したの?」
ミルーナはエルファンドを見詰めたまま、口を押さえた。
エルファンドは立ち止まったミルーナの背中を押し、歩くのを促す。
「何を今更驚いてるのかなあ。ずっと二人を見て来ているんだよ? それくらい分かるさ」
「べ、別に進展なんてないわよ」
「クーイットにはね。ミルーナにはあったでしょ?」
ミルーナはエルファンドを見ないように、通りに視線を泳がせた。
「――あいつ、私の気持ち知っているくせに、ずっと答えてくれなかった。でも、大切にしてくれてるってのは、この前分かった」
「この前っていつ?」
「五日前。最近、調子がいいと、市場通りで鍛冶場になりそうな物件を探してたり、磨くだけの小さな依頼を取ったりしてるの、あいつ。それでさ、炎の皇帝の話を、気配が分かるって話したら、分かる奴は抱けないって……」
エルファンドはミルーナの横顔を一瞥した。ミルーナの頬は薄く赤くなっている。
「――なるほど。そりゃ、告白したも同然だな。でも、クーイットは気が付いてないと」
「全く。で、縛っちゃったんだよね、あいつが帰っちゃうのが嫌で」
「それも気が付いてないと思うよ」
ミルーナは不安げにエルファンドを見上げた。
「かなあ。だと、いいんだけど…… でね、なんで抱けないか聞いたら、死んじゃうからなんだって。でも、その炎の皇帝が分かるのと死んじゃうのが、どうしても繋がらないの」
エルファンドの脳裏に突然閃光とクーイットの幻影が走る。エルファンドは眉間に皺を寄せ、舌打ちをした。
「油断した」
ミルーナは驚いたように、エルファンドを見上げる。
「な、なんで舌打ち」
「ああ、ごめん。厄介な能力だよなあ。私が知ってどうするんだっていうの」
ミルーナは首を傾げ、しばらく、エルファンドの眉間の皺を見詰めていた。突然、眼帯に手を伸ばし、眼帯を引っ張った。
「ミルーナ、いきなり引っ張るなよ」
エルファンドの右目は、銀が増し、晩夏の陽射を浴びて輝いていた。
「――その目が輝くのも病気の後遺症?」
エルファンドは眼帯を外し、ミルーナを見詰めた。ミルーナは眉間に力を入れ、見上げている。
エルファンドは軽く溜め息を吐き、眼帯を着け直した。
「そうだよ」
「うそ。絶対に違う」
「随分と自信ありげに言い切るね」
エルファンドはミルーナに微笑む。
いつの時もそうだった。何も知らないくせに全て理解している。何も見えていないくせに、全て見えているミルーナ。いつの時代もミルーナはそうだった。
エルファンドは笑みを浮べたまま、ミルーナを見つめていた。
ミルーナは心配そうに首を傾げ、エルファンドを見上げた。
「一体何があったの? 六年間の間に、何がエルファンドを変えたの?」
「私は何も変わっていないよ」
「うそ。絶対に変わった」
エルファンドはミルーナを見詰める。脳裏には自分さえ知らなかったクーイットの秘密が、鮮明に繰り返されていた。
「――私がなぜ、こんな瞳になったのか知りたい?」
「知りたいよ。エルファンドは大切な人だもん」
エルファンドはいきなりミルーナの腰を抱き寄せた。ミルーナは咄嗟に上半身を逸す。
「な、何よ!」
「――じゃあ。操と引き替えだったら教えてやるよ」
ミルーナはエルファンドをしばらく見詰めていたが、いきなり顔から火を噴いた。
「ばっ、バカにすんな! そんな大事な……」
ミルーナは赤い顔のまま、エルファンドを再び見詰め直した。
「――そんな重要な事なの? その目になった訳」
「そうだね。ミルーナじゃなかったら、操を賭けられても教えられない。それと、ミルーナが操を賭けてくれなきゃ、クーイットが踏み込めない秘密も教えられないね」
ミルーナはエルファンドを見詰めたまま、返答に困っていた。両方とも知りたい。二人ともそれぞれに大事な人間だ。無くしたくない人間だ。
「――エルファンドは知ってるの?」
「そうだね…… 六年前までは外郭は知っている程度だったけど、今は全て分かるよ」
エルファンドはミルーナを開放した。ミルーナは一〜二歩下がり、エルファンドを見上げた。
「――か、考えておく」
エルファンドはミルーナにいつものように微笑んだ。
「いつでも待ってるよ」
エルファンドはそう言って歩き出す。エルファンドの眉間に再び皺が寄った。クーイットが悪いわけじゃない。だが、クーイットはミルーナに汚名の一つを被せた事になる。このまま、クーイットが黙っているつもりなら、喩え仲違いしようと、ミルーナをクーイットに渡すわけにはいかないと思った。
「エルファンド、待ってよ!」
エルファンドは皺を瞬時に消し、ミルーナを振り返る。
「なんだ、付いて来てるのかと思ったよ」
ミルーナはエルファンドの隣りに立ち、歩き出した。
「頭を凄く使っている時は歩けないの」
「ミルーナらしいな」
「ミルーナ!」
エルファンドとミルーナがその声に振り返ると、ダーリが走り寄って来ていた。
「ダーリ、どうしたの?」
「家に寄ったら、研究所に行くって聞いてさ」
ダーリは軽く息を吐き、ミルーナに微笑んだ。
「マックスウェルさんに見解を聞きたくてね」
ダーリはミルーナの隣りにいるエルファンドに気が付き、軽く頭を下げた。
エルファンドはダーリに笑い掛ける。
「はじめまして。私はミルーナの幼馴染みで、シヴァハンターの金のエルファンド」
「同僚のダーリです」
ミルーナは二人を見て、首を傾げた。
「あれ? 二人とも会った事なかったけ?」
ダーリは首を振った。
「ないよ。シヴァの金と知り合いだなんて初耳だよ」
「そうだっけ?」
「幼馴染みのお貴族嫡子と、あのデカい小山みたいな装飾鍛冶の話しか知らない」
エルファンドはダーリに苦笑いを浮かべた。
「たぶん、その幼馴染みのお貴族嫡子は私の事だね」
ダーリは慌ててエルファンドを見た。
「え」
「不思議そうだね。嫡子が戦士しているのが」
ダーリはどう答えていいのか、分からなかった。確かに考えられなかった。自分が見た事ある貴族の子供は、大抵、豪勢な服を身に纏い常に血筋を盾に踏ん反り、遊び惚けていた。
「ウチは代々武人貴族でね。子供は皆、帝国戦士になるのが通例になっているんだ」
エルファンドはダーリにそう微笑んだ。
「そうなんですか。でも、珍しくないですか?」
「そんな事はないよ。嫡子はともかく、嫡子以下の子供はかなりいるよ。それに意外といるものだよ、爵位を持つ帝国戦士って」
ミルーナはエルファンドを見た。
「は? 爵位持ってるのに、戦士もやってるの?」
「いるよ。現に私がそうだし」
「え! エルファンドの親父さん死んじゃったの!」
エルファンドはミルーナの驚きに吹き出した。
「死んでないよ。生前譲位ってヤツ。だから、シヴァとしてこっちに来れるんだよ」
「でも、なんで生前譲位なの?」
エルファンドはミルーナに苦笑いを浮かべた。
「なに、妻になる気になった?」
「阿呆! なんで、エルファンドの奥さんにならなきゃいけないのよ!」
ダーリはミルーナに目を白黒させていた。仮にも爵位を継ぎ、さらに帝国戦士の中でも上位ある人間に、タメ口どころか、阿呆呼ばわりをするミルーナ。
「じゃあ、妻になる気が起きたら教えて上げるよ」
ミルーナはエルファンドを見て、肩を竦ませた。
「純粋に生前譲位の意味合い、知りたかっただけなのに」
「理由なんて各家それぞれだよ。どれが正解ってものはない。いい加減、お前の同僚が混乱しないうちに止めないと、卒倒しかねないよ」
ミルーナは慌ててダーリを見た。
「ダーリ、混乱してるの?」
ダーリは肩を竦ませた。
「混乱してるっていうか、驚いてる。ミルーナはあれなのな」
「なに?」
「身分とか位とか関係ないんだな」
「当たり前じゃない。ガキの頃からつりんでるヤツが、どんな身分だろうと位だろうと関係ないじゃない。親友は親友。ただ、それだけよ。それに一々身分がどうの位がどうのなんて言う、了見が狭い奴は端から相手にしてない」
エルファンドは頷いていた。
ダーリは自分が知っているミルーナの交流関係を思い浮かべ、何となく納得出来た。
ミルーナの交流関係の中で上位の人間達は皆、身分や位を鼻に掛けない人間達だ。
エルファンドはダーリに笑い掛けた。
「確かにミルーナはそういう目で人を見ないね。でも、それなりに基礎は踏まえた上で一人の人間としてぶつかるから、護衛騎士団頭達や警邏長、武人貴族達に可愛がられるんだよ」
「――それってミルーナの気質ですよね」
「だね。だから、私は諦められないんだけどね」
エルファンドはミルーナに微笑んだ。
「つか、諦めてよ!」
ミルーナは口を尖らせる。
ダーリはますます目を丸くした。
「ミルーナ、この人の嫁になったら、安泰じゃねえか」
「は? なに阿呆な事吐かしてんの! 確かにエルファンドは伯爵だよ。でも、私はそんな身分だけでホイホイ頷く女じゃない。それに私は振る人より飾る人がいいの!」
「っていつも言われて、連戦連敗中。まあ、百万負けても一勝出来ればいいんだからね」
エルファンドはダーリに笑った。
「ったく! ずっと負けてろ!」
ミルーナは二人を置いて走り出した。研究所門の脇に立つ衛兵に手を振り、取次を頼んでいるようだ。
ダーリはミルーナを見詰めるエルファンドを見て、首を傾げた。
「本当に惚れているんですか?」
「惚れているよ。半分諦めていたけど、久しぶりに会って、易々渡せない事情が出来た」
ダーリもミルーナの背を見る。
「易々渡せない事情ですか…… あの幼馴染みの装飾鍛冶の人にですよね」
「そう。今のままなら絶対に渡せない」
ダーリがエルファンドを見ると、眉間に皺を寄せていた。それが一瞬にして消え、優しげな笑顔に戻る。
「マックスウェルさん、いるって! 早く!」
ミルーナは二人に手招きをしている。
ダーリは軽く走り出したエルファンドの背を見詰め、ミルーナを狙っている同僚達が敵わないのを痛感した。ミルーナはこの高位戦士にも腕利き装飾鍛冶にも、深く長く愛されている。同僚達も真剣だが、その真剣さの質が違う。
ダーリは軽く溜め息を吐いた。
「同僚達に諦めるように言わなきゃな」
「――そうしてくれると助かるよ」
エルファンドは口の端を上げ、ミルーナの腰を抱いた。
「なんだよ!」
「落し穴に落ちたいのか?」
ミルーナは足下を見た。足下にポッカリと落し穴が口を開けていた。
「は? 昨日はなかったのに」
「ここは紫小鬼の遊び場でもあるからな」
エルファンドはそうミルーナに笑い掛け、軽く落し穴を飛び越えた。
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