第一章 1.1
浅葱色のポニーテイルを弾ませ、帝王領直轄区大通りを走る女警邏の姿があった。その彼女を通りを歩く人々は振り返り、苦笑いを浮かべる。その苦笑いにはどこか安堵の表情も含まれていた。
「おや。しばらく見ないと思ったら、漸く復活かい?」
彼女はその声に満面の笑みを浮かべる。
「待たせたね! あたしが復活したからには、下手な事させないから! ごめん、急いでるんだ、また、今度ね!」
声を掛けた老人は彼女の背中を嬉しそうに見詰め、頷いている。
「うんうん。活気が出てなによりじゃ」
彼女はひた走る。
「ったく、くだらない話してたら遅くなっちゃったよ! 市場に食材残ってるかなあ」
「あれ?」
同じ制服を着た女性がその走る彼女を見付け、隣りの男を突突いた。
「あれ、ミルーナじゃない?」
「ん? お、ミルーナ!」
男はその走り去ろうとしている彼女を呼び止め、その萌葱色の髪のミルーナ・ガシェドは振り返り、その男女を見てパッと顔が明るくなった。
「エルマ! ダーリ!」
ミルーナは嬉しそうに女警邏のエルマに飛び付いた。
「うわっ!」
悲鳴を上げたエルマをダーリは慌てて後ろから支え、ミルーナに苦笑いを浮かべる。
「飛び付くのは止めろよ、ミルーナ。エルマがひっくり返るだろ」
ミルーナは小柄なエルマを抱き締めたまま、苦笑いを浮かべた。
「ごめん、ごめん」
「気を付けてよね、ミルーナ。で、今日から復帰なの?」
ミルーナはエルマに頭を掻いた。
「正確にいえば、明日から」
ダーリは肩を竦ませた。
「一年も休業して、すんなり復帰なんて普通有り得ねえけどな」
ミルーナはダーリに大きく頷く。
「そうなのよ。あたしも辞める覚悟で警邏長に言ったらさ」
エルマは驚いたように、ミルーナを見た。
「あ、あんた、警邏長に直に言ったの?」
ミルーナはエルマとダーリを見て、首を傾げた。
「え? だって、あたしが所属してた所轄の所長は死んじゃったし、たまたま警邏長がいたから引っ捕まえたのよ」
エルマとダーリは納得した。
「なる。で?」
「警邏長にさ、休むのは構わないが辞められるのは私としても今の状況としても警邏としても困る、って言われてさ」
「なにそれ」
エルマは目を丸くした。
「ミルーナは警邏長の愛人なの?」
「はあ?」
ミルーナとダーリは驚いたように、エルマを見た。
エルマは不服そうに二人に首を傾げる。
「だって、私としてもって事は、警邏長自身ミルーナを手元に置いておきたいって事でしょ?」
ダーリは苦笑いを浮かべた。
「あほう。警邏長はミルーナを無理矢理解雇しようもんなら、方々から文句を言われるのが嫌だったんだろ」
エルマはダーリの言葉に手を打った。
「ああ、そうか! ミルーナは警邏姫だもんね!」
ミルーナは口を尖らせた。
「嫌な冠思い出させるなあ、エルマは。それ色物ぽくって嫌なんだけど」
「色物だけじゃ警邏姫にはなれないだろ? 実力と人気が伴わなきゃ警邏姫や警邏王にはなれないし」
ミルーナは頭を掻いた。
「たまたまよ」
エルマが口を尖らせる。
「たまたまで三年連続で取れるわけ?」
ミルーナはエルマに手を併せた。
「ごめん、エルマ。そういう意味で言ったんじゃないよ」
エルマはミルーナに笑い掛けた。
「分かってるわよ。でも、一年も休業して、何してたの? あ、まさか、流行病に罹ったの?」
ミルーナはエルマに苦笑いを浮かべた。
「あたしがいくら男勝りだからって、それは酷くない? でも、それが原因で休んでたことは確かね」
エルマは首を傾げた。
「罹ってないのに? あっ! いい人出来たんでしょ!」
「出来るわけないじゃない。運がいいのか悪いのか、幼馴染み達が遊びに来ててね、二人とも戻るに戻れなくなっちゃったわけ」
ミルーナは肩を竦ませた。
ダーリは苦笑いを浮かべる。
「で。ミルーナの部屋にまだその二人が滞在中って事か。急いで帰るところをみると」
「正解。もう男臭いったらありゃしない。って事で、明日からまたよろしくね!」
ミルーナは二人に手を上げて、走り去っていく。
エルマはその後ろ姿を見て、ニンマリと笑う。
「どちらかにお熱ね」
「だろうね」
「でも、警邏姫だけで引き止められるっておかしくない? やっぱり愛人だと思うんだけど」
エルマはミルーナが去っていった反対方向に足を向けた。
「ミルーナ自身気が付いてないが、方々のお偉いさんに人脈があんだよ、あいつ」
ダーリが放った言葉にエルマは目を丸くした。
「うそん!」
「いや、本当だ。だから警邏長も無理矢理解雇出来ないんだろ? 針山になるからな」
「ああ、お偉いさん達にチクチク言われちゃうわけね」
ダーリはエルマに苦笑いを浮かべた。
「お前、今年も予選落ちだな」
エルマは口を尖らせた。
「なによお! 万年予選落ちで悪かったわね!」
「いや。俺としてはヤキモキしなくて済むんだが」
エルマはダーリに微笑んだ。
「予選落ちは悔しいけど、それならいいか。あっ!」
エルマは振り返った。
「ミルーナに言うの忘れちゃった」
「明日から否が応でも顔を合わせるんだ。頃合みて、言やいいだろ?」
エルマはダーリの腕にぶら下がった。
「だね。ミルーナもどちらかと甘くいくといいなあ、あたし達みたいに」
「無理だろうな。そうそう幼馴染みの枠から飛び出せないって」
エルマはダーリの顔を見上げ、ニヤリと笑う。
「あたしは流行病に感謝しなきゃ」
ダーリはエルマの顔を見て、視線を逸らせた。
「俺はまだ後期感染だったから軽くて助かったけどな。一年って事はかなり重いんじゃね、その幼馴染み達」
エルマは再び大通りを振り返った。
「なんだかんだ言って、ミルーナは強いね。弱音吐かないし」
ミルーナは大きな麻袋を抱え、玄関を開けた。
「ただいま」
ミルーナはテーブルの上に麻袋を置き、部屋を覗き込む。
「ただいま」
「おかえり」
部屋を占領する二つのベッド。その中から四つの鳶色の瞳が、ミルーナに微笑んでいた。
「復帰の話は出来たのか?」
左手のベッドからゆっくり起き上がる戦士体型の男がいた。ミルーナは慌てて男の肩を押さえ込み、無理矢理ベッドに寝かせた。
「まだ起きるのは早い!」
「でも、然う寝てるわけにはいかないから」
「ダメ! ティコさんに見てもらうまでは寝てなさい!」
「――黙って言う事聞いとけ、エルファンド」
右のベッドには声を殺して笑う男がいた。
ミルーナはその言葉に大きく頷く。
「そうよ! 何を今更なに格好付ける必要があるの! 下の世話までさせといて、何言ってんだか。すぐに夕飯の準備するから、寝ときなさいよ! 病人は寝るに限るの!」
ミルーナはそう言って部屋を出て行った。
ミルーナの幼馴染みで、ウナルバ伯爵嫡男のエルファンド・アルスルーン・ウナルバは思わず股間を押さえていた。
「し、下の世話って……」
隣りの男はベッドから太い腕を出し、頭の後ろで組んだ。
「下の世話だろうな。意識混濁としてた時期は、確実にあいつの世話になっただろうしな」
エルファンドは深い溜め息を吐いた。
「クーイットはなんか余裕だな」
「病気じゃ仕方あるまい。目の前で苦しむ俺らを見捨てられなかったんだろ。聞きゃかなりの致死率みたいだったしな」
同じくミルーナの幼馴染みで、名高い装飾鍛冶のクーイット・ヴァコバは目を閉じた。
「たぶん、これ以上、死なせたくないんだろ」
「――そうか」
エルファンドは天井を見つめ、ミルーナの半生を振り返った。
彼女がまだ思春期の頃、やはり流行病で相次いで両親を亡くし、幼い弟と二人で両親が残してくれた遺産を糧に細々と生きていくしかなかった。その後、親類達の事故死や病死が続き、ミルーナに有り難くない渾名がついた。
――死の乙女。
ミルーナが家に依ったり、声を掛けたりした直後、親類達が死んでいるのが、その渾名の由来だった。その中で帝国術士選考会に受かった弟も亡くしている。
決してミルーナは死の乙女ではない。それは自分達が一番知っている。だが、弟リナン・ガシェドの死を未だに責め苛んでいる。そして、自分達も死の憂目に遇い、ベッドでグダグダしている。ミルーナは絶対に顔に出さないが、これもさらに苦しめているだろう。
聞けば、ミルーナは自分達の喀血に染まったまま、万能医者を引っ掴まえに走ったらしい。
『あんな形相で迫られたのは初めてだよ』
往診に来た万能医者が苦笑いを浮かべ、一年前の話をしてくれた。
その当時、街中は戦禍さながらの地獄絵図だったという。男達が多量の喀血をし、町医者も次々と病魔に倒れていく。残った人間達は必死に看病をしても、死の悪魔に取り憑かれた男達は喀血し続け、やがて呼吸が止まる。
その街中を万能医者率いる救助隊は走り回っていたのだ、一人でも多くの人間を助けるために。
その万能医者に獣さながらに飛び掛かり、ミルーナは怒りの形相で叫んだらしい。
『これ以上あたしから大切な人を奪わないで! ティコさん、クーイットとエルファンドを助けてよ!』
エルファンドはその話を聞いた時、思わず吹き出した。ミルーナらしい。泣き顔じゃなく流行病に対する憤慨の表情。まさに怒りが先に立っていたのだろう。
「気持ち悪いぞ、エルファンド」
クーイットの言葉でエルファンドは口許を押さえた。
「すまん。ミルーナの万能医者略奪を聞いた時の事思い出してさ」
「なるほど。それより明日、万能医者の往診日だろ」
エルファンドは起き上がり、壁に掛かる暦を見て頷いた。
「だね」
「俺達いつまでベッドに縛られてなきゃ、いけないのかね」
エルファンドは自分の胸を押さえた。
「この胸の痛みが…… 胸が治るまで復帰出来ないだろうな……」
起き上がっているエルファンドをクーイットは一瞥し、目を閉じた。
「寝てないとミルーナに怒やされるぞ」
「分かってはいるんだけどね。良くなってくると、寝てられないんだよね」
クーイットは苦笑いを浮かべた。
「戦士だな」
「まあね。あと、動けるようになったら、一度帰らないといけないしね。父上もいろいろと大変だろうし」
クーイットは頷いた。
「俺は恐らくクィナで罹ったんだろうしな…… クィナも酷いだろうな」
「だろうね」
エルファンドは部屋を灯すランプの明りを見つめた。
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小説『グロッサム』後書き
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