第二章 1.3
ミルーナが昼食に帰ってくると、そこには六年ぶりに見る懐かしい顔があった。
「エルファンド!」
すっかり眼帯が板に付いたエルファンドは、飛び込んできたミルーナを抱き留めた。
「ただいま、ミルーナ。会いたかったよ」
ミルーナはエルファンドの腕の中で顔を上げ、嬉しそうに微笑んだ。
「あたしも会いたかった! もうすっかり元気になったんだ!」
「まあね。じゃなかったら、こっちに戻って来れないし」
ミルーナはエルファンドをテーブルに座らせ、竈を振り返ると、鍋棚を覗き込むクーイットの姿があった。
「ミルーナ。どれでお湯沸かせばいいんだ?」
「今やるから! エルファンドはお昼食べたの? 今日は茸とチキ鳥のレイシクリームラジェだけど、食べていく?」
エルファンドは嬉しそうに頷いた。
「ミルーナの作るレイシクリームラジェは大好物だ」
ミルーナは戻ってきたクーイットの背中を叩き、竈に向かった。
クーイットは頭を掻きながら、テーブルに着く。
「勝手が分からん」
「最近か? 漸く動けるようになったのは」
エルファンドは苦笑いを浮かべながら、巻煙草を取り出し、クーイットに勧める。クーイットはそれを受け取り、卓上ランプの屋根を上げ、煙草に火を点けた。
「そうだな、ここ半年ってとこだ」
「で、どうするんだ? クィナに帰るのか?」
クーイットはミルーナの背中を見る。エルファンドもミルーナの背中を一瞥し、クーイットに口の端を上げた。
「なるほど。まあ、お前もこっちの方が仕事取りやすいだろうし、いいと思うよ」
クーイットはエルファンドを見詰めた。エルファンドはクーイットに口の端を上げ、黙って立ち上がり、ミルーナの隣りに立った。
「ミルーナ。これ、好きだったろ?」
ミルーナはエルファンドの手を見て、嬉しそうに頷いた。
「これ、ジェジェッタさんトコのパシャの詰め合わせ! 大好きだよ! ありがとう、エルファンド!」
ミルーナはその藤籠を受け取り、嬉しそうに中を覗き込んだ。
「こっちにも美味しいパシャあるけど、ジェジェッタさんトコのが一番好き。今出すね」
ミルーナは菓子器を取り出し、手際よくティーと茶受けの準備をする。エルファンドは準備された一式をテーブルに運んできた。
クーイットはエルファンドを見詰め、肩を竦ませる。
「相変わらずだな」
「そうか?」
エルファンドはカップをクーイットの前に差し出し、自分もカップに口を付けた。
「ところで、その眼帯なんだ?」
「ああ、これ。帰郷した後、ちょっと他の病気を患ってね」
ミルーナは心配そうに走りより、エルファンドを覗き込んだ。
「失明とかしちゃったの?」
エルファンドは首を振り、眼帯を捲って見せた。クーイットとミルーナは目を見開いて、エルファンドの銀碧の右目を見詰めた。
「なんで緑……」
エルファンドは眼帯を戻し、軽く肩を竦ませる。
「さあ。幸い視力は落ちなかったけど、余りに目立つからさ、眼帯する事にしたんだ」
そうエルファンドは微笑み、カップに口を付けた。ミルーナはエルファンドを見詰めていたが、寸胴鍋の湯が竈に吹きこぼれる音で、竈に戻っていった。
「――誤魔化せると思っているのか?」
クーイットはエルファンドを見据えていた。
「誤魔化しちゃいないよ。病気が治って眼帯を外したんだけど、会う人間、みんな突っ込んでくるんだよね『右目どうしたんですか!』ってさ。それがうざったくてね。他の奴等には怪我したって誤魔化すけど、お前達には効かないから、正直に話したつもりだよ」
エルファンドはクーイットに笑い掛けた。
クーイットの勘が誤魔化しているとまだ警告するが、六年の月日で、さらにエルファンドは真意を隠すのが上手くなっているのを実感していた。どこをどう誤魔化しているのかさえ、分からない。
「――生活に支障はないんだな」
「ないね。むしろ眼帯をした事で集中力が高くなったかな。それにこの眼帯、見えなくはないんだよ。細かい穴が開いているんだ」
エルファンドは似たような眼帯を腰袋から取り出した。クーイットはそれを手に取り、目の前に掲げてみる。
「へえ。意外と見えるもんだ。でも、高そうだな」
エルファンドは口の端を上げる。
「まあね」
「でもさ。眼帯してたら剣振りにくくない?」
ミルーナはクーイットとエルファンドの前に、大皿を置いた。中にはてんこ盛りの麺類が入っている。
クーイットとエルファンドは取り皿を取り、そのてんこ盛りを崩してゆく。
「最初、慣れるまで時間掛かったけど、慣れちゃえばどうって事なかったよ」
エルファンドはミルーナの前に麺類を盛った皿を起き、自分の皿に麺類を盛る。
三人は親指にフォークを挟み、手を合わせた。
「いただきます」
エルファンドはフォークにレイシクリームが絡まった麺を巻き付け、口に運ぶ。
レイシの爽やかな酸味とコクのあるヤクの乳から採れるクリームが口に広がり、香辛料のピリッとした辛さが、味を引き締める。固茹での腰のある麺も絶妙な茹で具合だ。シコシコとした歯応えの中にもっちりとした感触もしっかりある。
エルファンドの口端が満足そうに上がった。
「うん。やっぱりミルーナのレイシクリームラジェは最高」
ミルーナは嬉しそうに麺を口にした。
クーイットはチキ鳥の肉を頬張りながら、エルファンドを見た。
「で。小僧達はどうなんだ?」
「来期の選考会に出る為に、もうすぐガイルは上都してくるはずだ」
エルファンドは苦笑いを浮かべる。
「ただ、キースに関しては、会えるかどうか……」
ミルーナは寂しそうにカップを口にした。
「エルファンドの手紙で何となく想像付いていたけど…… あんなに熱望してたのに…… 同じ警邏として、嫌になるよ」
「能力はあったのにな」
クーイットも頷いている。
「まあ、ガイルは諦めてないみたいだから、連れて来る事は来ると思うよ。マックスウェル様との約束だからね」
エルファンドは苦笑いを浮かべながら、残り少ないラジェを取り皿に盛った。
「私も全く会ってないから分からないけど、多分、かなり変わったと思う」
エルファンドの言葉にミルーナとクーイットは力なく頷いた。特にミルーナの表情はかなり暗くなっている。
「坊や、辛かっただろうね……」
「――ミルーナ、分かってるよな」
クーイットはミルーナを見据えた。その同情心は男特有の心情からすると、かなり傷付く。特にミルーナには言われたくないだろう。
「クーイットに言われなくたって分かってるよ! 坊やは見た目可愛かったけど、立派な男の子だよ! でも、ここでは言わせてよ! クーイットとエルファンドだけなんだから、言わせてよ!」
ミルーナは口を尖らせながら、麺を頬張った。
「クーイットがいない時にでも、聞いて上げるよ」
エルファンドはミルーナに微笑んだ。ミルーナはエルファンドを見詰め、慌てて首を振る。
「いい。しばらく会わない内にさらに上手くなったよね」
「なにが?」
「女心くすぐるの」
エルファンドはゆっくり口の端を上げる。
「ミルーナだから、くすぐるんだよ。私が惚れた女だからね」
ミルーナは顔を赤くして、また、麺を頬張った。
「もう! からかわないでよ!」
「からかってなんてないさ。取りあえず、今日はミルーナを引っ張り回そうと思ってる」
ミルーナは一瞬嬉しそうな顔をしたが、即座に首を振った。
「すんごい嬉しいけど、無理。今、重要捜査の真っ最中だから」
エルファンドはミルーナを見詰めた。
「重要捜査? なにがあったんだ?」
「一週間前、警邏五人が攫われたの。しかも、公衆の面前でね」
エルファンドは眉間に人差し指を置いた。
「えーっと…… どうやって公衆の面前から大の大人を攫うんだ?」
「同僚のダーリの証言と研究員の話だと、攫われた人間の周囲に相殺系防御壁が張られて、爪先から消えていったって」
エルファンドは顎を撫でた。
「なるほど。それなら攫えるか。攫った奴は腕がいいな」
ミルーナは口を尖らせた。
「犯人に感心してどうすんの。でも、マックスウェルさんも似たような反応だった。それにもまして、凄い悔しがって憤慨してたけど」
クーイットは首を傾げた。
「なんで、帝国一の術士が悔しがるんだ?」
ミルーナは肩を竦ませた。
「知らない」
「そりゃ、破られたからだよ」
「何を?」
クーイットとミルーナは首を捻って、エルファンドを見た。
エルファンドは苦笑いを浮かべながら、カップを口にした。
「――直轄区にはあの人の手によって、ある程度の防衛術が掛かっているんだよ。直轄区境の区壁から、丸屋根風の防御術がね。でも、それは空間のみで地中とかには掛かってなかったんだと思うよ。そこを突かれたんだと思うよ」
「マックスウェルさんにあるまじきドジっぷりね」
ミルーナの言葉にエルファンドは腕を組んだ。
「ドジ…… 今の憶測は違うな。もしかしたら、かなり高度な複合術が使われたのかも。見た目は単なる防御壁だったかもしれないが。こうも考えられる。元々、攫う標的が決まっていて、その人間の狭い範囲だけ、術が熾るように最初から仕組まれていた…… うーん、しっくりこない」
エルファンドは腕組みをしたまま、首を捻り始めた。
ミルーナはカップを空にし、食器を素早く洗い桶に浸した。
「取りあえず、マックスウェルさんの見解が聞きたくなった」
エルファンドは立ち上がる。
「私も行くよ」
「なんで? 警邏の仕事に戦士が首突っ込まないで欲しいな」
「それは序でだ。戻ってきた挨拶もしたいし、それに研究所なら、シヴァ寮も護衛騎士団寮も近い」
「それだと断れないじゃない。狡いよ、エルファンド」
ミルーナは腰に手をあて、エルファンドを軽く睨み付けた。
「そうか?」
「そうよ。帰ってからますます狡くなってる」
エルファンドはミルーナの背中を押した。
「それをいうなら、頭の回転が早くなったと言って欲しいね。クーイット、またな」
エルファンドはテーブルに残ったクーイットを一瞥し、ミルーナと共に家を出た。
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小説『グロッサム』後書き
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