第二章 1.2
ミルーナが深夜家路に着くと、玄関の脇の小窓から明りが漏れていた。
「ただいま」
テーブルには、分解された小剣と様々な道具が散らばっていた。
小山がゆっくりと振り返り、片眼鏡を外しながらミルーナを一瞥する。
「おかえり」
ミルーナは肩を竦ませ、テーブルに手を付いた。
「あのさ。まだ完全に治っているわけじゃないんだから、無理しないの」
クーイットは再び片眼鏡を填め、分解された小剣の柄にある金の装飾を布が巻き付いた金具で擦り始めた。
「家主が帰ってきてないのに寝れるか」
ミルーナは肩を再び竦ませ、竈の前に立ち、ティーを入れる準備を始める。
「どう? きれいになりそう?」
「まあ、元々丁寧に扱われてたみたいだから、磨きゃ元通りになる」
クーイットの作業の邪魔にならない場所にカップを置き、斜向かいに座って柄を磨いているクーイットの手を見詰めながら、カップを口にした。
「ねえ。このまま、こっちに移ってこない? クィナ庄よりこっちの方が依頼あるだろうしさ」
クーイットはミルーナの顔を一瞥し、再び、手を動かした。
「考えておく」
「だってさ、もう七年も空けっ放しじゃダメになってるんじゃない? それに最近、昼間、市場通りに行ってるでしょ?」
クーイットは手を止め、ミルーナを見詰めた。
ミルーナはその表情に口の端を上げながら、カップを口にする。
「伊達に警邏やってるわけじゃないわよ。あんたみたいな熊が市場通りウロウロしてたら、目に付きやすいもの。いい物件あった?」
クーイットは溜め息を吐き片眼鏡を外し、カップを手に取った。
「何ヶ所かは」
「そう。ほら、クーイットの側にいる炎の皇帝だっけ? あれが気に入りそうなのあったの?」
クーイットはミルーナを見詰めてしまった。
確かに自分は炎の皇帝を崇めている。他からは、自分が炎の皇帝に気に入られていると、聞いた事もある。だが、その炎の精霊二柱の一柱でもある炎の皇帝の姿など、生まれてこの方見た事がなかった。
ミルーナはクーイットの表情を見て、口を軽く押さえた。
「あ…… もしかして、禁忌を口にした?」
「いや。ミルーナには姿が見えるのか?」
ミルーナは首を傾げた。
「うーん…… なんていえばいいのかな。
見えるっていうより感じるの。
クーイットが鍛冶作業をしている時とか特にね。鍛冶場全体がなんか炎のように感じるの。たまにクーイット自身からも感じる時あるかな」
ミルーナはカップを口にして、クーイットに微笑んだ。
「七年間看病して、特に感じるようになったかな。最近、それが家の中ウロウロしてるのも分かるんだ」
クーイットはその言葉を聞き、慌てて道具を終い出した。
「ど、どうしたの?」
「気にするな。それと完治宣言聞いたら、帰る」
「ダメ! 帰さない!」
ミルーナは慌ててクーイットの手首を掴んだ。ミルーナの腕に卓上ランプの屋根が当たる。
「あちっ!」
「ばか野郎っ!」
クーイットは慌てて水甕までミルーナを引っ張り、ミルーナの腕を甕に突っ込んだ。
ミルーナは腕を抜こうとすると、クーイットは手に力を入れ、ミルーナの腕を再び水中に引き戻した。
ミルーナは甕を見詰め、背中にクーイットを感じていた。ミルーナは再び腕を引こうとする。
クーイットは再び腕を水中に引き戻す。クーイットは気が付いていなかった。腕を水中に引き戻す度に、ミルーナとの距離が縮まっている事を。
ミルーナはクーイットの胸に身体を預けた。クーイットは腕を一瞬引こうとするが、再び、水中に戻した。
「なんで、七年前、家に来たの?」
クーイットは黙っていた。黙っていても心拍数が早くなる。
「もう…… じゃあ、どうしていきなり道具を片付けだしたの? いきなり帰るって言い出したの?」
クーイットがミルーナの頭を見た。自分がミルーナをどんなに大事にしているか、無くしたくないか、語りたくても言葉が出てこない。七年前、やっとの思いで言葉を考え、ミルーナの家にやってきた。だが、そこにはエルファンドがいて、さらに、着いた直後から体調がおかしくなった。
七年間の月日が、さらに言えない状況にさせた。
クーイットの空いている腕がミルーナの腹部を抱き締めた。
「なんで、分かるんだよ」
ミルーナは首筋に当たるクーイットの熱に、頭がポーッとしてきた。心臓は早鐘のように脈打ちをしている。
「な、何が」
クーイットの両腕がミルーナを抱き締めた。
「皇帝の事だ」
「し、知らないわよ。それと関係があるの?」
「分かるヤツは抱けない」
ミルーナはクーイットの言葉をしばらく考え、慌ててクーイットの顔を見ようとした。
クーイットの唇に柔らかい感触を覚える。目の前の驚いて見開いたミルーナの赤茶色の瞳があった。
ミルーナは慌てて顔を離した。
「うわっ! 今のなし! 事故、事故だからっ!」
ミルーナはクーイットの胸を押しながら、訳の分からない言い訳を口にしていた。
クーイットはミルーナをいきなり抱き締め、唇を奪う。ミルーナの瞳は再び見開いたが、ゆっくりと閉じた。
クーイットの太い首筋にミルーナの両腕が回る。
ミルーナはクーイットの深いキスを受けながら、このままどうなってもいいと思っていた。
ミルーナの瞼の裏に赤い閃光が走った。まるで稲妻のようにジグザグに走る赤い閃光。
「ふげ」
クーイットはその声で我に返り、両腕を広げ顔を思いっきり離し、慌ててミルーナに背を向けた。
「す、すまん」
ミルーナは背を向けたクーイットを見詰めていた。
「なんで? 嬉しかったよ?」
「すまん」
「どうして、謝るの?」
ミルーナはクーイットの背中を抱き締めた。
「あたし、何度も言ってるけど、クーイットが好きなんだよ」
「分かってる」
「じゃあ、答えてよ」
「だから、分かるヤツは抱けない」
ミルーナの腕にクーイットの手が触れた。
「それは答になってない。じゃあ、なんで分かる人は抱けないの?」
クーイットはミルーナの腕を見て慌てて手を離した。自分が触った場所が赤く色付いている。自分だって、長年思い続けてきた気持ちを伝えたい。大手を振ってミルーナの隣りを歩きたい。
だが、その赤く色付いた箇所がそれを否定する。
「お前は死にたいのか?」
「なに、クーイットに抱かれると死んじゃうわけ?」
「そうだ」
「なんで?」
クーイットは下唇をかみ締めた。話せない。話せるわけがない。ミルーナの親友を死に追いやったのは、自分だ。
「何でもだ」
「むう…… でも、それでもいいよ。クーイットに抱かれて死ねるなら別に構わない」
クーイットはミルーナの言葉に目を閉じた。絶対にそう返ってくると分かっていた。あの当時、危険な職業の一つとされていた警邏に、ミルーナがなると決めた理由も似たようなものだった。
『もう誰も身内は残ってないし、いつ死んだって悲しむ奴なんてここにはいない。死の乙女が死ぬんだから、清々するでしょ。仕事で死ねるなら別に構わない』
死ぬ事を怖がらないミルーナは、死ぬ事を今も望んでいるミルーナ。だから、何事にも真っ向から向かっていく。ある意味一番生に執着しているのかもしれない。
そんなミルーナを自分が手を上げる前に、エルファンドが平手打ちしていた。そして、多弁に自分達の気持ちを話していた。
少なくとも、俺達は悲しむ。それにそんな気持ちで警邏になるなんて、志が高く警邏になった奴に失礼だと。どんな仕事にしろ、就くからには誇りを持てる仕事をしろと。
もし、自分だったらそんな多弁に語る事は出来なかった。だが、今はエルファンドがいない。否定するのは自分しかいない。
「――ダメだ」
「うん。絶対そう言うと思ってた。でも、あたしの気持ち分かってよ」
「分かってる」
「分かってるなら、言葉にしてよ! 答えてよ! なんで答えてくれないの!」
ミルーナはクーイットの前に立ち、見上げた。赤茶色の瞳から大粒の涙が一粒二粒零れ落ちた。
泣かせている自分がもどかしいと思う同時に、その涙が綺麗だと思う自分がいた。
「答えたいが答えられない。でも、俺の所為でミルーナが死ぬのは嫌だ」
ミルーナは涙を手の甲で拭い、クーイットを見上げた。
「その抱けない理由のせいね。それがクリアしたら…… って、ちょっと待って」
ミルーナは眉間に人差し指を当てた。口元はモゴモゴ動き、聞き取れないくらいの声で何かを呟いていた。その呟きが止まったかと思うと、突然、ミルーナの顔が真っ赤になった。
「馬鹿! クーイットの馬鹿!」
クーイットは首を傾げた。全くその罵倒が理解出来なかったからだ。
「なんだよ」
ミルーナはクーイットの胸を思いっきり何度も叩いた。
「馬鹿! クーイットの大馬鹿野郎っ!」
クーイットはミルーナの腕を掴む。
「なっ、なんだよ」
「痛い!」
クーイットは慌てて手を離した。ミルーナは腕の火傷を見詰める。
「痛いなあ、もう! クーイットの阿呆!」
クーイットはミルーナの手を引き、テーブルに着かせる。常備薬箱から、小さな小筒を取り出し、ミルーナの火傷にその小筒の中身を塗った。
「なんで、俺が馬鹿なんだ、阿呆なんだ」
「馬鹿は馬鹿。理由は教えてやらない。阿呆は火傷を握ったから」
ミルーナはクーイットを見詰めた。
「いい、クーイット。クーイットは直轄区に住むの。あたしの近くに住むの。あたしに住む場所を必ず教えるの。もし、これが守れないなら、今すぐレテに飛び込むから」
「だっ、ダメだ!」
クーイットは驚いたようにミルーナを見た。ミルーナの顔は嬉しそうに笑い、途端、悲しそうな笑みに変わった。
「じゃあ、守ってね」
クーイットは頷くしか出来なかった。
ミルーナは立ち上がり、カップを洗い桶に片付けた。
「あたし、明日も早いから寝るね」
ミルーナはそう言って自分の寝室に入った。
ミルーナは寝室に入った途端、小さく拳を振り上げる。クーイットは気が付いていないが、ミルーナの気持ちに答を出していたのだ。
ミルーナは拳を降ろし、警邏の制服を脱ぎ、ベッドに倒れ込み、掛布団を抱き締め、顔を埋め、喜声を上げていた。
だが、顔を上げ扉を見る表情は寂しげな顔だった。
「ごめん、クーイット。縛り付けたね」
自分の命を盾にクーイットを自分の側に縛り付けた。クィナ庄を出たのは、自分が側にいたら、クーイットとエルファンドを死なせてしまうと思ったのもあった。
七年間、一つ屋根の下で暮らしている今もいつクーイットに死が近付いてくるか、不安で仕方がなかった。だが、その不安を打ち消したのは、クーイットが近くにいない生活に耐えられそうにない自分の弱さだった。
「もう、クーイットの顔が見れない生活なんて嫌だ」
ミルーナは自分で吐いた言葉に頷き、ベッドに潜り込んだ。
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小説『グロッサム』後書き
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