第一章 4.4
エルファンドが目を覚ますと、そこには手桶で手を洗うティコの姿があった。
「――ティコさん」
「お? 気が付いたか?」
エルファンドは窓の外の雨天を見上げ、苦笑いを浮かべた。
「私は何日寝ていたんですか?」
「丸三日ってトコだ。肺は全く問題ない。まあ、その右目はどんな術でも変えられないがな」
エルファンドは溜め息を吐いた。
「――不思議ですね。三日前までの私とは違う。でも、己自身が変わったわけでもない」
「覚醒融合にもいろいろとあってな。俺みたいにずーっと記憶が繋がりっ放しの奴もいれば、生まれ変わる度に一から始めて、途中で記憶が繋がる奴もいる。それとか、他人から教わらなければ、自覚出来ない奴等もいるしな」
エルファンドは寂しげに笑うティコに肩を竦ませた。
「そんな悲しげな顔をしないで下さい。前世がどうであれ、私は私です。本当に何度か出会っているんですね、私達。そして、いつも貴方に見送られて逝った」
「今回こそ、それがないようにしたいんだがな」
エルファンドはクスリと笑みを零した。
「無理でしょう。貴方とは違い私は子化けですから」
ティコも弱く笑みを浮かべた。
「分かってはいるんだがな。でも、毎回望んでしまうんだよ」
「本当に不思議ですね。寿命というのは、種族と生まれもった魂、業や生まれ落ちた環境や血筋に因って変わってくる。因果応報とは良く言ったものです」
ティコはエルファンドの横顔を見ながら、巻煙草を取り出し、火を点けた。
「お前、前より爺々臭い」
「ティコさんがいつも若いんですよ」
「そうかあ? 最近、周りからはオヤジ臭いって言われてるんだぞ」
なぜか自慢げなティコの口調に、エルファンドは苦笑いを浮かべた。
「嬉しそうですね」
「んな事はない。まあ、言う連中は百の位もない連中か、見た目がガキの奴等ばかりだけどな」
やはり自慢げなティコに、エルファンドは苦笑いしか出なかった。
「で。取りあえず安モンだが眼帯」
ティコは徐にエルファンドに革の眼帯を差し出した。
「いえ。眼帯は……」
「いらんモンまで見えるぞ」
「いらないモノ?」
ティコはエルファンドに眼帯を握らせた。
「まあ、使いたくなったら使えばいい」
エルファンドは眼帯を見詰め、溜め息を吐いた。
「分かりました。ところでキースの具合は?」
「まだ爆睡中。そうそう起きるモンでもあるまい」
「怪我とかは……」
ティコはエルファンドを見詰め、顎を撫でた。
「幸い身体的には擦り傷切り傷打撲程度の軽症ってところだな」
エルファンドはティコを見詰め、眉間に皺を寄せた。
「――誤魔化さないで下さい」
「誤魔化しちゃいないさ。お前が知らなくてもいい事を話さないだけだ。まあ、想像通りだよ。マックスウェルも言ってたろ? 『最低。自業自得だ』って」
「キースがですか?」
「キースが自業自得になる理由なんぞあるか?」
エルファンドは苦笑いを浮かべた。
「ないですね」
エルファンドはキースの発見状況を思い出してみた。全裸のキースに三体の屍体。屍体の傍らには錆びた剣。
突然、エルファンドの脳裏に閃光が走る。キースが剣で脅され、三人の男に弄ばれる姿が閃光と共に現れた。
「や、やめろ! やめてくれ!」
エルファンドは眉間に皺を深く刻み目を瞑り、思いっきり首を振る。いきなり、頭を捕まれ、右目に圧迫感を感じる。慌てて顔を上げると、ティコの真緑の腕が見えた。
「――だから、填めてろっていったんだ」
エルファンドは右目の上にある眼帯に触れた。眼帯を填められた瞬間、キースの悲惨な状況が消えた。
「見たくないモノまで見えちまう。まあ、融合直後で力の配分が出来てないが故なんだがな。調整が出来るようになれば必要なくなるが」
「――確かに今のは見たくもないモノですね。――ああ。分かりました。ティコさんも見えるんですね」
ティコは肩を竦ませた。
「まあな。俺の場合はあえて見たりするがな、原因や要因を突き止める為に。顔に出さなくなるまで、眼帯は取らん方がいいぞ」
エルファンドは溜め息を吐いた。
「私は術士ではないので、困るんですが」
「なに、慣れだ。ハーツだって単眼でやってるわけだし」
エルファンドは護衛騎士団頭の中で一番若い黒い長髪のハーツ・ヨゼフィーナを思い出した。エルファンドと大して年齢は変わらない。
「あいつは生まれや育ちが特異なだけで、半化けでも子化けでもない。あいつに出来てお前に出来ないはずはない」
エルファンドはティコの言葉に苦笑いを浮かべた。
「私なんてまだまだですよ」
「なに言ってんだか。剣聖の魂を持つ人間が」
エルファンドはティコの顔をしばし見詰め、両手に視線を落とした。剣タコのある掌。
「剣聖…… ただ守りたい者を守りたかっただけなんですけどね」
「誰だってそんなもんさ。何をその時考えていたかなんて、本人にしか分からん。語り継ぐ者は外側からしか見てないからな」
エルファンドはティコの横顔を見詰めた。紫煙をゆっくり吐き出すその表情は、物凄く歳を重ね、悟りなのか諦めなのかどっちとも取れる深い色を見せていた。
自分より早くこの地に生まれ、自分の死を見取る男。
エルファンドは再び溜め息を吐き、眼帯を調整した。
「――話はキースに戻りますが、マックスウェル様はなんと?」
「キースの意向に任せるんだとさ」
エルファンドはティコの言葉に驚いた。キースが目覚め、体調が戻り次第、早急にマックスウェルの手の届く場所に連れて行くと思っていたからだ。
エルファンドはティコにそう言うと、ティコは苦笑いを返した。
「――マックスウェルが考えている事なんて分からんよ。俺の上を行く策士だからな、あいつは」
エルファンドは肩を竦ませた。
「ティコさんの上を行くって、どんだけなんですか」
「あれは生まれと育ちがそうさせたとしか言えんよ。マックスウェルもいろいろと必死なんだよ」
「マックスウェル様がですか?」
「僕だって落ち込んだり悩んだりするよ。人を化け物扱いしないでよ、ティコ」
扉が開き、いつも笑みを湛えているマックスウェルが部屋に入ってきた。
ティコはマックスウェルを見やり、肩を竦ませる。
「化け物を化け物と呼んで何が悪い」
「悪くはないけどさ。エルファンド、上手く融合出来たみたいだね」
エルファンドはマックスウェルを見て、苦笑いを浮かべた。
「何もしてませんが」
ティコがマックスウェルを再び見て肩を竦ませた。
「お前なあ。ここは俺がいるんだから任せておけよ」
エルファンドはティコの言葉に首を傾げた。
マックスウェルはベッドの支柱に寄り掛かり、ティコに微笑んだ。
「安心して任せてるよ。ただね、エルファンドに言い忘れた事があってさ」
「私にですか?」
「そう。完治するまで、どんな事を見聞きしようが、戻ってくるな」
エルファンドは驚いたようにマックスウェルを見た。
「待って下さい、それは戦力外通知ですか?」
「違うよ。僕や他の頭の予測結果、これからしばらく、かなりゴタゴタするから、完治していない使える戦士達は、今の内に完治してもらおうって計い。エルファンドはカッツェの目玉商品の一人だからね。無理に治っていない身体を押して出てこられて悪化されたら、かなりの痛手になる。だから、今、休んでおいて欲しいって事」
エルファンドは眉間に皺を寄せた。
「――それってまるで戦争が始まるように聞こえます」
マックスウェルは苦笑いを浮かべた。
「やっと天災が人災だって分かっただけだよ。まだ、そこまでは切羽詰まっているわけじゃない。まあ、大打撃を受けたのは確かだし、ダークや闇に不穏な動きがあるのも確かだよ。でも、いきなり近々戦争って事はないよ」
マックスウェルはエルファンドに笑い掛け、窓に吹き付ける雨粒を見詰めた。
「プロトだけの問題じゃなくなりそうな気がするよ」
「プロトだけの問題じゃなくなる?」
ティコが肩眉を上げると、マックスウェルはティコに微笑んだ。
「やだなあ、ティコ。そりゃそうでしょ。敵がプロト外の人間だったら、プロトだけじゃないでしょ? それじゃそういう事だから、ゆっくりと養生して完治させてね」
マックスウェルは手をヒラヒラさせて、部屋を出て行った。
「――ったく。何抱えてるんだ、あいつは」
ティコは溜め息を吐いて、扉を見詰めた。
「何ってなんですか?」
「分からん。だが、明らかに何か抱えてやがる。今のマックスウェルは意識体だ。しかも数体に分かれていろいろとやってやがる。あいつの秘密主義は度が行き過ぎる」
エルファンドはティコがいきなり憤慨し始めたのに、苦笑いを浮かべた。
「ティコさんにばれるのを、百も承知でいらしたんですよね、マックスウェル様」
「だろうな」
ティコは窓に叩き付く雨垂れを見詰めていた。が、突然、エルファンドを見て、ゴーグル越しの目を見開いた。
「ああ! なにか! 俺を表舞台に引き摺り出そうって魂胆なのか?」
エルファンドは苦笑いを返した。
「――分かりません。ティコさんがなぜそんな答になったのか、マックスウェル様がわざわざ、意識を飛ばしてまで私に釘刺しに来たのか。私達、戦士にしてみたら策士の考えている事なんて、理解を越えてますから」
ティコは大きく溜め息を吐いた。
「だよな。ったくよ。ホント、あいつは秘密主義だから困るよ。エルファンド。お前さんは体調が戻り次第、家に帰れ。視察救援は代わりに俺がやっといてやる」
「いや、しかし、これはウチの領の問題ですし」
「お前んトコの領だけじゃ済まなくなったって事だよ。あいつは感染の根源が知りたいんだ。お前の領は序でだ」
エルファンドはティコをしばらく見詰め、軽く溜め息を吐いた。
「分かりました。でも、ティコさんも十分秘密主義だと思いますけどね」
「少しは分かるようになったじゃねえか。まあ、お前の年代にしちゃ、融合前から達観していたがな。あのクーイットなんか見てると、まだまだガキだなって思うよ」
エルファンドはティコに苦笑いを浮かべた。
「あいつは頑固で付き合いベタで、一途ですから」
「しかも過去の傷に拘り過ぎている」
エルファンドはティコを見詰め、肩を竦ませた。
「やっぱりあいつ、拘ってんだ、まだ」
ティコは医療道具の入った頭陀袋の口を縛った。
「呪縛はそうそう解けるモンでもないさ。解かすのは情熱的で強引で姐御肌で心配性の跳ねっ返り看護婦ちゃんにしか出来ないだろうな」
エルファンドは口に拳を軽く充て、笑みを堪えた。
「確かに…… 私はまた彼女に振られる運命にあるようですね」
ティコは頭陀袋を背負い、エルファンドを見た。
「ふうん。それは知らなかったな。俺に出会う前の事か?」
「ええ。いつも近くにいて、大抵他の奴に取られちゃうんですよ」
エルファンドはそう微笑んだ。その笑みは哀しみなど微塵も感じさせなかった。
「ふうん。近くねえ。姉とか妹とかって感じか。初恋って奴だな」
「今回は幼馴染みで互いに生まれ変わってきましたが、無理みたいですね」
ティコは口の端をニンマリ上げた。
「だが、引っ掻き回そうって顔してるぜ」
「あ、ばれました? 融合前はなんで引っ掻き回そうとしているのか、適当に理由を付けてましたが、やっと明確な理由が分かった気がしますよ。長年の鬱憤を晴らそうと思います」
「まあ、そういうドタバタも楽しいかもしれんな。当の本人達はヤキモキすんかもしれんが。取りあえず、ちゃんと養生しろよ」
ティコはエルファンドに笑い掛け、扉を出ていった。
エルファンドは眼帯に手を触れ、風雨が叩く窓を見詰めた。
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小説『グロッサム』後書き
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