第一章 4.2
竜王はティコに苦笑いを浮かべた。
「報復が怖くてよ、思わず」
マックスウェルは竜王を一瞥し、ガイルに笑い掛けた。
「僕は幾つも名前を持っているからね。クラーク・マックスウェルも僕の名前だよ」
「策を打ち壊したって……」
ガイルは心配そうにマックスウェルを見詰めている。
「竜王が僕の名前を零し、ガイルが僕の名前を叫んだ。僕の第一策では、僕はいないモノで進みたかったんだよ、キースの前までね」
「ご、ごめんなさい」
ガイルは眉尻を思いっきり下げ、今にも泣き出しそうな顔になった。
マックスウェルはガイルの頭を撫でる。
「なに、次の手もあるから、余り気にする事ないよ」
マックスウェルは竜王に微笑んだ。
「竜王は大いに気にして欲しいけどね」
「本当にすまん」
「悪いと思っているなら、第二策後、協力してよ」
マックスウェルは左中指にしていた指輪を、軽く一回転させた。マックスウェルの周囲から突然、風が吹き上がる。虹色の飾り外套が舞い上がり、マックスウェルの体がフンワリ浮き上がった。
「温存したかったんだけどな。しょうがない。速攻で行くよ。付いて来て」
マックスウェルの周囲が微かに紫帯びた。
マックスウェルがツイッと動き出す。それは氷の上を滑るかのように滑らかな動きだった。虹色の飾り外套がヒラヒラとはためき、音も立てずに洞窟をかなりの速さで進んで行く。
マックスウェルは目の前に現れるゴーレムの集団など、まさに虫を払うかの如く微塵に散らしていく。
竜王と並んで走るエルファンドは、肩を竦ませた。
「あれでどのくらいの開放率なんですか?」
「一割ってところかな」
「一割で、あれですか。全開にするって事はあるんですかね」
竜王は苦笑いを浮かべた。
「全開? 見たいのか?」
エルファンドは竜王を一瞥し、黙って首を振った。
「人間辞めたくなったら見せてもらえよ。斬られて死んだ方がマシだと思うぜ」
竜王の語感が重い。帝国一の戦士といわれる男が恐れを抱く術師。
「あれは寵児じゃなく顕現だ」
「御託はいいから、少しは手伝ってよ!」
マックスウェルの声が飛ぶ。竜王はティコを見て、肩を竦ませた。
「――だとよ」
「はいはい。マジで不安定になってるんだ。エルファンド、浮遊術の心得は?」
エルファンドはティコに苦笑いを浮かべた。
「会得はしてますが、そんな長時間は無理ですね」
「マックスウェル。隔離房までの距離は」
ティコがマックスウェルを見ると、マックスウェルが空中でトンボを切っていた。
「そんなの自分で測れ!」
マックスウェルが着地をすると、マックスウェルの前方で岩の粉砕が起きた。
「マックスウェル殿はお忙しいようなので」
ティコはグルッと周囲を見渡し、エルファンドに苦笑いを浮かべた。
「半刻はいける?」
「半刻ぐらいなら、いけます」
「じゃ、今すぐ浮いて」
ティコはエルファンドに微笑んだかと思うと、いきなり地中に消えていった。
エルファンドは慌てて口の中で文言を唱え、浮遊術を発動させる。
「マックスウェル。ティコがいく」
突然、洞窟内が緑色に光り出し、その次の瞬間、洞窟内が大きく脈打つように震動した。
マックスウェルの前にいたゴーレムが突然崩れ落ちていく。
マックスウェルは軽く息を吐き、天井を見上げた。
「助かったよ、ティコ」
洞窟の天井からティコが逆さに現れた。
「そんな長時間はもたん」
マックスウェルは頷いて、洞窟の先に進む。
竜王とエルファンドもその後を追った。
エルファンドは並んで飛ぶティコを一瞥した。
「何をしたんですか?」
ティコは肩を竦ませた。
「この洞窟に掛かっている術を、洞窟の力で相殺しただけだよ。だが、諸刃の刃でね。一気にこの洞窟の力を使っちまうから、脆くなる」
エルファンドはシレッと簡単なようにしゃべるティコに唖然とした。
「――えーっと、ちょっと待って下さい。あの短期間でティコさんは、キースの術量を把握し、反対の術を全く同じ術量で掛けたって事ですよね。しかも、この洞窟の力だけで」
「んまあ、そんなところかな」
エルファンドは思わず首を振った。
「――医者なんですよね」
「おう。万能医者だ」
ティコはニンマリ笑い返す。エルファンドは肩を竦ませた。
「魂が持つ力ってヤツですか」
「そうだな。まあ、その辺は追及して欲しくないかな」
エルファンドは苦笑いのティコに頷いた。
「万能医者にはそういう能力も必要だと、いうことで納得します」
「助かるよ。竜王、ガイルは大丈夫か?」
竜王の手が上がる。
「楽しそうだぜ」
「すんげえ、楽しい!」
ティコとエルファンドはガイルの喜声に肩を竦ませた。
マックスウェルは三差路や五差路も迷う事なく道に飛び込んでいく。まるでこの洞窟を知り尽くしているかのように、洞窟を進んでいった。
エルファンドの鼻に腐敗臭が飛び込んできた。
「な」
ガイルは慌てて口を塞ぐ。竜王もティコも顔を歪めた。
「――酷い匂いだ」
マックスウェルは隔離房の入口に立つ。目の前には、岩盤を削り鉄格子が填められた幾つもの隔離房が並んでいた。
竜王はガイルの目を片手で覆った。
「なにすんだよ!」
「お前は見ない方がいい」
竜王は隔離房の中を一瞥する。鎖に繋がれた腐乱屍体が転がっている。すでにその腐乱屍体は白骨化していた。
エルファンドは足下を見て、さらに顔色を青くした。
足下には様々な動物の死骸が転がっていた。
「――なるほど。どおりで洞窟の主がいないわけだ」
「洞窟の主?」
ティコは足下の蝙蝠の死骸を指差した。
「どんな洞窟にも少なからずいるだろ? で。どうなの、マックスウェル」
ティコが黙って隔離房の奥を見詰めている背中に問い掛けた。
「いっちゃってるの? それとも助けられるの?」
「――病状に喩えるなら、重体ってところ」
マックスウェルは竜王の胸元にいるガイルとエルファンドを見た。
「お二人さん、出番だよ」
エルファンドは唾を飲み込み、マックスウェルを見詰める。
「何をすればいいのですか?」
「ん? キースを連れ戻して欲しいんだ。狂の淵からね」
マックスウェルはガイルのベルトに小さな巾着袋を括り付けた。
「竜王。降ろしていいよ」
竜王はガイルの抱き紐を緩め、ガイルを降ろした。
「うわ、すげえ! 浮いてる!」
ガイルは足下を見て、足踏みをする。が、その下にある無数の小動物の死骸を見て、口を歪めた。
「うえ、ここは動物墓場か?」
エルファンドはガイルに苦笑いを浮かべ、マックスウェルに視線を戻した。
「きょうの淵とは?」
「今、キースは常人と狂人の境に立っているんだよ。まあ、喩えるなら、かなりの高熱で意識混濁って感じかな。だから、ガイルとエルファンドに呼び戻して欲しいの」
マックスウェルはエルファンドに微笑んだ。
「時間がないんだ。行くよ」
マックスウェルはエルファンドとガイルの腕を掴むと、弾丸のように、隔離房の奥へと進み、一番奥の隔離房の前で止まる。
ガイルは勢いの余り、身体が垂直振られ、ふんわりと体勢が直っていく。
マックスウェルは隔離房の中を見詰め、眉間に深い皺を寄せた。
「キース!」
エルファンドは思わず鉄格子にしがみつき、キースの名前を叫んでいた。
冷たい岩室の奥に薄汚れた小さな裸体が寄り掛かっている。その周囲には、領警邏の制服を着た屍体が三体転がっていた。三体の側には剣が転がり、キースの服と思われる布切れがあった。
「――最っ低。自業自得だ」
マックスウェルの口から言霊が零れる。エルファンドはマックスウェルを見ると、薄茶色の髪がざわついていた。
「エルファンド、どいて」
エルファンドは慌ててマックスウェルの横に下がると、鉄格子が勢いよく折れ曲がった。
その瞬間、キースの顔が持ち上がり、紫苑色に光る瞳がマックスウェルを見据えた。
マックスウェルは片腕を横に思いっきり振る。マックスウェルの目の前が、虹色にゆらめき、マックスウェルの足下にあった動物の死骸が壁に吹き飛んだ。腐敗した肉片や内蔵が壁をゆっくりと伝い落ちる。
「私に噛み付こうなど千年早い!」
キースの瞳の光が強さをます。キースの髪がざわついた。
「エルファンド、ガイル! お前達に掛かっているんだ!」
マックスウェルの前で虹色のゆらめきが次々に起こり、そこにあった領警邏の屍体も壁に飛ばされていく。
ガイルはしゃがみ込み、嘔吐していた。
エルファンドは逆流してくる胃液を飲み下し、キースを見詰める。
キースは小さい唸り声を上げ、額から汗を流していた。
恐らく術の攻防がマックスウェルと繰り広げられているのだろう。だが、それはエルファンドには見えなかった。結果として、壁に屍体が飛ばされたり、壁に火の玉や氷の玉が当たり粉砕する。光の矢が壁に突き刺さり消えていく。
たった数秒の間に数え切れないほどの攻撃術を仕掛けてくるキース。
マックスウェルはそれを片手の一振りだけで防いでいた。
「エルファンド、話掛けろ!」
「き、キースっ! エルファンドだっ! 助けにきたっ!」
キースの瞳がエルファンドを捉えた。エルファンドはその瞳にたじろぐ。薄紫色に輝く瞳は、確かに常人とは思えない眼光を放っていた。
エルファンドはゆっくり唾を飲み下し、キースの目を見詰め返した。ここで目を逸らしたら、キースを狂人に近付けるような気がしたからだ。
「――キース。もう、大丈夫だ」
エルファンドの横を風が抜ける。ガイルがキース目掛けて飛び込んでいた。
「キース!」
「ガイル!」
そこにいた大人達はガイルの行動に目が点になった。ガイルは何を思ったのか、思いっきりキースを殴っていた。
「馬鹿野郎っ! なにやってんだよ! 心配かけやがって!」
ガイルはキースを思いっきり抱き締めた。
キースは目を見開き、ガイルに抱き付かれたまま、動かなかった。
エルファンドは走り寄り、ガイルとキースを抱き締める。
「キース。ガイルも家族も生きている。みんな無事だよ。キースが守ったんだよ」
キースの瞳に涙が溜まり始め、鎖に繋がれたキースの腕がゆっくりと動き、エルファンドの服とガイルの服に指先が触れた。
「ア‥‥ルーン様…… ガイル……」
エルファンドはキースとガイルをキツく抱き締めた。
「キース。よく頑張った」
キースの閉じた瞳から涙が零れ落ちる。
エルファンドは肩を叩かれ振り返ると、マックスウェルが微笑んでいた。
「上出来。キース。もう大丈夫だよ」
キースはうっすら瞼を開け、マックスウェルに微かに微笑んで、再び目を閉じた。
「キース、まだ、寝るな!」
マックスウェルは突然、エルファンドとガイルを引き剥がし、キースの頬を強く叩いた。
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小説『グロッサム』後書き
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