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奇妙な関係
作:鳥居なごむ



第四話


「それなら三人が無事に飛び降りることさえできれば問題ないですよね?」  
 言ってから俺は苦笑した。無事に飛び降りるってなんだよ。飛び降りたら間違いなく無事では済まないだろう。しかし二人は矛盾のある提案を聞いて感心している様子だった。
「それなら案があります」
 それぞれにつかまれている両腕を振りほどき、俺は柵の外に置き去りになっていた鞄を取りに行った。勢いよくパジャマの女が俺を追ってくる。そしてまた腕を絡めとられた。
「どうしたんですか?」
「ここでは飛び降りさせませんよ」
 パジャマの女に指摘されるまですっかり忘れていた。俺は出し抜いて飛び降りるなど考えてもいなかったが、どうやら彼女は露ほども俺を信用していないようだった。俺を凝視する目がそう物語っている。彼女に腕をつかまれたまま柵まで行き俺は鞄の中からダブルリングノートとシャーペンを取り出した。
 ついでに首だけ出して下を覗いてみた。
「ちょ、ちょっと」
 彼女が手に力をこめる。かまわず下を確認したが地面に俺の探しているものは見当たらなかった。仮説のひとつは消えた。本当はとっくに落ちていて、今起こっている出来事はすべて幻ではないかという不安が頭の中をちらちらよぎっていたのだ。
「地面に血を流した俺が転がっているんじゃないかと思ったんですが、どうやらまだ本当に生きているみたいですね」
 いつのまにか後ろに立っていたスーツの女が吹き出した。パジャマの女は俺から手を放し、笑いを堪えるためなのか手で口を押さえて小刻みに震えていた。恥だ。この異様な二人に笑われると生きていく自信がなくなる。ああ、でもそれでいいんだった。
 元の場所へ戻って座り、俺は考えた案を二人に話した。
「これで遺書を書きましょう。そして、自分一人で飛び降りたことを明記しておくんです。そうすれば私たちを発見した人も誤解しないと思うんですよ。それにそれぞれ別の位置で飛び降りるようにすれば騒がしくもないですからね。遺書は飛ばされないように靴で固定しておけば充分でしょう」
「靴、ないよお」
 すかさずパジャマの女が泣きそうな顔をしながら声を漏らした。しまった、そういえばそうだった。彼女は裸足である。どこまで世話をかけさせれば気が済むんだ、こいつは。俺の心の叫びなんてどこ吹く風で彼女は本当に今にも泣き出してしまいそうな顔をしている。こういうしおらしい態度のときはめちゃくちゃ可愛いんだがな。
「鞄を貸すからそれで固定すればいいよ」
 俺の話に耳も傾けず、彼女は三角座りをして殻にこもってしまった。スーツの女に目配せすると彼女はやれやれという風に肩をすくめるだけだった。この状況を打開する気はないらしい。
 しばしの沈黙が訪れた。
 なにをやっているんだろうな、俺は。人生最後の日に偶然出会った奇妙な女二人にさんざん振り回されながら生かされている。ほんの一時間前、俺はあと一歩踏み出すだけのところまでいっていたのだ。それなのに今は見当もつかない暗闇の中に迷い込んでいる。
 命を絶つってのはこんなにも大変なことなのか?
 それとも心のどこかで俺は生きたいと思っているんだろうか?
 さっぱりわからない。
「……疲れました」
 俺はお手上げという風に肩をすくめた。本意だった。
「あなた、飛び降りる理由はなんなの?」
 出し抜けに、スーツの女が訊いてきた。赤いメガネの奥にあるくりっとした瞳で俺を見据えていた。三角座りでひきこもっていたパジャマの女もこちらに視線をよこした。冷静に判断すればするほど奇妙な関係だ。ほんの少し前まで他人だった美女二人と飛び降りる事情について真剣に会話している。
「理由?」
「そうよ、理由。あんただって暇つぶしで飛び降りに来たわけじゃないんでしょ?」
 スーツの女はやや面倒くさそうに早口で言い切った。
 そうだ、理由だよ。俺はパジャマの女の理由を知りたいなんて思ったからこんな目に遭ってるんだ。忘却の彼方へ飛びさっていた懸念材料を見事に引き戻されてしまった。こうなるとやっかいで、もう一度忘れてくれと念仏のように唱えても忘れやしない。
「話したくないのなら別にいいんだけど」
 しばらく経っても返答がなかったからか、スーツの女はそう言って顔を横へ向けた。さっきまでの勢いだと無理にでも口を割らせそうな感じだったのにどうしたことだろう。急にいじらしくなっていた。なにかの作戦じゃないよな。
「は、はい、私の理由を聞いてください」
 スーツの女の手をつかみながらパジャマの女が切り出した。
「……思い出したくないっていってたくせに」
 さすがに言ってやったね。するとちゃっかり俺に聞こえないようスーツの女の耳元でパジャマの女はその内容をささやいていた。ひどい話である。俺に話してくれてたらとっくに解決して人生に別れを告げていられたんだぞ。
 とにかくパジャマの女が話し終えるまで俺はしょんぼりと膝を抱えて待っていた。
「それはひどい……」
 スーツの女は額にじっとりとした汗を浮かべて動揺していた。死をも視野に入れるような理由なのだから相当ひどい出来事があったのだろう。それは予測できる。しかしだ。それよりもなによりもこの忌々しい気持ちをどうにかしてくれ。なんかすごく悔しいんだ。ものすごく悔しいんだ。そのはがゆさといったら表現のしようがないほどにな。
「さっきまで喧嘩してましたよね? どっちが綺麗とかなんとか」
 苦し紛れの皮肉をぶつけてみたんだが、二人は申し合わせたように「そんなことないわ」と取り繕った。この女の連帯感ってなんだろうな。俺は一人取り残され暗澹な気持ちになっていた。可愛いとはいえ、この二人、やっぱり大嫌いだ。
「あなたも話す気になった?」
 そんな思いを知ってか知らずかスーツの女は改めて俺に訊いた。さらに語を継ぎ足す。
「借金かなにか?」
「違いますよ」
 俺はスーツの女の質問を否定した。彼女は「そう」とつぶやいたあと、あたかも当然であるかのように「貯金はあるの?」と矛先を変えてきた。
「……質問の趣旨変わってませんか?」
「あなた、けっこう鋭いわね」
 スーツの女はメガネを持ち上げながら瞠目していた。普通に気付くだろ。なんで知り合ったばかりのやつに貯金の額を教えなければならないんだ。しかしそれすら俺たちにはどうでもいいことじゃないのか? 地獄の沙汰も金次第とは言うが実際そうもいかないだろう。
「でもこれはとても重要な事項なの」
 ずいぶん食い下がってくるのな。
 違和感を覚えながらも俺は貯金の額をスーツの女に教えた。もちろん近くにいるパジャマの女にも筒抜けである。俺の人生は今日で幕を閉じるのだ。貯金の額なんてどうでもよかった。スーツの女は一息いれたあと大真面目な顔で切り出した。
「どうすれば働かずに一生を過ごせるか、それだけを十年考えてきたの。だけど、その命題を解くのは困難を極めたわ」
 スーツの女は自分の飛び降りたい理由らしきものを語り始めた。らしきものと付けたのは、いまのところよくわからない内容だからである。生活費を賄えるだけの不労所得があればいいわけだが、その体系を構築するまでが難しいからな。
「それで結論は出たんですか?」
 先を促すと、スーツの女は「いいえ、未だに」と残念そうな顔をした。パジャマの女はなにを言ってるかわからないといった感じで頭の上に巨大なハテナマークを浮かべていた。助け舟を出してもらおうと視線が俺とスーツの女を行ったり来たりしているが、できれば俺を見るときはもうちょっと柔らかい感じで頼む。見開いた瞳にまだ慣れてないんだよ。
「それはそうと、どうしてそんなことを考え始めたんですか?」
 なにげなく口をついた質問に彼女はこう言い放った。
「だって、働いたら負けだと思ってるの」
 絶句したね。それから俺は唖然としていた。この人、ただのダメ人間だよ。まともに取り合っていた自分がバカらしく思えた。働いたら負けってどういう理論だよ、どちらかといえば働いてないほうが負けてるだろう。スーツ姿なのが余計に苛立ちを助長させた。本当にただのコスプレだったのかよ。







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