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奇妙な関係
作:鳥居なごむ



第三話


「私を口説いている場合ではありません。このままでは拉致があかないわ」  
 真顔で言うな。そして瞬きをしてくれ。
「……口説いてません」
 俺は小声で反論しておいた。誰のせいでこんなややこしいことになったと思ってるんだ。呼びかけられたときに、そのまま滑り落ちていればどれだけ楽だっただろう。最後にもう一度だけ粘って、それで解決しなければ諦めよう。ほかの建物へ移動するだけだ。俺は彼女と違ってまともな服装をしている。近くの建物へ移動するわずかな間に怪しまれることもないだろう。
「あなたが飛び降りたい理由を教えてくれれば、その内容がどれほどいい加減なものでも俺はここを立ち去ります」
「……思い出したくない」
 この台詞の一点張りで譲ろうとはしなかった。
「わかりました。俺はもう帰りますのでご自由に飛び降りてください」
 俺は屋上にひとつだけあるドアへ向かった。後ろでぴたぴたとテンポの速い音が聞こえてきた。裸足で歩く彼女の足音だろう。音は迷いなく柵へ向かっていた。俺はドアに手をかけたものの、やはり気になってしまい、彼女がいると思われる方向へ振り返った。
 あるべきはずの姿がそこになかった。一瞬、本物の幽霊だったのではと脳裏によぎったが、すぐにそうではないことに気がついた。視界の端に腹這いになってこちらをうかがっている彼女を捉えたからである。いろんな意味で本物の幽霊より怖かった。
 なにやってんだよ、この人は。
「……」
 彼女はなにか言いたげな顔で立ち上がり、パジャマを叩いてほこりを落としていた。そのあとこちらへ向かって歩いてきたので、私はドアの中に逃げ出そうかと思った。そうしなかったのは、近づいてくる彼女の髪をかき上げる仕草に魅せられていたからだった。魔力というものが本当に存在するなら、きっとこの感覚なんだろうな。俺はぴくりとも動けなかった。
「やっぱり、私が飛び降りたあとに戻ってきて飛び降りるつもりだったんですね」
「しませんよ、そんなこと!」
「いいえ、あなたは振り返って私を探していたわ」
 俺は閉口した。たしかに探していたが、それは彼女のことが気にかかったからであって、決して飛び降りたのを確認するためではなかった。無論、そのあとに飛び降りるつもりもなかった。偽りのない本音だった。
「誤解です!」
「いいえ、もう信じられません!」
 もうっていうか最初から信じてなかったじゃねーかよ。
「だいたい、俺はあなたと違ってここで飛び降りなければならない理由がない」
「騙されたりしません!」
 いつの間にか俺たちは取っ組み合って押し問答をしていた。
 いい加減しんどいなと思ったそのときだった。
「静かにしてください!」
 俺と彼女の口論を制止する別の声があがった。おかしなことである。俺たちは今ドアの前にいるのだ。そして屋上の出入り口はここにしか存在しない。おそるおそる声の方へ目をやった。スーツ姿の女が貯水庫の裏側から出てきた。
「人生の締めくくりくらい厳かにできないの!」
 彼女はぴしゃりと言った。凛とした表情をしている。パジャマの女と違ってスカートだったので、ついつい足に目がいってしまった。男の性って甚だしく情けない。
「こんな騒々しいところじゃ、落ち着いて飛び降りることもできないわ」
 また変なのが出てきた。勘弁してくれ。ここは飛び降りのメッカなのか?
 なんで俺が飛び降りると決めた日に、同じとき同じ場所で飛び降りようとしてる人間が三人もいるんだよ。絶対おかしいだろ。ありえないだろ、普通。俺はうなだれた。
 少し目を離した隙に、パジャマの女とスーツの女は対峙していた。貯水庫とドアのちょうど中間地点、お互いが歩み寄ったのだろう。口火を切ったのはパジャマの女だった。
「あら、あなたよく見たら私ほどじゃないけど可愛いわね。どうして飛び降りをしようなんて思ったのかしら?」
「ふふ、私があなたより劣っているなんてありえないわ」
 スーツの女は縁の赤いメガネを上げながら言い返した。もうなにがなんだか訳がわからない。おさわりまでOKのときに素直に受け入れておけばよかった。俺は激しく後悔した。
「そこのあなた、男から見て、どちらが魅力的かこの女に教えてあげて」
 不意にスーツの女は半歩ほど移動してパジャマの女の横をすり抜けるように俺を指差した。ひょっとして後ろに誰かいるのかと思い振り返って確認したが誰もいなかった。間違いなく俺を示しているらしい。ああもう、関わりたくなかったのにな。男は俺しかいないのだから仕方がない。乗りかかった船だと決心した。だいたいこのタイミングで「帰ります」と言っても二人が見逃してくれるとは思えないからな。どんどんあらぬ方向へ事態は進んでいる。
 俺は二人を比較してみた。パジャマの女は長身の細身で肩にかかるボサボサの黒髪、上下とも真っ白なパジャマで裸足である。対してスーツの女は小柄で茶色のボブカット、毛先が外ハネになっていて赤いメガネをかけていた。スーツにメガネという格好も、幼い容姿のためにOLというよりはその手のコスプレに見えた。驚いたことに二人ともかなりの美人である。もちろん美人という前にいろいろツッコミたい要素満載なのだが、それを差し引いたとしてもやはり美人なのだ。
 こんなシチュエーションじゃなければ羨ましがられる光景なんだろうけどな。今はちっとも嬉しくないし楽しくもないんだよ。
 俺が答えに悩んでいるとスーツの女が口を開いた。
「迷う必要なんてないわ、わたしを抱き寄せるだけでいいのよ」
 すかさずパジャマの女が異議を唱えた。
「ちんちくりんは放っておいて、私にキスするだけでしょう」
 趣旨変わってないか、おい。
 どうして飛び降りるためにやって来た屋上で、二股をかけていた男の末路みたいな展開に遭わなければならないんだ。なんの罰ゲームだよ。

 俺たちは三角形を描くような位置関係で貯水庫に近い地面に座っていた。かれこれ二十分くらい無駄な時間を過ごしている。まあ、人生最後のロスタイムとでも思っておくことにしよう。生きてる時間がほんの少し延びるだけだからな。気にもならない。
「早くどっちがいいか決めて」とスーツの女。
「そうですよ、とても簡単なことでしょう」とパジャマの女。
 俺は二人の女に引っ張られていた。悪くない。それどころか、正直、ちょっと嬉しい。男なら誰でも憧れる状況だろう。さっきまではうっとうしいだけだったのにな。
 あらぬ気分を振り払って、俺は局面を打開する策を考えた。しかし結論なんて出るはずがない。パジャマの女もスーツの女も一癖あるが、それでも容姿だけならそうそうお目にかかれない上玉なのだ。タイプはまったく異なるが二人とも捨てがたいのである。まあ、選んだ方と付き合えるわけでもないんだが、選ばれなかった方の悲しむ姿を見たくはないだろ。
「なんでこんなに簡単なことが決められないの!」
 なにギレだよ。というか、こいつ体は小さいのに胸はけっこうあるな。
「そうですよー」
 とりあえず、あんたは瞬きしてくれ。 
 まったくもって不自由な二択である。
 こんなところではなく、もっと別の場所で出会いたかったな。いやいや、なんで俺はこのおかしな二人をちょっと好きになってるんだよ。これが俗にいうボディタッチの効果なのだろうか? だとしたら抜群の破壊力だぞ。
「二人とも今日はじめて会ったんだから、どちらが素敵かなんて決められないですよ」
 苦肉の策で俺はそう絞り出した。深い考えもなく思いつきでこぼしたのだが、彼女たちはたいして疑念も抱かず「なるほど」と顔を見合わせた。単純で助かった。
 いい機会かもしれないと追い討ちをかける。
「そもそも、俺たちは飛び降りるためにここに来たんですよね?」
 俺の問いに二人はうなずいて答えた。黙ってたら本当に可愛いんだけどな。もったいない。







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