・後編
これが本当の恐怖心なのだろうか?
今までの人生、俺は毎日が地獄だった、腐ったガキども、腐った大人、自分だけしか考えない人間どもに、俺は毎日が恐怖だった。
殴られ、罵倒され、罵られ、全てに疎外されるのが常に恐怖心として俺の心を蝕んで来た。だがこれは何だ? この黒い人間を見ていると、この黒い人間の黒い瞳に見られていると、心臓が握り潰されるような感じた事のない気分に襲われる。
土砂降りだった雨が突然止みだす、気が狂いそうになる程の静寂が俺を更に孤独にさせる。何でだ、何でこいつはこんな勝ち誇った笑みを浮かべている!? この人間は一体何者だ!? 俺に異常なまでの恐怖心を与える貴様は一体何者だ!! 俺を見下ろすな、そんな目で見下ろすな―――
「何なんだ、何なんだ、何なんだよお前ぇぇぇぇぇーーーーー俺を見下ろすなぁぁぁぁぁぁ!!」
声が裏返っても叫び続ける、甲高い声を目の前の人間にぶつけるも、黒い人間は不気味に微笑を浮かべる。
「だから言ってるだろ? 黒乃だよ、人の話を聞いているか? 手遅れな《人間》」
手遅れ!? 俺が手遅れな人間だと!! それは俺がこの《人間》や、他のガキどもや父を殺した事を言っているのか! 何も知らないクセに、こいつは何も知らない、こいつは俺の事を知らないからそんな風に言えるんだ。
こんな奴の新たな人生の門出を邪魔されるわけには行かない、ここでこの《人間》のように、今までの奴等のようにしてやるだけだ。地面に落ちている赤黒く変色した、先が折れている包丁を手に取って、こいつを脅すように折れている刃を向けた。
「どけ! 俺を邪魔するなら、何が何でも殺してやる!」
「そいつは無理だって」
「無理じゃない!! お前だってこいつのように殺してやる! 俺は死ぬまで生き続ける! 一人で生き残ってみせる! この腐った世界を修正するんだ! だからお前だって簡単に殺せるんだ! 殺す! 絶対に殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! 殺す! コロス! コロス! コロスーーーーーー!!!」
「だからさ、無理だ、まずは人の話を聞けって、いいか? 手遅れな《人間》、お前さ―――」
―――――もう、死んでるじゃん
「―――――え?」
一瞬、何を言っているのかを理解するのに時間が掛かった、先ほどまで激昂していた俺の頭はその理解に苦しむ一言に冷水を浴びせられた感覚に陥り、異様なまでの寒さが体の芯まで凍えさせる。
「お前はいくつもの間違いを犯している、一つは、お前はもう手遅れだって事、二つ目は、もう死んでいて、誰も人は殺せなくて手遅れな事、そして最後――――お前は完全に手遅れな《人間》って事」
「俺が、俺が死んだ!? 何を馬鹿な、俺はこうして存在して――――」
存在して? 何だ、今の感覚は、存在しているって、どういう事だ? 『存在』って何なんだ? 俺は、存在しているのか? この世界に、この狂った世界に。そもそも、そもそも――――ここは何処だ?
「勘違いしてるようだから教えておこう、人間が死ねば、霊体となって人に悪さしたり、一定の場所を彷徨ったり、成仏して天国地獄に行くって言うが、実際はそんな事はあり得ない、人間はな、死ねばその魂は完全に消滅し、無へと帰還する。つまり、人間は死んだらそこで終焉を迎える、霊だとか何だとかになるわけでもなければ天国や地獄に行けるわけでもない、何故ならそんな場所は存在しないからだ、死んだ人間の辿る道はただ一つ、虚無へと還るだけ」
もともと俺は霊など信じていない、だが、だが今の話が本当だとしたら、それは完全なる矛盾が生じる。だってそうだろう、こいつは俺が死んでいると言うが、もし死んで虚無になるというのなら、俺はここでこんな奴と話せるわけがない。
「しかし、その中には例外が存在する。死んで虚無になるはずの人間も、時にはこうして虚無に還らずに、世界に残ろうと足掻き苦しもうとする。死んだ者が死んだことを気付かずに行き続けようとする《異端》の存在、世界という名の至福と共にへばり付く憎悪と憎しみが、生きていた人間だった頃のお前をどんどん侵蝕され続けて行き、普段の性格ではありえない言動や行動、思考が働き続け。そして最後に向かえる結末が、自身の破滅と永遠の苦しみだ。しかも、その苦しみにまったく気付かずに、生きていると勘違いしている、手遅れな《人間》」
「……それが、それが俺だと?」
聞けば聞くほど胡散臭く、理解に苦しむ話ばかり、でもどうしてこんなに不安な気持ちに押し潰されるんだ? 落ち着け、冷静になってくれ、そもそも、そもそも俺はいつ死んだ? そうだ、俺がいつ死んだのかが判らない、父を殺した時か? あのクズどもを殺した時か? それともその全てが夢幻だったとでも? はは、そうさ、俺は生きている、死んじゃいない、生きているんだ! 俺は、俺は―――――
「俺は! 俺は生きて――――」
――――生きて―――え?
言葉が完全に出てこない、生きて―――いる? いない? 何だよ、どうして答えられない? こんな簡単な事に。
「ふん、頭では普通の人間だ、死んでいないと思い込んでも、お前の侵蝕された魂だけは正直だな」
「あ―――あああ―――――ああ?」
嗚呼、何か判らなくなってきちまった、俺がいつ死んだのか? 本当に死んだのか? これが現実なのか? 夢なのか? そもそもここは何処なんだ? 教えてくれ、俺はどうすればいい? 頼む、誰か、誰か―――俺は間違っていたのか? それとも正しいのか? 頼む、誰か教えてくれ――――
「真実は常に残酷だ、明確な答えが存在しようとも、答えを教えない悪戯をしやがる。それはまさにこの世界そのものに等しき事だ、宇宙って何だ? 地球って何だ? 深海って何だ? 何故誕生した? 神の悪戯か? 起こりうる必然だったか? そもそも必然とは何だ? 存在って何だ? 誰がどういう意図があって創り出した? 目的は? 意味は? そもそも、世界を、宇宙を、存在というものが一体何故必要だ? そんなもの、答えが判らないと人間が判っているから、人がそれを当然と受け止めているから生き続ける。明確な答えを見つけぬまま、ただ永遠に、その人生に終焉を迎えるまでだ。
お前が間違ったのか、正しかったのか、そんなもん、自分で考えろ、お前がいつ死んだのか? この世界が何なのか? 俺が何者なのか? 《人間》とは何なのか? 何でこんな事になったのか? 何処がおかしいのか? それとも始めからおかしかったのか? または、始めからおかしくなかったのか?
答えなんて、誰も知るわけがない。知らないからこそ、世界とは面白い。明日何が起きるのか判らない、だから生き続ける、腐りきった世界の修正? なら、自分が思うままに変えてみろよ、限界を知るまで、足掻いて、足掻いて、足掻き続けて、最後にお前が見つけた真実が、または限界が、お前の終焉だ」
答えなどない、答えを知りたければ自分で探せ? 何だよ、教えてくれないのかよ、あんただって本当は答え何て知らないんじゃないのか? けど、それが当然なのかも知れない。
「――――あんたは何者だ?」
黒い男は薄い微笑を浮かべて、俺に答えた。
「名前はさっきも言ったろ、俺の名前は黒乃だ。存在してはいけない、あり得ない《異端》の存在をどうにかするために存在する。お前は話していて判った、まだ『手遅れ』じゃないな、《人間》」
この腐った世界を修正する。そんな事はもしかしたら、やろうと思えば簡単なのかも知れない。ただ明確な答えを知らないから、人はそれを行わないだけで、ただ恐れているだけと? なら俺のように狂気に走る人間は何なのだろう? 腐った人間の消滅、それがこの世界の修正方法なのだろうか?
いいや、もう考えるのはよそう、明確な答えなんて存在するかも判らない、ならば、俺の、自分の信じる答えを探すだけ―――
「なぁ、お前って、どうして俺の前に姿を現した?」
その問いかけにも、男は呆れるように溜息をついて、答えてくれた。
「だから言ってるだろ? お前―――」
―――――もう、死んでるじゃん
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