「現代の人々にとって『死』は単なる逃げ道なんだと思うわ」
水滴の滴るグラスを片手に、テーブルの向こう側に座る彼女が言った。
「………へぇ」
僕は参考書を捲りながら事務的にそう返した。
参考書を持っていない方の手には冷たいコーラが入ったグラスが握られている。
彼女はストローに口をつけ、シロップをいれて甘くなったアイスティーを一口飲んだ。
「あら、そっけないわね。草汰はそう思わないの?」
「俺は蒼子と違って普通の高校生ですから」
「まるであたしが普通の高校生じゃないみたいな口振りね」
「普通の高校生はファミレスで死についてなんて語らねぇよ」
「まぁ、失礼しちゃうわ」
蒼子は残った中身を全て飲み干し、通学カバンから世界史の資料集を取り出した。
赤い縁の眼鏡を掛け直し、準備完了と言った感じでこちらを見る。
「これでどう?」
にこり、微笑む彼女。
その姿は一見真面目な委員長タイプの高校生。
「でもなー……」
しかし僕は言い淀んだ。
やはり中身を知ってしまっていると、蒼子がどれだけまともを装っても普通には見えない。
「蒼子ほど普通って言葉からかけ離れた高校生もいないからなー……」
「無宗教のくせして神の存在を信じてる男に言われたくないわ」
「別に今は関係ないだろ」
言い返すと、蒼子はそんなことより、と開いていた資料集を閉じて座り直す。
「特に十代の自殺に至っては絶対に逃げてるだけよ」
まだ続いていたのかその話。
僕は心の中で思いつつも、何で?と答えてあげた。
「だって十代で死なないといけない理由なんてそうそうないもの」
彼女は自信満々にきっぱり言い切る。
僕は首をひねった。
「そうか? いろいろあるだろ、いじめとか」
言いながら参考書を捲る。
蒼子ははぁ?と顔を歪めた。
「いじめ?そんなの学校を辞めれば済むことよ。何も人生を投げることはないわ」
「……じゃ失恋とか」
「それこそ死ぬ必要なんてないじゃない。ただ『フラれた』という事実に感じている苦痛から逃げているだけよ」
「………、大切な人が死んじゃったとかは……」
「上に同じ。」
「…………」
ついには何も言い返せなくなる。
つくづく、彼女にはセールスマンの才能があるなと実感するものだ。
実際、話す内容は筋が通っているのでこういう話をするとき納得させられることも少なくない。
「あと、怨恨っていうか後悔するのを狙っての自殺も意地が悪いわよね」
さらに話を広げていく彼女に、これは適当に聞き流せそうな話ではないなと僕は参考書を読むことを諦めた。
「後悔狙うってどういう意味?」
本をしまってしっかりと蒼子の方を向き、本格的に聞く体勢へと入る。
「そのまんまよ」
蒼子は僕が真剣に聞く気なったのに気を良くしたのか、ちょっと機嫌良さそうに続けた。
「自分を自殺まで追い込んだ人や物に、自分が死ぬことによって後悔させるのが目的」
「何だそれ。そんな奴ホントにいんのか?」
「ええ。遺書なんか残してると特にその確立が高いわね。恨み言ばっかり書いてあるの」
「性格悪いなー」
「だから意地が悪いって言ってるじゃない」
「あぁ、確かに」
「それに復讐するのに自分の命を使うっていうのも何だか子供っぽいし、馬鹿らしいわ」
なかなか辛辣なコトを淡々と言う彼女。
馬鹿らしいは少々酷いのではないだろうか。
僕は何も言わずにコーラをストローで吸い上げた。
「仕返しって相手が苦しんでいるのを見て自分の鬱憤を晴らすものでしょう?死んだら仕返しにならないわ」
彼女もストローでグラスの中身を吸い上げるが、先程空っぽにしたそこには溶けた氷水しか残っていない。
一瞬不服な顔をするがしかし、今度は手を伸ばして僕のグラスを当然のように奪った。
みるみる減っていく僕のコーラ。
ドリンクバーだからおかわりは無限にできるのだけど。
「……死ぬしか復讐する方法がないときだってあるかもしれないじゃねーか」
「あら、そんなことないわ。命ある限り出来ないことなんてほとんどないんだから」
「ほとんどないって、むしろあり過ぎるくらいだろ」
「それは死ぬコトを恐れている人だけ」
びっと長い指を向けてくる。
あまりの気迫に僕は思わずたじろいだ。
「死ぬ勇気があるなら文字通り『死ぬ気』で生きればいいのよ」
学校を辞めるにしても、復讐をするにしても。
蒼子は言った。
「生きていれば必ず転機は訪れるし、もし訪れなければ自分で転機を創りだせばいい。」
そして、と言葉を繋げる。
「前にも右にも左にも後ろにも行けなくなったら、その時が死を見つめるときだわ」
ずずっと言う音を立てて僕のグラスはついに空になった。
完全に飲み干されたそれは、彼女の横にある元はアイスティーが入っていたはずの物となんら変わりなかった。
「………今日はいやに熱く語るんだな」
何を言うべきか思いつかず、ぽつり呟く。
もっと他に言うことないのかしら?
彼女が言うであろう次の発言を予測してつい僕はつい身構える。
しかし、彼女の口から出てきた言葉は意外なものだった。
「……だって、そう自分に言い聞かせないと負けそうになるんだもの」
そう、確かに紡ぐその唇。
俯いた表情はどこか悲しげで。
「こうやって誰かに言わないと駄目になりそうになるんだもの」
伏せられた瞳はいつもの強気な態度からは思いもつかない『弱さ』を漂わせている。
普通ならここで慰めの一言でもかけてやるものなのだろう。
だが僕は、そんな珍しくしおらしい彼女を笑ってやった。
「……蒼子って、自殺志願者だったっけ?」
と。
「……予備軍よ。」
そして彼女もふっと笑う。
「それも一歩踏み出したらすぐあっち側に行ってしまうくらいギリギリのね」
「でも、その一歩を踏み出すことはないんだろ?」
「あら、それは分からないわ」
「いや、絶対に踏み出さないね。言い切れる」
「……どうしてかしら?」
そう尋ねるレンズ越しの瞳は、もう『弱さ』など持ち合わせていなかった。
いつもの、全てを知り尽くしたような力強さだけ。
「だって蒼子はまだ死ぬつもりなんてさらさらないんだろ?」
だから僕もつられて全てを知っているような気分になるんだ。
つい強きな態度を取りたくなるんだ。
「蒼子は死にたいって思うのは単なる逃げだって気付いてる」
「口先だけかもしれないじゃない」
「口先だけにしてもだよ。蒼子は自分が言ったことは確実に護る。なのにわざわざ批判した自殺を自らやるなんてありえないね」
というか。
蒼子が口先だけの論理を人に語るわけがない。
確かな真実であるコトを信じているからこそ他人に堂々と語るのだ。
口には出さなかったが、心の中で確信していた。
「俺に話したのだって、その為の保険なんだろ」
一旦誰かにそのコトを言ってしまえば、もういくら自殺したくなってもするコトはできない。
彼女のプライドがそれを許さない。
「…………」
押し黙る彼女。
僕はつい笑みをこぼした。
とうとうあの蒼子を言い負かしたのだ、と。
初めて感じる勝利に、僕は小さな優越感を味わう。
しかし。
「よく出来ました」
蒼子はぱちぱちと両手を叩いてそう微笑んだ。
一瞬、あっけにとられる僕。
「あ……え? あの、何を……」
驚きのあまり舌もうまく回らない。
そんな僕を彼女はふふんと見下すように笑った。
「何って、テストよテスト。草汰がどれくらいあたしのコトを理解しているかのね」
「は……テスト!? 理解!?」
「そう。もしさっき慰めでもしてたら金輪際友人としての縁を切るつもりだったけど、良かったわ」
彼女は嬉しそうにそう言う。
でも僕は全然嬉しくない。
それどころか頭がまだ蒼子の話ついて来れていないのだ。
「まぁもちろん草汰に限ってあたしのプライドを傷つけるような真似はしないと思ってたわよ?でもやっぱり知り合って二年も経っていないわけだし、もしかしたらって可能性を探るのも悪くないでしょう。それに探求心は人を向上させるって前に話したじゃない?だからこそ……」
ぺらぺらぺらぺら。
喋り続けるこの人をとりあえず誰か止めてくれ。
泣きたい気持ちを必死に抑えて僕は思った。
結局今回はただの『テスト』に付き合わされただけ。
よって彼女がもらした死への願望も普通に嘘。
求められている答えを言ってそれを勝利と勘違いした自分が恥ずかしい。彼女にとってはこんなコト、導き出せて当然の結果だったというのに。
「どうかしたの草汰、顔が赤いわよ」
当の本人はきょとんとした顔で僕を見てくる。
僕はますます泣きたくなった。
気が付けば店内には僕達しかいなくなっているし。
もうじき塾の時間がやってくるだろう。
哲学的な彼女は今日もまわりを振り回して生きていて。
肯定的とは言えない僕等は今日もファミレスで塾が始まるまでの時間を潰しているのだ。
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