エピローグ あるパン屋での出来事
パン屋のおかみさん視点です。
パン屋の朝早い。
一番混雑するのは、夜明け後の開店の時だ。朝早い旅人や、力仕事の人間が、行きがけに昼用に買い求めるからだ。
この生活を数十年続けているあたしも、最近はずっと立ち仕事をしているのが少し辛くなってきた。
「ふう……」
朝の混雑が終わった。肩を叩きながら、売れ残りのパンを整える。娘は裏で先に休憩に入らせた。娘が連れ帰ってきた婿も、旦那に鍛えられて何とかまともなパンを焼けるようになってきた。とはいうものの、まだまだあたしたち夫婦も現役だと思っているから、店をやめるつもりはない。
魔物が押し寄せたときは、毎日どう切り抜けるかだけで精いっぱいだった。
今は、のんびりと生活することができる。その得難さに、図らずも気づくことができたのは、魔物のおかげかもしれない。
こんなふうに先のことを考えられるようになったのも、勇者様達のおかげだ。ありがたいことだ。
扉につけていた鈴が、カラカラと鳴った。
「いらっしゃ……おや」
「こんにちは! お久しぶりです」
客だと思ったのだけれど、入ってきたのは、一年前まで店で働いていた子だった。遠くの親戚のところへ行くと言って旅立ったまま、音沙汰がなくて心配していたのだ。後ろには見慣れない青年が立っている。同じような茶色の髪に、似た緑の瞳。ただし、挨拶をした子と真逆で愛想が全くない。今は礼儀正しく一礼しただけだった。見たことない男の登場に、おもわず上から下まで眺めてしまう。
「こっちは、町まで送ってくれた親戚の人です」
あたしが不審そうにしていたからか、紹介してくれる。そういわれれば、雰囲気というか、纏う空気が不思議と似ている二人だった。そうか、親戚か。
あいかわらずにこにこと明るい顔をしたその子に、笑みがこぼれる。
予期せぬ再開に、心が浮き立つ。最近はいいことばかりだ。
「元気してたかい?」
「はい!」
髪をバッサリと切っているものの、それ以外は変わりなさそうだった。マントに頑丈なブーツを着た旅装がしっくりなじんでいる。外に出ることを心配していたけれど、それなりにうまくやっているようだった。
「町に戻ってこれたのかい?」
「それが……」
少し困ったように笑う。
「前言っていた、親戚と一緒に暮らすことになって。今日は荷物の整理に来たんです」
「そうかい」
「今まで、本当に何から何まで、ありがとうございました」
おちつきなくお礼を口にするあの子は、前と変わらずに明るい顔を見せていた。一年たっても変わりのない姿に、あたしの口元も緩む。本当に無事でよかった。
「いいんだよ。でも、本当にすぐに出かけてしまうのかい?」
「はい」
あの世界が終わるかもしれないという夜、この街も少なくない被害があった。今は町全体で少しずつ建て直し中だ。この子が帰ってくるなら、うちも厳しいけれど、雇おうと考えていたんだけれども、本人がそういうなら仕方がない。
遠くの親戚のところへ行くと言って、この子が挨拶に来たのが、とんでもなく遠い日の思い出のように思う。しんみりした雰囲気に、あたしも年かね、と苦笑が漏れる。
「母さん、パンができたって……あれ、久しぶり!」
奥から娘が出てきた。
娘もこの子と顔見知りだ。奥の調理場からふんわりとかおる、小麦が焼けた香ばしいにおい。旦那のパンは、相変わらずいいにおいをしている。だから、あたしは自信をもってこれを売り出せるんだ。
「帰ってきたの? 無事でよかった」
あの子に声をかける娘へ、あたしはさっき聞いた話を繰り返した。
「親戚の兄さんと、別の国で暮らすってさ」
「へえ、あ、初めまして」
娘は後ろにいた青年に挨拶する。そして、あの子に小声で、
「愛想がないけど、素敵な人ね。髪の色が同じじゃなかったら、親戚ってわからないぐらい違うわね」
と言った。
狭い店内だから、丸聞こえだよ。全く、この子は。あたしは娘の頭を小突いた。娘はたまに気遣いが足りない。思ったことをすぐ口に出すもんだから、こっちの肝が冷える。あの子は、気を悪くせず、
「無愛想だけど、とても優しいですよ」
と返事をした。悪い人ではないのだろう。この子は嘘を吐くのが苦手なんだ。一緒に働いていたあたしはよく知っている。
「いくつかパンを持っていきな。餞別に」
「ありがとうございます! 本当にここのパンをもう一度食べたかったんです」
おいしいものが好きな子だったと、その満面の笑顔で思い出した。
「私のおすすめ、入れてあげるわ」
娘が張り切ってパンを選び出す。楽しそうな二人をやれやれと眺めながら、ここに入ってから一言もしゃべらない青年へ、あたしは話しかけた。
「まあ……今更あたしから言うことでもないけど、あの子のこと、よろしく頼むよ。ちょっと抜けている子だけど、いい子だから」
青年は頷いた。なんとも静かな人だ。二人でここまで旅してきたようだけれど、あの子が一人でずっとしゃべって、彼が相槌を打つだけなのだろう。容易に想像できる。無愛想ながらも、青年があの子を見ている目は、優しげに見えた。悪い関係ではなさそうだ。
あの子がこちらを振り返って、青年へ問いかけた。
「何が好きですか?」
「なんでもいい」
青年は喋れるのか、と驚いた。普通の人間だから、喋れて当たり前だが、先ほどから一言も口を開かなかったせいで、喋っただけで驚いてしまった。あの子は青年の短い返答を全く気にした様子がなく、重ねて問いかけた。多分、いつもこうなんだろう。
「甘いのですか? 酸っぱいの? かみごたえがあるの?」
「……お前が好きなのでいいから」
青年はあの子の肩を押して促した。言外に早く選べと促されて、あの子はもういちど娘とああでもないと騒ぎ出した。年頃の女の子が二人いると、きゃいきゃいとかしましい。
「やれやれ」
平和な光景になごんだが、せかさなければいつまでも終わらないだろう。あたしはあえて強い口調で二人の会話を断ち切った。
「ほら、昼の客が来る前にえらんじまいな」
「はーい」
結局、あの子の遠慮を押し切って十個ほどの日持ちするパンを持たせることができた。前の旅立ちは慌ただしかったため、十分な選別があげられなかった。その後悔が解消できて一安心する。
あの子はしきりに恐縮していたが、パンのにおいに顔がほころんでいた。相変わらず素直な子だ。両手にパンの入った袋を大事そうに抱えてにこにことしていた。
「喜んで食べてもらえるのが、パンにとっても本望だわ」
娘がそういって、更にパンを積み上げた。
「多すぎますよ!」
「いいのいいの」
そうやってひとしきり騒いだけれど、別れの時間がやってきた。;
店の前であの子たちを見送る。
「元気で! また、近くに来たら寄りなよ」
「はい!」
「魔物がいなくなったけど、道中、気を付けるんだよ」
「はい! おかみさんも、皆さんもお元気で!」
あの子は手を振りたそうにしていたけれど、両手に抱えたパンのため、それを断念したみたいだった。
横で青年が折り目正しく一礼をして、あの子を促した。
次は住んでいたところに預けた荷物を取りに行くそうだ。あの子を見送っていると、抱えていたパンを青年が代わりに持っているところが見えた。あの子は嬉しそうに何かをしきりに喋っている。
「あの二人、付き合っているのかしら」
娘が腕を組みながらいきなりそんなことを言い出した。
「そんな雰囲気はなさそうだけれどね」
「そうかな、うーん」
「人様の恋愛よりも、あんた、ちゃんと焼きあがったパンを並べとくれ。あたしは休憩するから」
「はーい」
懐かしい顔を見て、気持ちが軽い。やれやれ。
「ねえ、母さん」
「なんだい?」
「……あの子の名前、なんだっけ?」
変なことを言い出した、とあたしは娘の顔を見ながら答えようとする。
けれど、
「……あたしも、ど忘れしちまった」
考えても出てこなかった。あの子の両親は、あたしの古馴染みだ。あの子を拾って育てると言った時に、確か名前も一緒に聞いた覚えがあるのに。
「ク……、シ……そのあたりがついていたと思うだけどね」
そういえば、さっきの兄さんもあの子の名前を呼ばなかった。
「もう! 母さんボケないでよ!」
「そのうち思い出すさ」
自分が思い出せないのを棚に上げて、娘がぷりぷりと怒る。あたしも自分がこんなにも忘れっぽかったのに気付かなかった。
「また、あの子が来た時に聞いてみるのもいいかもしれないねえ」
「……また、逢えるかしら?」
娘は、この町に避難してくる前に、親しい人を魔物のせいで何人も喪った。それだけ別れには敏感になっている。
その辛気臭い表情を、背中をバンと叩き、吹き飛ばす。
「平和な世の中になったんだ。大丈夫だよ」
「もう! 母さんったら痛いじゃない!」
娘はぷりぷりと怒りながらも、
「そうね、また、逢えるよね」
と呟いた。あの子の顔も見れたし、本当に今日はいい日だ。あたしは平凡な一日を、じんわりと噛みしめた。
終
ありがとうございました!