「そんな人だと思わなかった!」
釈然としない捨て台詞を吐かれ、俺は苛立ちを覚えていた。
彼女は、そう言って電話を切って以来、もう二度と俺の前に姿を現す事はなかった。
彼女に初めて会ったのは、あの子がまだ高校生で、セーラー服が似合う活発な子だった。
挨拶程度の言葉しか交わした記憶はなく、次に会ったのは彼女が高校を卒業し、
モデルの仕事を始めた頃だった。
モデルの仕事の話をする彼女の瞳は輝き、自信さえ覗えた。
そこには、セーラー服のスカートの裾を棚引かせていた、あのあどけない少女の姿はなく、
一人の女性となろうとしている、脱皮したての透き通った蝶の様に見えた。
その後、彼女は何度か新宿の事務所に遊びに来た。
家が近かった事もあり、車で送りがてら色々な話をした。
他愛もない会話だったが、そこにはもう、あの頃のような大人と子供のスタンスではなく、
大人同士の目線で会話が成り立っていた。
人懐っこい彼女は、直ぐに俺の事をニックネームの”さん”付けから
”さん”を取って、呼び捨てにするようになっていた。
ある晩、彼女から電話が掛かって来た。
「ねえ、何処かドライブに連れてって」
ぶっきらぼうに、そして、甘えるような、命令でもするかのような口調で唐突に言った。
甘え上手な彼女は、そんな時は、駄々っ子のような年下の女の子をちゃんと演じていた。
夜も更けて、静まり返った家の中から抜け出すように彼女は出て来た。
「何処でもいいから、遠くへ連れてって」
俺は、言われるままに高速に乗った。
どうせ彼氏と喧嘩でもしたんだろう、俺は勝手にそう思っていた。
確か彼氏は俺と同い年くらいで、彼女とは15歳くらい離れていたと思う。
チェロの演奏者だとか言ってた。
よく彼氏の話を惚気て話していたけれど、我侭な性格が見え隠れしている彼女の事だから、
きっと何か拗ねているに違いない、そう俺は読んでいた。
高速を下り、箱根の旧道の山道を登る頃になると、雨脚が強くなって来た。
峠の頂上付近の別れ道で、俺は三島へ下る道ではなく、御殿場へ抜ける脇道を選んだ。
暫く走っていると、雨は次第に雪へと変わり、あっという間に辺り一面は白い世界となった。
チェーン等積んでおらず、慎重に山道を下った。
何とか無事に麓まで下りた時には、既に朝を迎えようとしていた。
山中湖の湖畔の道を走っていると、一軒の店が開いていた。
俺達は、ストーブの傍で暖を取りながら、軽い食事を注文した。
窓の外は一面の銀世界となっていて、藍色の湖面と朝の青さが、
雪の白さの中から靄と共に湧き立つように見えた。
静寂の青と白の世界は、二人の関係を微妙にしていた。
ワインを頼み、二人は雪見酒と洒落込んだ。
すると、緊張の連続だった雪道の運転の疲れが一挙に出て来て、意識が朦朧として来た。
「少し休んだ方がいいんじゃない?」
彼女の言葉に甘え、近くのホテルに部屋を借りて、横になる事にした。
冷え冷えとした部屋はなかなか暖まらず、二人はストーブの前の床に並んで座った。
薄着で出て来た二人の体は芯から冷えていた。
一枚の毛布に二人で包まり、手をストーブにかざし、無言でがたがた震えていた。
少し落ち着いて来ると、彼女が優しそうな口調で言った。
「あたしね、こういうのが夢だったんだ」
ストーブの暖気のせいか、耳の後ろの辺りが熱くなる思いがした。
風呂の湯が溜まり、俺が先に入ることになった。
風呂のドアを開け、中に入ろうとする背後から、
「あたしも一緒に入ろうかな〜」と、彼女がからかう様に言った。
湯船に浸かり、生き返った心地で居ると、本当に彼女が入って来た。
俺には彼女の行動が分からなかった。
「照れてんでしょう?」
小娘の大胆な行動に負けてはいけない、そんな対抗心が湧いて来た。
彼女はくるりと背中を向けて、俺に体を預けて来た。
胸の鼓動を悟られないように、平常心を保とうと意識を集中した。
湯船に浮かぶ、彼女の大きな乳房に手が触れてしまった。
「男の人って、みんなそうするんだね、彼も何時も触るんだよ」
何故か、その言葉に嫉妬する思いがした。
部屋に戻りベッドに入ると、彼女が隣のベッドから声を掛けて来た。
「ねえ、こっちに来ても良いんだよ」
全て彼女が主導権を握っているようで、癪に障る思いがした。
「寒いから一緒に寝て」
今度は甘える声に変わった。
「意地悪、いいわよ、だったらあたしがそっちに行くから」
そう言うと、彼女は白いシーツに身を包んで、俺のベッドに入って来た。
彼女の潤んだ瞳に見詰められると、俺は彼女に魅入られるられるようにキスをしていた。
際どい微妙な関係は、音もなく白いシーツの中で崩れて行った。
その後、二人は何事もなかった様に、以前となんら変わらぬ
歳の離れた仲の良い先輩後輩の関係に戻っていた。
ただ時折り、彼氏と喧嘩をしたりすると腹癒せのように俺を呼び出し、
運転をしている最中でもお構い無しに、抱き付いてキスをして来たりしていた。
この我侭な娘を、俺は可愛くは思っていたが、心を奪われるまでにはなっていなかった。
或る昼過ぎに、自宅に彼女から電話が入った。
何時もと様子が違う、暗く沈んだ声で搾り出すように言葉を吐いた。
「出来ちゃったみたいなの・・・」
「俺のか?」
時期的に自分ではないと思ったが、一応念の為聞いてみた。
「うんん、彼氏の・・・」
「怖いの・・一緒に病院へ行ってくれない?」
「いいけど・・・」
でも、そんな時には、俺なんかが居るよりは、好きな彼氏に
傍に居て貰った方が良いんじゃないのか?、と、諭すと、
「そうだよ」
「なら、そうしろよ」
「行ってくれないの?」
「だから、行っても良いけど、先ずは彼氏に頼めよ」
「何もしてくれないの?」
だんだん声を荒げ、埒の行かない事を繰り返す彼女の意図が見えず、
俺も苛立ちを隠せなくなって来て、思わず言ってしまった。
「何をしろって言うんだよ、金が要るのか?」
その言葉が致命的だった。
「何を言ってるの?」
「見損なったわ、そんな人だと思わなかった!」
そう怒鳴ると、彼女は受話器を叩き付けるように切った。
一方的に言われた彼女の言葉のその真意が掴めず、俺も苛立った。
しかし、俺はダイヤルを回さなかった。
気分の悪くなる言葉の応酬になるのは分かっていたし、
俺の出る幕ではなく、何も解決できないことも知っていたからだ。
今の彼女の心を救えるのは、彼氏しか居ない。
なのに、何故彼女は俺に電話をして来たんだろう?
彼女は、本当は何を俺に求めていたんだろう?
只単に、病院へ一緒に行けばそれで満足だったのだろうか?
白い雪が降る季節になると、あの青と白で出来た朝が思い出される。
そして、俺の心の奥に残る疑問は、あの白いシーツの中に隠れたままだ。 |