あたしは想像する。
この世界が壊れる様を。
三階のこの教室からは、渋滞した道路や何も無い野原の先に、駅の周りを囲むビル群が見える。
あたしは窓からそれを眺めて、いつも想像するんだ。
道路が沈み、車が落ちていく姿を。
野原が割れ、雷のような模様が地面に刻まれる姿を。
ビルがガラガラと崩壊し、跡形も無くなる姿を。
あたしが思い描く崩壊の風景に、人はいない。あたしは人が死んでほしいからこんな想像をするんじゃない。あたしが生きているこの世界が大嫌いだから、無性に壊したくなるんだ。
あたしには世界を壊す大魔王みたいな力は無いし、それが出来るような権力だって無い。だから想像する。想像の世界ではあたしだけが王様だ。何をしても咎めるものなんていない。自由だ。
朝露を含んだ葉が、太陽の光で輝く。鳴り止まない蝉時雨。
蝉時雨。雨のような蝉の声。綺麗な言葉だ。
青く澄んだ空に広がる入道雲は本当に真っ白。
むせ返るような湿気の渦が取り巻いているのに、光は白く、白く。どこまでも綺麗。
時折吹く風が、汗でじっとりとしたシャツをぬぐってゆく。気持ちいい。
目をつぶり、想像を繰り返す。
コンクリートの塊がガラリと落ち、アスファルトの地面を叩きつける。窓ガラスは割れ、光の粒のように輝きながら降り注ぐ。
崩れ行く世界。壊れていく世界。何もかもが無くなっていく世界。
目を開けると、目の前には書きかけのプリントがあった。補習授業の最中だったことを思い出す。
勉強することに何の意味があるんだろう。このプリントに描かれた暗号みたいな数字の羅列が、あたしのこれからの人生に役立つのだろうか。
短くため息をつき、プリント用紙に数字を並べてゆく。あたしに必要があろうが無かろうが、これをどうにかしなければ進級出来ないんだ。やるしかない。
チャイムの音がようやく鳴る。教師が出て行く姿を見送り、あたしはもう一度目をつぶった。
世界はどうして今の形になったのだろうか。人間はどんな経緯をたどり、猿から進化していったのだろうか。何万年、何億年の長い月日は想像をはるかに超えて、あたしには想像すらできない。
「帰らねえの?」
頭上の声を無視しようと思ったけれど、あたしは目を開け、彼を睨んでいた。
「帰るよ」
「まさかお前が補習に出てるとはな。中学までは頭良かったじゃん」
同じ中学だった、この男。中学時代はイモだったのに、今はそれなりに格好つけてる。腰ではいたズボン。逆立った茶髪。けれど、昔の名残を感じる、純粋さを湛える黒い瞳。
「勉強なんてつまらない」
「優等生だったのに」
「あたしは優等生じゃない。くそっくらえだ。世の中全部」
「なんでそう思うの」
なんで?
茶髪の隙間からのぞく黒い瞳に、澄み切った青い空が映っていた。
「あたし、原始人に生まれたかった」
彼はブハッと吹きだした。あたしの机に彼の唾が一粒落ちた。彼は「悪い」と言ってそれを大きな手で拭い、「なんで」とまた笑った。
「何も考えないで生きられるじゃん。食うか寝るかしか無いんだよ」
「原始人には原始人なりの悩みがあるだろ」
「例えば?」
「イノシシを獲るには、どこに行ったらいいか、とか」
そんなの悩みのうちに入らない。あたしは口を尖らせ、机に突っ伏した。無機物は熱をもたず、熱に浮かされたこの体には心地いい。
「何か、悩みでもあんの?」
「……特に無い」
「じゃあ、なんでそんなお疲れ気味?」
うんこ座りした彼と目線が合う。空の青を映していた瞳に、あたしが映っていた。
「そういう時ってない? 特に何も無い人生が嫌になるの。生きている理由なんていらないと思うけど、生きているって実感がほしい。あたしには何も無くて、何も悩みようが無くて、ただ息をしているだけ。同じような毎日を繰り返してるだけなんだよ。なんでこうなんだろ。だから」
だから想像する。あたしが壊れていく姿なんて想像したくないから。世界が壊れていく姿を想像する。あたしが壊れるのが嫌だから、世界が壊れてしまえばいい。
崩壊して瓦解して、すべてが無に帰っていったら、あたしに変化は起きるのだろうか。日常が壊れてなくなったら、あたしはなにを実感するのだろうか。
「じゃ、悩みをひとつあげようか」
「なに?」
立ち上がる彼の白いシャツがまぶしい。
いつの間にか教室には誰もいない。あたしと彼だけが取り残された、狭い教室。掲示板に貼られた白い紙が風でハタハタと音を立てていた。
「俺と付き合わん?」
「は?」
「優等生が悩んでる姿に惚れちゃった」
彼はいたずらっ子みたいな笑みを浮かべ、あたしに向かって手を伸ばしていた。
変わらない日常が壊れていく。
沈むゆく道路。野原を裂く地割れ。ガラガラと崩壊するビル。まぶたの裏で、確かに世界が崩壊していった。
「考えとくよ」
あたしは彼の手を取り、立ち上がる。彼は変わらない純粋な黒い瞳を輝かせ、あたしの手を強く握りしめた。
世界が壊れてゆく。日常が破壊される。
彼の持つとんでもない破壊力は、あたしをあっという間に想像の世界から連れ出した。
なんだ。意外と人間って単純なんだな。
「帰ろうか」
「一緒に?」
「しょうがないからね」
明日からはどんな想像をしよう。
きっと世界はもう破壊できない。
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