後編
中坂奈緒子が貧血で倒れてから、二週間が過ぎた。牛窓も徐々に春らしくなってきた。
松尾奈都海は高藤真琴と三歳になる甥っ子の松尾昌哉を乗せて、牛窓から邑久に行く途中の山の麓にある、奈緒子が経営する工房、るり工房に向かっていた。
「まーくん、工房の中を走り回っちゃダメよ。分かった?」
奈都海は後部座席のチャイルドシートに座ってる昌哉に言った。
「うん! なっしゃん、しぢょうのほち(地上の星のつもり)かけて!」
「まーくん、なっちゃん、運転中だから、マコちゃんがかけてあげる」
助手席に座る真琴が曲をかけると、昌哉は中島みゆきの声に合わせて歌い出した。
「まーくん、よっぽど地上の星が好きなんだ。これって、なっちゃんの影響?」
気持ち良く歌う昌哉を見て真琴が奈都海に聞いた。
「まっさか。テレビで覚えたんじゃない? 最近話題だし、うちの連中、プロジェクトX見てるから、それでま−くん、覚えてるんじゃないの」
「ふーん、しかし、よく覚えてるよね」
「そこんところは、私も感心してるのよねぇ」
「これを機に中島みゆきのファンになったりして」
「有りえるかも」
二人はみゆきソングを歌う昌哉を思い浮かべて大笑いをした。にもかかわらず、後部座席の昌哉は、何食わぬ顔をして、地上の星を歌い続けていた。
「−マコ、ごめんね。まーくんも一緒に連れてきちゃって」
笑いを止めて、奈都海が言った。
「いいって、旅館、忙しいんでしょ?」
奈都海の家は代々続く老舗旅館。旅館は上の兄夫婦が継いだので、三人兄弟の末っ子の奈都海は旅館を継がなくていいうえに、大学卒業後の就職もある程度決まっているので、今は自由奔放に暮している。また、下の兄は大阪の会社に就職していてお盆と正月にしか帰って来ない。
「忙しいみたいだよ。もうすぐ春休みだから」
「大変だね。−そうそう、奈緒子さんもう体調大丈夫なのかな?」
「良いみたいよ」
「それは良かった、良かった」
そうこう言ってる間に車はるり工房に着いた。
工房に入ると奈緒子が出迎えてくれた。
「先日はごめんなさいね」
「いえ、とんでもないです。もう、お体のほうは大丈夫なんですか?」
真琴は心配そうに奈緒子を見つめた。
「ええ、もう大丈夫よ」
「それは良かった」
奈都海は胸を撫ぜ下ろした。そして、連れてきた昌哉を奈緒子に紹介し、奈都海達は工房に入った。
「一先日に何も出来なかったので、今日こそは湯呑みを作りましょうね」
そう奈緒子は言って微笑んだ。
それを聞いて真琴はわくわくした。
「でも、どうしましょう? 昌哉君の分がないわねぇ」
「奈緒子さん、そんな気を使わなくても・・・。それに急だし。まーくんにはあたしの分、使わせますから」
「そう、、ごめんなさいね」
奈緒子は申し訳なさそうに言い、昌哉の目の前に置かれた土を子供の手でもこねることの出来る大きさにして、三人のための陶芸教室が始まった。
「−そうそう。昌哉君、粘土を丸めるみたいにしてごらん。上手い上手い」
「まーくん、一人で出来る?」
「うん。一人で出来る」
「−真琴さん、もう少し力を入れてみるといいわ。パンの生地を作るみたいに」
「奈緒子さん、こ、こんなかんじですか?」
真琴は汗まみれになりながら、土をこねた。
「ちょっと貸してください」
奈緒子はプロの手つきで真琴の土を捻り始めた。真琴はというと奈緒子の土捻り姿に見とれていた。
「こんなもんでいいわ」
「あっありがとうございます」
奈緒子はにっこり笑い、奈都海と昌哉のほうを見た。
「昌哉君、出来たかな? 先生に見せてくれるかな?」
「うん」
「上手くできてるね」
奈緒子はそういいながら、形の崩れた昌哉の土の固まりを整えた。
「はい。次はどくろを回して、湯呑みの形にします」
奈緒子は二人に見本を見せた。どくろは何とか三歳の昌哉にでも出来る仕組みになってはいたが、三歳と言う年齢のせいか気を使って、奈緒子は昌哉に、奈都海に手伝ってもらうように言った。
「なっしゃん、やろう?」
「うっうん」
奈都海はかなり緊張して、顔は強ばっていた。
「なっちゃん、どうしたの?」
「何でもないよ。マコ、楽しい?」
「楽しい!」
微笑み返す真琴の顔はまるで子供の顔だった。
「まーくん、うちらもやろっか」
楽しそうにする真琴を見て、奈都海も笑顔を取り戻して昌哉の傍に行って言った。
「うん!」
「まーくん、回すよ」
昌哉は土の固まりにそっと手を当てた。その上に奈都海が手を置く。奈都海の手は小刻みに震えていた。
「なっしゃん・・・?」
昌哉は振り替えって奈都海の顔を見た。その顔は昌哉も初めて見る恐い顔だった。
「・・・」
奈都海には昌哉の声が耳に入ってなかった。奈都海はあの日から後悔していた。真琴に陶芸のマンガにしたらと勧めたことを・・・。ただ、あの日の朝のニュース番組で見た、陶芸家の半生にあまりにも感動し、自分が中学2年の時にどくろで目を回し倒れてしまったことも忘れてしまったことを。
「なっしやん・・・?」
昌哉は勇気を出して、もう一度奈都海に声をかけた。
「・・・う、うん? なあに?」
ふと、奈都海は我に返り、昌哉に聞く。
「・・・」
昌哉は何と答えていいか分からなかった。いゃ、昌哉の脳にはまだ、今見たことを言葉で表現する機能が携わってなかった。
「なっちゃん・・・。まーくん、怯えるよ。そんな顔してたら・・・」
「えっ!」
横目でそっと見ていた真琴は、昌哉が困っているのを見かねて口を開いた。
「目は、土に穴が開くぐらい、一点を見つめてるわ、おまけに額には冷や汗。かなり緊張しているんじゃないの? 何があったか知らないけど、まーくんにそんな顔しちゃ・・・」
真琴には大体検討は付いていた。この前の口の濁し方にせよ、今回のこの顔にせよ、陶芸というものに何らかのトラウマがあることは解かる。しかし、真琴はこの場では聞くのを止そうと思った。ここでそ理由を聞けば、奈都海が傷つくと思ったからだ。ましてや、目の前にいる昌哉の前で言えば、奈都海の”叔母”としてのプライドに傷が付くのは目に見えている。
「なっちゃん、肩の力を抜いたら?」
今の真琴はこの言葉しか奈都海に掛けてやることしか出来なかった。
「そうですよ。奈都海さん、肩の力を抜いて、無心になってごらんなさい」
今まで聞いていた奈緒子は、優しく奈都海に助言した。
「無心に・・・なること・・・」
奈都海は目を閉じて、頭の中の邪険を取払い、静かに目を開き、昌哉の手を包む。そして、どくろを回し始める。
それを見ていた真琴も自分の湯呑みを作り始めた。
それから、どれくらい経っただろうか、なんとか苦戦しながらだが、奈都海・昌哉の共作湯呑みと真琴の湯呑みが完成し、三人はサインを書いて湯呑みを釜に入れた。
「湯呑みが出来上がったら、お送りしますね」
「ありがとうございます」
上機嫌の真琴。疲れ気味の奈都海。
「昌哉くん、届くの楽しみにしててね」
「うん」
大喜びの昌哉。
「奈緒子さん、今日はありがとうございました・・・。それでは失礼します・・・」
奈都海は気の抜けた挨拶をした。
「奈都海さん、今夜はゆっくり休んでくださいね。ではまた」
奈緒子さんは、笑顔で三人を玄関で見送っくれた。外に出た三人を待っていたのは、
冬の終わりを告げる夕焼け空だった。
真琴は車が我が家にさしかかるのを見て、口を開いた。
「なっちゃん、中学時代に何があったの?」
昌哉は小さな寝息をたて寝ている。
「一特にあたしが来る3年の時までに・・・」
真琴は中学3年の時、牛窓に住む祖父の家に、祖母の死を機に、家族で福岡から引っ越してきた。
「実は、あたしね、−」
奈都梅は中学2年生の時に、どくろで目を回したことを、真琴に話した。
「そうだったんだ・・・。でも、今日は目、回さんかったね」
「それもそうだけど・・・、でも、もう陶芸はしたくない! ああ、疲れた」
奈都海は首を振ってみせる。そして、
「ところで、原稿のほうはどう? 書けそう?」
と、問いかけた。
「うん。何とかね。今夜は書けそうだよ」
真琴は車を下りて深呼吸をして言った。
「そりゃ、よかった・・・。じゃ、また明日来るよ。お疲れさん」
「お疲れサン」
奈都海はその後ろ姿を見て微笑み、車をスタートさせた。 |