1 追う少年
僕は生まれた時からここにいた。天井の高い広い世界。
僕はそこを部屋とは呼ばなかった。なぜならそこは世界だったから。
僕には他に世界が無かった。でも、今日からは違う。
僕は追いかけっこをするから。そのために、ここを出るから。
僕は今まで人の背中を追うことは無かった。今からそれを行うから、少し怖い。
僕は初めて自分以外と競走する。相手は、時間。そして、博士。
僕は掛け声をあげる。よーいドン。時間制限は、一年間。それが過ぎたら―
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街並み。広い街。そこはその国の端にあるのだったか。赤レンガと白い四角い石を敷き詰めた石畳。周りには商店街。果物屋は今日も大盛況。肉屋は最近減量が流行っているためか、客がいなくて空いている。肉屋の親父の顔は、彼が売っている豚肉のように垂れ下がり、やる気のない様子を隠しもしない。
少女は、そんな街を歩いていた。着用している緋色のロングコートの前には大きな青いリボンが結ばれ、歩く足音を軽快に響かせる茶色の革靴。そのコートと革靴の間に微妙に見え隠れする 黒いタイツ。頭には大きな白いハット。いかにも、金持ちそうな風貌。
おまけに、ハットとコートの間にある顔は秀麗そのもので、気品のある白い顔立ちの後ろでは長い栗色の髪が束ねられ、肩を通って胸のあたりにかかっていた。間違いなく、道ですれちがえば男は全員振り返る。
ただ・・・・・・・・・不審な点が一つあった。肩からさがっているのが髪だけではないのだ。それがポシェットや鞄だというのなら普通だろうが、しかし・・・・・・・・・少女は肩から細身の剣をさげていた。白い木の鞘に収められ、少し湾曲した短い剣。金色のアーチのついた柄は長くとってあり、両手でも扱えそうな剣だが、刀身は少女の踝から膝までほどしかない。護身用、なのだろうか。
その少女の前方から来るのは、街を肩で風切る男達。簡単に言えば、街を取り仕切る悪党。男達は常に退屈している。退屈は、暴力や賭け、女遊びで発散される。無論、秀麗な顔立ちの少女が狙われないはずもない。予想通りの展開で、少女は悪党に囲まれた。
「おう、物騒なもの持って歩くなよ」「こっち来て相手してもらおうか」「逃げれないよ」「その剣で俺らを切るかい?おお怖い」「おとなしくしてれば悪いようにはしないさ」
口々に言葉を並べ立て、少女を引っ張って連れて行こうとする。しかし、少女もあまり気にしたふうでもなく、すたすたと男達についていく。その様子に男達は「これはバカな女だろうか。抵抗された方が楽しいのに」と思ったりしたが、彼らの行動の源は大抵『本能』これである。したがって、大して考えもせずに少女を引っ張っていった。
「ここだ」
少女は終始無言でついてきた。その間男達は少女を観察していたのだが、どうも、年端も行かない感じがしていた。ハットの下に覗く顔つきや中程度の身長からはそこそこの歳を思わされたが、歩く素振りや表情などに重みや風格があまりない。十五、六くらいではないだろうか。
「俺らの長に会ってもらうぜ」
裏通りにある怪しい酒場。煙草の煙と酒の臭いに満ちたカウンターには、常に割れた酒瓶が置いてあった。乱闘の際に使用される目的もあるのだろう。
「・・・・・・・」
「なんだあ?さっきからこの女、無視ばっかかよ」
男の一人が少女の肩に手を置くと、ぐいっと自分の方向へ抱き寄せた。耳元で脅し文句を囁き、尻を撫でると店の奥へと突き飛ばした。
「俺が犯っちまいたいとこだが、親分が手を出す前にはなにも出来ねえ。さあ、とっとと行ってこい!」
少女は服についたほこりを払うと歩き出した。店の奥は狭苦しく、汗臭い部屋だった。その部屋の隅では男達がよどんだ目をして賭け事に精を出し、その奥にある汚い破れかけたソファに「親分」なる人物が座っていた。
「よお、嬢ちゃん。なんでこんなとこ来ちまったかなあ?」
親分は野太い声でへっへ、と笑った。視姦とでも言うべきか、その目は少女が部屋に入ったときから値踏みするように身体を凝視していた。スレンダーな体型に、顔つきから察することの出来る年齢からは逸脱した、豊かな胸。これは中々上玉だ、と親分は舌鼓を鳴らした。
「ハット、取れよ」
無言で頭からハットを下ろす少女。そして、それまでハットに隠れていた顔の上半分が露になった。高めの鼻に長いまつげ、気の強そうな眉。前髪は幾分目にかかり、鬱陶しそうに髪を払いのける少女。そして、開かれた目は―
『あ、青い!碧眼だ!!誰だ!こんなとんでもねえやつを連れてきたのは!!』
親分は先程までの強気な態度も一変させ、ひどく慌てた様子で子分をどやしに行った。横を過ぎ去ろうとする親分の袖を握る少女。その力は、か細い身体に似合わずとても強かった。
「離せ!!放せ!!離さないか、この悪魔!!」
腕を振り上げ、少女を殴ろうとする親分。しかし、その腕は動かなかった。なぜ止められたのかはわからない。少女の瞳の力強い光に気圧されたのか、それとも―
「魔法か!放せ、この、人から外れた化け物め!!」
「違う!!!化け物なんかじゃない!!!!」
少女は連れて来られてから初めて口を開いた。凛とした清涼な鈴の音のような声は部屋いっぱいに響き渡り、男達をしゃがみ込ませた。
「あ・・・・・・・・・・・・・。」
男達はひれ伏し、少女からの許しを待っているように見えた。少女は自分がしたことに呆れを感じつつも、手間が省けた、といわんばかりの態度で親分に顔を近づけ、偉そうな口ぶりで尋ねた。
「・・・・・・このあたりに、ハーゼンという人が来なかった?」
「はい・・・・・・・・・確か、街の、図書館の奥の隠し部屋に・・・・・・・・」
「そう・・・・・・・・・・・・」
少女は親分の袖を離すと、店から出て行った。足音がドアの開閉音と共に去っていった途端、男達は全身にかかっていた虚脱感から開放されて息をついた。そして、口々に呟いた。
「あれが、魔女か・・・・・・・・・・・」
「見つからないわけだ・・・・・・・・こんなところにいたなんて」
街の図書館の隠し部屋。本棚を見つめていればところどころに相違点を見つけることは容易かった。あとは、それを如何にして通れるようにするか。
「・・・・・・ここと、ここ」
少女は本棚の端を剣の柄で叩き、空洞音を確かめた。そして、鞘から剣を抜き放ち、本棚と本棚の間に突き立てた。隙間に潜り込んだ剣は少女の意思に沿って動き、壁と本棚の間にある入り口を見つけた。少女はそのまま剣を下へとおろしていき、やがてレバーに突き当たった。
「よ、っと・・・・・・」
ごとり、と音がしてレバーは落ちた。本棚が回転し、入り口が出来る。少女が急いで入ると、入り口はすぐに閉じた。
先にあったのは階段だった。長い階段は時折天井から水がしたたっており、古くからあるものである、ということを感じさせた。こんな、いつ壊れるか分からないような場所に人がいるらしい。
「ハーゼン・・・・・・・・・」
鉄製の引き戸を開きながら、少女はそこにいるであろう人物に語りかけた。するとハーゼン、という名らしき老人は伏せていた床から身を起こし、突然訪問してきた少女に驚いた。近くの文机においてあった丸い眼鏡をかけ、改めて目を丸くする。
「ミシェルか?」
「うん・・・・・・・・」
ぼろ布のようなマントを着たハーゼン、という老人は白髪を振り乱して飛びつき、少女ミシェルを抱きしめた。ミシェルも嬉しそうに両腕を回し、ハーゼン老人を抱きしめ返した。
「小さかった姪っ子が、よくここまで・・・・・・・・ああ、魔法が教えてしまったか」
「しまった、だなんて。まるでわたしに会いたくなかったみたいなことを言うのね」
どうやらミシェルの叔父らしき人物、ハーゼン老人は目をしばたいた。その目もやはり、青。碧眼はミシェルのものよりは幾分薄い色で、眼鏡を通して拡大されて見えた。白い無精ひげを生やしたハーゼン老人は、ううむ、と唸ってミシェルを離した。
「いや、やはり・・・・・・・おれと一緒では危ないだろう、と思ってな」
「この目を見ても、そんなことが言える?」
ミシェルは自分の濃い色の青い目を指差した。暗い地下室のランプに照らし出された瞳はなぜか中で青い色が揺らめいていて、刻一刻とその影の形を変化させていた。
「・・・・・・!!・・・・・・・それは、いつからなんだ。いつから、目に影を湛えるようになってしまった」
「つい最近よ。・・・・・・・・もう、抑えられないほどに大きい魔法を秘めてしまったわ。お願い、ハーゼン。もう、これを抑える術を学ばないといけない」
ミシェルは歳相応の少女の顔をして、ハーゼン老人を見上げた。瞳には涙が溢れ、勝気な眉も垂れ下がっている。
「・・・・・・わかった。但し、まずはここを脱出しないといけない。おまえ、かなり強行な手段でここを調べたろう?もう追っ手がかかり始めている。早めにこの街を出て、信頼出来そうな魔法使いに会いに行かないといけない。魔法で、なんとか追っ手を振り切れるか」
確かめるようにハーゼン老人がミシェルを見ると、悲しそうに目を伏せ、ハットで顔を隠した。
「ハーゼン・・・・・・・・・わたし、もう杖を使えないの。魔法が強すぎて、杖が耐えられないみたいなの・・・・・・。時折、魔法が勝手に外に出てきたりするわ」
「なら、仕方ないな。・・・・・・ひょっとして、だから剣を持ち歩いていたのか。身を守るために」
ミシェルは今度は恥ずかしそうに目を伏せた。ハーゼン老人はやれやれ、と溜め息をつくと、外への階段を駆け上がり始めた。そして図書館に出ると、受付で事務の仕事をこなしている女の人が目に止まった。
「あれを、どうにかしないとな」
ハーゼン老人は懐から指揮棒のような杖を取り出し、女の人が事務仕事に使っていた羊皮紙に杖の先を向け、ぶつぶつとなにか唱えた。すると羊皮紙は風も無く舞い上がり、遠くの方に落ちた。女の人は椅子を立ち上がり、イライラした様子で羊皮紙を拾いに行った。
「今だな」
ハーゼン老人は駆け出し、ミシェルもあとに続いた。通りに出ると、早速先程の男の一人に遭遇した。
「あ!!おい」
男が何か言う前に、ミシェルは剣を抜き、男の喉に突きつけた。静かに、と念を押すと、怯んでがら空きになった腹部に鞘で突きを繰り出し、気絶させた。
「やるじゃないか!・・・・・・まるで魔法だな」
褒めたつもりだったのだろうが、ハーゼン老人のこの言葉にミシェルは怒って顔を赤くした。そして二人はまた走り始め、街の出口までは順調に進んでいった。が、街の入り口にある跳ね橋は上げられて封鎖され、おまけに警官隊が駐屯していた。
「あれでは出られない・・・・・・・」
ハーゼン老人の魔法は限られた範囲の中でのみ、それもごく僅かな力を発揮する代物らしく、警官をなぎ倒して街の外に出たりは出来ないらしい。
「わたしが、感情が昂ぶったりしたら」
先程酒場でやったように、何人もの人間を同時に昏倒させたり出来る、とミシェルは言葉をつなごうとした。しかし、ハーゼン老人はそれを遮り、ミシェルに言い聞かせた。
「ミシェル、おまえの魔法は確かに強くなっている。でも、制御できていない力を使うのは危険だ。最悪の場合、おまえそのものが消し飛ぶかもしれない」
でも。このままじゃ、二人共捕まってしまう。
「夜だ。夜まで待とう。少しは戦況も変わる。信じるんだ」
ハーゼン老人はそう言うと辺りへの警戒を解かないように注意しながら、じりじりと裏路地へと姿を消していった。ミシェルもあとに続き、通りをあちらこちら転々としながら夜を待った。
夜。一向に警戒が解かれる様子はない。寧ろ強化されている気さえする。裏路地を逃げ回る最中にも、何度か親分の手下に遭遇したが、幾度も気絶させていたので疲れてきた。ハーゼン老人も魔法を使って何人か弾き飛ばしたりしてくれたが、五人も相手にすると魔法は打ち止めとなった。
「だから、警官を倒して逃げたりは出来ないんだ」
ぜーはー、と息を切らしながらハーゼン老人は跳ね橋の近くをぐるぐる周っていた。警官に隙はない。投降しても厳罰、或いは死刑・・・・・・・・ミシェルはぶるっと震え、改めて自分の青い瞳を恨んだ。こんな目、抉り出してしまいたい。
「この目のせいでっ・・・・・・・・・・」
「目を恨んではいけない。ミシェル、自分に誇りを持て」
十六年の生涯を通して虐げられ、迫害されてきたというのに。今さら、何が誇りだ。そう、思った。全部ぶちまけたい、と。ミシェルはそういいたいのも何もかもぐっと我慢して、ハーゼン老人に尋ねた。
「なんで・・・・・・・?なんでわたしの家系は、この目が現れる人が多いの?」
ハーゼン老人は丸い眼鏡を押し上げながらふうと息をついた。マントについていたフードをかぶり、夜の街を眺めている。
「さあ・・・・・・・・なんでだろうな。ただ言えるのは、その目は宿主を選ぶ、ということだ。おれのこの目のように青でも色の薄い人は多い。が、ミシェルの目は特別なんだ。青いだけなら何も言われない場所も多くなってきたが、その目は・・・・・・影を湛えた瞳には、膨大な魔法が凝縮され、秘められている。危険で、甘美なる力を秘めた目を、欲しがる人は多い・・・・・・・・」
「こんな目!!欲しいなら、誰にだってあげてもいい!なのに・・・・・・・・・・・」
そこで、警官の一人がミシェル達に気づいた。そのまま近づいてくれば打ち倒しておくことも出来たが、残念ながら警官は笛を吹き、仲間の警官に合図を出した。何人もの警官が、一挙に押し寄せてくる。
「・・・・・・・・・・万事休す、か・・・・・・・・・・・・」
ハーゼン老人はつかつかと警官に歩み寄り、杖を渡して手を挙げた。そして、ミシェルのところに戻ってくると、こう言った。
「もう、ダメだ・・・・・・・おれが引きつけるから、おまえは南へまっすぐ行け。分かったか、南だ」
そう言うと、ハーゼン老人は袖口に隠していたもう一本の杖で警官隊に立ち向かった。魔法を使って弾き飛ばし、間が空かないように蹴りや肘打ちで打ち倒していく。ミシェルは慌てて逃げ出したが、警官のうちの十人ほどが倒れたところで魔法は打ち止めとなった。限界まで頑張ったのだろう、ハーゼン老人はへたりこんだ。そこに、警官が銃を突きつけようとする。
「・・・・・・・・っ!!!やめて!!!」
が、銃は発砲されなかった。ミシェルが叫ぶと、警官の動きが止まった。魔法だ。青い瞳に秘められた魔法が外に漏れ出したのだ。
「ハーゼン!!早く!!」
ミシェルは叫ぶが、ハーゼンはへたり込んで動けない。仕方なく、ミシェルは自分でハーゼンを抱え、走った。跳ね橋は降りていなかったが、必死で巻き取り機を回し、跳ね橋の鎖を緩める。
「いたぞ!!」
昼の男達が親分を引き連れてやってきた。しかし、ミシェルが一瞥くれてやると、まったく動かなくなった。
「さあ、早く!南、に行くんだっけ?」
「ああ・・・・・・・」
二人は駆け出し、街の外に飛び出した。
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広い草原。そこに、大きな光る円が現れ、長い杖を持った少年が現れた。少年の風貌はこの地域にはあっていない服装で、擦り切れたジーンズ。裾が長く、膝くらいまである黒い服。後ろのところにはフードが付いていて、紐でフードを緩めたりきつくしたり出来るようになっていた。手にした杖は少年の身長と同じくらい、先が二又に分かれていて、そこに水晶のような石がはめ込まれていた。杖の握りの部分には飾り布が二つぶら下がっており、少年が歩くたびにそれが揺れた。
「さて、ここから追いかけっこが始まるんだな」
少年は黒い髪をくしゃくしゃっと掻くと、杖を突きながら歩き始めた。行き先は決めていない。しかし、行かなくてはならないところは分かっていた。
「こっち、かな」
左手でぎこちなく行き先を示す。そして、すたすたと歩く。道に迷うことはない。行き先は分からないが場所は分かる。奇妙な話だが、事実だった。少年の頭に語りかけるような形で、魔法が教えてくれていた。そして、もう一つ。魔法が、後ろから大きな力を秘めた人が近づいているのを教えてくれていた。
「女の子、か」
青い目をした美人な子だった。歳は、少年とさして変わらないくらい。剣を持って、後ろからは老人が付いて来ている。白いハットの下にある栗色の髪が走るたびに揺れ、緋色のロングコートの下からは茶色い革靴が見えるか見えないかくらいで、走りにくそうだった。
「おーい。街の方向を教えてくれませんか」
少年は呼びかけたが、少女は全く無視。カチンときた少年は、つつつと歩み寄って話しかけた。
「こんな暗いのに、街の場所くらい教えてくださいよ。ここに来たばかりなんです」
「・・・・・・・・・・・」
完全に話す気がないらしい。仕方なく、少年は走って少女を追いかけた。並んで走ってみて分かったが、少女の身長は少年とさして変わらず、女子にしてはそこそこ高かった。後ろから付いて来ている老人は少年よりも頭一つ高かったが、一応、会釈をしてくれるあたり少女よりは接し易そうだった。そこで少年は話す相手を変えて、老人に話しかけた。走りながらなので、非常にやりづらかった。
「あのー、街、どこに、あります、か!」
「後ろ、に、あるけど。おれら、は、今あそこ、から、逃げてるん、だ」
老人はずり落ちる丸眼鏡を押し上げながら少年に説明してくれた。少年は納得してうなずくと、訳ありと思わしき二人と走り続けた。どこかしら目的地があって、二人も走っていることがうかがえた。そして、少年の行くべき場所の方向と、二人の向かう方向は同じだった。
「・・・・・・なんで、ついてきてるの」
「いや、方向が、一緒、でね」
人懐こそうな笑みを浮かべる少年は、そう言って少女に近づいた。走る行き先は途中で変わるかもしれないが、それまでは同行するつもりらしい。
「ついてきてると危ないわよ。わたしのこの目を見ればわかるでしょうに」
少女はそう言うと忌まわしそうに自分の目を指差した。青く煌く瞳は、刻一刻とその内包する色の影の形を変え、少年を見据えた。しかし少年は尚も笑みを絶やさない。
「綺麗な目だね」
そうまで言ってのけた。その笑顔には悪い考えは一片も含まれておらず、ただただ綺麗だ、と思っていることがうかがえた。しかし、少女はそれまで虐げられてきた過去を思い起こすとその笑顔が信じられなかった。自分を見る他人の目は、いつも白い。この「目」を悪用しようとする輩か、もしくはこの目を気味悪がるか。いつもそうだった。
「・・・・・・なにか目的でもあるのでしょう」
「ないよ?僕は、ただ、綺麗だ、と思っただけ」
走りながら話すことに慣れていないらしく、少年は度々どもった。少女はそんな少年を見て、なんとも言えず不思議な気分にさせられた。自分を怖がらない目。そんな目に出会ったのは、いつが最後だったか。
「・・・・・・・・街、探してるの?」
「うん!」
「この先に一つ、街があるの。ここから走っていけば、五十分くらいで着くかしら。そこで、わたしたちも休むから。一緒に行く?」
少女は自分でもこんな提案をしたことに驚いた。しかし少年は嬉しそうに笑い、じゃあまだしばらく一緒だね、と聞き返してくる。屈託のない笑顔を見ていると、追われる身であることを忘れそうになる。
「ところで・・・・・・・五十分って、どれくらい?」
「この針が十のところを指したら、五十分よ」
懐中時計を取り出して少年の前で見せるが、どうも要領を得ない表情である。
「・・・・・・・この、細い棒が『針』?で、『十』は・・・・・・どれ?」
「これ。ここの、棒が交わった形の記号」
別段、文字盤を上手く読めないものがいることはあまり珍しくない。このご時世、勉学の出来ない者は多い。少年も、そうした環境に恵まれない子供の一人なのだろう。
「勉強、してないの?」
少女が尋ねると少年はむくれて抗議の姿勢をとった。
「してないわけ、ないよ。ただ、ここの場所では、あまり勉強、してない、だけ」
「ここでは?どこか、他の場所ではやってたの?」
「うん。前いたところでは、色々、勉強はしてた、けど」
「ふうん・・・・・・・・・」
その後は二人共押し黙り、街に着くまで走り続けていた。後ろを、老人がひいはあ、と言いながら付いてきていた。
先程の街よりは幾分さびれた風な街に着き、少女は宿をとった。少女はハットを深くかぶり、老人も目を見られぬようにハンチングをかぶっていた。少年だけは目の色が黒といたって普通なので、長い杖を持っていることを不審がられながらも宿に入れそうだった。が、
「ごめん。僕はお金持ってないんだ。だから、野宿」
杖を後ろに向けると、きびすを返して立ち去ろうとする。そこで少女は先程の少年の屈託のない笑顔を思い出し、なんとなく、少年ともう少し行動を共にしたくなった。
「ねえ、君。泊まるところがないのなら、相部屋でもいいなら一緒に休む?」
「え?いいの?」
少女は思った。久しぶりに会うことの出来た、差別をしない人なのだ。このままもう少し行動を共にしたい、と。
「言っておくが」
そこでようやく、息を整えて話せるようになった老人が、口を開いた。
「ミシェルに手を出すなよ」
身内としての脅し文句だった。しかし、少年は分からない、といった風で、
「手・・・・・・・・・?うん。よくわからないけど、触ったりしないよ」
どうやら、少年はそのての知識には疎いらしい。老人は安堵の溜め息をつくと、部屋に少年を通した。
部屋はこぢんまりとした小部屋で、予想通り、ベッドは二つ、あとはソファしかなかった。狭い部屋にはあとはバスと洗面台、それにトイレしかなく、バルコニーもなかった。
「僕、床で寝ますよ」
言うが早いか少年は、部屋の隅に丸まると、眠ろうとした。慌てて老人と少女は少年にソファで寝るように言い渡した。そして、杖を抱えて座り込んだ少年は、二人に向き直ると自分の名前を名乗った。
「少年、なんて呼ばれるのはなんだから、名前を教えるよ。僕はオルト。二人は?呼べないと貴女、貴方、なんて呼ばなきゃいけなくなるから」
こういわれては名乗らないのも失礼なので、少女と老人は名を名乗った。
「わたしはミシェル」「おれはハーゼン」
「じゃあ、よろしく。まあ、明日には僕もどこかに行かないと行けないんだけど」
そう言うとオルトはソファの上で丸まり、ぐっすりと寝た。ミシェルとハーゼンは顔を見合わせ、二人も休むことにした。
翌朝、ハーゼンとミシェルが目覚めると、オルトの姿はなく、外に出て杖で打ち薙ぐ練習をしていた。どこで身に付けた動きかは分からないが、とりあえず、そこそこ上手だった。
「朝ごはん、食べたら」
ミシェルが声をかけるとオルトはそちらを向き、杖を肩に担いで部屋の中に戻ってきた。
「ありがとうございます。でも、なんでお金もない僕によくしてくれるんです?」
「・・・・・・・差別しないから」
「差別?女の子だから、とかでですか?」
オルトは真剣に尋ねてきていた。つまるところ、オルトは「青い目」に対しての差別そのものを知らないらしい。ゆえに、ミシェルが青い目を見せても何も言わなかったのだ。それがわかったミシェルは困った。ここで青い目について話してしまえば、せっかく差別しないで自分を見てくれていたオルトの気持ちも変わってしまうかもしれない。そうなるのが、怖かった。
「オルトは、黒い目をしてる。わたしやハーゼンは、青い目をしている。その差を見比べて、差別をしてくる人が多いから。オルトは、そういうことが全然ないね」
ミシェルは結局、微妙に青い目について匂わせながらも、全部を話すことは出来なかった。しかし、オルトはそれで納得してくれたらしく、「そんなことで差別しない」と言ってくれた。ミシェルは複雑な気持ちになりながらも、理解者を得られたようで嬉しかった。
「ねえ、オルトはなんで『青い目』について知らないのかな?」
朝食が済んで部屋に戻る途中のミシェルが、オルトには聞こえない程度の声でハーゼンに問いかけた。
「さあな・・・・・・おれ達とは服装とかからして微妙に違うところがあるしな。もしかすると、『青い目』に対する差別のない国からきたのかもしれんな」
差別のない国。そんな夢のような国があるとすれば、オルトは、そこから来たのだろうか。
「そんなところがあるなら、行ってみたい・・・・・・・・・」
ミシェルはハットをさらに深くかぶってうつむいた。ハーゼンはそんなミシェルの様子を見ていられなくて、眼鏡を押し上げながら肩を叩いてやった。そんな国は、あるのだろうか。二人が帽子をかぶって目を隠さなくても済むような国、が。
「じゃあ、お二人は南に行くんですね」
宿を出て二人が行き先を告げると、オルトは嬉しそうに微笑んだ。
「僕もなんです。行かなくてはならないところがあるんですが、その方角はどうやら南のようで。またしばらく一緒に行くことにしませんか?」
ミシェルはオルトの提案を二つ返事で引き受けた。そんな様子を見ていたハーゼンは、やはり自分を差別しない人間がいてくれることは心強いのだろう、と思った。素性のわからない同士で行動を共にするのはどうかとも思ったが、そこはおいおい会話の中で尋ねていくこととした。そうして三人は、狭い舗装のされていない道を南に向かって歩き始めた。
「オルト、そういえば君はどこを目指して歩いてるんだ?」
「うーん・・・・・・・南の方向に行かなくてはならない、ということが分かってるだけなんですよ、実は。これは行き先を言えないとかじゃなくて、行き先を知っているのが僕の魔法だけだからなんです」
歩き始めて数十分、警戒してはいないのか、オルトは自分について尋ねられればよく話してくれた。歳が十五で趣味が読書だの、杖を持っているのは自分も魔法使いだからであること、ここの国に来たのは本当に最近であること、それゆえに『青い目』についての差別も知らなかったこと、など。しかし、どうやってこの国に来たのか、行き先を教えてくれる魔法とはなんなのか、どこの生まれなのか、といった質問については答えてくれなかった。重要な部分は答えてくれないつもりらしい。まあ、それはハーゼン達も同じだったのでなんとも言えなかったが。
「魔法というものを、まるで生き物のように言うのね」
ミシェルが言うと、オルトは杖を振って自分の周りに魔法を集めた。
「そうですよ。魔法は僕には人間みたいなものなんです。・・・・・・魔法には、長さも、色も、匂いも、触感も、形も、味も、何もない。五感に働きかけるものが何もないんですよね。だからこそ、頭のどこかで感じることのできる友人のようなものだと思うことにしてるんです。ここは幸いにも魔法が満ちてるんで、僕の魔法と呼応して、行かなくちゃならないところもすぐわかりました」
ミシェルは思った。彼の魔法に対する思いは、少し変わっている、と。この世には、いくらか魔法の使える人間が存在する。別段、『青い目』を持たざる人でも魔法の才を開花させ得る人はいるのだ。ただ、青い目を持つものはそうでない者よりも強い力を持ってしまうだけ。
さらに、その青い目を持つ人間の中でも目の中の色が刻一刻と変化し、影を湛えるようになってしまうと、もっと上の方に位置する力を得てしまう。普通の人の魔法が強風を吹かせる程度だとすれば、青い目を持つ者は大強風を起こせる。さらに影を湛えし者となれば、巻き起こる風は大暴風だ。戦争にでも使えてしまう。
実のところ、そうして戦に参加して暮らす人間もいる。国が命令を下せば出向いて力を使い、人を、殺す。そんな風になるのは、ミシェルは嫌だった。常に銃を持っているような力が、疎ましくて仕方なかった。なのに、オルトはそう思っていない。あまり力が強くないせいかもしれないが、魔法を友だとさえ言ってのけた。ミシェルには、そんなオルトは眩しく見えた。
「・・・・・・ところでハーゼン、わたしの魔法、どうやって抑え込むつもりなの?」
「『青い目』を持つ者の中には、ミシェルのような影を湛えしものがごく稀にいる。その中の一人がおれの知り合いにいるんだが、そいつはたしか南にいたはずなんでな。近づけばあいつの魔法がおれに教えてくれる。そうしたら、そいつの元で力を抑える術を覚えるんだ」
ハーゼンはそう言うとまたオルトに幾つか質問を投げかけている。ミシェルは自分の魔法が持つ力が周りを渦巻いているのを感じて、オルトの魔法と呼応していることに気づいた。
「オルトは、結局どこに行かなくちゃいけないのかしら・・・・・・」
夜になっても街は見えず、三人は野宿することにした。二人は寝袋を広げ、街で買った少しばかりの食料で夕食を済ませた。が、オルトは本当に何も持っていないらしく、寝袋がないから木のウロで眠るし、食事は野草を採ってくる、と言った。旅をする者とは思えないオルトの軽装を思い出した二人は心配したのだが、十分もするとオルトは二人よりも遥かに多くの食料を得てきた。野草に小動物に果実、泉の水。二人が驚いてなぜそんなにたくさん採ってこれるのか、と尋ねると、彼は笑って「魔法のおかげ」と言った。とにもかくにも、オルトのおかげで二人も腹が満たされるだけの食事をすることが出来た。
「オルト、この寝袋使ったら?」
食後に眠ろうというときに、ミシェルがオルトに提案した。しかしオルトは首を振り、
「いやいや。女の子を木のウロに寝かせるわけにはいかないよ」
と言ってごそごそと口を開けて待っている木の中に潜り込んだ。ミシェルはなおもオルトに寝袋を使うよう「食事のお礼に」と言ったのだが、「食材をおいしく調理してくれたからナシ」と言われたので諦めた。
「親切で言っても断られたなら仕方ない。さっさと寝て、明日に備えよう」
ハーゼンはそう言ってミシェルの肩を叩き、自分の寝袋に潜り込んだ。ミシェルもそうしたが、しばらくは寝付かれなかった。
次の日の朝になり、ミシェルが目を覚ますとなにかに手が触れた。そこにはみずみずしい果実と野草が置いてあり、それで調理してくれ、というオルトの希望のようだった。昨晩厚意を断られたあとだったので、またも心遣いをかけられたようで少々むずがゆかった。そんな気持ちで調理したせいか、味は幾分濃すぎるものとなってオルトとハーゼンに叱られた。しかし、そこでミシェルは自分の料理を批評してくれる、差別をしない人間がいることにありがたみを感じたりして、ますますオルトへの接し方を考えなくてはならないように思った。
そして出発。靴を整えている最中にオルトが「もう少しで僕は目的地に着くよ」と言ったので、ミシェルは理解者との別れが近づいていることを予感した。ただの旅の連れではあるが、差別をしない特別で特殊な人だっただけに別れるのは嫌だった。しかし、旅の目的は人それぞれ。ミシェルは分かれ道のところで手を振るオルトを見送った。
「あっというまに来てあっというまに去っていったな」
ハーゼンがしみじみと言う。オルトは好ましい人物だった、というようにしか思っていないらしい。
「あんな風に差別をしない人、初めて見たわ」
「ああいう人が、たくさんいる世の中だと過ごし易いんだが」
ミシェルは遠ざかるオルトに寂しさを感じながらも、自分の目に秘められた力を抑制するための修練を積むため、自分の道を歩き始めた。
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「ミシェルは、自分の魔法を封じ込めちゃうつもりみたいだな。僕の行き先は探し物みたいなもので、彼女の魔法はそれを見つけるのに役に立ってくれたんだけど・・・・・・僕は彼女の魔法と友達になれても、彼女は自分の魔法を毛嫌いしてる」
二人と別れて道を進むオルトは、悲しそうにつぶやいた。魔法は友だと認識しているオルトにとって、それを封じてしまうのはなんともかわいそうな話に聞こえた。
オルトは二人と行動している間、少しばかり二人の魔法を見せてもらっていた。魔法は他の魔法と呼応することがあるので、自分の魔法のみで探し物をするよりも確実なのだ。そして、ミシェルの魔法はオルトのそれと呼応したとき、たしかに探し物の気配を匂わせた。
「早く見つけないとな」
杖を振って、自分の周りに魔法を集中させる。魔法は南西を感じさせた。つまり、探し物は南西にある。オルトは二人に尋ねられるたび、自分からもいくらか質問を返していたのだが、その中でミシェルが「生家は山を越えたほう」と言っていた。そして、山は南西の方にある。これは、ミシェルがオルトの探し物と接触した可能性を示唆していた。
「さて、この時代では、僕の探し物はどんなことに使われているのか」
行く末には、行き先の最後には。探し物のようなものがある。奪われたもの。たとえ取り戻すために行動するのがタブーだとしても、どうしても必要なもの。
「あと、一年しか、ない・・・・・・・・・・・・・・」
奪われた大事なもの。オルトの身体に僅かに残されたそれは、あと一年しかなかった。
「さあ、行かなくちゃ。時間を取り戻しに」
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