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君の目をみて いえること
作:三小屋真尋



1―6 秋の色


 やはり仕事は5時になると終わる。

 ワンルームのアパートは会社に近い。
 ゆっくりシャワーを浴びて、音楽を聴いてからでも鈴との約束の時間には余裕で間にあう。
 財布の中身を確認し、ドアのロックを確かめて出たのは30分前だった。
 
 昨日、鈴にメールはしなかった。別れてすぐに、必ず来てほしいと思った強さはやはりいつものように、時間が経つにつれ鋭さがにぶり、丸くなっていった。
 時間と場所がわかればいい。あとは本人の「その気」の問題だから・・・・・・。
 
 10分待とう。
 来なかったら・・・・・・。
 
 狸小路の楽器店でいつものようにガラスケースに守られたマーティンやギブソンでも眺めて、アルバイトの学生といつもの話をして帰ろうと決めた。
 だから、メールはしなかった。液晶の文字の奥に、必ず「こい」という押し付けを、下書きを消したあとのように一緒に薄く映るようで・・・・・。

 誘ったのは鈴の方だ。
 ───そんなことはどうでもいい。

 大通り駅20番出口のベンチでは老人が反射光を頼りに、近づけたり遠ざけたりしながら何かを読んでいた。
 地下から出ると何でもなくても、空を見上げてしまうのはなぜだろう。
 テレビ塔の色が濃い。
 いま時期の空はカーテンを引いたように急に暗くなる。黄昏と夜とを、意識してはっきりと区別をしたがっているように。

 帰宅時間の交通量はピークに近く、車のヘッドライトやテールランプは出始めたパチンコ玉のように並んで、光りながら動いたり止まったりしながら進んでいる。
 昨日とは打って変わった夜の秋風が、頬を吐息のように撫でていった。

 地球温暖化を叫ぶ声が強くなり、年を増すごとに世界のあちこちで異常気象のニュースと自然災害が重なり始める。
 歴代の最高気温を更新し、沖縄より暑い日が何日も続き、死者さえも出た北海道の狂った夏は、
 「そんな話は記憶にございません・・・・・・」
 と言っていた政治家の薄ら笑いのように、誰かが勝手にしたことのようにそそくさと終わった。
 そして、もう足元まで来ている冬との境目に段差ができないように、秋の色で上手にグランデーションしている最中だ。

 急ぎ足でしか歩けないサラリーマン。睨んでいる警察官。
 うつむいた中年。すましたOL。
 薄着のアルバイト学生。笑いが止まらない女子高生。
 怒ったような老人。困ったような主婦。
 初めて腕を組んだ恋人。
 手を引かれる子供。

 すれ違う人。
 追い越していく自転車。
 佇んでいる人。
 消えそうな・・・・・・人。

 僕がこの人たちを見るように、この人たちは僕をどう見ているだろう?
 見えてさえ、いないかもしれない。
 カメレオンのように上から下まで秋の服を着た
 「透明人間」
 では・・・・・・。
 


 ポケットに突っ込んだ右腕に絡むように、後ろから誰かの腕が遠慮深げに、注意深げに入ってきた。と思ったら、すぐに逃げるようにサッと引き抜かれた。
 小さなすばしっこい動物がジャレついてきたようだった。
 こんな愛嬌のある仕草を仕掛けてくるのは、今のところひとりしか思い浮かばない。

 横で歩調を合わせているのは鈴だった。
 約束通り、鈴はきた。
 女性でも僕の歩くスピードに付いてくるのは簡単なはずだ。
 僕は歩くのが速くない。
 僕の顔を見ずに鈴がいった。
「こんばんは! 」息は弾んでいた。遠くで僕を見つけて走ってきたのかもしれない。
 メールを入れなかったことを疎まれると思い込んでいた僕は、少し拍子抜けして挨拶を返した。
「こんばんは。昨日はどうも」
「うん! 昨日はどうもっ、へーちゃん! 」へーちゃん、のところで急にこちらを向いたのでつまづきそうになった。
「昨日は誰かと待ち合わせ? 」意味はない。挨拶の続きのようなものだ。
「え? 」
「ただ、コーヒーを飲みに来たの? 」
「・・・・・・待ち合わせ、よ」
「会えた? 」
「うん! 会えた、会えた!」
「そう、それはよかったよ。お腹、すいた? 」
 その瞬間、鈴は立ち止まった。
 そして、思い出してしまった。
 空腹だったことを・・・・・・。
 歩きながらの会話というものもあるだろ、普通。
 ふたりの関係が冷めたものでなければ外での夕食へ、カッコつけていえば「ディナー」へと向かう足どりなのだから、大抵は楽しくうきうきと「何を飲んで、何を食べて、それから何にして・・・・・・」と、期待をする言葉が出てきそうなものだが。
 足取りが進むごとに、「お腹がすいた」
 信号待ちで、「お腹がすいた」
 すれ違う人が行き過ぎると、「あぁー、お腹がすいた」
 前屈みになり傾斜もないのに登山でもしているような体勢になっていた。
「頑張れ! 」隊員に声をかけるように、そう言いたくなるほどその顔は「腹へった! 」を訴えていた。

 レストランへ着いたのは時報と同時の7時丁度だった。
 キリがいい時刻にドアを開けると向こうで花束でも抱えた誰かが待っていそうな気がする。
 しかし、連れの娘はもはや死にそうだった。

「今日は僕がご馳走するよ」
「わぁ! ありがとう! 」
 薄く化粧をした顔が輝いた。

 素直で。 よろしい。

 店の中と外との境界で、鈴はひとつ「こん」と咳をした。


     ▽


 僕はお酒があまり飲めない。
 小さな缶ビール1本を空けるのさえ結構な勇気がいる。飲み口を開ける「パシューッ」という音を聴いただけでほろ酔いになる。
 鈴は鈴で、全然、まるっきり、文字通りアルコール類はただの一滴も飲めないといった。

 結局ワインでもシャンパンでもなく、最初にコーヒーをもらうことになった。

 コーヒーが好きなんだね、と鈴が言って頬杖をしたまま顔を前に出した。


 函館に「横山珈琲館」という自家焙煎の店がある。
 そこはアメリカンとかブレンドとかという区別がなく、豆の重さとお湯の量で注文をする。
 たとえば「20の120」といえば豆が20グラムでお湯が120ccという具合で、これが標準である。「30の100」だとかなり濃い。
 お湯はビーカーで沸かし、豆は天秤と分銅できっちり計る。
 カップは同じものがひとつもなく、マスターがその日の気分で選んで淹れてくれる。
 3台で駐車場はいっぱいになるので少しでも斜めに停めたり、白線からはみ出ていると、車を離れる前に奥さんが飛んできた。
 一段高いステージにウッドベースが置かれ、裸電球に電気を送る線も「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の納屋に使われていたような裸の銅線の、アンティークなその店は、僕のお気に入りだった。

 2年前。僕は函館で暮らしていた。

 鈴は必ずそこへ行くといい出した。「20の120でお願いします」とミーハーな注文をしてみたいのだと、もう日程も決まったような、その後の函館の『おいしいもの名所巡り』も決まったようないいぶりだった。

 誰と? 
 とは訊かなかった。

 バケツに山盛りにした宝石を火星人がつまづいてひっくり返したような函館の夜景も、つんとする潮の香りも、今では変わってしまっただろうか・・・・・・。


 ウェイトレスが置いていった純白で厚めのカップに入ったふたつのコーヒーは、深くて香ばしい香りを漂わせていた。
 僕はブラック。
 その日の気分で砂糖を半分だけ入れることもある。
 鈴はミルクカップの中身を全部注いだ。
 砂糖は2杯と半分入れた。
 3つも2つ半もあまり変わらないと思うが、その半分にはそれに見合っただけの意味があるそうだ。
 アーモンド色になった液体の表面で白い渦が回っている。僕は苦手な缶コーヒーの味を思い出して、胸の真ん中が甘く熱くなった。
 そんなにするなら最初からカフェ・オレにでもすればいいのにと言いたいのを堪える。

 昨日のブラック・コーヒーよりはかなり美味そうにちょびりちょびりと啜っていた。
 ・・・・・・猫舌?
 そういえば、今日はあの操り人形の糸はどこにも付いていない・・・・・・。

 ワタリガニのパスタとカルボナーラがくる。
 ビザがくる。
 海の幸とサフランのリゾットサラダが置かれ、ポタージュスープとこだわりパン。
 これはなんだ、と思うものも並ぶ。
 来た皿ごとに一口づつ味見をして、後のお楽しみにする。
 僕がパンを契ろうとしたとき・・・・・・。

「だめよ! 」
 料理に手をつける順番でもあるように、行儀の悪い子供を叱るように、しかし本人はパスタを口いっぱいに頬張りながら言った。
「なにが? 」思ってもいないところでお預けをくらったら、犬でもこう言う。
「メール、待ってた───」
「・・・・・・」
「夜はいつも、電源切るけど。携帯握って、寝ないで・・・・・・まってた」
「・・・・・・」
「ずっと、待ってたけど、・・・・・・鳴らなかった」
「・・・・・・」
「だから、来ないと思ってた」

 目をみて話さない鈴は、射抜くよりも強烈な視線を投げてきた。

 雨水が続けて落ちて弾けるようなピアノのBGMと、あちこちの小さな雑踏で薄められて、僕は自分が溶けてしまったのかと思うほど、小さくなってしまった。(今日も会えるという自信がなかったのは君だけじゃないよ・・・・・・鈴)

 携帯を向かい合わせ、赤外線通信でアドレスも電話番号も住所も交換した。
 鈴は瞬きを忘れ、今世紀最大のとんでもない大発明品を見たように、今人気の日本語をかたことで喋るマジシャンでも見るように僕を見て。
 それから携帯をひっくり返しては「きゃー」と絶賛していた。
 鈴は僕のアドレスを確認しながら「ねえちゃんだったら、携帯の機能ぐらいすぐに覚えて、簡単に使いこなしていただろうなぁ」と遠くを見た。

 鈴の両親は小学生と中学の頃に亡くなっていた。
 数年前には姉妹ふたりきりだったお姉さんさえも亡くなった。
 交通事故だった。
 今は介護の仕事をして一人で暮らしている。 
 事故のことを現場検証でもするようにあれこれ訊くのは嫌だった。
 単語や言葉がでるたびに、スライド写真のように映像が蘇ってくるからだ。
 一枚一枚の写真がつながり、その速度が増すとスローモーションの画像になり、やがて実写映像になる。
 モノクロがカラーになり、目をきつくつぶるほど鮮明になる。
 生きていた頃の笑顔や声や手のぬくもりや吐息さえ再現し、なぜその日が訪れたのか、なぜその場所に居合わせなければならなかったのか、その時自分は何をして何を考えていたのか。
 やり直せるはずもないその日を呪う日がまたやってくる・・・・。
 
 鈴は自分の事をあまり語らない。
 にこにことして「へーちゃん、厭なことは? 」「へーちゃん、芸能人はだれが好き? ・・・・・・エビちゃん? あゆ? 」「趣味は? 」「癖は? 」映画は? 血液型は? 小説は? 休みは? 何時に寝る? 髪のカットはいつした? 視力は?

 質問攻めだった。そして───。

「仕事は? 忙しい? 」

「ふつう・・・・・・だよ」
「ふつうに忙しいの? ふつうに暇なの? 」

「どっちでもないから、ふつう」
「頑張ってる? 」
「・・・・・・」

 そのとき、たぶん僕は嫌な電波を出した。

 そして、その言葉を境に鈴の言葉数も減った。


      ▽


 店を出た。

「鈴、彼氏は? ・・・・・・いるの?」
 並んで歩きながら、僕は気になっていたことのひとつをやっと口にした。
「いるよ」
 出会った次の日に食事に誘うぐらいだから、「いない」と決め付けていた自分が恥ずかしくなった。
 こんなに可愛い人がひとりのはずがないということも当然で、考えれば分かることだったのに。

「そう・・・・・・、優しいの? 」
「すごく・・・・・・」そして、イケメン! といって笑った。
 僕は鈴の彼氏になれた人は幸運でうらやましいと、本当に、思ったとおりのことを言った。
「どんな人? 」
「うん、あのね。背はこのぐらいで」と、踊るように僕の前に来て、げんこつを頭の上に乗せた。
 そして「鈴とお似合いだよぉ」と歌うようにいい「お話を訊くときも話すときもここに皺を作るけど、怖くないよ。ぜんぜん。コーヒーが好きで・・・・・・人には何倍も気を使って、それを見られたくなくて。食べたことのないプリンを美味しいという人・・・・・・。寂しがり屋だけど、笑った顔が素敵で、メガネが・・・・・・ね、似合って。それから・・・・・・」

 それから───頑張りたいのに頑張らなくて・・・・・・、わざと仕事を5時に終わって頑張らないふりをして・・・・・・それから、ね。 それから・・・・・・。

 気づくと僕は・・・・・・。
 鈴を抱きしめていた。












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