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君の目をみて いえること
作:三小屋真尋



3−1 もしもの角度


 ─── もしも ───には角度がある。
 
 過去への角度と、未来への角度・・・・・・。

 今のこの地点で、向いているのが未来だとしたら。過去へは180度。そこからまた180度反転する。そっちは未来。
もしもの未来と、もしもの過去。
 たとえば180度ではなく、130度の角度の未来へいくとしたらそこにはなにがある? 50度ぶん足りない未来があるのか? もしも・・・・・・。
 たとえば125度の過去へ戻るとしたら、そこには誰がいた? 知らないひとばかりか? 記憶にも残らないような、表面だけの薄っぺらな人間関係だろうか? 案外、そのほうが楽かもしれない・・・・・・。 もしも。もしも・・・・・・。

 未来のことばかりを考えていた時期があった。過ぎ去った日々など、失敗や苦労などどうでもよくて、ただこれからの夢ばかりを追っていた。
「夢は夢に終わる───」なんてことはこれほども考えもしない。叶わないはずなどなくて、それに向かって精一杯の背伸びさえしていれば、いつかは夢のほうから飛びこんでくるはずだと。そうでなければならないんだと。
 もしも───。
 夢ともしもは同じものだった。
 子供の頃に乗った新幹線は飛んでいるようだった。こんなものを運転している人はどんな人かと、宇宙飛行士よりも数段すごい人だろうと思った。自分もなれるだろうか? もしも、運転手になれたら、どこにでも夢のように飛ぶように行ける。
 人目をひきたい頃もあった。
 演劇で主役を演じれば役者に。歌がうまいといわれれば歌手に。
 新卒で入社した会社は楽しかった。技術が高くて職人といわれる先輩がいれば、同等以上の話ができるように自分を磨き。営業でトップ成績を争うほどの人間になることを。
 家になど帰らなくても、癒える場所は会社。いや、同僚の集まる場所だった。それも少し違う。同じ方向を向いていて、同じ勢いで走ろうとしている人間。達。
 の・・・・・・、集まる場所───。
 このまま出世できたとして部長になり専務になり、もしも。もしも社長になったら・・・・・・。
 会社の経費ではなく自分の給料で買ったワゴン車に乗る。ボディは黒のメタリックでアルミホイールはインチアップした太めタイアのステップワゴンなんかでさりげなく出社する。
 釣り大会。年に2度ぐらい、優勝者にはゴールドのベイトリールを進呈する。
 それから花見。毎年決まった桜の木の下で全員の写真を撮る。家族も呼ぼう。
 社員旅行は少し豪華にして、うらやましいといわれたらいい。誰にでもあそこはいい会社だといわれ、あの会社に勤めたいといってほしい。
 全員が、もしも───。
 そんな会社で一生を送りたいと思うのなら、ひとりづつがあと半歩、あと一歩外へ踏み出して、自分のために、恋人のために、家族のために、会社のために業績をあげようとつなを引く手に力をこめるはずだ。こめた力は必ず綱の先まで伝わるだろう。
 その張り合いをなくさないように、浮力を落とさないように、僕は旗をふる。おおきな旗をなにをも惜しまず、笑いながら泣きながら叱りもしながら、必死に力の限りにふり続けるんだ。
 もしも───。
 家を買ったら・・・・・・。
 リビングは普通よりは少し広くして、ピアノが置けるくらいにしよう。ギターはマーチンとハミングバードをその横の壁に無造作に立てかておく。
 ・・・・・・拾ってきた犬が横に座って顎を腕に乗せている。
 いつも僕たちを見ていて、いつでも立ち上がれる姿勢でいるのがいじらしくて、顎と耳と背中を一緒にくしゃくしゃとなでる。犬は「早く終わればいいな」という顔をして、それでもだまってされるままにしている。
 冷たさがみる雨の夜。濡れたダンボールの中でふるえる命を拾ってくるのは。昨日買ったばかりの上着をぐるぐる巻きにして抱えて。帰ってくるのは。香織。
 香織・・・・・・。
 どうして・・・・・・。
 いつも角度は自然に過去を向き、もしもは夢ではなく、後悔をなぞるものになる。

 もしもあの日。あの日の前までに僕らは結婚をしているか、同棲をしているか、とにかく一緒に暮らしていて、それを誰もが承知していることだったら。社長は、佐東伸幸は、香織を連れて会議へ出たか?
 もしも、香織を連れ出したことを知っていた誰かが、その頃はみんなに敬遠されていた僕にもしも、何かに例えた話でも、濁したニュアンスでもいい。
 もしも知らせてくれていたら。不吉に思った僕は心配でふたつに分裂したような心臓の鼓動を抑えながら迎えにいっていた。探した。
 幹部が大勢いる会議室に踏み込んで、「帰ろう」と無理にでも連れ戻した。細い腕を、手を、握りしめて。そんな僕に、誰が、なにをいうんだ?
 もしも僕が留置場にさえ入らなかったら。最後の一滴の血をも汚されたと思いこんでいた香織のそばにいてやれば。言葉はかけられなくても声は聞かなくてもそばにいれば。
 もしも───。必死に肩を抱きしめていれば。
 めくったページの章からはどこかの遠い知らない土地へでも行って、もう一度やりなおす物語が始まっていたかもしれない。
 せっかく病気が治ったのに。勝ったじゃないか。勉強もまだしたかったろうに。何でも一度でできた人なのに。
 本は? 読みたかった本は、あと何冊あった? 

 角度を過去へ回して、もしもを考えるのはいつからのことか・・・・・・。

 香織はいなくなった。一週間して、僕は釈放された。そのままアパートへ帰るでもなく、酔っ払って夜の道をただ歩いた。吐く息はため息にもならず、肺と器官をただ空気が移動するだけのようだった。
 街灯もない寂れた道路は暗闇の入り口のようだった。車道にパンクをしたサッカーボールが転がっていた。一か所がくぼんで、頭蓋骨のようだった。それを横目に見て僕はとおりすぎた。そのいびつな丸がなにかの光を反射してぼーっと光ったとき、頭蓋骨に何かをいわれたようだった。
(ざまあみろ、おまえも大したこと、ないじゃないか・・・・・・。女ひとり守れないくせに、おま・・・・・・)「やめろ! 」むしょうにいらいらして腹が立って、遠くへなくしたくなって、振り向いて踏み込んで蹴り飛ばしたとき、黄色いふたつの光は目の前にあった。その夜、僕の足はなくなった。

 今の僕が行きつく「もしも」の角度は、いつも過去だった。
 取り返しのつかないものの結び目をほどいては、そのどうしようにもならないことに埋もれて生きてきた。
 
     ▽

 返信をしないのに、鈴からのメールは毎朝決まった時間に僕の携帯を鳴らした。一週間ほど続いて、今日のそれは電話のコールの音にかわった。メールではない直接の声で・・・・・・。僕は鳴り止むのを待った。
 コール音は5回だし、出ようと思ったら切れたと、真っ先に言い訳を考えた。
 言い訳を、カンガエタ?
(おまえ、結局。いつか会うつもりじゃないか。会おうと思うから、その時のために言い訳を考えるんだ。そうだろ? 会いたいんじゃないか)(相変わらず、なまぬるい奴だなあ・・・・・・)(言い訳をするか、逃げるか、どっちかだよな。いっつも・・・・・・)
 あのときの、空気の抜けたサッカーボールが、頭蓋骨のような球が囁いたようだった。
 鈴・・・・・・。もう電話なんかしないでくれよ。
 
 僕は、逃げた。












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